第8話 禁断の賭け

ダミアンが来てからというもの、城の中は驚くほどに揉め事が起きていない。当然、元からいる者と新しく来た者との間で衝突しそうなものだが、余りにスムーズに仕事の引継ぎが行われたので、セシリアは拍子抜けした。クリストファーの息のかかった者は城内に拘束されていて、翻意のない者だけが残されている事情も関係しているのだろう。単に戦が強いだけでなく、その辺の采配が優れているのだということをセシリアは認めざるを得なかった。


「あの、ダミアン……お願いがあるのだけど」


ある日、セシリアは執務室で書類に目を通すダミアンに話しかけた。戦場しか知らない男だと思っていたが、実務も完璧のようである。どこでそんな技能を身に着けたのかと思いながら口を開いた。


「今、地下牢に入れられてる者のことだけど……そろそろ出してもらうことはできないかしら?」


ダミアンとはなるべく衝突したくない気持ちはあるが、時間が経つにつれ、身柄を拘束されている者たちのことが気になっていた。特段彼らに恩義があるわけではないが、自分のせいで被害を被っている存在があることがセシリアには気がかりなのだ。このモヤモヤした気持ちをすっきりさせたい思惑が彼女にはあった。


案の定、ダミアンは書類から目を離して、怪訝な顔でセシリアを見た。


「どうして奴らのことを気にする? ひどいことを言われたんだろう? 敵同然じゃないか?」


セシリアは思わずえっと声を上げた。ダミアンの耳にも入っていたとは。先日、彼女が彼らに会いに行った時、クリストファーの腹心の部下だったトビアスに売女呼ばわりされて帰って来たのだ。


「敵……と言うか、確かに彼らはクリストファーの味方に付いて、こちらの助けにはならなかったけど、彼らもまた、主人に見放された人たちではあるから」


「ハッ。本当にお人よしなお姫様だな。獅子身中の虫にも情けをかけるとは。だから傭兵団のようなよそ者もみすみす城に入れてしまうんだ」


「ち、違うわよ! 私はどんな選択をすれば一番得か考えて行動してるだけ。あの時は、あなたちを受け入れるのが最善と判断したからに過ぎないわ」


「じゃあ、クリストファーの部下を釈放して何が得られる?」


ダミアンに凄んだ表情で睨まれ、セシリアは言葉に詰まった。


「それはっ……っていうか、損得勘定だけで動くのって変じゃない?」


「今、損得勘定で動いてると言ったのは、あんた自身なんだが」


痛いところを突かれて、セシリアは顔が真っ赤になった。粗野で狂暴なだけの男と思っていたのに、案外頭の回転が早いのが癪に障る。


「まあいい。そんなにいじめると可哀そうだからな。一つ条件を出してやってもいい」


「条件? 条件って何?」


問い返したセシリアに、ダミアンはそっと近づき、彼女に何やら耳打ちした。


「ちょっと……! 何馬鹿なことを言ってるの!? 信じられない!」


セシリアは顔を真っ赤にして思わず大声を上げた。そして、ドアを蹴飛ばすように開けて、部屋を飛び出して去って行く。後には、涙を流しながら腹を抱えて笑うダミアンが残された。


**********


(信じられない! やっぱり最低な男!)


セシリアは、自分の部屋に戻ってからもまだ怒りが治まらず、憤懣やるかたなかった。そんな彼女にマリアがそっと話しかける。


「どうしました? セシリア様? またダミアン様と口論を?」


「そうなの! あいつすごく失礼なことを……マリア、どうして分かったの?」


「そりゃ、セシリア様が感情を露わにするのはダミアン様の前だけですもの。今までなかったことですわ」


マリアの言い方だと、まるで、自分がダミアンに心を許しているように見えるではないか。余りに見当はずれな物の見方に一言反論したくなった。


「そんな言い方やめてよ! あいつは、無理やり城に押し入った強盗みたいな奴なのよ! 私が気を許してると思ったら大間違いだわ!」


とは言え、彼がここに来てから既に何度も肌を重ねているのは事実だ。そのことに思い当たりまた顔が赤くなったが、マリアは、そのことには気づかない振りをして言った。


「もちろん、セシリア様はこの緊急事態に際し、身を粉にして働いていると思います。ですが、ご自身のことをもっと考えてもいいのですよ。そういう意味では、この現状は嘆くばかりではないような気がするのです」


「……何が言いたいの?」


「ダミアン様のことです。今のところ、ダミアン様はセシリア様に対し害になることをしているようには思えません。このところ、セシリア様の表情が明るくなった印象がありますし、以前のような健康的な姿を取り戻したように思われます。他にも……」


マリアが目を向けた先には、セシリアの新しいドレスが置かれていた。ダミアンがセシリアのために取り寄せたものだ。他にも、アクセサリーなどの小物類、化粧品、靴や帽子など所狭しと並んでいた。まるでこれまで抑えていた欲望を取り戻すかのように、ダミアンがプレゼントを贈って寄越す。その度にセシリアが要らないと断っても、ダミアンは贈るのをやめようとしなかった。


『負い目があるからと言って全ての欲望を抑えるのは、自傷行為と同じだ。そんな後ろ向きな気持ちでは人は着いて来ない。上に立つ立場の者ほど、見た目を気にして己を飾り立てるべきだ。自信がある姿を見せつけてやるんだ』


自傷行為……言われてみれば確かにそんな気がしてしまう。結局セシリアの自己満足の行為でしかなかったのだ。周りは誰もそんなこと望んでいない。ダミアンのこの台詞で初めて気づかされた。試しに、彼から贈られたドレスを着て外に出たら、周りは大層喜んでくれた。視察の時も、領民から贅沢をしているなどと陰口を叩かれることもなかった。むしろ、肌つやも良くなり健康的になった、着飾る方が美しさを引き立てると高評価のようである。


「あの人は、隣に並ぶ者が粗末な身なりをしているのが気に入らないだけよ。別にそんな……」


セシリアは口走ったが、途中で言葉を切った。自分の言動が矛盾していることに気付いたのだ。こんなことを言っておきながら、彼に大分心を開いているのは事実だ。


「神様が何とおっしゃるか私には分かりません。ですが、ここ最近のセシリア様は、かつての明るさを取り戻しつつあります。何が善で何が悪か、上から与えらえれたものより、私は自分自身の尺度を信じます。あなた様の幸福がすなわち善なのです」


マリアは膝を曲げながら、うやうやしくセシリアに向かって言うのだった。

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