6.広告の品【眠り】
「変なひとがいる、ですか?」
おとなしそうな例の店員さんは、確かめるように、ぼくの言葉を繰り返します。ぼくは力無く、ただ頷きました。
この前の変なおじさんがまた居たのです。ぼくは嫌な気分になって、おじさんと反対側の出入り口から入ることにしました。そうしたら、居たのです。まあ、それについてはぼくの見間違いかもしれません。瞬間移動だなんて。
いきさつはこうです。おじさんは、前に遭ったときのワイシャツ・ジーパン・下駄姿ではなく、上下黒いビジネススーツという出立ちで、よく遠目で気付けたものだと自分を褒めたいです。なにせ雰囲気が前とはまるで違います。ただ、付き纏ったり言ってることは次のとおりで、やっぱり変な人には違いありません。
「私はね、近くの公園に住んでいるんだよ。たまに君たちが近くを歩いているのを見かけることがあった」
だめだ。終わった。この前、嘘の住所を教えたのは無駄だったんだ。家がバレていたらもう終わりだ。おじさんの身なりや口調が前と違うことも気にしていられません。考えうる点としては、もし双子だったら最悪ってことです。
「だから少し前から君たちの顔は知っていたのだけど、こんなチラシをクラガリの近くで拾ったんだ」
それを見た時の衝撃は……。お腹の底から沸く、メラメラとした怒りというか、どうしようもなさというか、初めて感じる気持ちでした。細かくどんなだったかは言いたくないので伏せますが、要するに特売チラシにおねえちゃんの首が載っていたのです。最悪。
ぼくが茫然自失としているところに彼が「君、名前は」と聞き、ぼくの口は締め方のあまい蛇口のように「拾史郎」と口走ってしまいました。
「拾史郎くんか、ありがとう、助かったよ」
……というわけで、こんなチラシを手渡されました。
それだけ説明し終えて、ぼくは大きく肩で息をしました。喉が震えています。顎も、手も、全身。
店員さんは何が起きてもおとなしい人で、スーパーの人はみんな声が大きくて怖いと思っていたぼくはあいも変わらず驚きました。そして、そのおかげで冷静さを取り戻すことができたのです。
店員さんはすぐ店長さんに連絡し、大人たちは低い声で何事かを話しています。ぼくは入ったことのない休憩室のようなところに通され、座って一人で休むよう言われました。しばらくして店員さんは、マグカップに温めた牛乳を淹れて持ってきてくれました。
真剣な眼差しで思案の只中にいる店員さんの様子を眺めるうちに気持ちが静まってきて、名札に意識を向ける余裕もうまれました。名字が難しくて読めません。百々ヶ峰。見たことがある字の並びですが、読み方がわからないのです。
「あの。店員さんの、名前なんてよむんですか」
「え? ああ、どどがみね、って読みます。難しいですよね。近くに同じ名前のお山があって……そうそう、あのお山と同じですよ。名前の意味とかは、ちょっとわからないので誰かに聞いてみてください」
百々ヶ峰=どどがみね。身近で局所的なサブリミナル効果が発現し、字の見覚えと音の聞き覚えが一致。頭のモヤモヤが晴れました。そうそう、確かおばあちゃんがよく登ってはツブラジイを拾ってくる山だ。
「それにしてもあんなチラシ、悪戯の域を超えてひどいです。何より君やお姉さんが危ないめに遭ってはいけませんし、ウチとしても、営業妨害で訴えるレベルですよ。その、アレを手渡してきた人は本当に危ないと思うので、お巡りさんにも知らせることになりました」
ひとりで帰るんですか? と心配した百々ヶ峰さんに諭され(ひとりではないですけど)、今日ばかりは、かあさんに連絡をすることにしました。あまり心配させたくないし、心配が過ぎて家を出るなと言われるのもあれなので避けていましたが、ぼく自身も知らないうちに、鼻水や涙が出ているのでした。
血相を変えて迎えにきたかあさんと家に帰ったのは覚えていますが、あとのことはもう、眠りの外においてきてしまいました。
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