11.天国と地獄【坂道】

 紅葉、鱗雲、灼ける空。シイの実、カキの実、落ち葉のじゅうたん。紅葉を映す澄んだ川。家庭科の授業では栗きんとんを作り、図工で描いた絵をクラスの全員が提出し終えました(ぼくもなんとか“立ち上がったヌートリア”の絵を描きましたが、だいたいの人が嫌そうな顔をするのを見るに評価は微妙そうです)。地域の音楽祭では小学校高学年や中学生の先輩たちが大人に近い声で課題曲を歌い上げ、さらに高校生のお兄さんお姉さんたちは自主制作の演劇や和楽ライブ、レストランやバザー、仮装などで彩った文化祭を盛況のうちに終えたのだそうです。

 盛りだくさんに思えた学校行事や宿題に追われる日々もつつがなく過ぎ去ってゆき、このところ穏やかに時が流れていました。

 今日は、町民運動会当日。

 この町民運動会という行事には予行練習などはなくて、もっぱら地域のいろいろな年代のひとたちとの交流が目的のゆるい運動会です。ポールに括り付けられたハート型の風船の“地域の催しもの”感はすごくて、見ていてなんだか気が抜けます。でもスローガンや勝ち負けなんかもあまり関係ないので、ぼくはけっこう気楽で好きだったりします。なにより、大人たちがはしゃいでいるのを見るのがなんだか新鮮で楽しいのです。これは良い大人観察イベントなのでした。

 秋晴れの良い天気のなか、まずまず楽しく過ごしましたが、夕べ見た変な夢のせいで、大玉転がしや玉入れ、障害物競走なんかを見ると微妙な気持ちになってしまいました。気味悪がられそうなのであまり言いたくありませんが、打ち明けると「玉とつくものはすべて人の首になり、障害物と呼ばれるものはすべて人の身体でできた、気持ちの悪い運動会の夢」を見てしまったのです。これはぼくがサイコなんじゃなくて(九歳の使う言葉じゃない? そうかもしれませんね)、ここ最近身の回りで起きていることが関係しているのだろうと思います。

 そんなわけでやけに疲れた午前の部が終了。

「閻魔チョコって美味しいん?」

「美味しいよ。食べてみやあ」

 待ちかねた昼休憩。ブルーシートとテントの中に続々と大人子どもが集合し弁当箱を開ければ、一気に花見席とかお正月の集いみたいな雰囲気になります。おねえちゃんは折り畳み式の椅子の上に鎮座し、糖分を欲していたのかもぐもぐと無言でチョコレートを摂取します。本部放送席からは連絡事項がひっきりなしに響いていました。

〈東門のお茶・ジュースの販売は残りわずかということです。まだ購入されていない方はお急ぎください〉〈大玉リレーの出場者は十二時五十分までに入場門前に集合してください〉〈片岡先生、片岡先生、体育館倉庫までお願いします〉

「げ、リレー嫌やなあ」ぼくが思わず本音を呟くと、おねえちゃんも「みんなに放られる夢見てまったし、わたしも嫌」と漏らしました。同じような夢を姉弟で見るなんて不思議ですが、ぼくらはこれまでも時々そんなことがありました。「しかもゴールが坂になっとって、わたしだけ落っこちてゴロゴロ転がってく」

 生まれつき低血圧で憂うつそうなおねえちゃんですが、今日はわかりやすく顔色が悪くてかあさんたちは心配していました。親切に声をかけてくれるひともいましたが、結局どの競技にも参加せず、誰かに運んでもらったり背負ってもらったりもせず、ずっと見学をしていました。それはその通り、なにか手違いで危険に巻き込まれないとも限りません。もし地面に落ちたり人と人の間に押しつぶされてしまっても、おねえちゃんひとりでは移動したり手で身を守ったりすることも叶わないのです。

 日常生活では意外と難なく過ごせているように感じていましたが、首だけの状態というのは普通ではなくて、たとえば車椅子に乗っているとか、そうした状態とは比べようもなくやはり首だけというのは尋常ではなくて、困ることも多いし、通りすがりに奇異な目で見られることも多々あるのでした。

 おねえちゃんは、おばあちゃんとかあさんに左右しっかり守られる形で、折り畳み椅子の上に大きなリュックサックを乗せ、さらにその上にちょこんと乗っかって、グラウンドを眺めていました。リレーの果てに行き過ぎた大玉が、進路を逸れてぼよんぼよんと転がっていました。

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