28.陰陽【かわたれどき】
陰の気配と陽の気配とが別たれる直前。墨のように淡い名残を線引きながら空が白みつつある。無音が守られている。倒れるように寝入った語り手の沈黙も無論。
こどもはまだ寝ている。目覚めた者も完全には覚醒しない。夜通し眠らない者さえも、ただ静かにそこに居る。
こどもにも事情があり、おとなにも事情があった。
こどもたちは自作した物語のなかで生きる必要があった。自身の複製を生かす必要があった。
おとなたちは呪いの物語が積年つもり、時盤沈下したこの土地で商売屋を名乗り、癒着したかった。
「爛れた大人の事情の解決は、おれの仕事かなァ」
「誰かに頼まれたんですかい?」
「いやな、売れる恩は売っておきてえじゃねえか。筋道立ての協力もしたことだしよ」
白く頑丈な真四角。閉鎖性と執着とがあらわになった〈箱〉に詰め込まれた〈店長〉が、どこもかしこも長い身体を苦しげに曲げていた。ただ、表情はまっしろで、苦痛をしめす言葉はひとつもない。
「反省とかは無えんだろうな。まあ、おれも無えからお互いさまだ。とりあえず〈こっち〉に来なよ。こんがらがった情念で時層が歪んで、尚且つ商売がしやすい土地がお望みなら、良いとこがあるぜ」
そうして〈四角いのっぺりした箱になんでも売っている暗がり〉は消滅した。正確には、陰界へ送られた。代わりに陰界の岩山が出現し、時念逆巻きの忘霊はその頂に、猿山の大将のごとく行儀悪く腰掛けていた。陰は陽に、陽は陰に。しかし繋がっている。接続しているものは運命を共にする一体だ。
それなりの深度で時流を統べていたヌシたるチョウチンアンコウも裏舞台たる墨の国へ送られた。
墨の国、陰界、宵街。人ひとり足りえぬ者どもらの、湿った吐息で満ちた川辺。小鬼の布助は自由のきく身体を不思議そうに動かす。
「旦那様ァ、こりゃあ……」
「天地がひっくり返ると言ったろう」
「文字通り、立場がひっくり返ったってわけですかい。ずっと語られる側でしたからねえ。じゃあ今のあっしらは?」
「お天道様までは操れねえからなァ、濡れた墨もいずれ乾けば流動できなくなっちまう。が、別にこっちに棲むのが目的じゃあねえからな」
でてこい、吉佐奈。
呼びかけに応じて、時念逆巻きの忘霊の手のひらのうえに、星首があらわれる。首の皿の下に手を置かれるのが相当嫌なのか、星首はすぐ浮かんで退避する。少女の装いの下部に触れるのはたしかに卑しげだ、時念坊は納得して、「まあ楽にしな、あんたの真意ってのを確認しときてえだけだ」はんずあっぷ、両手を上げた。布助は娘を睨み、たったひとつの大きな目玉をぎょろつかせた。
「今のうちにそいつ、墨で塗り潰しとかなくっていいんですかねェ」
「ひでえことを言うなよ。星月のひとつも見られねえのは不憫じゃねえか」
時念坊は、ぶすくれた目つきの彼女を冷静に見つめた。彼女の全身(全頭?)が、放っておいてくれと声なき声を発していた。時念坊はおもいきし愉快げに笑った。そんなのを放っておくわけがない。そんな面白そうなのを。面白くするにはどうするか。彼はぜんぜん正義とか、善意なんかで動きはしない。
彼は呪布を取り出した。指先を舐めると墨が滲み、なにやら蛇のような文字列をずらずらしたためた。それを星首の額と、ハコが消える前に拝借していた一玉のカボチャとに貼り付けると、カボチャのほうを小脇に抱えて、
「ずらかるぜ、ぬの字。土産の“びいる”も手に入れたことだしな。おれは娘と嫁に会いてえんだ」
それだけ言い、あっけなくひゅうと消えた。小鬼も後を追いかけ、岩山を沈黙が支配した。二匹の妖はもうそれきり姿を見せなかった。
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