第562話 心の洗濯

 俺は宇宙船グリースワーグ号の狭いシャワー室でパンツを洗っていた。

 夢精した男子中学生の気分だぜ。

 こういうのも回春っていうのかな。

 そういえばペレラに飛ばされて以降、基本的に毎日限界まで絞られてたので、寝てる間にアレするなんて事は無かったな。

 それにしてもアレか、ぬるっとやってしまったのはいつぞやの魔界で女神の柱が壊れたときに大量の土砂を押しとどめたやつ以来か。

 今回は謎の巨大化で美人ロボ艦長のピンチを救ったようだが、どうも実感が湧かない。

 俺ってほんとなんなんだろうな。

 自分が人間ではない、何か超越した存在であろうという予想は、底知れぬ不安を伴うものであってもおかしくないと思うが、それでも俺が平静を保っていられるのは、俺がどうなってしまってもうちのかわいい従者達はどこまでも付き従ってくれるだろうという信頼があるからだと思う。

 まああれだ、ただの惚気だな。


 ハイテク素材のパンツはお湯で洗って軽く絞るともう乾いてしまった。

 パンツと体をさっぱりさせてシャワーから出ると、さっきゲットした酒瓶片手に浮かれた海賊グラニウルが酔っ払い特有のにやけづらをさらしている。


「よう、うらなり君、見事な早漏っぷりじゃないか。オリビンの塩梅はそんなによかったか?」


 などと下世話なことを言うので、無言で歩み寄って酒瓶をぶんどる。

 手近なグラスに注ぐと、いかにも枯れた色合いが醸し出す複雑な香りがたまらない。

 ちょっぴり舌に乗せてみるとこれがまたえも言われぬ芳醇な味わいで……。


「うまいけど、今のんびり楽しむ気分じゃないな」

「青臭いこと言ってるなら返せ」

「ビールはねえのかよ、ビールは。風呂上がりはビールって決まってんだよ」

「ありますよ」


 いつの間にか現れたオリビンが、壁の冷蔵庫から缶ビールを取り出し、俺に手渡す。


「飲むのはかまいませんが、重力制御の効いていない区画で飲んではいけませんよ」

「あふれるんだっけか」

「ええ、誰かさんの下半身みたいに、絞まりなくあふれますね」

「ほっといてくれ。それで、状況はどうなったんだ?」

「ゴッブズⅢは強引にゲートに突入して戦域を離脱、残存兵力はバーバーフスが掃討中ですが、半分ぐらいは取りこぼすでしょうね」

「中佐ちゃんは無事だったのか?」

「先ほど勝ちどきを上げていましたので、無事でしょう」

「ふうん、ならいいか」

「淡泊ですね、恩を着せて手籠めにするチャンスでは?」

「俺ぐらいのモテ男になると、もっと上品に口説くんだよ」

「妄想だけは、立派なものですね」


 そう言ってオリビンは自分も缶ビールを手に取る。


「さて、不本意ながらに精を出してしまいましたが、海賊としてはお宝を狙わなければなりません。どうします、グラニウル」


 問われた酔いどれ海賊のグラニウルは、手にした酒瓶をうっとりした顔で見つめてキスをする。


「お宝ならここにあるじゃないか、もう離さないよ、むちゅー」

「しばらくは駄目そうですね。できればビエラを追いたいのですが、カームの情報によればタイミングがあるようですし、そもそもカーネリアが小遣い稼ぎで残党狩りに専念しているので……」


 オリビンお姉ちゃんは缶ビールを一息で飲み干すと、腕を組んで考え込む。

 俺としても、海賊とか宇宙英雄とかについて色々聞きたいことが無いわけじゃないんだけど、どうせ聞いても何かの役に立つわけじゃないだろうし、それよりも、別のお姉ちゃんとか大事な従者のフォローをしておきたい。

