第503話 さえずる娘たち その五

 屋敷に戻ると、ラジカジ・パパが呆けた顔で椅子に座っていた。

 俺が突然現れたことに気がつくと、慌てて立ち上がりこけかける。


「おお、クリュウ殿! む、娘はどうなりましたか」

「ご安心ください。私どもの方で完全な治療を施します。必ずや元気な姿をお目にかけますよ」

「さ、さようか、しかし……いや、お任せしたのでしたな」

「早ければ明日の夜にも面会できるはずですが、ひとまず当面の問題を解決していきましょう」

「そうでした、これでお家取り潰しとでもなれば、娘に会わす顔がない」

「とはいえ、時間のかかる仕事です。そろそろパーティもはじまるでしょう。どうにかして時間を稼がねば。そもそも例の家宝を希望したのは誰なのです?」

「それは……」


 ラジカジ卿が答えかけたところで、急に執事が入ってきた。


「旦那様、宰相閣下がお見えです。お嬢様のことでことのほかご心配いただいて、可能ならば面会したいと」

「いつもお手間をかける。しかし、娘はここにはおらんのでな、ひとまずお出迎えを」


 そう言ってラジカジ卿は立ち上がるが、今宰相閣下っていわなかった?

 なんか知ってるワードなんだけど、なんだったっけ。

 と一瞬、脳がバグりかけたが、次の瞬間、忘れがたいご婦人が部屋に飛び込んできた。


「ラーラ! ラーラは無事なのですか?」


 高そうなドレスを身にまとったスレンダーボディに腰まである長い黒髪、年齢を感じさせぬ薄化粧に、見慣れた誰かによく似た目元には常人離れした眼力がそなわった素晴らしい美人だ。

 だが、ホストの出迎えも待たずに飛び込んでくるとは、割とそそっかしいようだな。


「これはユーラシウム閣下、ご足労をおかけしております。娘は先ほど治療のために屋敷を出たところでして」

「そうでしたか。それで、彼女の具合……」


 そこまで言いかけて宰相閣下ことエディの姉ちゃんは俺と目が合う。

 仕方がないのでウインクしてみたら、ボンッ、っと風船が割れるような音がしたかと錯覚するぐらい飛び上がって目を見開く。

 喜劇役者みたいなリアクションだな。


「な、な、なぜ紳士様が、こここ、こ、ここにっ!」

「これは閣下、ご無沙汰しております」

「わわわ、罠ですかこれは! 聞いておりませんよ!?」


 慌てて振り返るユーラシウム閣下の後ろには、フューエルの幼なじみで馬車仲間のラーキテルが控えていた。

 一瞬だけ驚いたようだが、平静を保って、丁寧な挨拶をくれる。


「これは紳士様、試練でのご活躍のお噂は都まで届いておりますよ」

「それはお耳汚しで。よき妻、よき従者に恵まれればこそだと、常々感じておりますよ」

「それはなによりでございます。今日はフューエルは?」

「妻は用事がありましてね。今日はキッツ家のエンシューム嬢のエスコートで」

「まあ、そういえば彼女との婚礼を認めてほしいと、あちらから申請がありました。なかなか扱いの難しい問題ですが」

「是非よろしくお願いしたいものです。彼女も私の大事なパートナーですからね」


 などと爽やかに会話する俺たちの横で、目を白黒させているユーラシウムお姉ちゃん。

 気品のある美人が台無しだなあ、俺じゃなきゃ幻滅するレベルだよ。


「ラーキテル、今日はお忍びでのラーラ嬢の見舞いとラジカジ卿の復帰の根回しではなかったのですか!」


 憤る宰相閣下に、涼しい顔で答えるラーキテル。


「赤竜参謀ローミリアス卿からの面会もあると申し上げたはずですが」

「それはエディちゃんがらみのことだと思うでしょう!」

「エンシューム嬢は、参謀殿の妹ですよ、お忘れですか?」

「忘れてなくても言われないとわかりませんよ! だいたいどうして紳士様が、し、紳士様!?」


 俺がいたことを改めて認識したのだろう、またパニクってる。

 多分、職務上の厳格な姿しか知らないであろうラジカジ卿は、俺の裾をつかんで小声で訪ねてきた。


「閣下はいったい、何をおっしゃっているのです? この取り乱し様はいったい……」

「ああ、実は彼女もあなたの娘と同じなのですよ」

「同じ? ……まさか!?」

「そのまさかで、この有様ですよ」


 俺たちがそんなひそひそ話をする間も、自分のブレーンであるラーキテル相手に無様をさらし続けるお姉ちゃん閣下なのだった。




「失礼致しました。とにかく、ラーラ嬢が無事だとわかったので、本来の目的を果たすとしましょう」


 どうにか平常心を取り戻したユーラシウム閣下は、努めて平静を保ちながら、そう切り出す。

 かわいそうなので、こちらもなるべく普通に会話をすることにした。

 最初に口を開いたのはラジカジ卿だ。


「それが閣下、面倒なことになっておりまして。かの槍なのですが……」


 手短な説明を聞いて、眉をひそめる閣下。


「困ったことになりましたね。そもそも、ボールズ家の代々続く王室への忠義を、あの槍でゲストの皆に示すことで、あなたの政界復帰の道筋を残しておこうという考えだったのですが、まさかこんな形で裏目に出るとは」

