13.かぜに注意【流行】
突然ですが、ぼくらはその日、とんでもないものを見ました。スーパークラガリの脇に止まったトラックの荷台。「カボチャ」と書かれたカゴのなかの、たくさんの人の首。郵便物を運ぶひとの手の中には、おねえちゃんのように商品にさせられている人びとの載ったチラシ。
それは奇妙に遅い時間の経過。ぼくが走り出したとたんに時間の流れる感覚がいつも通りに戻って、トラックもバイクもすぐ走り去ってしまいます。幻のような一瞬の出来事。追いかけるのは無謀でした。ぼくの頭のなかに話しかけてくる声に気付いたのは、その時です。
〈銀杏公園においで。〉
自分の家みたいに銀杏公園に居ついているひとといえば「彼」しか思いつきません。くそ。あの得体の知れないひとに頼るしかないのでしょうか。けれども、他に頼れる神通力や超能力持ちの知り合いなどありません。
銀杏公園には、鶴見さんと、いつか見た覚えのあるひと。かあさんの職場の栗田さんです。鶴見さんの入所している施設は、ぼくらのかあさんの仕事場でもあります。地域との繋がりを大事にする方針らしい施設の副所長である栗田さんは、ぼくを見かけるとやはりすかさず微笑みかけるのでした。
「こんにちは、拾史郎くん」
「こんにちは」
「この前はごめんね、私らがついとればよかったのに。人は足りんけど、これからは私もなるべくこうやって利用者さんと一緒に居るようにするでね。あ、もちろん拾史郎くんのお母さんはようがんばってくれとるで。今日も子供服の回収作業ん時にキーちゃんとトシくんの話になって──」
そして、訊いてもいないことをよく教えてくれるのです。栗田さんは親切におねえちゃんの体調にも気を遣ってくれました。当の鶴見さんはというと、なんにも気にしていないのかぼんやりしているのか、口元は緩やかな弧を描いて、手には紅葉を持って、くるくると茎をつまんで回していました。
ぼくは勇気を出して切り出しました。
「鶴見さん。お願いがあるんです」
「おや、私にかい」
珍しく、あのビジネススーツを着ていないのに紳士なほうの彼であるようです。
「私が何かお役に立てるかな。せっかくの申し出だけれども、君達姉弟の力になってくれるのは栗田さんのような人じゃないかな」
なぜだか愉快そうに言い募る鶴見さんを、当の栗田さんは、完全に困惑の目つきで見ているのでした。まだ入所して一か月も経たない、人を食ったような態度をとる(ように見える)彼は、いかに経験豊富な栗田さんといえども、ほんの一瞬だけでもそんな顔つきにさせてしまうようでした。それだからこそ、絶対になにか尋常でない力をもっている鶴見さんだからこそ、スーパークラガリの調査員として適任なのです。
成程分かったよ、と鶴見さん。ぼくはまだ何も言っていません。途端に、ぼくらが立っている銀杏公園が、いつものさらに倍くらい、ううん、もっと輝かしい黄金に包まれたのです。
「この話は私たちにしか聴こえない。手品みたいなものだよ」
ぼくは、いちいち驚くのもいやになりました。
「……それだけですか? 鶴見さんのしてること」
「そうだな。君たちを中心にだいたい直径百キロほどの範囲で、人びとの現実認知に多少の統制をおこなっているよ。君たちとしても静かに暮らしたいだろうからね」
「すみません、もうちょっとわかりやすく言ってください」
「君たちの周りの人達の意識をすこしコントロールしてるんだ。喜捨奈さんを見て完全に無視するほどではないが、テレビカメラが殺到して騒ぎ立てるほどの興味はない、くらいに調整しているよ」
「しているよ、って……」
「不快だったかな」
信じがたくて嫌な気分かどうかさえわかりません。思い返してみてごらん、と言われるままに、始まりのあの日から記憶を辿ると、確かにそうなのです。ぼくたちは周りの人びとに驚かれたり気遣われたりはしたけれど、それは言ってしまえば、一年半前におねえちゃんが足の骨を折って入院した時くらいの騒ぎと同じ程度でした。
思わず鶴見さんを見たまま固まってしまうぼくの背中を、どしどしと蹴る……いや叩く……いや、体当たり? そう、頭突きするおねえちゃん。
そうだ、今は飲まれていてはいけない。こっちがこのひとを利用してやる時なのです。
「で、なんだっけか。調査? おれが、あのスーパーを?」
どういうきっかけなのか、きっかけなんて無いのか、どうも今日は鶴見さんのコンディションがころころ変わります。「ええ、まあ、調査というか……」ぼくは言葉を濁しますが、「ていよく動いてくれる大人が必要なんだよな」とにやにやする鶴見さん。
「別にかまわんけどさ、何をどうやって調べりゃいいか……」
そこで、ぼくはここぞとばかりに鶴見さんに耳打ちしました。まず、チラシの出所を探るために新聞配達のバイクを捕まえたいということ。
「鶴見さんとの会話がヒントになったんです。EDLP(エブリデイ・ロープライス)のお店が、特売のチラシを配るはずないですよね」
「あー、そんなこと言ったっけ。たしかにな。じゃあスーパーとは関係ない奴が作ってばら撒いたんだ。新聞配達員でもない奴が」
「はい。でもバイクに追いつくのは難しいので、スーパーで待ち構えるっていう作戦です。いま、学校でインフルエンザとか風邪とかで休む子が多いので、ぼくもマスクしたり帽子とかマフラーするんですけど」
これで変装しようというわけです。あとスーパークラガリはめちゃくちゃ寒いので、ふつうに風邪をひいてしまいそうです。
「変装は分かったけど、おれもすんの」
「鶴見さんはいつも薄着じゃないですか。ぼくと合わせてくれたら、その、犯人に顔も覚えられたりしーへんと思うし」
本当のことを言うと。
銀杏公園に来る前に、スーパークラガリに駆け込んで、店員の百々ヶ峰さんにも協力をお願いしていたのです。百々ヶ峰さんが言うには、
「店長ともあのチラシの犯人を見つけたいと話していたんですよ。でも私、いくらチラシの件では無実だったとしても、あの人の顔見てると殴りかかってしまいそうなので」
ぜひ、変装してほしいと。
鶴見さんは面白そうに笑って、ひらひらと無数に舞う銀杏から編み出したかのように同じ色のマフラーを巻いたのでした。
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