第21話

 壁にかけられた時計に、何度目かの視線を運ぶ。午前11時の10分前。昼時前だから、1人で4人用のファミレスのソファを占領してても問題はないはず。ドリンクバーしか頼んでいないのは、店員の目が少し気になったけど、一介のバイトはそんなこと気にしないだろうと思い直した。むしろ、オーダーが楽で感謝しているかもしれない。

 父に脅された時は、急いで家を出てしまったけど、鞄を持ったままで助かった。中に財布も入っていたからだ。まだ、緋山さんはやって来ない。あの日、彼と焼肉を食べた後は、親とちょっと喧嘩をして出てきたことにして、由香里の家に泊めてもらうことにした。

『うんうん、そういう時もあるよね。深くは聞かないよ! 藍ちゃんが私を頼ってくれて嬉しいよ』

 由香里個人を信頼していることもあるけれど、彼女が一人暮らしをしていることも大きかった。由香里の住まいは一軒家だけれど、両親はずっと出張で不在らしい。毎月、仕送りだけが送られてくるそうだ。

 時計を見ると、11時まであと5分。待ち合わせを平日のこんな時間に指定するから、学校は途中で抜け出すしかなかった。制服のおかげで、明らかに学校をサボっているようにしか見えないのは、居心地が悪い。1日を挟んで冷静になると、あの焼き肉屋での出来事は、何かの間違いだったんじゃないかとすら思えてくる。自分のピンチに都合良く謎の男が現れて、更には自分を救ってくれるなんて、出来過ぎている。やっぱり、警察に行った方がまだマシだったかもしれない。少なくともあんな得体の知れない男に任せるよりは。だけど、事情を話して尚、彼はなんとかなると言った。その言葉を確かめてみてからでも遅くないのかもしれない。そんな思考が、昨晩から私の中で堂々巡りしていた。

 お客さんの来店を知らせるアラームが店内に響く。時刻は11時1分前。今度こそ緋山さんかもしれない。入口に目をやると、そこにはスーツを着た男が一人、佇んでいた。オールバックにシャープなフレームの眼鏡。スーツのことはよくわからないけれど、ネイビーにうっすらとストライプの入ったスーツが、その長身痩躯にフィットしていて、なかなかに値が張りそうだった。いかにもエリートサラリーマンって感じ。エリートが昼食を取りに来るには、このファミレスはやや場違い感があるけれど。少し気になったのは、エリートサラリーマンは手ぶらである点だった。

 彼はキョロキョロと店内を見回す。私と目が合うと、一直線にこちらに向かって歩き出した。思わず、私もキョロキョロと周りを見回すけど、近くに人はいない。何より、エリートサラリーマンの眼鏡の奥の目は、まっすぐに私の顔を捉えていた。彼は私の前でピタッと止まると、あたふたする私に笑顔を向けた。

「香月 藍さんですね? 初めまして。私、こういう者です」

 慣れた所作で胸ポケットから取り出された名刺には、こう書かれていた。

 

 チーム Clacker Jack

 ハードウェア&デバイス担当

 燻木(くすぶき) 折助(おりすけ)

 

 全くピンと来ない。ここに来て、まさかの営業マン? だけど、こんなファミレスで、いかにも授業をサボってる風の女子高生に営業できることなんて無いはずだ。名刺を見て眉毛を八の字にしてる私を見かねてか、目の前の燻木さんは続けてくれる。

「緋山はご存じですね? 私は、緋山とチームを共にする者です。今日は、代理でお迎えに上がりました。彼は、あちらでお待ちです」

 燻木さんが手を伸ばす方へ目をやると、窓の向こうに、白塗りの車が停められていた。車には詳しくないけれど、私でもあのエンブレムは知ってる。ベンツだ。その助手席に、緋山さんが見えた。眠っているのか、目を瞑っている。ここで、燻木さんのエスコートを受けるか少し躊躇した。緋山さんが見えたとは言え、そもそも緋山さんからして依然として得体の知れない人には変わりないし、それは目の前の燻木さんだって同じだ。身なりがしっかりしている分、緋山さんより第一印象はずっとマシだけど、だからといって言われるがままに車に乗るのは抵抗があった。

 それでも、私は乗ることにした。燻木さんがドアマンのように、後部座席のドアをあけてくれる。ここまで来て、引き返す選択肢は無いと思ったこともあるけれど、決め手は後部座席に男の子が座っていたからだ。中学生くらいかな、少しサイズを持て余した学ランを着ていて、くせっ毛が印象的だった。怯えているのか、リュックを胸に抱いて丸まっている。なにより、顔にあるいくつかの青あざと擦り傷が目立った。そして、両の手には包帯が巻かれていた。もしかして虐められっ子なのかもしれない。私が言えた義理じゃないけど、学校はどうしたんだろう。まさか、この人達に拉致された…とかではないと思いたい。年下の男の子が乗っていることで、なんとなくだけど、私の警戒心が少し解けたのは否めなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る