第12話

 30分ほどたった頃、チャイムの音が鳴る。玄関を開けると、ワゴンに食事を載せたウエイトレスが立っていた。頼んでいないはずの紅茶のティーポットとカップがあったので、聞いてみたら、サービスらしい。営業用だとわかっていても、スマイルを向けられて悪い気はしない。

「よろしければ、中までお運びしましょうか?」

「あ、いえ、ここで結構です。ありがとうございます」

 玄関にワゴンを置いてもらうと、ウエイトレスは深々と一礼をして去って行った。

 ワゴンの品々をテーブルに運んで、緋山さんの部屋のドアをノックする。

「緋山さん、ご飯が届きましたよ」

 返事が無い。寝てるのかな。念のためにもう一回ノックするけど、沈黙が続くだけだった。勝手に部屋に上がるのも気が引ける。そう言えば、入ったことも無かった。ちょっと入ってみようかと逡巡していたら、目の前のドアが開いた。

「あれ、どうしたの」

「ご飯が届いたので、呼びに来たんです。ノック、聞こえませんでしたか?」

「あぁ、ごめん。気付かなかった」

 また何か、作業中だったのかな。チラリと見えた緋山さんの部屋は、妹さん以上に質素だった。パイプベッドと簡素な木机、その上に、ディスプレイとキーボードが置いてある。それだけの部屋だった。

「じゃあ、食事にしようか」

 緋山さんは空になったコーヒーカップを台所に置くと、席についた。私も追って席に着く。お互い、お喋りな方じゃないから、食事の時は沈黙が流れがちだ。リビングが広いせいか、余計にそれが重く感じる。食器の音だけが響く。いつものように、BGM代わりにTVをつけた。バラエティ番組なんて、芸能人が喋るか食べるかしているものばかりで、彼らに興味が無い人にとっては、本当につまらないコンテンツだ。

 無難に、味気の無いニュース番組を流すことにした。街は早くもクリスマスモード一色だとか、カップルのデートコースがどうとか、イルミネーションが綺麗だとか、例年通りのあり触れた情報が流れて来た。BGM代わりには丁度いい。

 イルミネーションはあまり好きじゃない。キレイだと思うけど、それ以上に、その光に群がる人混みに埋もれるのが我慢ならなかった。特に、『さぁ、クリスマスは恋人と過ごしましょう! イルミを見に行きましょう!』と言わんばかりに、右倣えで溢れるカップルの存在が、余計に気に障った。でもそんなの、独り身の妬みだと鼻で笑われるだけなので、口にしたことは無い。

「緋山さんは、イルミネーションを恋人と見たいと思いますか?」

「わからない」

「わからない、ですか?」

「恋人を作ったことが無いから、わからない。僕個人としては、全く興味が無いけれど、恋人が出来たら気が変わるのかもしれない。なにせ、こんなにもイルミネーションの周りにはカップルが溢れているからね。子供が嫌いな人だってそうだ。実際に我が子が出来てみれば溺愛するケースも珍しくない。きっと、人間の本能にそうプログラムされてるんだろう。もしかしたら、カップルとイルミネーションの関係も、そこに起因したりしてね」

 子供の例はそうかもしれないけれど、さすがに、イルミネーションは本能と関係ない…と思う。緋山さんなりのジョークだったのかもしれない。

 それよりも、恋人を作ったことがない、のくだりが強く心に残った。そっか、今は付き合ってる人いないんだ。前にもいたことないんだ。

『奈々原(ななはら)一家強盗殺人事件から、今日で三年目となりました。未だ、強盗犯は捕まっておらず-----』

 パスタを撒く手を止める。思わずTVに向けそうになった視線を、なんとかお皿の上に留めた。チャンネルを変えたいけれど、不自然に思われたら嫌なので、それも出来ない。

「物騒な話だね」

 不意な言葉に、顔を上げる。

「このニュースですか?」

 緋山さんが頷く。

「確かにそうですね。犯人、まだ捕まってないらしいですから。でも、事件が起きたのは2つ隣の区なので、少し安心ですね」

「安心とも限らない。なぜか、ニュースでは事件の近隣住民に注意を促すけど、犯人がその周囲に潜伏しているとは全く限らないじゃないか。むしろ、犯行現場付近からは速やかに離れたいし、自分の住まいの近くでは犯行に及びたくないのが人情だ。だから案外、このあたりに潜伏しているのかもしれないよ」

 緋山さんが、チラリと私の方に視線を流す。心臓が高鳴った。何もかもを見透かしているかのような目に、心が落ち着かない。

「怖い事言わないでくださいよ…夜道が歩けなくなるじゃないですか」私はティッシュで口元を拭いて、フォークを置いた。「ご馳走様でした。食器って、洗った方がいいですか?」

「いや、ワゴンに入れて、外に出しておけばいい。そのまま回収してくれるから」

 いたれり尽くせりだ。私は空いた食器をワゴンに入れて、部屋に戻った。まだ食事中の緋山さんを一人残すのは少し気が引けたけど、残っていても、気を使わなくていいと言われるに違いなかった。と言うよりも、過去に言われたことがあった。

 自室に戻ってみたものの、まだ自分の部屋という実感が湧かない。ドアに鍵はついていないのが、また落ち着かなかった。なんとなく、ベッドにうつ伏せになって携帯を弄る。制服に皺が出来てしまうかもしれないけど、ちょっとの間だけだから大丈夫。習慣で、Twitterの投稿に目を配らせた。

『学校帰りに彼とイルミデート~♪』

 由香里の投稿だ。私達と別れた後、デートに向かったらしい。相手は大学生と社会人のどちらだろう。流石に、2ショットまではアップしておらず、規則正しく並ぶ街路樹に巻かれたイルミネーションの画像だけが添えられていた。

『寒い』

 結衣はいつもは読み専だから、滅多に更新はしないけど、たまにこうやって簡単な呟きを投稿する。『どうしてわざわざ自分のプライベートを公開しないといけないの?』というのが結衣のスタンスだった。

『どうしよう…イヤホン千切れちゃった…ショック……』

 タイムラインを流し読みしていると、私の視線が釘付けになった。今は亡き恵美の投稿だ。投稿には、断線したイヤホンを宙にぶら下げた画像が添えられていた。このピンク色のイヤホンには見覚えがある。間違いなく、恵美のものだ。画像の場所は、背景からして、またも恵美の部屋だった。背景のTVには『奈々原一家強盗殺人事件から三年』の文字が表示されている。それは、この画像が、ついさっきのニュースの時間に撮られたということの証明だった。きっと恵美の家族に聞いても、誰もこの時間に家にあげてはいないと返答されるに違いない。一体、どうやって犯人は、自由に恵美の部屋に出入りしているのだろう? 亡霊の仕業としか思えない。仮に人の仕業だとしても、家族の知らぬ間に誰かが恵美の部屋に自由に出入りしているのだと思うと、それはそれで充分に怖かった。

 また、鳥肌が立つ。今までは、恵美の投稿は人の仕業だと信じて、推理を続けて来たけれど、その全てがことごとく否定されたことで、私の心は折れかけていた。もう17歳にもなるのに、なぜだか、無性に怖かった。夜で、一人のせいもあるかもしれない。どうしよう、緋山さんの所に行きたい。だけど、怖いから傍に居てくれなんて子供みたいなこと、恥ずかしくてとても言えない。そんな気を張ったところで、緋山さんから見たら私なんて、子供でしかないかもしれない。それでも私は、子供に思われたくなくて、ベッドの布団を被って丸まる事しか出来なかった。

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