第11話 鮮血はとめどなくあふれ出る

「おやおや、主人が帰還したというのに物々しいお出迎えだな。兵士までいるとは何事だ? 俺の顔を忘れたか?」


これがクリストファーの第一声だった。鎧を着て馬に乗ったまま、嘲るような表情で辺りを見回し、皮肉な笑みを浮かべる。


「あなたこそ、どうして鎧を着て軍隊を連れて来ているのです? 自分の家に戦を仕掛けに来たんですか? しかも今までどこにいらっしゃったんでしょう? 一番大変な時にいなかったなんて?」


セシリアは、門の見張り台に立ってクリストファーと対峙した。ダミアンと初めて出会った時と状況がよく似ている。ダミアンともこうして会話を交わした。皮肉なことに、家の主人が不在なところまで一緒だ。


「しばらく会わないうちに口が立つようになったな。ずっと怯えて小さくなっていた女とは別人だ。これもあの間男の影響か?」


「変なことおっしゃらないで。私は、あなたの空いた穴を必死に埋めようとしたの。そのために手段を選ばなかっただけです」


それを聞いたクリストファーは、嘲るような哄笑を響かせた。


「手段を選ばず、か! どこの馬の骨とも分からない卑しい男に股を開くことがね!? 少し見ない間に女は変わるな! ここまで堕落するとは思わなかった!」


「散々愛人を囲っておいた男がよく言うわね? 少なくとも、今の方が領地は劇的に潤っているわ。たった数か月なのに、前の領主はどれだけ無能だったのかしら?」


セシリアが煽り返すと、クリストファーは憤怒の形相になり顔が赤黒くなった。視線だけで射殺せるのではと思えるくらいに憎悪を露わにする。


「売女がさえずるな。そのお偉い新領主様の姿が見当たらないが、一体どこへ行ったんだ? まさか怖気づいて逃げたんじゃなかろうな?」


「あなたと一緒にしないでちょうだい!?」


とは言え、セシリアもダミアンの行方は知らない。その一瞬の迷いを目ざとく発見したのか、クリストファーはすかさず指摘した。


「俺には冷たいのに、奴には矢鱈と肩入れするんだな? 悪魔将軍はそんなによかったか? 何をたらしこまれた?」


「少なくとも彼は私を否定しなかった。領地をよくしたいという私の願いを聞いて一緒に取り組んでくれた。それだけでも感謝してもしきれない。あなたとは全然違う」


「本当にバカな女だ。それが悪魔将軍の企みだとなぜ気づかない? お前が余りにバカだから俺が戻って来てやったんだ。見ての通り準備万端だ。いいから門を開けろ。不純物を除去してやる」


「不純物はあなたよ! もう言いなりにはならない。連れてきた兵士にサリバン家の紋章が描いてあるけど、愛人の一人が確かそこの未亡人だったわね? 今までそこに匿われていたのね? ここを開けたら私たちを追い出して、彼女を新しい妻に据える気なんでしょう? 考えてることくらい分かるわ!」


セシリアは、感情を表に出して反論した。もう我慢せず言いたいことを言ってやる。クリストファー相手に遠慮する気持ちはなかった。自分は自分のままでいいと知ったから。加護を失っても自分の価値は少しも減らないと知ったから。この勇気をくれたのはダミアンだ。


「うるさい! どれだけ喚こうが、領主を欺いて傭兵団を入れた罪はお前にある。しかも頭領とねんごろになって領主を追い出した者は毒婦として捕らえられる運命だ。どちらに理があるか世間はお見通しだ! 門を開けなければ実力行使だ!」


クリストファーが号令をかけると、サリバン家の兵士たちが門に向かって突進して来た。この数では突破されてしまう。セシリアが思わず目をつむった時、別の方向から怒号と地響きが聞こえてきた。


「ご主人様! 後ろから敵勢が!このままでは挟み撃ちにされます!」


誰かがクリストファーに上申しているのが聞こえる。この聞き覚えある声はトビアスのものだ。釈放された後、まっすぐに元の主人のところへ行ったのだろう。


一体どういうことかと目を凝らすと、クリストファー達の後ろから別の大群が押し寄せ、一方で城からも攻撃を開始している。じゃあ、ダミアンは……


「敵の大将を生け捕りにしろ! 葦毛の馬に乗ってる奴だ!」


間違いない。ダミアンの声だ。こちらにやって来る軍を率いているのが彼なのだ。ダミアンはこうなることを見越して戦闘の準備をしていたのだ。もしかしたら、トビアスたちを逃がしたところから作戦は始まっていたのかもしれない。ほっとしたのも束の間、城壁のすぐ外側で激しい戦闘状態になった。辺り一面、あっという間に怒号と土埃が巻き起こり、一気に状況が一変する。


「セシリア様! ここは危ないです! こちらへお逃げください!」


マリアがセシリアの手を取り、建物の中へ引き入れる。この場に留まって戦況を見届けたかったが、危ない場所に身を晒して足手まといになるわけにはいかない。二人は城内の奥へと入って行った。


人々は城から出払っており、内部は人気がなくひっそりとしている。セシリアとマリア以外に人影は見えないと思われた、その時。


「セシリア様、危ない!」


急に柱の影から短刀を携えたメイドが飛び出してきた。


メイドは両手で短刀を構え、目にもとまらぬ速さでまっすぐセシリアに向かって突っ込んで行く。訳が分からないままにセシリアはマリアに突き飛ばされ、次に気付いた時は、マリアが血を流して床に倒れていた。


「マリア! マリア! 誰か来て! 誰か!!」


セシリアは、余りのことに目の前の光景が受け入れられず、頭が真っ白になったまま半狂乱で叫んだ。顔面蒼白のメイドは血まみれの短刀を持ったままぶるぶる震え、その場に固まっている。すぐに他の者が駆け付け、メイドを拘束したが、それまでが永遠のように感じられた。


セシリアは、死に物狂いでマリアの脇腹から吹き出る血を抑えにかかった。人が集まりマリアはベッドに寝かされたが、血はとめどなく出続ける。マリアを刺したメイドは確か、クリストファーが戯れに手を出した使用人のうちの一人だ。ここでセシリアを亡き者にできれば、自分にもチャンスが巡って来ると考えたのだろう。でもそんなことは、今はどうでもいい。


「セシリア! マリアが刺されたというのは本当か!」


なす術もなく止血を試みているところへ、戦場からダミアンが飛んで来た。全身血まみれだが、そんなことはどうでもいい。セシリアは、縋るようにダミアンを見つめることしかできなかった。


「すまないが、すぐに戦闘に戻らなくてはいけない。マリアにこれを使って欲しい」


ダミアンは、懐から小瓶を取り出し、セシリアの手に握らせると、すぐに元の場所へ戻って行った。一体今のは何だったのだろうと思いながら小瓶を開けると、そこには予想もしないものが入っている。


「これは……青薔薇の花びら?」


ポプリのように乾燥した青薔薇の花びらが一枚、そこには入っていた。なぜダミアンがこれを持っているのか?

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