第19話

 目の前で焼ける肉の音と香ばしい匂いが、私の胃を暴力的なまでに刺激する。最初はどこに連れて行かれるのかと不安な部分もあったけれど、入ってみればここは、誰もが知る高級焼肉店、その個室だった。

「食べないの?」

 目の前の男は、次々と肉を焼いては、せっせと自分の皿に移し、黙々と食べている。野菜もライスも頼んでない。肉だけで胃を満たすつもりみたいだ。まだこの唐突な展開に追いつけず、委縮している部分があったけれど、ついに食欲がそれに勝った。私は手元の箸を、網の上で焼かれるカルビに伸ばす。

「割り勘なんだから、好きに食べるといいよ」

 空中で、私の箸が止まる。

『奢ってくれるって言ったじゃないですか!』

 と言いかけて、やめた。よくよく思い返せば、確かに、奢るなんて一言も言ってなかった。でも、お店も相談されずに連れてこられた手前、奢ってもらえるものだと考えていた。そもそも、ナンパってそういうモノだと思っていた。空中で引き返した箸が、その胸中を示しているようで恥ずかしい。よくよく考えれば、このタイミングで割り勘宣告するなんて、わざととしか思えない。私の中の第一印象は、不審な男から、性格の悪い男にシフトした。

「いえ、結構です。お金無いので」

 そう言えば、この、焼肉の煙を吸引する太いパイプの名前はなんて言うんだろう。男は、そのパイプの向こうでオレンジジュースを飲んでいる。流石に、未成年ではないと思うけれど、アルコールは好まないのかもしれない。

「なんだ。じゃあ奢るから、好きなだけ食べなよ」

 もしかしたら、意地悪のつもりではなく、純粋に割り勘のつもりだったのかもしれない。全く悪気の無いその口調と表情から、そう感じた。

「どうして、私を食事に誘ったんですか?」

 この人からしたら、なんのメリットもない。きっと、弱った心に付け込んで、あわよくばホテルに連れ込もうとする、下衆なロリコンに違いない。最初はそんなパターンも考えていたけれど、異性の気を引く気配がまるで感じられない振る舞いに、再びその思惑が見えなくなってきた。

「正直に言うと」

 空になった網の上に、次々と肉が敷き詰められる。

「それは建前で、僕が聞いてみたいと思ったからなんだ。単純な好奇心だよ。なにがあって、死のうと思ったのか。その歳なら、借金とか倒産とか、そんなつまらない理由じゃ無さそうだ」

 悪趣味だと思った。自殺志願者かもしれない人間に、そんな野次馬根性で関わるなんて。だけど、その気持ちが私には、よくわかった。私にも、そういった面はあるから。そんな親近感なのか、着飾らない本音を話してくれたからなのか。少しだけ気を許した私は、どこから話してみようかと、逡巡し始めた。もしかしたら、全くの見ず知らずの人間だからこそ、懺悔室のように、抱える悩みや境遇を気兼ねなく吐露できる部分もあったのかもしれない。そもそも、私自身、自分で自分を大事にしようという考えが、人より希薄な方だと思う。そうでなければ、あんな高いところに座らないし、こんなところまでついてきたりしない。ここの奢りは、彼の好奇心に付き合ってあげる報酬と思えば、気兼ねなく目の前のカルビに手を出すことが出来た。胃も落ち着いたことだし、水で喉も湿らせて、言葉を発する準備をする。

「私、盗撮されたんです。そして、脅されてるんです」

 ちらりと、男の反応を伺う。彼はこちらを見向きもせず、口に肉を運んでいる。さきほどよりペースが落ちてるので、どうやら、そろそろ満腹みたいだ。

「誰に何を盗撮されて、どう脅されてるの?」

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