第9話 さみしい

さみしい──は言ったらいけない言葉だから。思っても決して口に出してはいけない。


【さみしいって言われても…ごめんね。お父さんもお母さんも忙しいの。また今度ね】


【さみしい】。僕がそう言うと相手は決まって困った顔をする。申し訳なさそうに謝って遠くへ行ってしまう。

さみしい──は相手を苦しめて縛る言葉。だから……どれだけ苦しくても、つらくても決して言ってはいけない言葉。



お店にお姫さんが居る。そう連絡が来て急いで向かった。

お店につくと中にはお姫さんがいて、初めてきた頃よりも柔らかい表情で楽しげに片桐たちと話をしていた。

お姫さん……?

雲が分厚くなる。薄暗い空に変わる。黒い雲がやってくる。

足が、体が、全身が勝手に動く。

「お姫さん、ここにいたんだ。さぁ、帰ろう」

この手は、離しちゃいけないんだ。


家に帰って後ろを向けば、お姫さんがいる。

よかった。ちゃんとそばに居る。

ホッと胸を撫で下ろして、お姫さんと向かい合う。

「お姫さん、起きたらどこにもいないから驚いたよ。どこかへ出かける時はちゃんと言って。心配だから───」

「一之瀬さん。手首…痛い」

言葉を遮るように言ったお姫さんを見て手を離した。

「ごめん。お姫さん」

お姫さんの手首を見れば赤く染っていた。

「痛かったよね…ほんとにごめん。すぐ冷やすもの───」

「一之瀬さん」

お姫さんがまた言葉を遮った。

「どうして何も言ってくれないんですか…?」

「え?」

お姫さんの言っている意味が分からなくて、思考を巡らせる。お姫さんはただ真っ直ぐに俺を見つめていた。とても…困った顔で。

お姫さん………どうしてそんな……顔をしているの……?

どれだけ考えても分からなくて言葉が出てこなくなる。


「一之瀬さん。思ってること言ってください」


そうお姫さんが言った途端、頭が真っ白になる。

だって、それは​────

「一緒にいたら教える。そう言ったのに…いつも思ってること、言ってくれない。ホントのあなたを…一之瀬さんを教えてください。一之瀬さんのことちゃんと知りたいから」

「お姫さん………」

【思ってること言ってください】。お姫さんの言葉が頭に響き続ける。

思ってることは​────言ったらいけなくて。

【さみしい】は君を縛って苦しめるから。

だから………………。

真っ直ぐに僕を見つめる君は……間違いなくお姫さんで。君がいなくなったら​───怖くて震えが止まらない。


【一之瀬さんのことちゃんと知りたい】


それでも君は、君には、君になら──────

「さみしいよ……。お姫さん」

言っても……いいんだよね?


今の僕は、どんな顔で君の前にいるんだろう。きっととてもかっこ悪い。君の前で涙を流さないように、懸命に堪えた。

君の前だと僕も知らない自分を知れる。君が教えてくれるんだ。本当の僕を。

「そばにいるから。さみしいときは言ってください」

お姫さんが僕を抱きしめた。

細い腕と小さな手が背中に触れる。

君に抱きしめられる日が来るなんて……。

堪えていた涙が溢れてくる。

「このままぎゅっとしていよう。お姫さん」

じゃないと今の僕は───君に見られたくない涙を流している。だから…もう少しこのまま、君を抱きしめていたい。君に抱きしめられていたい。

「やっぱり君は──俺のお姫さんだ」

こんなんじゃ……王子様にはなれないな。


お姫さんを抱きしめたまま少し落ち着いて、感じたことを素直に話した。

「俺のいない世界で君が笑ってた。無我夢中で気づいたら君を店から連れ出してた」

君がいなくなる気がして、胸がざわついた。

お姫さんの困った顔を見て、昔を思い出した。そんな話でもお姫さんは話を聞いてくれた。


小さい頃から、ずっと一人で遊んでた。父や母に【さみしい】と言うといつも困った顔をされた。申し訳なさそうに謝られて二人とも遠くへ行ってしまう。だから、ずっと誰にも言えなかった。【さみしい】なんて言葉は言ったらいけないと思ってから。

「お姫さんの困った顔を見たとき、思考が追いつかなかった。どうしたらいいのか分からなくて……そしたらお姫さんが思ってること言ってほしいって。【さみしい】って言ったら君がいなくなる気がして。でも君にならもしかしてって思って。俺が【さみしい】って言っても、それでもお姫さんは俺を見つめ続けてくれて」

気づけば俺はポロポロと涙を流していた。あぁ、ダメだな…君には見せないようにってさっきは我慢してたのに結局泣いてる。

そんな俺を見てもまっすぐに見つめたまま話を真剣に聞いてくれま。その姿がうれしくて堪らなくてまた涙が溢れた。

「お姫さん……っ、俺…君がいないとさみしいよ」

二度目の【さみしい】は素直に言えた気がした。誰にも言えなかった言葉も君になら言える。見せられなかった姿も君になら見せられる。

そのままずっと俺の涙が止まるまでお姫さんは俺を抱きしめ続けてくれた。小さな手で俺の頭を撫でて、それがすごく優しくてあたたかくて。嬉しかった。

ねぇ、お姫さん───大好きだよ。



今の俺を昔の僕が見たら───


【さみしくないよ】


もう大丈夫。俺にはずっとお姫さんがいるから。寂しい僕も受け入れてくれる、俺の​──大好きなお姫さん。

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