12.カレーをつくろう【湖】

 ホームセンターに行けばかならずこの時期に展開されている、キャンプコーナー。店内でバーベキュー用の薪が売られているのも珍しい光景ではありません。一説によればこの辺りの地域のひとはかなりバーベキュー好きなんだとか。

 ただ、悲しいかなそんなアクティビティも、首だけになってしまったら自分には無縁だ、と思ってしまうのかもしれません。ぼくの誘いかけも暖簾に腕押し、特に返答がなくて「おねえちゃん!」と無い肩をゆさぶる(正確には耳の下あたりから後頭部にかけてを両手でつつんでゆらゆらする)と、「え、なに」寝ぼけ眼のおねえちゃんは、無気力にごろんと転がる始末なのでした。秋の行事もひと通り終えた日曜日の午前、なんだかだらけてしまうほのぼのとした陽気。

「だから、琵琶湖。みんなで琵琶湖行こうって話しとったんやよ、おねえちゃん」

「へえ。いいなあ、いってらっしゃい」

 ぼくもかあさんも首を傾げました。おねえちゃんも同じように傾きました。そしてごろん。

 要するに、おねえちゃんは首だけになってしまった自分を連れて遠出なんてしないだろう、自分は留守番だろうという前提で話を聴いていたらしいのでした。確かに、運動会くらいなら見学で済みますが、たとえば学校行事で県を跨ぐ大きな移動となると、さすがに楽しみより不安が先立ちます。先生との面談で、この先の学校行事への参加について言及されたおねえちゃんは、目に見えて落ち込んでしまっているのでした。

「ね、いっしょに行こうよ」

 ぼくらは行きしなにスーパークラガリでカレーの材料を買い揃えました。お肉コーナーの異様に覇気のない呼び込みが相変わらず不気味です。でも、これでもお肉はとても新鮮で美味しいと評判なのです。まあだいたい、あちらをみれば山こちらをみれば放牧地といった具合の土地ですから、この辺りの食肉事情を尋ねると牛に加えてジビエもなかなかいける、と大人たちはけっこう満足そうな顔をします。カレーのお肉は特にこれと決まっていませんが、うちで作るなら豚肉、でなければ合い挽き肉でキーマカレーにすることが多いです。じゃがいも、にんじん、たまねぎなんかも小さなサイコロ状にして炒めます。

「どうしよ、今日もいつものにする?」

「具がゴロゴロのやつがいいな」

「キーちゃんが言うんやったらそうしよう」

 買い物を終えると滋賀県の長浜市に向かい車で県道を走ります。椰子の木、ではなく松の木が並ぶ、海岸、ではなく湖岸。初めて見た時はこれが海かと思ったものでしたし、今だってじつは海なんじゃないかと思うくらい、湖の水平線は見るたびに胸がドキドキするのです。

 湖を一周する専用道路にはサイクリングや徒歩のひとがたくさん見受けられます。犬の散歩をする近所のひとも居て、ぼくらはその様子を眺めながら隣の車道をゆっくり通過しました。

「レトロ、寂しがっとらんかな」

 ぼくらの愛犬レトロは、小さな頃に保健所から引き取った雑種の中型犬です。おねえちゃんによく懐いているので、レトロと散歩したり戯れ合うことができないのが、おねえちゃんにとってはやっぱり相当ストレスみたいでした。

 おねえちゃんがこんなことになってからは、ぼくがレトロの散歩係です。もちろん、リュックサックにおねえちゃんを背負って一緒に行こうとしたのですが、レトロはすっかり首だけのおねえちゃんを怖がって近づいてもくれないのです。

「散歩は鬼頭さんとおばあちゃんにお願いしたけど」

「おばあちゃんは山歩きのおかげでだいぶ足腰強いけど、レトロもグイグイ引っ張るで心配やね」

 むかし、かあさんがインド料理屋で働いていたころは、大人の味のカレーを研究したのだそうです。ぼくらは、スーパーで買える甘口のカレールーが好きでした。おねえちゃんとぼくとは同じ甘口派だと思っていたのに、ついこないだはスプーンを手でつまんで揺らしながら(ぐにゃぐにゃ曲がって見えるやつです)「もっと辛いやつがいい」なんて言っていたので、信じられません。

 けれど今日も含めて、おねえちゃんは甘口派に戻りつつありました。さみしげに、うつむき気味で、りんごとはちみつ入りのカレーに甘んじる。ぼくはこれ以上なく甘いカレーが好きだけれど、最近はなぜだかもやもやします。

 その日のかあさんはいつもよりよく笑っていました。たぶん、おねえちゃんが首だけになってしまったからといって、とうさんが居なくなったからといって、普段の生活、これまでの暮らしで感じたうれしさや楽しさを諦めたくはないのでしょう。それはぼくも同じでした。ぼくらの身体、物理的な身体が、まだこんなにも残っているのなら。おねえちゃんをぼくが背負えば、ほら、なにも問題ありません。ぼくらの生活に問題はないのです。

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