第511話 抱っこ

 しばらくラーラと遊んでいたが、疲れたのだろう、空飛ぶ椅子の上で船をこぎ始めたので、あとは牛娘のポイッコに任せて、表に出た。

 商店街は今日も繁盛しており、順風満帆って感じだなあ。

 こんな穏やかな日常を捨てて、またクソめんどくさい試練に戻らなければならない我が身の不幸を嘆いていると、エブンツの果物屋から、若い女の声がする。

 そういや、忙しくてエブンツともちゃんと話してなかったな、と店を覗くと、女学生が店のエプロンを着けて客の相手をしていた。

 バイトだろうか。

 なかなかかわいい子のようだが、年増好みのエブンツの趣味ではなさそうだ。

 まあ、この人手不足のご時世に、バイトの子にいちいち色目を使ってたら商売が成り立たんので、それぐらいがいいんだろう。

 当のエブンツが見当たらなかったので、そのままスルーして、チョコショップを覗く。

 店主であり、歌って踊れるパティシエのパロンは、奥で仕込みの最中だった。

 ガラス張りの厨房のようすがチラリと見えたが、いつもより五割増しでくるくる回っていた。

 試練が始まってからも、毎日店には仕込みに戻ってるらしいが、今も学校帰りの学生を中心に、小金を持ってそうな客がひしめいている。

 それを遠巻きに見ている貧乏人の子供、みたいな構図に社会の縮図を見いだして義侠心を燃やす、みたいなことはないんだけど、ちょっとごちそうしてあげようかなと近づいていったら逃げられてしまった。

 怪しいおじさんじゃないのになあ。


「おや、逃げられてしまいましたね」


 声をかけてきたのはエセ幼女のオラクロンだ。

 南方のデルンジャ王国の陰の支配者である彼女は、古代文明において人類を統治するすごいコンピュータでもあった。

 そんな彼女は当然のように真の平等主義の実現を目指しているようだが、こうして目の前にある格差についてはどう思っているのだろうかと聞いてみると、


「人間による統治としては、うまくいっている方だと思いますよ。もっとも、パーチャターチの慎重な介入のおかげだと言えなくもないのですが」

「そんなに介入してるのか?」

「ええ、それはもう社会の様々な箇所に。例えばそこで運営している冒険者ギルドですが、もともと冒険者などという珍妙な職業を成立させたのも、パーチャターチの尽力が大きいと認識しております」

「そうなのか? まあ確かに、変な職業だよな。魔物退治なら軍隊がいるし、探検家みたいに宝探しメインの連中ならわからんでもないが、こんなブームになるようなもんじゃないだろうからなあ、何でまたこんな商売を流行らせたんだ?」

「これによって人間を土地に束縛することを抑えたり、階級間の流動性をあげたりといった効果が見込めるのですよ。その目的は文明を安定、あるいは停滞させることにあるのですが」

「例の南極幼女の要望との兼ね合いか」

「そうなります。もっともうまくいきだしたのはここ一万年程度のようで、それ以前は放置したり統治したりあれこれ試しては最終的にフォローしきれずに人間自身の選択で自滅する、と言うのを繰り返していたようです」

