第22話
運転席から、燻木さんの声がする。
「さて、香月さん。今から貴女のご自宅に向かおうと思いますが、差支えなければ、住所を教えていただけますか? いえ、決して悪いようにはしません」
やっぱりウチまで来るんだ。もう、ここまで来て今更住所を渋る理由は私には無かった。
「世田谷区XXX-XXXです」
「承知しました。ここからでしたら、40分ほどで到着しますね」
車が発進すると、少しの沈黙。奇妙な空間だった。エリートサラリーマン風な燻木さんに、助手席で眠ってる緋山さんに、学ランを来た傷だらけの中学生。緋山さんは、初めて会った日と全く同じ、ミリタリーコートに黒セーター、ジーンズだった。相変わらず色々と聞きたいことはあるけれど、まずは隣の男の子に話しかけてみることにした。
「あの…初めまして。私、香月 藍って言います」
視線を向けて自己紹介すると、男の子はびくっとした。人見知りなのかな、おどおどとした印象を受ける。その胸に大事そうに抱えたリュックを、より一層ぎゅっと抱きしめて、彼は答えてくれた。
「ぼ、僕は…水無瀬(みなせ) 心太(しんた)って言います。あ! 初めまして!」
こちらには目を合わせてくれず、斜め下に視線を向けている。もしかして、本当に拉致されて怯えているのかな。そんな心配が胸によぎった。
「傷、大丈夫? 痛そうだけど…」
「え? あ、いえ! 大丈夫です! こんなの、いつもの事です…」
いつもこんなに傷だらけなんて、尚更に心配だ。やっぱり、学校で虐めにでもあっているのかな。緋山さんと燻木さんはどう思ってるんだろう。そもそも、この人達の関係はなんなんだろう。そんな疑問が湧いてきた、その時だった。
「彼は、私達の仕事仲間の一人で、優秀なエンジニアです。主にセキュリティ方面を担当してもらっています」
この男の子が、仕事仲間で、エンジニア? 全然しっくり来ない。そもそも、燻木さん達がどんな仕事をしているのかも知らないので、聞いてみる事にした。
「燻木さん達は、一体どんな仕事をされてるんですか?」
「おや、これは失礼しました。てっきり、緋山から聞いているものとばかり。私達は…そうですねぇ、エンジニアと言うと広義に過ぎるので、所謂、ハッカー集団と言えば、一番イメージし易いかもしれません」
ハッカー集団。と言うことは、つまり、犯罪者?
「補足させていたただくと、世間ではハッカーを、不当にシステムに侵入して悪事を働く犯罪者をイメージしているかと思いますが、実体は真逆です。ハッカーとは本来、純粋な好奇心を原動力とした、技術に卓越したクリエイティブな人種を指します。世間のイメージに沿った連中は、クラッカーと呼ばれます。ハッカーは創造する者、クラッカーは破壊する者、と言っていい程に両者には差がありますね」
燻木さんの説明で、少し安心を取り戻す。クラッカーと言う単語自体、知らなかった。
「警察の前では大っぴらには言えないことも、時々してるけどね」
助手席から聞こえた声は、緋山さんだった。寝ているとばかり思ってた。
「あの…例えば、どんなことを?」
「最近だと、不法アップロードを重ねる海外サーバにいくつか侵入して、ウイルスを作ってバラまいた。OSごとサーバをダメにしても良かったけど、どうせ仮想サーバだろうし、不法アップロードされたデータを削除したところで、別サーバのバックアップからすぐに復元されるのがオチだ。だから、ウイルスを撒いて自己増殖させて、奴らのネットワークごと攪乱してやるのが、最も嫌がらせになるかなと思ったんだ。大昔から使い古された、トロイの木馬戦術だけどね」
不法アップロードと言うのは、映画とか音楽とか漫画を無料で見放題のアレかな。クラスで男子が声を大にして、無料でなんでも手に入ると自慢していたのを思い出した。
「国内の不法アップロードであれば、警察も即座に摘発できるのですが、如何せん、海を越えると、途端に国は動きづらくなりますからね。仮想空間と言えど、他国の領域に踏み入るわけですから。そこで、私達のような無法者の出番と言うわけです」
信号待ちをしている間、燻木さんが補足してくれた。
「ちなみに、その件は水無瀬君の立案でした。正直、私達は映画や漫画が不当にアップロードされようと興味は無いのですが、彼にはそれが許せなかったらしくて」
隣の水無瀬君に目をやると、なんだか恥ずかしそうに縮こまってしまった。肌が白いから、ほんのりと赤くなっているのがわかりやすい。
まともな社会人とは思ってなかったけど、想像以上に普通じゃない人達だった。それでも、全く得体の知れなかったころに比べて、概要だけでもわかったのは、安心に繋がる。
「みなさんは、今日のことは、どのくらい聞いているんですか?」
ハンドルを操作しながら、燻木さんが最初に答える。
「緋山からは、壊したいデータがある、とだけ。何を、なぜ、どのように壊したいのか、不要な詮索はしません。依頼があれば、それを遂行することのみに注力します。今回、私は、ちょっとしたデバイスをご用意しました」
もしかして、盗撮されたという、私の胸中に配慮して緋山さんは詳細を伏せてくれたのかと思ったけど、どうだろう。この人達は本当に背景に興味が無いだけかもしれない。続いて、水無瀬君が口を開く。
「僕も同じです。壊したいデータがある…とだけ。でもそんなの、詳細を教えてくれれば、今すぐにでも侵入して壊すのに…」
「それじゃダメだ。外付けのHDDに、バックアップを残している可能性が高い。いくら水無瀬でも、オフラインのデータにはアクセスできないだろう」
と、助手席から緋山さんの声。わかるものもあるけど、さっきから専門用語が飛び交うせいで、いまいち要領を得なかった。とは言え、緋山さんは勝算を持って臨んでくれているのは、なんとなくわかった。
「あの、じゃあ、僕はどうして連れてこられたんですか?」
「水無瀬はいざと言う時の保険だよ。データがネット上に拡散されないように、ネットへの出入り口で食い止めて欲しい。藍の家のルータにハックするのがベストだね」
「無線経由で、ですか?」
「もちろん」
「あぁ…だから僕も、香月さんの家の近くまで連れていかれるんですね…。じゃ、香月さん、おウチのWi-FiのIDを教えてください」
「え…え? ID?」
急に話を振られて、頭がテンパる。
「普段、家でWi-Fiに繋いでスマホに触ってますよね? そうじゃないなら、話は変わりますけど」
「あ、あぁ、うん…えっと…ちょっと待ってね…どうやるんだっけ…」
ポケットからスマホを取り出して、Wi-Fi設定を開こうとあたふたしてると、水無瀬君は私のスマホを勝手に奪い取って凄い速さで指を動かして、文句を言う間も無く私にスマホを返した。
「はい、ありがとうございました。いかにも、ルータの初期設定のままって感じのIDでしたね。この分じゃ、管理者パスワードも初期設定のままにしてそうですね。最低です。それじゃ張り合いが無いです。でも一応、パスワード解析用のプログラムも準備しておきます」
先ほどのオドオドとした様子とは打って変わって、水無瀬君の口調は、非常にはっきりとしていた。まるで、人が変わったみたいだ。彼は胸に抱えたリュックから、ノートPCを取り出す。それには、ステッカーがいくつも張られていた。鋭い眼光でノートPCを叩きだす。まるでマシンガンのようなタイピング音だった。思わず見入ってしまう。何が起きているのか、全くわからないけれど、なんとも言えない頼もしさを、この人達に感じ始めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます