第15話

 打ちっ放しの鉄筋コンクリートの廊下が左右に伸びる。目の前には、所々錆びついた鉄製のドア。その隣に設置されたインターホンを押すと、数秒の後、扉が開いた。

「はいはーい、どちら様……って、藍じゃん。どうしたの急に。こんな土曜の朝っぱらから。てか、私の家、知ってたんだね」

 早朝ということもあり、結衣は上下スウェットというラフな格好だった。来客に対し、部屋着のまま臆面も無く出迎えるあたりが、結衣らしいなと思う。ここは202号室。恵美の家である402号室の2階真下が、結衣の家だった。

「うん、ちょっとね。そう言えば、結衣の家に遊びに行ったことないなと思って、来ちゃった」

 我ながら、取り繕う気が全くない言い分だなと思う。アポも無しに、休みの早朝からいきなり訪問して遊ぼうだなんて、そんな自由が通用するのは小学生くらいだ。結衣も当然、怪訝な顔をする。

「えっと…ごめん、来てくれたのは嬉しいんだけど、また今度にしてくれないかな?」

「どうして?」

「ほら、散らかっちゃってるし」

「そうかな。恵美の部屋の写真は、綺麗に片付いてたじゃない」

 沈黙が廊下を包む。結衣の顔から笑顔が消えた。私の方は、少し、緊張しているみたいだ。

「そっか…。やっぱり、全部バレちゃったんだね」

 そう言って、結衣は観念したように、ドアを開いて私を招き入れる。

「寒いし、上がりなよ」

 2人が並ぶのがやっとの玄関を潜り抜けると、お線香の匂いがした。次いで、石油ストーブが部屋を暖める匂い。部屋の片隅には仏壇が置かれている。台所に、冷蔵庫に、テーブルに、食器棚。どれも3,4歩歩けばすぐに手が届く距離にあった。私の、今の住まいとの大きなギャップを感じたけど、ウチと決定的に違うのは、椅子が4つある点だった。

「おいでよ。これが見たかったんでしょ」

 そう言って、結衣はリビングの奥の襖を開いた。そこには、投稿画像で穴が開くほど見た、あの恵美の部屋があった。机も、ペンギンのヌイグルミも、カーテンも、TVも、全て写真と一緒だった。私は本物の恵美の部屋を見たことがないけれど、きっと、同じ配置なんだろう。

「全部、わざわざ揃えたの?」

「いいや、全部ってわけじゃないよ。元々、お揃いのものも多かったんだ。それに、お互い狭い部屋だから物も少なくてね。真似するのは、意外と楽だったよ」

 部屋を見渡すと、ふと、目につくものがあった。キャビネットの上に置かれた写真。Twitterに投稿された画像では死角になってて見えなかった。そこには、結衣と恵美の2人が、笑顔で写っている写真が飾られていた。

「どうして、こんなことをしようと思ったの?」

 結衣の方を向くと、彼女は困ったように眉を八の字にする。

「うーん…そうだなぁ。立ち話もなんだし、こっち来なよ。お茶くらい出すからさ」

 居間に戻って、椅子に腰かけて待っていると、結衣は台所から淹れたての緑茶を持ってきてくれた。

「藍の好きなカフェオレじゃなくて、悪いね」

「ううん。たまにはこういうのもいい」

 2人で向かい合って、湯飲みに両手を添えてお茶を啜る。先に口を開いたのは、結衣の方だった。

「私ね、女の子が好きなんだ」

 予想外の一言に、飲んでいたお茶を吹き出しそうになるのをなんとか耐えた。

「えっと…それは……そういう意味で?」

「うん、そういう意味で」結衣は頷き、続けた。「それでね、恵美と付き合ってたの。引いた?」

 少し、間を置いて言葉を選ぶ。結衣は上っ面の社交辞令や嘘は決して口にしない。そのせいか、彼女に対しても、そんな言葉は通じない。何より、私自身が、そういうのを苦手とした。

「ちょっと驚いたけど、引いたりはしないよ。別に、小数派ってだけで、普通のことなんだし」

「でも、身近な友達がそれだってわかると、やっぱり違うものじゃない?」

「うーん…でも、女子を恋愛対象に見れるのって、つまり、そういう意味では男子と同じってことだよね。全然怖がることじゃないよ。そんなのを怖がってたら、男友達だって出来ないことになっちゃうし。それに、嬉しさの方が強い、かな。言い辛いことでも、結衣が私に打ち明けてくれて」

 表情の読めなかった結衣が、一転して、笑顔に変わった。次に、彼女の笑い声が聞こえる。結衣は一言、ありがとうね、と添えてから、言葉を続けた。

「どうしてこんなことをしてるのか、だったよね。その前に私の方から聞かせて。藍はどうしてわざわざ確かめに来たの?」

 一般的に考えて、確かめに来る理由はいくつか挙げられる。この不謹慎な悪戯が許せないから。少なからずクラスを怖がらせているから。奇行に走る友人が心配で、力になりたかったから。どれも、もっともらしい理由だけど、私がそれを口にするのは、全て嘘だ。結衣はきっと、それを見破る。だから、私は正直に答えることにした。

「単純な好奇心だよ。どうしてこんな不可解な真似をしているのか、そこに至る心に触れてみたかったの」

 結衣は無言で私を見つめる。どんな心境でこんな行為に至ったのかわからない以上、人の死が絡んでいるだけに、こんな野次馬根性が動機では、逆鱗に触れてしまうことも覚悟していた。だけど、結衣の口から出て来たセリフは怒りではなく、懺悔のように静かな呟きだった。

「どこから話そうかな…」

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