「気苦労が絶えんな、あの過保護な性格だとなおさらだろう」

「セマンティクスが枯れているのも、そうした心労の故かもしれませんね」

「おまえも友達だろう、たまには行って慰めてやれよ」

「難しいことをおっしゃる、ま、試練が終わればそうした機会もあるでしょう」


 そんなことを話していると、店の奥からバスケットを下げたミラーが出てきて、路地裏に入っていった。

 覗いてみると、さっきの子供たちが群がっている。

 どうやら余り物を施しているらしい。

 オラクロンはそれをみて、


「いまはあれぐらいが妥当なラインと言うことでしょう。いずれはより平等な社会を実現していただけると信じておりますよ」

「俺が?」

「ほかに誰がいるというのです」

「いっぱいいると思うけどなあ」


 気がつけば通りには帰宅途中の学生があふれていた。

 学生寮への帰路にあたるので、商店街にとっては今がかき入れ時だ。

 妙なおっさんが突っ立って邪魔をしても仕方が無いので家に帰ると、さえずり団の面々も帰宅していた。

 しかもエマちゃんも一緒だ。

 俺の婚約者になるらしい酔狂な姪御に声をかけると、実にすがすがしい笑顔で怒り始めた。


「おじさま! 私、怒ってるんですのよ」

「ごめんなさい」

「そういう所です! まったく、婚礼前のおばさまに愚痴が絶えなかったのもわかりますわ」

「人間誰しも完璧じゃいられないさ、俺が頼りないのも、フューエルが怒りんぼなのもしかり。で、なにに怒ってるんだい?」

「何でもありません!」


 そもそも顔は怒ってないので、アレなんだけど、彼女が俺に文句を言うとしたら、フューエルのことか、シルビーのことぐらいかな。


「そういや、シルビーはいま下でトレーニング中だぞ、会っていくかい?」


 ちょっとカマをかけてみると、たちまち顔をしかめる。


「私、今はシルブアーヌのお姉様に会わせる顔がありませんの。今日はさえずり団のみなさまを従者になさった件でお祝いに参上しただけです!」


 エマは啖呵を切って、さえずり団の面々と一緒に裏庭に出て行ってしまった。

 難しいお年頃だなあ。

 ソファに座ってでかいため息をつくと、どこからともなくフューエルがあらわれた。


「あの子も素直じゃありませんね」

「血筋じゃないのか?」

「否定はしませんが」


 そう言ってどかっと隣に座る。


「あの子も気恥ずかしいのですよ」

「ふーん、かわいいところもあるじゃないか」

「そういうことは、本人に言ってあげるのですね」

「覚えとくよ」

「ところで、明日はエマの実家であるリーストラム家の方に挨拶に伺うので、そのつもりで」

「大変そうだな」

「だと思いますよ」


 想像したくもないので、さっさと酒を飲んで忘れることにしたのだった。




 翌日。

 一日中エマの実家で精神力を消耗しつくして帰ってきた。

 フューエルの母親もそうなんだけど、エマの母も昔の少女漫画に出てきそうなパーフェクト貴族マダムって感じで、非常に疲れる。

 まあ、ああいうタイプの方が貴族としては普通らしいので、俺にホイホイついてくる貴族娘の方が異端なのだと言うことは、心に留めておいた方がいい。


 それで、なんか色々打ち合わせたりした気がするんだけど、なにも覚えてない。

 まあたいして困ることもないだろう。

 あちらで軽い晩餐もあったんだけど、全然飲み食いした気がしないので、改めてうちで飲み直すことにする。

 裏庭では我が家の定番ディナーであるバーベキューが今夜も盛大に執り行われていた。

 いつもより魚介類が多いのは、人魚連中ががんばったおかげだろう。

 モリモリ食べて、やっと人心地ついてきた。

 今日でこちらの用事も一段落ついたので、明日からは試練の再会だ。

 全然休んだ気がしないんだけど、まあ仕方あるまい。

 裏庭でバーベキューの火を囲みながら、楽しそうに談笑している新しい従者たちを見ていると、疲れも吹っ飛ぶというものだ。

 どこからともなく聞こえる、カリンバのような素朴な音色は、さえずり団の誰かが演奏しているんだろう。

 幼女軍団がそれに合わせて合唱しているのが聞こえる。

 湖の桟橋では人魚娘たちが水辺に腰を下ろし、下半身を湖に浸したまま酒盛りしている。

 月明かりに照らされて、実に映える。

 そんな様子を眺めていたら、集団から少し離れたところで杖をつき、ぽつりとたたずむ人影が見えた。

 どうやらラーラのようだ。

 ミラーがついているが、お供の牛娘ポイッコの姿がない。

 声をかけてみると、振り返ってはにかみながら、


「あら、ご主人様。いやだわ、ちょっと立って歩く練習をしてたんです」

「うまくいってるかい?」

「地下のリハビリ場というところでは、うまく歩けるんですけど、こういう地面の上は案外難しくて。ピューパーちゃんたちはあんなに上手に走り回ってるのに、私ってば歩くのもへたで」

