第16話

 結衣は過去を眺めているかのように、天井を見上げる。私は結衣をしっかりと見据えて、続く言葉を待った。

「夏の終わりごろ、恵美が家族と一緒に、うちに挨拶に来たの。引っ越してきました、一緒の学校に通うのでよろしくお願いしますって。恵美の第一印象は、大人しそうな娘だと思ったよ。全然目を合わせようとしないし、一言もしゃべらなかったんだもん。だからね、なんとなく、私が面倒見てあげなきゃなって、最初に思ったんだ」

 面倒見が良くて、おせっかいな結衣らしい。

「でね、ぶっちゃけると、あわよくば付き合えないかなって下心もあったよ。ああいう、守ってあげたくなる女の子に弱くってさ」

 反応に困るので、無言を貫く。

「まぁ、それは置いておいて、きっかけはそんな感じだったんだ。慣れない土地だったろうし、親睦を深めるためにも、休日は色んなところに遊びに誘ったんだ。でも、私とばかり仲良くなったってダメだと思ったの。ほら、私って部活人間だからさ。昼休みも放課後も一緒にいられないし。それで、何かきっかけが作れたらって思ったんだ」

「それが、例のアカウントだったんだ」

 結衣が頷く。

「恵美も、最初は騙してるみたいで気が引けるって言ってたけどね。Twitterだと、恵美は随分と社交的だと思わなかった?」

「うん。あれも、結衣がアカウントを更新してたからなんだね」

 今度は、首を横に振った。

「違うの。単純に成りきるつもりなら、あんなギャップのある真似しないよ。Twitter上の恵美のキャラクターはね、本当の恵美なんだよ。人見知りで大人しいけど、仲良くなると、びっくりするくらい活発で明るいんだから。そういう一面も持ってる娘なんだって、みんなにもわかって欲しかったんだ」

 SNS上では、すっかりと別人のように振舞う人もいる。恵美も、そんな一人だと思っていた。だけど、それが本当の恵美だと言うのには、少しひっかかった。本当の自分ってなんだろう。どうして、人前のキャラクターが偽物で、SNS上の姿が本物だと言えるのだろう。逆かもしれないのに。そんな思いが湧きあがったけど、今は片隅に追いやることにした。

「苦労した甲斐はあったのかな。もちろん、恵美自身も歩み寄ろうって頑張ったと思う。いつの間にか、クラスのみんなとすっかり打ち解けてる恵美を見て、本当に嬉しかったんだ。ちょっと妬ける部分もあったけどね」

 そう言って恥ずかしそうに微笑む結衣。また、彼女の見たことが無い一面だった。いつもは勝気で男勝りな結衣の、しおらしい一面だった。

「だけど、恵美は遠くに行っちゃった。もう、二度と会えないところに」

 先ほどとは打って変わって、結衣の表情が暗く沈む。

「私、きっと、寂しかったんだろうなぁ。現実逃避だったんだよ。ある時、今まで通り、恵美のアカウントから投稿してみたの。そしたら…さ…なんだか…まだ……恵美が生きてるような……気がしてさ」

 結衣の声が、どんどん涙声になっていく。それを聞いて、私の涙腺も、少し緩みそうになっていた。結衣は鼻をすすり、目元を拭いて、言葉を続ける。

「……ほんのちょっとだけど、気分が紛れたんだ。クラスのみんなが怖がるのは、悪いけど、少し嬉しかったよ。恵美がそこにいるって、みんなも感じ始めた証拠だからね。例え、それが亡霊という形でも。それでね、いつの間にか、夢中になってた。恵美になりきることに。こんな風に部屋まで真似しちゃってさ。ははは…異常だよね。私、どっかでおかしくなってたのかも……。ねぇ、そうなのかな? 私、頭おかしくなってるのかな?」

 救いを求めるような瞳で、結衣は私を見つめる。私は頷く。

「うん、おかしいよ」

 結衣の、悲しそうな顔。彼女に嘘はつけない。いや、彼女は嘘を求めていたのかもしれない。嘘でもいいから、違うと言って欲しかったのかもしれない。だけど私は、なぜか、本当の事しか言いたくなかった。

「でも、私はそんな結衣のおかしさも含めて、好きだよ」

 笑って言えたと思う。結衣にはどう響いただろう。悲しみに満ちたその顔が、嬉しそうな笑顔に変わるのを見て、私も嬉しくなった。

「友達として、だからね?」

 一応の念押しに、結衣は笑いながら、わかってるよと答えた。

 結衣は突然、ポケットから携帯を取り出して、何度か画面を操作した。私の方に見せてきたそれには、Twitterの退会画面が映っていた。

「現実逃避は、これでおしまい」

 そう言って、結衣は画面をタップした。私は自分の携帯から、恵美のアカウントの投稿を遡ってみる。だけど、そこには一言、『このユーザーは退会しました』という文字が無機質に表示されるだけだった。

「本当に、良かったの?」

 結衣は頷く。

「いつか、そのうちバレるだろうなって思ってたんだ。その時が来たら、潔く終わろうって。でも、その相手が藍でよかったよ」

 仮想社会における疑似とは言え、これは、結衣にとって二度目の恵美の死だったのかもしれない。恵美を亡くした悲しみを、ほんの少しでも和らげてくれていた依り代だったのだから。うっすらと目じり浮かんだ涙が、結衣の胸中を物語っていた。

「私は、何もしてないけどね」

 少し、目線を落とす。手元の緑茶は、すっかりとぬるくなっていた。

「真相に辿り着いたのは、やっぱり緋山さん?」

 前を向くと、結衣と目が合った。私は頷いた。

「ふーん、そっか。ねぇ、緋山さんとは一体どういう関係なの?」

「そんなに気になるの?」

「そりゃ、まぁね。いいじゃん、私もこれだけぶっちゃけたんだから、お返しに教えてくれたって」

 確かに、単純な好奇心でここまで人の心にずかずかと踏み入ったのだから、それくらいのお返しをする義理が、私にはあると思った。

「わかった。話すと少し長くなるし、日を改めてでもいい?」

「お、やった! 由香里も呼んでいい?」

 話の流れ的に、由香里にまで話す義理はないかと思ったけど、今後しつこく聞かれるのは目に見えているので、承諾することにした。どうせ話すなら、手間は一度きりがいい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る