第542話 第五の試練 その十五

「師匠、大丈夫?」


 転んだ俺をガーレイオンが引き起こしてくれる。

 たしかアヌマールから逃げるんだったな。


「すまんすまん、急いで逃げるぞ」


 リルも相手がアヌマールとなれば、逃げることに否やはないようで、三人揃って来た道を駆け出した。

 別行動中のちびガーディアンからの報告によると、何やらエネルギー反応的なものはあるものの、姿を捕らえることができないらしい。

 わからんものは仕方ないので、とにかく走って逃げよう。


「ぜえ、はあ、ぜえ、はあ」

「師匠、はやくはやく!」

「ちょいタ、タンマ、い、息が続かん」


 アヌマールらしき気配の主がどこに居るかわからないので、とりあえず一直線に出口を目指すことにしたのはいいものの、リルと出会った五階から四階に降りてきた時点ですでに俺の呼吸は乱れきっていた。

 いやほら、この二人が体力的に俺の百倍パワフルなので、それに合わせて走ったら全力疾走でもまだ追いつけないレベルな訳よ。


「こ、こういう時は、ちゃんと維持できる、ペースでだな、もうちょっと」

「師匠、お酒飲みすぎ!」

「たしかに、その点に、関して反省すべき点が、あったことは、ぜえ、ぜえ、誠に否めない点があったと申し上げるよりほかないと、はあ、はあ」

「へんなこと言ってないで走って!」


 ガーレイオンは俺の手をグイグイ引っ張るが、足がもつれて走れない。

 少し前で曲がり角の先を覗いていたリルが、こっちに手を振って、


「この先は大丈夫みたいよ、早く来なさいよ、何やってんの」

「そのように、おっしゃられても、ですね、はあはあ」

「ああもう、じれったい! ガーレイオン、このバッグもって、私がそのお荷物を担ぐわ」

「わかった!」


 言うが早いか、リルはがばっと俺を肩に担ぎ上げた。

 俺より小柄なのに、軽々とかつがれてしまう。


「うげぇ、は、腹に肩が食い込む」

「贅沢言わないの、ほら、走るわよ」


 そう言って担いだ方の腕で、俺の脇腹をぎゅっと締め上げる。

 斬新なハグだと思えば苦痛も少し和らぐ……かもしれない。


「ねえ、なんか後ろに居る! あれそうだよね、あいつだよね!」


 ガーレイオンが叫ぶので、がんばって上体を反らして後ろを見たら、曲がり角の向こうからなにかもやっとしたものがあふれてきた。

 それを確認する前に、リルは走り始めていた。


「急ぐわよ、ガーレイオン、あんた後ろを頼める?」

「うん、任せて!」

「でもあいつ、剣が通じないから無茶しないでよ」


 走りながらしゃべるリルだが、大股で飛ぶように走るので、激しい上下運動が生じて肩当ての固い部分が俺の腹に食い込み、その度に、ぐえ、とか、げぼ、とか悲鳴を上げる。

 そんな俺の頭を、うるさいと小突くリル。

 上下運動は得意なつもりだったが、まったくそんなことはなかったようだ。


「後ろどう?」

「ちょっと離れた、あ、そこ違う、みぎみぎ!」

「ぐえ」

「え、そうだっけ? あんたよく道を覚えてるわね」

「地図ある!」

「じゃあ、あんたに前行って貰った方がいいかも」

「げぼ」

「でも、後ろが危ないし、イオンちゃんについてって!」

「イオン?」

「ふげ」

「ほら、この小さい子」

「ああ、これ味方なんだ」

「うん!」

「んが」

「ほんとうるさいわねえ、この男は」

「師匠、我慢して!」

「はい」


 などと軽快に会話する間も走り続ける二人と、担がれてうめく俺。

 俺ってこんな役回りばっかだよな。


 どうにか三階まで降りてくる。

 多くの階段はボス部屋に併設されてるもので、下りの時は最初にボス部屋を通ることになる。

 で、油断したわけではないが、一般に上から来るとボスがいないことが多いし、ここまでの道のりでもボスがいなかったので、さほど躊躇せずにボス部屋に飛び込んだら、部屋の中は黒いモヤが充満していた。

 そのモヤの向こうに光る、複数の赤い光点の一つが閃光を放ち、俺に襲いかかる。

 無論、担がれていようがいなかろうが、俺が反応できる速さではなかったのだが、ちゃんと反応していたリルは俺をひょいと放り投げて自身も身をかわす。

 同時に素早く剣を抜き打って黒いモヤに斬りかかるが、効果はなさそうだ。

 一方の俺は地面を二回転ほど転がって、壁に尻をぶつけた。

 いたい、いたいなあ。


 俺が部屋の隅で痛がっている間も、ガーレイオンとリルが黒いモヤモヤとがんばって戦ってるんだけど、いかんせん決め手に欠ける。

 要するにあの黒いモヤが結界になってて攻撃が通じないんだよな。

 アレをどうにかしないとじり貧なんだけど……。


 しびれを切らしたリルが豪快に振り回した剣の風圧で少し揺らめいたモヤの向こうに、人影のようなものが見えた。

 よくわからんけど、美人っぽい。

 つまり、相手が美人であれば俺にもワンちゃんあるのではなかろうか。

 このまま部屋の隅でお荷物のまま過ごすよりも、俺の唯一無二の能力であるモテパワーで現状を打破する可能性にかけてみるべきだと考えても、無茶な考えとはいえまい。

 そういえば、前も俺のムラムラした光でアヌマールを押さえ込んだことあったよな。

 あれが効くかもしれん。

 というわけで、よろよろと立ち上がって黒い精霊石でできた正体隠しの指輪を外す。


「くらえ、モヤモヤ照身モテモテ光線、どりゃー」


 かつて無いほど無駄に明るい光をビビビと解き放つと、部屋中が真っ白い光で埋め尽くされる。

 たちまち黒いモヤもかき消され、いくつかあった赤い光点もそのほとんどが消えてしまったが、唯一残った二つの光が、かわいこちゃんの目から発する光に変わり、やがてその光も消えると、あとには全裸の褐色美人ちゃんが気絶して床に横たわっていたのだった。