「あいつらもすぐこけるけどな、ちょっとぐらいは転んだりするのを恐れずにやってみるのもいいもんさ」

「そうなんです、ポイッコなんて過保護だから、すぐ危ない危ないって、リハビリも進まないものだから、ちょっと言いつけて、ほかの皆さんと一緒に食事をして来いって追っ払っちゃいました」

「ははは、まあたまにはいいだろう。ポイッコもつきっきりだと、ほかの連中と打ち解ける暇も無いだろうしな」

「ほんとうに、そうですわね」


 などと言って笑うが、やはり疲れたようで大きく息を吐いて、杖にもたれかかったところで、ミラーが車椅子を運んできた。

 役に立つことにかけては定評のあるミラーだけのことはある、いいタイミングだ。

 せっかくなので抱っこしてやろうと、俺が車椅子に座ってラーラを膝にのせ、しばらく談笑していると、両手に串を持ってガーレイオンがやってきた。


「師匠! これうまく焼けたから食べて」

「おう、うまそうだな、もらおうか」


 とかぶりつく。

 ちょっと塩を振りすぎたのか、いささかしょっぱいが、かわいい弟子が焼いてくれたのかと思うと、とてもうまい。

 たまには師弟らしいコミュニケーションもとっておくか。


「ガーレイオン、しっかり休暇を楽しんだか?」

「休暇? 毎日楽しいよ?」

「そりゃあ何よりだ」

「でも、ナンパはだめだった。神殿にいって、いっぱい話しかけたけど……、師匠はまた従者増えたんだよね? ラーラもそうだっていってた」


 そういって、チラリと俺に抱っこされたラーラをみる。


「そうなんだ、俺もちょっとがんばっちまったな」

「うん、やっぱり師匠すごい」

「しかしなあ、俺がおまえぐらいの年の頃は全然モテなかったからな。そもそも、俺がモテだしたのも最近のことだから、長い下積み時代に耐えてこそだと言えるな。その点おまえはその年でもう従者が一人いるんだし、十分すごいぞ」

「そうかな、うーん、なんだかわかんなくなってきた」

「ナンパ以外はしなかったのか?」

「した! リィコォたちと一緒に、市場とか行って買い食いとかした。お芝居も観た、おもしろかった! あと道場もいった、シルビーと仲良くなった! 剣も強いけど、すごく大人みたい、きょ、きょーよーがある」

「ははは、そうだな。でも、お前も勉強を習ってるんだろう」

「うん、むずかしい。フルンは勉強もできる。エットは僕と同じぐらい」

「そうかそうか、勉強もできると、モテ度があがるぞ。なんと言っても将来性があるからな」

「将来性? 紳士とどっちがモテる?」

「紳士と言っても、それだけで飯が食えるわけじゃないからなあ、ご婦人方は、案外そう言うところは冷静に評価してくるぞ」

「僕がモテないのは将来性がないからかな」

「無いわけじゃないだろうが、未知数だろう」

「そうかな」

「そうさあ、まずもって若いってだけで可能性は無限にあるからな、くじけずにがんばるのが大事だな」


 俺とガーレイオンが益体もない話をしてる間も、ラーラはニコニコしながら黙って話を聞いていた。

 それに気がついたガーレイオンが、急にオドオドして、


「ぼ、僕なんか変なこと言ってた?」

「あら、ごめんなさい。笑ったわけではないの、とても仲が良くて、うらやましく思ってしまって」

「うん、師弟だから仲がいい! フルンとセスや、スィーダとクメトスもそう! でも、ラーラも師匠と仲いい、抱っこしてもらってる」

「子供っぽくて、少し恥ずかしいのですけど」

「そんなことない、僕も抱っこしてもらうの好き」

「あら、じゃあご一緒にどうかしら?」


 そう言って俺の膝の上で少しわきによけるラーラ。

 ガーレイオンは結構重いんだけど、期待のまなざしを向けるガーレイオンに応えてやるのが、師としての務めだろう。

 左右の膝の上に二人を抱っこして、足のしびれと戦いつつ、休暇最後の夜を過ごしたのだった。

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