17.記念写真【額縁】

 今年の秋は長くて、狂っています。なんせ紅葉が終わりませんから。鬼頭さんが入院し、鶴見さんが居なくなっても、おねえちゃんは別段まわりのひとたちに騒がれることなく、キーちゃんキーちゃんと呼ばれて、話しかけられて、慕われています。鶴見さんの魔法がまだ続いているのか、当たり前だけれどぼくには判然としません。銀杏が黄金に輝き続けることについても、すでに考えることをやめてしまいました。頭の動きを鈍くするきらめき。豊穣。富。永遠。続くことで困ることもないからと、いつしか誰もが疑念を手放して、まわる世界。

 かあさんは、ぼくらの写真を撮ってアルバム作りをするのが好きだったけれど、おねえちゃんがこんなことになってからは、とんとカメラを手にしませんでした。それでもつい先日は、かあさんの心にも変化があったのか、久しぶりに「撮らん?」と声をかけられたのでした。

 ぼくらの顔をアップにした、笑顔と変顔まみれのめちゃくちゃな写真を現像してきて、かあさんはふくふく笑いながら嬉しそうにアルバムに収めていました。

 見てみると、ずいぶん昔の写真がありました。

 五体満足のおねえちゃんと、かあさんと、幼すぎるぼく。そしてすこし影がうすい、とうさんの姿。

「四人で撮ったやつやね。なつかしい」

 なつかしいと言いつつ見向きもせずかあさんが言いました。

 ふと思い立ち、かあさんの側をそっと離れて、ぼくはおねえちゃんに小さな声で話しかけました。

「ねえ、写真撮っていい」

「わたしの?」

 ぼくはカメラをもっていません。だからケータイでぼんやりした表情のおねえちゃんの「全身」を撮り、いつかこのデータが役立つようにと保存したのです。

 この時の顔を大写しにしたふざけた写真や、昔の家族写真は、今でも僕のデスクに飾ってあります。

 さてしかし、この時のぼくは弱冠九才。そんな未来のことはまだ想像もつきません。今のぼくは何も知らず、それでいて、過ぎた話を語る僕は知っている。この先のぼくとおねえちゃんの行く末を、このお話の顛末を。

 そして澱みなく語り終えるために、舟の棹を奪われるようなことがあってはならないのです。澱みなくというのがほんとに重要なんですよ。流れる時間と静止した時間の一枚絵とじゃ、川と湖くらいぜんぜん違います。

 それなのに、どうして彼らはこんなことをするのでしょうね。言ってみれば、大きな河を一葉のかよわい小舟が、一寸法師かおやゆびゆめみたいにちいさなお話を乗せて渡っているというのに、その流れを全力で堰き止めるようなことをするのです。

 ぼくだってお話の最中にこんなことは言いたくありません。でも、姿もみせずに生活を脅かしてくるようなやつらです。ひとこと言っておかないといけません。ぼくらは、ぼくとおねえちゃんは、一心同体でお互いを守るためならなんだってやるんだということを。

 さあ、あなたもどうかぼくの話は忘れてください。あなたの記憶から物語に侵入されることだってありえます。彼らも本当のことを言えば、僕にだけは見つからないようにしたいでしょうから。

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