第535話 第五の試練 その十

 くそう、俺の寿司を返せ。

 喉まで出かかった台詞を飲み込んで、改めて巨大タコを見る。

 全身に炭のようなモヤをまとい、空中でのたうち回る姿は前衛的な水墨画のようでもある。


「あれはなにかね、とうとうタコまでアヌマールになっちまったのかね、墨を吐く姿が実に絵になるじゃないか」


 寿司で頭がいっぱいな俺が投げやりにつぶやくと、同じく面倒くさそうな顔をしてスポックロンが答える。


「そのようですね。まあ、アレならヴィルシー・ヴィルスのパルス攻撃だけで無力化できるでしょう。なんせパワーが違いますよ、パワーが」


 言葉通り、鯨型巨大ガーディアンが発する光が、タコが吐き出す黒いモヤを次々と打ち消していく。


「正直、ただの巨大だこの方が見た目の脅威としては上だったかも知れません。マンネリ化は怖いですね」

「そういうこと言ってるとしでかすぞ」

「おほほ、たまには私も敗北を知りたいもので……あ」

「あってなんだよ、あって」

「いえ、タコの横に人のようなものが。牽引時に巻き込んだ民間人ではないようですが」

「ほんとにぃ? 自信持っていえんのぉ?」

「もちろんです。一般人に被害が出た場合、チキンなご主人様はいかほどにお悩みになるかと考えると」

「だからそういうことを言うなと。で、なんなんだ? また例の信者とかか?」

「不明ですが、こちらもアヌマール化しているようですね」

「大盤振る舞いだなあ、そのうちおまえまで口から煙を吐いたりしないだろうな」

「ご主人様こそ、うかつなことをおっしゃらないでください。本当にそうなってしまいそうではありませんか」

「怖いねえ」

「まったくです。で、どうしましょう。アヌマールならセットで退治してもよろしいでしょうか」

「でも、あっちは人間ぽいじゃん。かわいこちゃんだったらどうするのよ」


 モニター越しに映し出された人型アヌマールを見ながらそう言うと、


「そういうと思いました。このまま外洋まで運んで、捕獲しましょう。そこで経過を観察すると言うことで。前例から言うと、あの黒いモヤを焼き切ればアヌマール化は治まるようですし」

「まあ、そんな感じで」


 他にもあのタコにつられて某信者連中が海岸に出てきて騒いでるところを騎士団に拘束されたとかそう言う話もあったようだが、結局、巨大怪獣タコ騒ぎはなんとなく収まってしまった。

 その様子を納得しかねる様子で眺めていた、イケてる女紳士のリルは、じつにイケてないという顔でこういった。


「で、結局なんだったの、アレ。勇んできたのに肩透かしってもんじゃすまないでしょう」

「まあ、うちはだいたいあんな感じで無難に無難に収めるんだよ」

「どこがどう無難なのか、さっぱりわからないけど、あんたがただの金持ち紳士じゃないってことはほんとよくわかったわ」

「もう少し理解が進むと、ただの女好きおじさんだってわかるらしいぞ」

「イケてないわねえ、あんたと私で、何が違うのかしら」


 こういう時のご婦人には、男が何を答えても怒るものなので、じっと黙って怒りを最小化するのが正しい日和見系男子の社交術だが、幸いなことに、リルがブツブツ言ってる間に、第五の試練の塔まで戻ってきた。

 あのまま神殿に戻っても、アフターフォローで面倒なことになるに決まってるので、さっさと戻るのが正解なのだ。

 リルは、なんか物足りないから暴れてくるとかなんとか言って、塔に潜ってしまったが、俺は当然酒だ。

 アテはタコかなと思ったものの、またあっちの世界に行ったときのためにとっとくとして、肉でも食うか。




 肉と酒をしこたま摂取してぐーぐー寝てたら、いつの間にか日が暮れていた。

 遅くまで祭りで遊んでいたらしいフルン達も、すでに戻って食事を終えて、キャンプ敷地内に設置した特製テントで休んでいた。

 このテントは南極でも使える極地仕様のやつらしい。

 そこまでしてテントにこだわるところに、あいつらの粋ってものを感じるな。

 俺のこだわりもちょっとマンネリ化してるので、そろそろ新たな境地を見いだしたいとぶらぶらしていたら、赤竜騎士団副長にして褐色黒髪ショートな女騎士ポーンと、赤猫の異名をもつ女盗賊のエレンが、修行箱に併設されたロビーでくつろいだ様子で談笑していた。

