第10話 植物が息を吹き返すように

ダミアンがやって来て数か月が経過した。彼が新領主になってからというもの、まるでしおれた植物に水やりをしたかのように、領地は目覚ましく息を吹き返し、心なしか領民の表情まで明るくなっているような気がする。


「たった数か月でここまで変わるものなの……」


セシリアは、領地の視察をしながら驚きを隠せずにぽつりと呟いた。この日見に来たのは、磁器工房だ。この土地では、元々細々と磁器が作られていたが、産業として発展させようと資本投入を行った。産業が農業に偏っていると、天候の変化や自然災害などの不可抗力で利益が左右されてしまう。収入が安定するだけではなく、農閑期の産業としても適しているのではないかという考えからだ。


セシリアは、領民たちの生き生きした顔を見て回った。自分のせいで彼らの生活が困窮したと思っていたので、経済が発展する兆しが見えてきたのは喜ぶべきことだ。ダミアンもこの提案には賛成している。話して分かったが、彼は、あちこちの土地を渡り歩いただけあって見識が広く、采配も見事なものだ。強い傭兵団を率いるだけの才覚はあるものと思われる。


「セシリア様のお陰で私たちも働ける場所ができました。どうしても非力ですから今までは力になれなくて。でもこれなら十分貢献できそうです」


主婦の一人に話しかけられたセシリアは、ダミアンに目を向けながら恥ずかしそうに答えた。


「私はただ思いつきを言ったまでで、この人が動いてくれなければ実現しなかったわ。別に大したことはしてないの」


「それは違う。俺は各所に働きかけて調整をしただけだ。あんたが普段から領地のことを気にかけていたから提案できたんだろう?」


いくらアイデアを出したところで、実現にこぎつけるまでの調整が一番難しいのをセシリアは知っている。それなのに、領民の前でダミアンが彼女に花を持たせてくれたのが嬉しかった。


「ねえ、セシリア様! 見てください! こんな絵柄にしてみたんだけどどうですか?」


少女らしさを残した若い女性が、セシリアのところに来て、一枚の皿を見せに来た。この土地ならではの模様を考えて他と差別化を図り、ブランド力を高めようと試みているのだが、そこに描かれていたのは青薔薇だった。可憐な青薔薇のモチーフが皿の周をぐるりと取り囲むように描かれている。


「これ……! でも私はもう青薔薇を咲かせられないのよ? 本当にいいの?」


「それでも、セシリア様がいらっしゃる限り、青薔薇がこの土地の象徴であることには変わりません。セシリア様と青薔薇は私たちの誇りなんです」


セシリアは、何と返答していいか分からず言葉を失う。そこへ、ダミアンが優しく肩を叩いて話しかけた。


「な、分かっただろう? あんたは嫌われても疎まれてもいない。領民はあんたの頑張りをちゃんと見てくれる。胸を張っていればいいんだって」


「あなた、私にこれを見せようと……」


セシリアは、それ以上言葉を続けることができなかった。彼は蛮族の傭兵団でなくてはならないのに、つい心を許してしまいそうになる。優しく微笑んでありがとうと言いたくなるところを、最後の矜持でどうにか抑えた。しかし、どんな思惑があれ、ここまでしてくれる彼に何も言わないのは不自然だ。必死になって頭を働かせる。


「そのっ、いい方向に動きつつあるのは喜ばしいことだわ。このまま順調に行けばいいのだけど」


意識しすぎてつんけんとした口調になってしまう。ダミアンはそのことも見透かしているのか、薄笑いを浮かべながら耳元で囁いた。


「じゃあ、城に帰ってからまた政策の話をする? それともベッドの中でした方ががいい?」


「ちょっと! ふざけないでよ! 最低な人!」


顔を真っ赤にして怒るセシリアを見て、会話の内容までは聞こえない領民たちが仲睦まじいわねと笑い合っている。その中でクリストファーを思い出す人はいなかった。


**********


セシリアは、自身の言動の不一致に悩んでいた。日中、ダミアンに対し意地でもお礼を言わなかったのに、夜になるとこうして寝所に足を運んでいる。最初こそ経営権をチラつかせられたから応じたものの、最近は苦にもならない。自分の本当の気持ちはどこにあるんだろうと考えることが多くなった。


(あんなやり方で近づくのは到底許せるものではない。でもなぜ彼は私のところへ来たの? 青薔薇の聖女はどうでもいいと言っていたけど、そう言えばまだ理由を聞いてない……)


今日こそは、彼に真意を尋ねようと決意した。しかし、彼はその夜は寝所に姿を現わさなかった。肩透かしを食らった気分になったセシリアは、後からはっと頬を赤く染めた。これではまるで、彼が来るのを期待していたようではないか。自分は何て浅ましい人間なんだろうと己を戒める。


次の日になっても、ダミアンの姿は見えない。流石に心配になって臣下に尋ねた。


「昨夜遅く、腹心の部下と城を出てどこかへと出かけて行きました。まだお戻りになっていないのですが……」


彼が行先を告げずに城を出るなんて初めてのことだ。何だか嫌な予感がする。その日の夕方、それは的中した。


「セシリア様! クリストファー様が兵を率いてこちらに向かっているとのことです! ダミアン様も戻ってきません! どうしましょう!」


椅子に座っていたセシリアは、驚いて思わず立ち上がった。クリストファーが? 彼は生きていたのか? なぜこちらに兵を? ダミアンは一体どうししたのだろう? 疑問が次々に湧いて来たが、必死で自分がすべきことを考える。こんな時どうすればいいのか?


「分かりました。彼がどう出るか分かりません。こちらも城を警護させてできるだけの準備をするように」


じたばたしても仕方がない。セシリアはごくりと唾を飲みこみ、臣下たちに指示を出した。

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