 さっき俺のかっこいい力でアヌマール状態からもどった王様の姉サンスースルは、今いるリビングの片隅に設置された簡易ベッドで眠っている。

 それをうちの三従者が見守っている形だ。


「彼女の様子はどうだ?」


 と尋ねると、ノッポのイーネイスが軽くうなずいて、


「落ち着いているようです。ですが彼女はかの王様の姉君なのでしょう。なぜこのようなことに……」

「あれは身分とか能力とかは関係ないんじゃないかなあ。ようするに声が聞こえるかどうかの話であって」

「声とは、のことですね」

「そうだと思う」


 イーネイスはあの声と言った瞬間、少し身震いしたように見える。

 アヌマールになった事のあるイーネイスは、その声とやらを聞いたことがあるのだ。

 その根本原因のほうは、過去の判子ちゃんとの出会いの際に解決してるような気がするんだけど、それがもたらした影響が現代にも残ってるという感じだろうか。

 シーサのデストロイヤーとかいう不思議兵器、すなわち黒竜が及ぼす影響を取り除くのが最終的な目標だと思うんだけど、そのやり方がわからんのが問題なんだよな。

 うちの女神連中はなんも教えてくれないし。

 ただまあ、だんだんわかってきたところによると、教えないんじゃなくて教えられないんだろう。

 わからないことをわからないと言えない性格なだけなんだよ、たぶん。

 そもそも、あいつらが解決しうるやばいことや面倒なことは、俺が認識する前に解決してくれてるふしがあるしな。

 さっきの戦闘中も、よくわからんがいくつかあり得た選択肢の中からやばいモノは勝手に排除されてたような感覚があったし。


 静かに眠るサンスースルを見下ろしながらそんなことを考えていたら、褐色の頬がピクリと動く。

 どうやら目覚めたようだ。


「よう、お目覚めかい」

「……貴様か。ここはどこだ、私はあの医療施設とやらで眠っていたはず……。いや、私は再びあの声に惹かれて……」

「ちょっと場所を変えたが、ここはまあ、おおむね安全な場所さ」

「あの時の光は貴様の……。あれは、我が王に勝るとも劣らぬ……」


 サンスースルは唇を震わせながらぎゅっと目を閉じると、わずかに目尻が濡れているように見えた。


「クリュウよ。なぜ、私を助けたのだ」

「なぜって? それが紳士ってもんだろう」

「我が王を差し置いて、貴様が紳士を語るのか。天に極星が一つしかないように、導きの光は常に一つなのだ」

「星はいつでも見えるわけじゃない、海の上なら灯台だってあるし、夜道を歩くならランタンもいるだろう。君に必要な光は、なんだい?」


 俺に問われたサンスースルは、再び目を開くと、じろりと俺をにらみつける。


「貴様、この私を口説いているのか?」

「やっと気がついたか、そんなんじゃ彼も苦労するだろうな」

「我が王を侮るようなことをぬかすな!」

「侮っちゃいないさ、だが心配もすれば同情もする。友としてね」

「友などと……、他に並び立つもののないのが、王なのだ」

「それを決めるのは君じゃないだろう。彼が俺を友と呼ぶなら、俺も彼の友たらんと、がんばりたくなるのさ」

「なぜ、なぜそんなことが言える。いかに紳士とはいえ、我が王の輝きの前にはすべてが光に包まれ、影一つ残さぬ。我らのごとき卑小な存在は、目を覆うしかないというのに」

「知らないだろうから教えとくけどな、あの紳士の光って、実は自分も結構眩しいんだよ。だから彼も相当、我慢してると思うぜ」

「はぁ?」


 それまで苦悶の表情を浮かべながら必死に俺に文句をたれていたサンスースル嬢は、突然気の抜けた声をだす。


「そ、そんなわけがあるか、我が王が、そんな、御身の光を我慢するなどと、ぐ、ふぐぐっ」


 なにがツボにはまったのかわからんが、サンスースルは顔をゆがめて必死に笑いをこらえている。

 しまいにはむせて咳き込み始める。

 何か飲み物でもと思ったら、オリビンおねえちゃんがグラスに水を用意してくれた。

 そいつを飲ませると、どうにか落ち着いたようだが、そんなサンスースルの背中を、ノッポのイーネイスがさすってやる。


「アヌマールになったばかりです、無理はいけません」

「そ、そなたになにがわかる」

「わかります、私もかつてあの声に捕らわれ、闇の衣に包まれたので」

「そなたも!?」

「はい、私はクリュウの従者でイーネイスと申します。私は主人の血を受けて、あの声は完全に聞こえなくなりましたが、きっとあなたには、まだ聞こえるのでしょう」

「……そうだ、かすかに、だがしっかりと聞こえている。あの声が呼ぶ限り、私はまた闇に捕らわれてしまう。これでは我が王の輝きの下にあることは叶わぬ、たとえひとしずくの染みとて、汚れた闇で我が王の光に影を落とすなど……」