 この二人はどちらも諜報活動がメインで、騎士団の特権を生かすポーンと、盗賊ギルドのネットワークを駆使するエレンが相補的にあれこれしている。

 そこに古代文明のチートじみた力であれこれするスポックロンやオービクロンが加わると、この国のほとんどの情報は筒抜けになると言っても過言ではない、まあ、ないんだけど、俺はよく知らん。


「やあ、旦那。昼間は大変だったね」


 ちょっとほろ酔い顔のエレンがグラス片手に手招きするので隣に腰掛ける。


「おまえ達の方が大変だったんじゃないのか?」

「僕はそれほどでも。ポーンはかなり成果を上げたそうだよ」


 話を振られたポーンは、きつい目元にちょっぴり色っぽい笑みを浮かべる。


「おかげさまで、行方の知れなかった連中をずいぶんとあぶり出せました」

「あれって、あの黒竜会とか言う連中の仕業だったのか?」

「本人達はそのつもりだったようですが、あれほどの巨大な生物を操る術があるとは思えません。今後の尋問の結果次第ですね」

「ふうん、しかしまあ、何が目的でやってんのかねえ」

「やはり世界を滅ぼしたいのでは?」

「滅ぼしたくなるほどひどい世界かね、ここは」

「私は、おかげさまで日々恵まれておりますから、そのようなことはまったく思いませんが、ひどい境遇で辛酸をなめてきたものなら、そういう考えに至ることもあるのでは」

「でもほら、シェキウールの親父さんとかみたいに、なんか怪しい術で洗脳されてたとかってのもあるじゃん」

「そういう信者も、一定数いるようですね」

「他人を洗脳してまで活動するってのは、相当な欲望だと思うんだよな。金とか権力とか、他人の迷惑はともかく、そういう欲望ってポジティブな自分の成功、もっといえば生に執着するような欲望に根ざすもんじゃないのかね。そこんところがどうも破滅願望ってやつと結びつかなくてなあ」

「それはご主人様が健全だからでは?」

「そうかな」

「どうでしょうか」


 少し苦笑したポーンは手にしたグラスをテーブルに置く。


「妬み嫉みといった負の感情も、重ねていけばとめどなく増大するもの。体制を批判する活動家などにも多く見られますが、一度ネガティブな感情の発露に酔ってしまうと、その快楽を糧にますます過激になっていくものです。元々は自分たちの権益の確保からはじまった活動が、相手を罵り打ち倒すのが目的にすり替わるといった例も、歴史上でもよく見られるもの。それを突き詰めればすべての批判対象を破壊するといった結論に行き着くのでは?」

「負の連鎖だなあ。そういうときはだいたい寝不足が原因なんだよ。怒ってる暇があったら、まず寝ろと言いたいね」

「そういえば、黒竜会の信者はほとんど眠らないものが多いですね。覚醒作用のある薬を常飲して、なるべく眠らないようにしているようです。更生した元信者の言うところでは、眠るのが怖かったとか。無限に広がる闇に、自分が溶けていく夢を見るのだと」

「俺もご婦人の柔肌の上でとろける夢をよく見るな、アレは怖い」

「それはお気の毒に、では今夜は眠らずに済むように、夜通しお付き合いいたしましょう」


 などと実に主人思いの優しいことをおっしゃる。

 こういう従者の優しさに囲まれている限り、俺が道を踏み外すことはないだろうなと思うんだけど、優しすぎて全然寝かせてくれなかったので、翌日は寝不足のまま試練に行くことになったのだった。




「なんだそのツラは、従者に示しがつかんであろうに」


 たまたま早起きできただけのくせにえらそうに説教してくるのは俺に匹敵するほど生活スタイルが駄目なカリスミュウルだが、まあ自分でも今朝はひどいツラをしていると思う。

 だって、めっちゃ搾り取られたんだもん。

 秘書気取りの皮肉屋ロボット・スポックロンが、うれしそうな顔で元気の出る薬を射ちましょうかとぶっとい注射を用意していたが丁重に断ってコーヒーをがぶ飲みしてきたのだが、そのせいでちょっと胸焼けもしている。


