第20話

 少し、躊躇している自分が意外だった。こんなことは、さらっと話してしまうのが一番だと思っていたけど、そう上手くはいかない。性的な被害にあって、泣き寝入りしてしまう人達の気持ちが、少しだけわかった気がした。他人に打ち明けるのは怖い。惨めな気分になるからだ。自分は可哀想な被害者なんだと、自他共に認知されてしまうようで。周りに認知されることで、それが本当に現実のものになってしまうようで。だけど、ここで臆してしまったらそれこそ惨めだ。そう自分に言い聞かせて、私は続きを話した。

「今日、学校から帰った時のことです。父は珍しく早くに家に居て、話があるからと、私を書斎に呼びました。机の上のPCを見ると、そこには…その……私の、盗撮画像が並んでいました。部屋で着替えているところから……お風呂や、トイレまで」

 身の毛がよだった。なぜ、どうしてこんなものを目の当たりにしてるのか、目の前の現実にまるでついていけなかった。頭が真っ白になるとは、まさにあのことだった。茫然とする私に、次々と画像や動画を目の前で開いて見せる父の顔がフラッシュバックする。ディスプレイの光に照らされた、歪ににやけた顔を思い出して、全身に鳥肌がたった。

「次に、父はこう言ったんです」

「これをネットにバラ撒かれたくなければ、君の体を好きにさせて欲しい。警察に言ったら、即座にこれを拡散する。そんなところだろ?」

 私は顔を上げると、男は私の方を、じっと見つめていた。私は肯定の頷きを返す。

「この手の犯罪は、どいつもこいつも、同じことばかり口にするね。つまらないなぁ、本当につまらない」

 緋山さんはこれ見よがしに溜息をついた。人に話させておいて、結構な口ぶりだ。別に楽しんで貰おうなんてこれっぽっちも思ってないけれど、いい気分はしなかった。

 ドラマや映画で、弱みを握られて思い通りにされる人達がいる。そんなの、どうとでもなるんじゃないかと漠然と思っていたけれど、いざ現実で自分が直面してみると、確かにどうしようも無かった。

 警察に話せば、きっと即座に動いてくれるだろうけど、万が一を考えると、どうしても尻込みしてしまう。一度ネットに画像や動画をバラ撒かれたら、終わりなんだ。延々と世界中の下卑た男たちの慰み者にされるかと思うと、怖くて仕方なかった。友達にも話せない。心配させたくないのもあったし、なにより、身近な人間から性犯罪の被害者と思われることに、強い抵抗があった。

 だから、全くの見ず知らずの、一期一会の人が、このどうしようもない胸の内を吐露してしまうのに、最適だったのかもしれない。教会の懺悔室も、きっと同じ仕組みだ。例え、全く解決には繋がらない、気休めだったとしても。

「わかった。なんとかなりそうだ」

 一瞬、耳を疑った。なんとかなる?

 男は空になった皿を見つめて、トントンと、机の上を指で叩いている。網の上にはもう、肉は残っていない。

「お父さんはいつも、何時ごろに家に帰るの?」

 それを聞いて、一体、何をする気なんだろう。

「えっと…。平日は、19時までに帰ってくることは、ほぼ無いです」

「わかった。そうだな…1日あれば十分かな。明後日の午前11時に、このビルの一階にあるファミレスで、また会おうか」

 こちらの承諾も待たず、男はすっと立ち上がり、ミリタリーコートを羽織ると、スタスタと出口に向かった。

「え、ちょっと、待ってください!」

「あぁ、言い忘れてた。会計は済ませおくから、残った肉は好きに食べていいよ。僕の名前を出せばツケが効くから、追加注文してくれてもいい」

「いえ、そうじゃなくて…あの…」

 なぜ助けようとしてくれるのか、何をする気なのか、あなたは何者なのか。聞きたいことは山ほどあるけど、最初に出てきた言葉が、これだった。

「まだ、名前も聞いていないんですけど…」

 男は振り返って、答える。

「緋山 創司って言います」

 君は? と、返される。

「私は、香月 藍って言います」

 うん、よろしく。そう言って、緋山さんはドアから出て行った。しばらく茫然としてしまった。

 なんだか、怒涛の一日だった。慣れ親しんだ街にいるはずなのに、一気に非日常に迷い込んだみたいな。だけど、さっきまでの絶望的な気分は、少しだけ迷子になってしまったみたいだ。そのせいか、私のお腹が鳴った。緋山さんが出て行った後で良かった。私は、お言葉に甘えて、残ったお肉を網の上に乗せて、お腹を黙らせることにした。

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