 笑いすぎてむせてたかと思ったら、今度は泣き始めた。

 情緒が不安定だなあ。

 まあ俺も以前エネアルの不意打ちを食らったときは泣いちゃったので、たまにそういうことがあってもいいのかもしれん。

 感情にもバランスが必要なんだよ。

 なんにせよナンパを続ける雰囲気ではなくなったので、あとのことはイーネイスに任せることにした。

 その場を離れてテーブルに着くと、オリビンが緑に発光して煙を噴いてるカクテルをポンと差し出す。


「気が利くな」

「女性を口説き損ねた可愛そうな弟にサービスですよ」


 などというのでグビリと飲むと、なんとも言えない珍妙な味がした。


「失恋の味はほろ苦いと相場が決まってると思ってたが、宇宙は広いな」

「見識を広げることが、モテる秘訣ですよ」

「ふん」


 と鼻を鳴らしてグビリと飲み干し、今度は別のウイスキーボトルに手を伸ばす。


「ところで、先ほど話に出ていたアヌマールというのは、闇の衣をまとった状態のことですか?」

「そうなんだけど聞いてたのか。言葉は通じるんだな」

「公用語1がベースのようですね。今ではほとんど使われていませんが、その大元はいわゆるデンパー古語として知られているものです」

「ふうん、まあ十万年前には惑星連合と交流があったらしいし、その頃使ってた言葉がずっと残ってるんだろうな」

「それで、あなたの従者になると、あの現象が再発しなくなるという認識でよいのですか」

「そういう感じっぽいな」

「従者、すなわちヴァレーテと言えば、現代では主に主人を選んだロボットのことを指しますが、人間の奴隷契約を指すこともあります。彼女は奴隷ではないようですが、何か特別な関係を?」

「あっちじゃ、血を与えることで契約するんだよ。エルミクルムの波長がマッチしてどうのこうのって理屈らしいが」

「波長がマッチする……と。たしかに彼女たちは体内にエルミクルムの結晶をもっていますね。それがあなたのあの珍妙な光とマッチする。それによって精神が影響されてマッチングされるというのは理屈としてわかりますが、血を与えるというのは?」

「文字通り、俺の血を相手にのませるんだよ、ちょびっとね。まあ体液なら何でもいいっぽいけど」

「なるほど、体液。あなたそれでさっき私の中で漏らしたのですか?」

「まさか、アレは不可抗力だよ」

「どうだか。しかし放浪者というのは、そうやってこの世界に干渉するのですか。これはやはりカーネリアでは難しいですね。現在稼働が確認されているペレラール・ナイトは、私とカーネリアをのぞけば、アーベ・ツァデぐらいですが、これはコンタクトが取れていませんから、ビエラの捕獲に必要な戦力が足りません。あなた何かないんですか?」

「無いよ」

「少しは考える振りぐらいしたらどうです?」

「俺にできるのは相性の良さそうな女の子をナンパすることだけなんだよ。誰がなんと言おうがマジでそれだけ。だから俺に言えるのは、そのビエラとかいうのが俺に脈がありそうなかわいこちゃんならどうにかできるってことだけだな」

「なにを童貞の妄想みたいなことを言っているのですか」

「うるへー、俺はほんとにそれしか能が無いんだよ。それでゲットした従者がみんな優秀でアレコレやってくれるもんだから、気がついたら篤志家だの救世主だのとちやほやされて、やってられるかってんだ、べらぼうめ」

「本当にどうしようもない子のようですね、あなたは。仕方ないので、頭でもなでてあげましょう、よしよし」


 口の悪いお姉ちゃんになでられて少し落ち着いたが、たしかに俺の情緒も不安定になっておかしくないぐらい、波瀾万丈な人生だと言えよう。

 神経が図太くて得したなあ。


「まあ、俺のことはいいんだよ。それより、何の話だったっけ」

「では、我々の目的を話しましょうか」


 そう言って緑髪のオリビンは向かいの席に腰を下ろすと、グラス片手に話し始めた。


「私の妹の一人に、ビエラ・バスチラというのがいます。これは闘神因子を埋め込んだ最終型の一人だったのですが、あなたの言うところのアヌマール、すなわち闇の衣に捕らわれてしまったのです。二億年前のアジャールとの戦争においても、あの現象は双方に表れていましたが、私は早い段階で撃墜されてゲートに飲み込まれ、長く内部に捕らわれていたので、当時の詳細がわからぬのです」