「なあに、ひどい顔ねえ」


 朝からチャーミングな声で悪態をつくのは女紳士リルだ。

 毎日飯をたかりに来ているくせに、生意気なやつだな。

 俺が態度のでかい女に弱いと知っての所業だろうか。

 奥ゆかしい女にも弱いことを教えたら態度が変わったりしないだろうか。

 素っ気ない態度にも弱いことを知られると、まずいかもしれないなあ。

 うん、やはり寝不足だと気が短くなったり思考が支離滅裂だったりするな、などと考えていると、


「ひどい顔で思い出したわ。夕べ遅くに王様とすれ違ったんだけど」


 王様というのは、あの王様のことだろう。


「なんかすっごい深刻な顔して、あの王様っていつもなんて言うか超然としてるじゃない、我は神である、みたいな感じで」

「まあ、そうだな」

「それが、悩むって言うか、焦燥って言うか、借金の返済を明日に控えて首の回らない商人とでも言うかそういう感じで」

「あの王様が? ちょっと想像できんな」

「私も気になっちゃって。ちょっと声かけられる雰囲気じゃなかったんだけど、あんた友達なんでしょ」

「友達って、いやまあ、そういや友達だったか。友よ、とか言ってたもんなあ」


 以前のインド映画じみた派手な遭遇シーンを思い浮かべながら、王様の言葉を思い出そうとするが、あんまり覚えてないな。

 まあ、女の子じゃないしな、仕方ないよな。


 王様の居場所はマップで把握できてるんだけど、悩みを聞いて進ぜようなどと言ってこちらから出向くわけにもいかんよな。

 それこそインチキ宗教家じゃないか。

 そういや、黒竜会のトップはダークソーズっていうんだっけ。

 教祖みたいなやつだろうか、それとも神官はみんなそうなのか。

 デュースにでも聞いときゃいいのかもしれんが、知れば知るほどドツボにハマるものなので、あえて耳を閉ざして一ミリでも遠ざけておくのが正解なのだ、たぶん。


 塔の攻略はと言うと、五階の鍵を七個見つけたところだ。

 二階までと同様、鍵穴は八個あるが、ここも七個しか鍵となる将棋の駒みたいな楔型のやつが見つかっていない。

 たぶん、八個目は何か別のギミックがあるんだろう。

 塔は九階あるが、鍵穴のあるのは八階までで計六十四個ある。

 どういうギミックかはわからんが、ひとまず各階七個ずつの鍵を集めてから考えよう。

 集めるだけで進めるかもしれんし。

 それはそうと、もう結構前から試練に飽きてるんだけど、ここをクリアしてもまだ残り三つもあるんだよな。

 最高神とやらが三人なら三つでいいじゃん、八ってどこから来たんだよ。

 三人だから三ビットで八個か?

 だからなんやねんという話だが、いくら俺が飽きたからと言っても、俺のために命がけでがんばってる従者達の気持ちを思うと、あんまりあからさまに飽きたアピールをするわけにもいかず、かといって俺がやる気を見せてもそれはそれで嘘っぽくてすぐにばれるし、配慮というのも難しいものだな。

 だが例え家族といえども、最低限の配慮無くしてはうまく回らぬものなのだ。

 当たり前のことを当たり前と流さないのが、良い主人の資質と言えるのだ、たぶん。


 昼過ぎまでがんばったので、キャンプに戻る。

 六階のさわりまでいったが、王様には遭遇しなかった。

 なにやら九階にとどまっているようだ。

 あんまり降りてこないようだけど、トイレとか風呂とかどうしてるんだろうな。

 内なる館にあるんだろうか。

 そういや、カリスミュウルは初めから家があったと言ってたなあ。

 カリスミュウルの家系は、時々紳士が生まれたり、よその紳士と結婚したりするらしいので先祖に紳士も結構いるらしい。

 そうした先祖から受け継いだものなのかなあ。

 この世界もわからんことだらけだからなあ。

 昨日のタコがどうなったか気になったりもするけど、面倒なので何も聞きたくない気もする。

 ああもう、今日は眠くてだめだな、さっさと寝てしまおう。

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