第8話
「だよねぇ。ごめん、無理あるだろうなってわかってて言ってみた。けどさぁ、手詰まりなら、可能性は片っ端から挙げてみないといけないわけだし」
幽霊の仕業としか思えないと言いつつ、由香里は推理に乗り気だ。人の仕業だと暴くことで、自分の恐怖を解消できると考えているのかもしれない。このあたりで、前々から思っていた疑問を投げかけてみることにした。
「そもそも、恵美のパスワードだけど、どうやって漏れたのかな? 普通、パスワードなんて漏れないもんだよね」
「そんなのわかんないけどさ、ネットの世界なんて、ハッカーとか、色々いるじゃん。きっと、そういうので暴かれたんだよ」結衣のアバウトな返答。
「確かに、ネットの世界はある意味、なんでもありだ」と、緋山さんが久しぶりに口を開いた。「ダミールータの経由や、クロスサイトスクリプティングによるデータの傍受。バッファオーバーフローを起こして任意のコードを実行させたり、プロトコルやシステムの脆弱性をついた方法など、他にも色々ある。だけど、どれも高度な技術力が必要だ。事故死した恵美さんの身近に、たまたまそんなクラッカーがいたとは考えづらい。しかも、彼女に成りすましが可能な人間となると尚更だ。だから、もっと単純なヒューマンエラーが一番在り得る」
「ヒューマンエラーって、なんですか?」と、あざとく首を傾げながら由香里。
「機械ではなく、人間側の落ち度の事だよ。生年月日みたいなわかりやすいパスワードを設定していたり、パスワードをメモした紙を見られてしまったり」
「なるほど~。ですけど、それも考え辛いと思いますよぉ。だって、前に、私は生年月日をパスワードにしてるって言ったら、恵美ちゃんに怒られちゃいましたもん。最低、ランダムな英数字で8桁は無いといけないって。きっと、紙メモなんかも残してなかったと思います」
恵美が、そんなにIT関係で意識のしっかりした子だとは知らなかった。思い返してみれば、恵美の何を知っているかと言われると、大したことは言えない。せいぜい、クラスでの内気なキャラと違って、Twitterだとやたら明るくなって、活発的というくらいだ。
SNSが氾濫する昨今、ネット上だとキャラが変わるのは、珍しいことじゃない。普段、面と向かって話しているだけでは見られない一面に触れられるのも、SNSの醍醐味だった。思えば、私はそういう人ばかりをフォローしている気がする。キャラのブレが、激しければ激しいほど良い。
「うーん。となると、アカウントの乗っ取りってところから難しくなってきたぞ、これは。どうやって部屋に侵入したかも謎なのに」
結衣のボヤきを聞いて、ちょっと引っかかった。乗っ取り、乗っ取り…。ここで、前提条件を疑ってみる。あれは、本当に乗っ取りなのだろうか。だけど、乗っ取りじゃないとしたらなんなのか。私は組んだ片腕に肘を乗せて、人差し指で唇をトントンと叩く。これは私が考え込んでいる時の癖らしい。
『私は藍のその癖、好きだよ。なんか色っぽい』
前に、結衣にそんな事を言われたことがあるから、恥ずかしくなって控えようと思ったけど、癖は直そうと思ってもなかなか直せないから癖なんだ。思案を巡らせてるうちに、ふと、光明のようなものが見えた気がした。
「そうか。乗っ取りじゃなくて、引き継ぎだったんじゃないのかな」
無意識に漏れた私の声に、結衣と由香里、そして緋山さんがこちらを見る。私は思考の糸を必死に手繰り寄せつつ、それを言葉に変換する。
「えっと…実は、前々から疑問だったんです。持ち主を亡くしたSNSのアカウントって、どうなるんでしょう? 本人にしかアクセスできないから、ずっと残り続けますよね」
「そんなの、運営してる会社がそのうち消すんじゃない?」
結衣のもっともな発想に、私は用意していたセリフを返す。
「でも、いつ消せばいいのかなんて、会社で判断するのは難しいよね。持ち主が生きてて、単に放置してるだけかもしれない。久々にアカウントにログインしたら運営会社に消されてたなんて、クレームものだよ」
「じゃあ、どうすんの?」
「基本的に運営会社は放置するしかないみたい。きっと、ネット上にはいくつも、持ち主を亡くしたアカウントが残ったままなんだろうね」
「ITインフラのリソースは、無限じゃない」緋山さんが割って入る。「使われる見込みのないアカウント情報をいつまでも保持しているのはリソースの無駄だから、エンジニアや経営者達がそんな無駄を見過ごすはずがない。さすがに、ある程度の期間放置されたアカウントはサービス提供側が勝手に削除していいという規約があるはずだし、いま無いとしたら、これから出来るだろう。
でも藍の言う通り、現時点で持ち主を亡くしたアカウントがいくつも残ったままだと言うのは、その通りだろうね」
まるで、電子の海に漂う墓標のようだと思った。生前の、人生を謳歌していたころの投稿もそのままに。きっと、自分が近い内に亡くなるなんて、夢にも思っていなかったはずだ。故人が遺した投稿を想像すると、そんな切なさを抱かずにはいられなかった。恵美のアカウントも、その一つだったはずだ。なのに、まるで彼女のアカウントは、自分が死んだことに気付いていないかのようだった。私は、通常の故人アカウントの行く末について、言葉を続けた。
「だけど、故人のアカウントを他人が任意のタイミングで消す方法は、無いわけじゃないみたい。例えば、遺族の人や友人が会社に連絡を入れて、削除してもらうとか。でも、承認されるまでが難しいから、滅多に起きないケースらしいんだ」
「なるほどね~。確かに、簡単に承認しちゃったら、イタズラや嫌がらせで他人のアカウントなんて消せちゃうもんね」と、由香里。
「そこでね、私ならどうしようかって考えたの。一応、プライバシーの塊なわけだし、自分が亡くなったら消してしまいたい。だけど、遺族には極力、迷惑はかけたくない。
だったら、信頼の置ける人にだけ事前にパスワードを教えて、もしもの時は削除をお願いしておけばいい。恵美は、そう考えたのかもしれない。つまり、あのアカウントは乗っ取りじゃなくて、引き継ぎだったんです」
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