第7話 せめて心だけは堕とさないで
翌日、セシリアは遅い朝食を食べた後、ぼんやりと長椅子に横に座って考え事をしていた。
(男女の営みって痛いばかりじゃなかったのね。というかすごくよかった……あれが普通なの? って私ったら何を考えているのよ!?)
セシリアは我に返ると、一人赤面して周りに誰もいないか確認した。こんなところマリアに見られていたら生きた心地がしない。一人と知ってほっと安心する。すると、また昨夜のことを考えてしまう。
全身傷だらけで、戦場で人を殺すしか能がない男だと思っていたダミアンは、セシリアの体を壊れ物のように丁寧に扱った。緊張で身をこわばらせていた彼女の警戒心を、優しく解きほぐすように、キスと愛撫を繰り返した。一貫して彼女のことを気遣ってくれた。会って間もない男に抱かれたというのに、自分の体がいとも簡単に陥落してしまうなんて、昨日までの自分なら絶対信じられなかったであろう。
(駄目よ! あんな男に心まで許しては! 全ては経営権のため!)
セシリアは必死に自分にそう言い聞かせたが、また彼と顔を合わせることになったらどうしようと当惑した。そして、その時は早くやって来た。
「ほら、これがあんたが喉から手が出るほど欲しがっていた予算執行のための書類だ。これにサインすれば政策が自由にできるようになる」
ダミアンは、その日のうちにセシリアのところにやって来て、約束をかなえてくれた。こんなに早く実行されるとは思ってなかったので、目を丸くする。
「何をそんなに驚いている? 俺を信じてなかったのか?」
「そうじゃないけど……ありがとうございます」
セシリアは信じられない思いのままダミアンにお礼を言った。
「早速堤防の工事に取り掛かろう。その前に実際現場を見たいんだが?」
「視察ですか? 私も行きます」
そう言ってから、自分は農奴たちと敵対する関係であったことを思い出す。
「ごめんなさい、今のはなしで……私にはいい感情持ってないだろうし」
「あいつらが恨んでたのはクリストファーであってあんたじゃない。何なら、直接話をしてみるといい。一緒に行くか?」
一緒にと言われ、セシリアはさっと顔が赤くなったが、変な意味ではないと思い直し「はい」と答えた。
二人は、馬車に乗って壊れた堤防を見に行った。馬車の中で二人きりになるのは恥ずかしかったが、ダミアンは顔色一つ変えてないのを見て、自意識過剰になっているのは自分だけだと余計恥ずかしくなる。
現地に着くと、農奴たちがダミアンを取り囲んだ。城に入った時同行してきた者だ。こんなに早く政策が決定するとは彼らも思ってなかったらしい。
「ダミアン様! ありがとうございます! あなたは我々の恩人です!」
「礼ならこの人に言ってくれ。工事のための予算執行を決定したのはセシリアだ」
すると農奴たちは驚いて、隣にいるセシリアを見つめた。突然注目されてセシリアは気まずくなり、おどおどしているのを悟られまいと、逆につんとした口調になって言った。
「別に礼を言われるほどのことはしていません。これは前から決まっていたことだったから、ただ予算を持って来るのが大変だっただけよ」
「ありがとうございます、セシリア様。数々のご無礼お許しください。あなた様が領地のことを真剣に考えているのは承知しておりました。この土地に住むことができて、我々も幸せです」
突然領民からお礼の言葉を言われ、セシリアは戸惑った。青薔薇の聖女でなくなってから、領民には恨まれていると思ったのだ。まさか、反対に感謝されるとは予想もしてなかった。
「どうしたんだ? さっきから黙りこくって?」
帰りの馬車の中で、ダミアンに話しかけられた。
「まさか領民から感謝されるとは思ってなくて……てっきり恨まれているものとばかり」
「領民から直接言われたことがあるのか?」
「そうじゃないけど……私のせいでここは貧しくなったから」
「そう考えてるのはあんただけだ。領民で恨んでる人間なんていないよ」
「どうしてあなたにそれが分かるの? よそ者のくせに?」
「分かるさ。何度もこの土地に来て色々調べて地固めをしたからな」
地固め? セシリアが不審に思って聞き返そうとすると、ちょうど馬車が城に到着したところだった。ダミアンは先に馬車から降り、悪戯っぽい眼差しを向けながら言った。
「じゃあまた後で。できれば夜もお会いしたいが。もうこりごりかい?」
「もうっ! やめて!」
セシリアが顔を真っ赤にして叫ぶと、ダミアンはアハハハハと声を出して笑いながら去って行った。傭兵上がりだけあって、エスコートの作法なんて知らない。セシリアに手を貸して馬車から降ろすことなく、一人で行ってしまった。でも、それが理由で彼に対する感情を害することはなかった。見かけだけのエスコートより、約束をきっちり果たしてくれたこと、領民と対話するチャンスをくれたことの方が彼女にとっては大事だったからだ。
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