第13話 青薔薇の奇跡

ダミアンはセシリアの体に優しく腕を回してそっと抱き寄せると、耳元で囁いた。


「初めて会った時のことを覚えてる?」


「城に攻め入った時?」


「違う。ここで会った時のこと」


この中庭で? セシリアは何のことか分からず、眉間にしわを寄せながらダミアンを見上げる。


「何言ってるの? この中庭で?」


「俺たちはまだ子供だった。旅芸人一座がこの屋敷に呼ばれたが、俺は一人はぐれて屋敷の中で迷子になった。そしたら偶然この中庭に迷い込んだんだ。そこには天使のように愛らしい少女がいて、一目ぼれしてしまった。その少女は俺に一輪の青薔薇をくれた……」


セシリアはしばらく思案していたが、次の瞬間、弾かれたようにダミアンからぱっと離れた。思い出した。6歳の頃、旅芸人一座の黒髪の少年、一輪の青薔薇……


「まさか、あの時の……」


「やっと思い出してくれた?」


彼の朗らかな笑みが目に沁みて涙があふれる。ずっと記憶の奥底に眠っていた出来事。青薔薇の聖女だからと箱入り娘だった彼女は、他の子供と遊ぶことを禁じられていた。そんな中、初めて会った子供が彼だ。


「じゃあ、マリアにくれた花びらは……」


「あの時もらった青薔薇だ。言われた通り乾燥させてずっと手元に残しておいた。戦いで負傷した時に何度命拾いしたことか。仲間が死にそうになった時も使ったので、もう最後の一枚しか残ってなかった。セシリアとの絆を失うのが嫌で、一枚だけはお守りとして保管した。それがマリアのために役立ったのだから、こんな嬉しいことはない」


「ひょっとして、ずっと前から……?」


「セシリアの隣に立てる人間になりたいとずっと思っていた。結婚したと聞いた時は絶望して諦めかけたけど、風の便りで加護を失ったらしいと知って何が何でも救い出そうと立ち上がった。水面下で根回しを何度も繰り返し、不満を持つ農奴と接触して、血を吐く思いでやっとここまで来た。長かった……」


全身を貫くように心の中にそびえ立っていた氷の柱がみるみるうちに溶けていく。セシリアは嗚咽しながらダミアンに抱き着いた。


「やっと分かった。青薔薇の聖女ではなく私自身が目的だと言った理由が。なぜもっと早く教えてくれなかったの? ずっとあなたのことが理解できなかった。優しくされても信じることができなかった。あなたを好きになりたかったのに!」


「本当は教えるつもりはなかった。浅ましい欲望がなかったと言ったら嘘になるから。純粋な気持ちだけではここまでたどり着くことはできなかった。己の欲を満たしたい気持ちも否定できなかったから決して褒められることではないんだ。でも、クリストファーに俺の話をしただろ? 後から聞いて知ったが、それで全て打ち明けようと思った」


クリストファーに言った言葉。ダミアンには感謝こそすれ憎む理由がないと言ったことだろうか。それを思い出したセシリアは、顔がかーっと熱くなった。


「好き。愛してる。あなたと離れたくない。誰が何と言おうと、あなたしかいない。お願いずっといて」


駄々っ子のように泣きじゃくりながら言うセシリアの頭をダミアンは優しく撫でた。そして彼女を上向かせ、そっと唇を重ねる。優しいキスからだんだん舌を奥にねじ込み深く分け入っていく。セシリアもむさぼるように彼の感触を味わった。


どれくらい経っただろう、やがて息が続かなくなり一旦顔を離す。すると視界の隅に色が変わったところがあるのを見つけた。


「あれは何?」


辺り一面くすんだ枯れ木の中に、一際鮮やかに光る箇所がある。目が覚めるような青。すごく見覚えのあるような、しかし、ここしばらく目にすることはなかった色だ。ダミアンも後ろを振り返り、はっと息を飲む。


「青薔薇……」


それ以上言葉が続かず、二人は無言のまま近づいた。枯れ木と思われた中に一輪だけ花を咲かせているものがある。なぜこんな咲き方をするのか訳が分からなかったが、見間違えようがない。青薔薇だ。


「信じられない……奇跡だ」


奇跡はこれで終わらない。やがて別の場所からも開花し、明かりが灯るように青い点々が次々に現われる。小一時間ほどで寂れ切った中庭は、青薔薇の鮮やかな花壇へと姿を変えた。二人とも呆然としたまま、青薔薇が順々に咲き出すのをただ見守っていた。


「どうした、これは!」


「青薔薇が復活したんだ!」


城にいる者たちも異変に気付き、次々に中庭に飛び出す。城は上へ下への大騒ぎとなった。


「強く願えば叶う……あれは嘘じゃなかったのね。私が本当に願ったから? 今までは本気じゃなかったと言うのかしら?」


「多分だけど、青薔薇の聖女としての役割しか求められないと知った時に絶望して、無意識にやめたいと思ったのでは? でも今は、やっと誇りを取り戻せたから、青薔薇の聖女じゃないセシリアとして胸を張れるようになったから」


ダミアンの解釈は腑に落ちるものがある。やはり、ずっと遠くから彼女を見つめ続けただけあって、よく理解してくれている。


「ありがとう、ダミアン。全てあなたのお陰よ。あなたがいなかったら今頃……」


セシリアは泣き笑いの表情で微笑み、そして再び、二人は熱い抱擁を交わした。城は息を吹き返したように喜びに包まれた。



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