26.もう帰らなくちゃ【故郷】
もう帰らなくちゃ。
ぼくは呟きました。うん、帰ろう、とおねえちゃんも言いました。ぼくらは帰れるはずだし、明日にはふたり揃って学校や塾やお稽古ごとに行くはず。根拠なんてひとつもないけれど、やけくそでなく、不思議とそう確信できたのです。
ぼくとおねえちゃんは、正確にはぼくの二本の脚は、ずぶずぶと沈み込む白砂の大地をひたすらに進み始めました。
──LEDライトに似た、目に痛いくらいの光が拡散する空──。
ぼくらが故郷を探している間に、呪いの話をしましょう。ぼくらが巻き込まれているさまざまなこと、その要因のひとつとして、思い当たることを思い出したのです。
呪いというと、怨霊の類を思い浮かべるひとが多いでしょうか。
それは、ぼくらが互いの生存のためとはいえ、いたずらに手を出してよいものではありませんでした。その点では、ホラー映画なんかでよく見る、ありふれた厄災のきっかけなのでしょう。でもぼくらは、彼らのことを色物めいた悪意ある存在とか、単なる敵対的なおばけとは言いたくないし、それこそ不思議な言い方ですが、まるで隣近所の子のように接したいと、気にかけていたいと、そんなふうにさえ思うのです。
吉佐奈と寿郎は、ぼくらと同じ姉弟でした。ぼくらが記憶する彼らの名前に埋め込まれた、過去の声や映像は、すべて川の流れのなかに飲み込まれていて、見ることも聴くこともできません。
むかしむかしに……といっても、ぼくらの土地に伝わる話では明治時代のこと。そんなにべらぼうな大昔ではありません。川の氾濫を神の怒りと考えた人びとが、その怒りを鎮めるために差し出したものがあった。言葉を変にやわらかくするのはやめましょうか。端的に言えば人の生命が水害そのもののためではなく人為的に奪われたことがありました。受け売りですが、彼らはきっとそうした時代にいきあって生命を落としたのではないか。
水害と人柱に関しては、学校の授業で、地域の伝え話を紹介している方のお話を聞かせてもらった時に知ったことです。授業二時間分の学習で、休み時間以外にも一度休憩が挟まれたことを覚えています。学校の先生たちは、あまりにもショッキングであったり深刻な話にぼくらがついていけなかったり、泣き出したり、失神したりすることを気にかけていたのかもしれません。それでも、その方の語りは、べつに大げさな脚色や演出を加えていたとは思いません。その点だけは、ぼくらの延伸する記憶に誓って言えます。
だけど吉佐奈と寿郎は、犠牲となった人柱本人ではないようなのです。いわば、伝え話に紐づくようにして、いつのまにか記憶にあった名前。ぼくらにも詳しいことはわかりません。分かるのは彼らが呪われているということと、伝え話があまりにリアルだったために自分の記憶のように感じたのだろうと思った彼らの記憶、深い水の底の見えない視界、聴こえない音が、どうしてかぼくら自身の過去のように感じられること。おねえちゃんとはきちんと話したことがないけれど、ふとした時に記憶の共有を実感するのです。ぼくらの記憶に居る吉佐奈と寿郎とは、いったい何者なのか。
ここからは更なるぼくの推測ですが、白河さんが言った「キサナ」「人形」といった言葉の端々を考えるに、もしかしたら鶴見さんや白河さんたちは、人違いをしているのではないかということ。
ちょうどぼくらの住む場所で、チョウチンアンコウの幻や、ひとが存在を部分的に切り取られてしまう怪現象が起こったために、様子を見に来た〈兄姉〉がぼくらを〈弟妹〉と間違えた。彼らはヒトより長い時間を生きている精神生命体だといいますから、時間の感覚がぼくら人間とは根本から違うのかもしれません。
歩いているうちに、ぼくらはだんだん疲れ、眠くなり、太腿近くまでが白砂に埋まって、やがてそこから一歩も動くことができなくなりました。
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