 なんか見覚えあるな、この子。

 あれか、王様の姉か。

 あと、この子も肩にうっすら刀創がある。

 ご婦人の裸体に一家言ある俺だから気がついたが、たぶん、ルタ島に来てから何度も俺を襲ってきたのはこの子だな、たぶん。


「ははは、正体見たり、かわいこちゃん」


 などと口走りつつも、俺はコインサイズに縮めてポケットに忍ばせていたハイテク素材のパーカーを取り出して膨らませ、アヌマールちゃんにかけてやる。

 紳士だからな。


「師匠、今のどうやったの!?」

「あんた、そういう凄いのができるなら、最初からやりなさいよ!」


 ガーレイオンとリルは驚いているが、俺だってこんなにうまくいくとは思ってなかったもんなあ。

 やはりかわいこちゃんにのみ通じる特殊効果みたいなのがあるんじゃなかろうか。

 あるといいなあ。


「ねえ、それ人間みたいだけど、大丈夫なの?」


 おっかなびっくり尋ねるリルに、根拠もなく大丈夫だと答える俺。

 大丈夫じゃなくたって、気絶してる美人にとどめを刺したりできんだろう。


「それよりも、この子一人だったのかな、なんかもっと広範囲にもやが広がってた気がするんだけど」

「どうかしら、少なくともさっきまで感じてた気配はなくなったみたいだけど……あっ」

「なんか来た!」


 二人の声に振り返ると、さっき降りてきた階段の上から、まばゆい光が近づいてくる。

 俺のモテモテ光線に匹敵するその輝きの主は、誰あろう王様ことハンドレッドエンペラー・サンザルスンでった。


「金剛の輝きに勝るとも劣らぬ光に導かれて来てみれば、やはり友よ、汝であったか」


 王様は体の光を収めると足下に横たわる娘に目をやる。


「余の臣が迷惑をかけたようだ。汝らの助けなくば、我が一の臣下にして姉たるサンスースルは永遠の闇をさまよい続けることになったであろう。だが……いにしえより続く、この戒めは、いまだとけてはおらぬのだな。汝の力であれば、あるいはと思ったが」

「王よ。彼女がこうなったことに、心当たりは?」

「無い。だがサンスースルは言っておった。声が聞こえる、と。闇より誘う声が、己を誘うのだと」


 そう言って娘を見る目は、この王様が他者に向ける慈愛に満ちた支配者ならではのものだが、ほんのちょっぴり愁いを含んでいるようにも見える。


「それで、どうなさるおつもりで?」


 俺がそう尋ねると、王はまっすぐに俺を見つめ、


「さて……、余は神より授かりし英知で、惑わぬ心を手に入れたつもりであったが、ままならぬものよ。この試練のようにな」

「王が惑っては民も戸惑いましょうが、かといって一片の迷いも持たぬようでは、正道はたもてますまい?」

「さよう、これは余の抱える問題なのだ。この試練が汝のものであるようにな。そうであろう、友よ」

「そう、なのでしょうね。私にとって、この試練はエネアルを降臨させるためのもの」

「女神エネアルは、汝にとって、なんなのだ?」

「家族ですよ」


 俺がさらりと答えると、王は満足そうにうなずく。


「ふむ、得心がいった。これもまた、余にとって家族の問題というわけだ。やはり友というのは、得がたきものだな」


 よくわからん問答に満足したのか、今度はリルやガーレイオンに目をやり、


「汝らにも世話をかけた」


 そう言ってさっと手をかざすと、魔法で二人の傷が癒える。

 まあかすり傷程度だけど。


「今宵は我が友クリュウと、宴の席を設けておる。汝らも来てくれるであろう?」


 魔法でみるみる治った腕の傷跡を見ていたリルは、心底嫌そうな顔で、


「べつにあんたを助けたわけじゃないでしょ、施しは受けないわよ!」

「ふむ」


 王様は一瞬首を傾げてから、


「リルよ、汝は何に憤って、いや、何を恐れておる?」

「別になんにもビビってないわよ! 食えばいいんでしょ、食えば! しこたまごちそうになってやるわよ!」


 そう叫んでズカズカ大股で部屋から出て行くリル。


「あー、リル、そっち逆、出口は反対!」


 ガーレイオンが慌ててリルを追いかけて出て行く。

 後に残された俺は、王様と顔を見合わせて苦笑する。


「あの者に必要なのは友か家族か、汝はどう見る?」

「彼女は孤児だったそうです。生まれてすぐに不要だと拒まれた人間が、他者を求めるようになるのは、困難な試練だと言えるでしょうな」

「それこそが、あの者に与えられし試練、というわけか。差し出口であったようだな。友よ、汝といると、余も判断が鈍るようだ、フハハ」


 などと軽やかに笑い、では参ろうかと歩き始めた。

 俺も置いていかれると何かあったとき困るので、金魚の糞のように王様の後に従ったのだった。

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