18.お泊まり会【椿】

 健全な小学生の自由の象徴、それは日曜日を目前に控えた土曜日の夕方。ぼくはとある約束をしていました。それは、お泊まり。毎年秋にはお月見団子を用意してくれるおばあちゃんの家で一泊するのがお決まりでした。おばあちゃんの家へのお泊まり自体は、夏休み中やお正月にもするし珍しくないのですが、この秋のお泊まりは、仲の良い友だちを招待することになっていたのです。ここ二、三年は、ぼくのクラスメイトの子をお招きしました。お月見をしながらおばあちゃんの昔話を聴く、夜更かしも許される、暗闇のなかに何かが見える。それは井戸、それは灯篭、それは椿、それは小さな獣の影。これほど楽しいことはありません。

 そう、サプライズとはこのことだったのです。しかも今回の顔触れはちょっといつもとちがいます。おねえちゃん、ぼく、そしてなんと百々ヶ峰さん。

 スーパークラガリのパートを終えた百々ヶ峰さんは、今日はゴールドと黒の、渋くていかめしい龍の刺繍が目を惹いて仕方ないジャンパーを着ていました。

 ぼくとリュックのなかのおねえちゃんに挨拶すると、タダ同然で買えたらしいお弁当やお惣菜、お饅頭なんかをどっさり車に積み込みました。意気揚々とお泊りに備えていたわりには、ぼくらの家に向かって、つまり山のほうに向かって走るほど声が震え小さくなってゆくのでした。

「ほんとに家族水入らずの団欒にわたしなんか混じっていいんですか……?」

 今更というか、ここまで来たからには腹をくくればいいのに、家に上がってからもとにかく百々ヶ峰さんは謙遜と遠慮をしまくります。「ホテルや旅館とかも苦手で……」と、泊まるのが嫌というよりも、もてなされることに不慣れな様子です。できれば早くおいとましたいと顔に書いてある百々ヶ峰さんでしたが、おばあちゃんが手土産の和菓子の類を喜んでくれたので、すこしは居心地が感じられたようでした。

 そうそう、お茶の途中で百々ヶ峰さんがお手洗いから戻ってこなくて、すこしだけ様子を見に行こうとすると、すぐそこの廊下に佇んでいたのです。ずっとそうしていたのかと思ってもうすこし廊下の先に視線をやると、おばあちゃんの家で飼っている白猫のエリーゼが、白大福みたいに丸まっているのでした。ああ、エリーゼを見つめていたのか。納得したとはいえ、石像のように固まった百々ヶ峰さんはちょっと異様です。後から聞くにものすごい猫好きだそうで、その後はどうも周りが見えなくなるくらいエリーゼに夢中になっていました。聞いたことがないくらい高い声で彼女を呼ばう百々ヶ峰さんを見て、楽しいならなによりだなと思いました。

 月はあいにく見えない夜でした。

 枕を猫と間違えているのか、どろんとした目つきでさするように揉みながら、百々ヶ峰さんはぽつりぽつりと自分のことを話してくれました。

 実家は一宮で、名古屋の専門学校でデジタルイラストやCGについて勉強したこと、小学校の頃から空手を習っており今も続けていること、スーパークラガリのパートは唯一髪型自由と求人に書いてあって、思ったより時給がよくて面接を受けてみたら受かってしまったこと。

 食事時、おばあちゃんが「車でここまで来とるんかいね?」と尋ねると、百々ヶ峰さんが「車だと意外とアパートからそんなにかからないんですよ」と答えていたのを思い出しました。ぼくの知る限り、だいたい「車だとそんなにかからない」って言う時には二つパターンがあって、本当に車ですこしの場合と、一時間以上の移動時間がある場合を指します。

 眠たげな百々ヶ峰さんに、ぼくは何気なく尋ねます。「困りごととかありますか?」あくまで子どもらしく含みのない声色で。

「悩み? いや、あんまり……強いて言えば、人間関係かな……。これ、話しましたっけ。店長がやたら身長高くて、目線も合わなくて、全然喋らんし困るんですよね。」

「そんなに……。じゃあ、お話できるひとがいなくてつまんないですね」

「楽しい職場ではないですね。あー、でもお魚売り場の、大野さんっていうひとがいるんですけど。そうそう、眼鏡をかけた身体の大きいひと。あのひととは時々ゲームの話とかしますね」

 最近やって面白かったのは宇宙人と旅をするゲームで、目的とかもなくただ寂しい景色を眺めたりするんです。宇宙船でパズルの謎解きみたいなのもするんですが、それも解けたからって特になにもないんですよ。お宝が見つかったり新天地への道が開けたりそういうのは何もなくて、友だちのはずの宇宙人のことがだんだんわからなくなっていく。しだいに、宇宙のなかでもいちばん寂しい墓場と呼ばれる場所に辿り着くんです。すみませんなんか、ゲームの話って、ゲームだからこそ真剣に話せるところがあって結構好きなんです。

 知ってます? 人ひとりを星と数えるには、五体のうち頭が欠けていてはならないって。人が亡くなると「星になる」と言ったりするじゃないですか。あれは、いつでも見上げれば在るかのように記憶に残るからであって、誰も名や顔も知らぬ者は星にはなれないと。

 身体が地上で首を探すのを、着陸前の宇宙船から見下ろしたんです。無い首を探していても、そのうち星になって誰かが見上げてくれる、なんてことにはならないのに、彼らは誰かの記憶に残ることなんてどうでもいいんでしょうね、もうひたすら自分を探しているだけなんですよ。

 星への念願が強い首を星首と呼ぶんですが、彼らは反対に、なにがあっても誰かの記憶に残りたいんです。だから、積極的に身体を捨てる。なにがあったかはわからないんですが、そういうものみたいですよ──。

 百々ヶ峰さんの独り言を聴きながら眠りに落ちたぼくは、不思議な夢を見ました。

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