「ふむ」

「ビエラを追っていた末の妹であるカーネリアによれば、あれこそが戦争の真の目的であったというのですが、私が戦っていた段階では、単に侵略してきたアジャールの闘神との防衛戦争でした」

「俺の聞いた話じゃ、黒竜、すなわちあの黒いモヤの本体みたいなやつが世界を食い尽くすので、それを防ぐために双方が戦う必要があったってことだが」

「カーネリアもそういう認識ではあったようですが、彼女は当時、自分のパートナーがおらず、半覚醒状態のまま戦っていたそうで、正確なことがわからぬとか」

「わからんことだらけだな」

「それはそうですが、あなたに指摘されると癪ですね」

「よく言われる」

「だったら、自重しなさい」

「それができりゃあ、苦労しないんだけどなあ」

「あきれたものですね、できの悪い子にはお仕置きです」


 尻に感じた痛みに思わず飛び上がると、どこからともなく伸びてきた髪が、俺の尻をつねっていた。

 器用なやつめ。


「じゃあ、あれか、そのビエラってお前さんの妹を俺がナンパして更生させればいいんだな」

「よくはありませんが、そういうことです」

「そういうのは割と得意なんだよ。まあのんびりやろうぜ」

「まったく。他にすりあわせるべき情報はありますか?」

「無いんじゃねえかなあ」

「そうですか」

「そういや、島津ちゃんとかカンプトン中佐とか、うまくやってんのかな」

「島津は無事に現地警察と合流したようです。海賊本隊を撃退したとはいえ、アカデミア内はまだ混乱しているので、会いに行くのは難しいでしょう。このままゲート近傍で、ビエラの情報を待つのが最適ですね」

「うーん、なんか引っかかってるんだけど」

「なにがです?」

「いや、こっちで手つかずの案件があったような……」

「またナンパですか? 島津はあなたが口説ける相手ではないと思いますよ」

「いや、彼女じゃなくて……あっ、そうだ、塔だよ塔」

「塔?」

「地球に試練の塔が現れ出ただろう、なんだっけ、タワーオブアジャールとか言ってたっけ」

「ああ、アレですか。ごく稀にアジャール文明圏の星に現れるという」

「俺は今ちょうどペレラでアレと似た塔を攻略してるんだけど、あれを八つ回ると、エネアルって闘神が復活する予定なんだよ」

「エネアル、あの侵略軍大将の」

「そうそう、彼女は俺の育ての親でさあ」

「育ての親とは。私はあのエネアルにやられて、2億年も生き恥をさらしたのですよ!」

「そりゃあ気の毒に、つらかったろう。なでてやろうか?」


 と手を伸ばすと、尻を3カ所ぐらい同時につねられた。

 いてぇ。


「まあとにかくだ、アレは俺がこっちに来たと同時に現れたっぽいので、俺と関係がある……気がする」

「確証バイアスかシンクロニシティでは?」

「そうかもしれんが、こんなところで飲んだくれてるより意義のある行動ができるんじゃないかね?」


 そう言ってすでに酔い潰れてソファで高いびきの海賊グラニウルを指さす。

 へそが丸出しなんだけど、あんなにナイスボディなのに全然色気が無い。

 こんな残念美人も珍しいな。


「ペレラ一のナンパ師とやらは、アレをどうやってナンパするんです?」

「篭いっぱいの酒を用意して、ラブレターでも忍ばせとくさ」

「ロマンチックだこと。あれが手紙なんて読むとは思えませんが」

「ああいうのに限って、性根は乙女だったりしないかな」

「期待の度が過ぎると作戦とは呼べませんね」

「じゃあ、封筒に幻の銘酒試飲会への招待とでも書いとくさ」

「それは効きそうですね」


 オリビンは空になったグラスをテーブルにデンとたたきつけると立ち上がる。


「では、その作戦でいきましょうか」

「その作戦って、ラブレター?」


 わかっちゃいても言わずにはおれないタイプだが、オリビンにじろりとにらまれて、思わずお尻を押さえる。


「地球到着は4時間後の見込みです。それまでせいぜい、リラックスして過ごしておきなさい」


 それだけ言うと、オリビンはリビングから出て行ったのだった。

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