4.クリーンタイム【温室】
いいいいい。
それは、スーパークラガリの真の暗がり。
ら、らああああ。
生鮮食品コーナーの脇、湿り気を帯びた“従業員専用出入り口”の窓から覗くふたつの大きな目玉に、ぼくらが魅入られてしまいそうな時でした。
っし──しししぃ──ぃぃゃぃゃぃゃ────ぁぁぁあ、
間延びした、人ではないような、金属音の混じった音声がぷつりと途切れ、店内アナウンスに切り替わったのです。
〈業務連絡です。クリーンタイム開始します。従業員はクリーンタイムを開始してください。〉
そうすると、専用扉の向こうに黒くみっちり張り付いていた何かは、サァと消えていったのでした。
しばし呆然とするぼくら(傍目にはぼくひとりがリュックサックを背負っているだけに見えるでしょう)の前に現れたのは、あの前髪の長い店員さんでした。
「どうされました」
手の届かない陳列棚のマカロニを取ってくれた時と同じ言葉でした。
すらりと背の高い大人なのに、まったく威圧感がありません。かわりに別の近寄りがたさはあるかもしれませんが、このひとだけは嫌な感じがしなかったので、深く知りもしない他人だけれど、なんだか安心したのをよく覚えています。
どうされました、と訊かれた以上、なにかを答えないわけにいきません。ぼくは一生懸命言葉を探し、自分がまだ年端もいかない子どもだということを思い出しました。それで、なにを口走っても大丈夫だと思ったのです。
「あの、クリーンタイムってなんですか」
……そこかい、と自分でツッコミを入れておきましょう。変な声と目玉? なんですかそれは、と言い返されるほうが怖くないですか?
もうひとかけらの勇気があれば訊けたのに。ぼくの内心を知らぬまま、店員さんは丁寧に受け答えしてくれます。
「掃除です。基本的には。お店のひとが全員、まあほぼ全員ですね、持ち場の掃除や、売り場の整理整頓をします」
「学校みたいですね」
「小学校にもありましたね、掃除の時間。そうですね、時間割もありますし、学校みたいですね」
なんとなく口走った質問がまっとうな会話になるときもちいいです。大人がきちんと話をしてくれると、世の中まだ捨てたもんじゃないという気分になります。会話のために自然と少し歩み寄ると、店員さんも当然の伸縮運動とばかりに腰を屈めてくれたのを、ぼくは見逃しませんでした。たよれる大人だ。
「この辺ですと、お客様からは見えないですけど、モップ掛けとか。特にお魚売り場は、けっこう生臭いので」
言われてつい、忘れ去ろうとしていた“専用出入り口の怪”を思い出してしまいました。ちらっと出入り口を見ると、店員さんはなにか勘違いしたかのように「残念ですが見学はできないのですよ」と、とても申し訳なさそうに言うので、そこまで非常識ではありませんよ、しっけいな、と思う移ろいやすいぼくでした。背中に後頭部のもぞもぞする触感。
「としくん、もうここ寒いてぇ。あっち行かん?」
「えっ、なにかおっしゃいました──」
「いいえ! なんでもないんです」
なおも店員さんがぼくの後ろに誰かいるのかと覗き込むので、あわてて頭を下げ、その場を離れます。
ぼくとしたことが、おねえちゃんの存在を忘れていました。というか、なぜぼくは当然のように隠すのでしょう、大好きなおねえちゃんが首だけになっているのを。心のなかに正解があるのかさえわかりません。
ところで、リュックのなかとはいえ、首だけだとふつうの人より寒がりになるのでしょうか。秋の夕暮れの肌寒さのせいか、それとも、やっぱりこのお店が異常に寒すぎるだけでしょうか。
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