「私めの不徳の致すところで、面目次第もなく……。現在、紳士殿が手を尽くしてくださっておりますが、何せ時間がありません。もとより相手が悪意を持って盗んだものですから、金や交渉で解決するものでもありませんし」

「けしからぬ話ですが、今はいっても始まりませんね。どうにかして時間を稼ぐか、いっそ話題をそらして、槍のお披露目はなかったことに」

「しかし、なまなかなことでは収まりますまい。もっと皆の耳目を集めるような……」


 そこですまし顔のラーキテルが、こんなことを提案した。


「では、紳士様が閣下をエスコートしてパーティに登場するというのはどうでしょう。これはもう大注目で、皆ほかの話題など忘れてしまいますよ。」

「な、何を言っているのですかあなたはっ!」

「よいアイデアだと思いますが。非公式とはいえ閣下と紳士様の仲をお披露目する場を用意したラジカジ卿の影響力というものもアピールできるでしょう。エンシューム様もご一緒すれば、暗に閣下がキッツ家と友好的であることを示すことができますし」

「それはたしかに、キッツ家の件は以前エディちゃんからも頼まれてたから、でも、そんなことをして紳士様にご迷惑が」


 迷惑がかかると言いつつも、内心ではやってほしいと言わんばかりに上目遣いに訴えるお姉ちゃん。

 あざといんだけど、おねだりは下手だな。

 そういうことをしないまま、大人になってしまったんだろう。

 そんな彼女の願いをかなえてあげるのも、イケメンナンパ男の使命だといえよう。


「むしろ、あなたと噂になるのなら光栄ですよ。なによりエディも喜ぶでしょう」

「そんなことは、その、本気でおっしゃってるんですの?」

「もちろん」


 話が決まったので、急いで準備をする。

 パーティ会場では一時期アルサで噂になった少女楽団が場を盛り上げる中、本日のメインゲストである宰相閣下が登場する。

 長く独身で、パーティの際も供をするのは護衛の女騎士か腹心の女学者ばかりで男っ気のないことで有名な宰相閣下が、男と腕を組んで現れたのだ。

 しかも相手は今をときめく紳士様ときたものだから、たちまち会場はざわつき始める。

 特に地元のものならば、宰相の妹である赤竜姫と紳士が恋仲で試練の後に結婚するのだと知っているはずだ。

 しかも反対側でエスコートされているのが近頃話題の新興貴族キッツ家の若き令嬢だと気づいたものもいるだろう。

 宰相の実家であるウェルディウス家はどちらかと言えば敵対していたはずだが、これはどういうことなのか。

 立ち並ぶ名士やご婦人方は、ダンスや飲食も忘れて、ひたすらこのカップルの話題に虜になったのだった。

 作戦は大成功だといえよう。

 ラーキテル嬢はフューエルとエームシャーラの鬼ごっこの際も暗躍していたようだが、実にやり手だなあ。

 そんなやり手美人に翻弄されるスタイルこそ、桃園の紳士流なのだ。


 パーティは大盛り上がりで中盤にさしかかる。

 宰相閣下も俺のパートナーとして振る舞うことに、たいそう満足しておられるようだ。

 酒とナンパしかやることのない駄目中年なのになあ。

 エンシュームもかつてのおてんばはどこへやら、慎ましやかな令嬢としてパーティを楽しんでいる。

 このまま乗り切れるかと思ったら、見知らぬ中年太りの丸い貴族が突然、宰相閣下にむかって、こんなことを言い出した。


「閣下によきパートナーが現れたことは、明日にも国中に知れ渡ることでしょう。謹んでお喜び申し上げます。ところでよきパートナーと言えば、王室への忠義厚い当家の家宝を今日はお披露目いただけると聞いて、楽しみにしておるのですよ。閣下は件の槍を、ご覧になったことは?」


 などと言い出した。

 おいこらこの野郎、何余計なこと言ってるんだよと心の中で毒づきながらにこやかな笑顔を浮かべていると、隣のお姉ちゃん閣下は、名宰相の噂通り厳しいまなざしで丸い貴族をにらみつける。


「おや、バイラ卿。武勇とはとんと無縁のあなたが、かの名槍に興味をお持ちだとは」


 突然ディスられて鼻白む丸い貴族。


「わ、私とて武門の家に生まれた身、や、槍の一つや二つ」

「それは勇ましいことを、私はペンほどに剣を振れぬ我が身を嘆いておりましたが」

「閣下のペンは剣より強いともっぱらの評判ではありませぬか、それよりも私はお隣の紳士殿の実力を知りたいものですな。噂では凡百の英雄では及ばぬほどの武功を打ち立てたとか。一見すると、とてもそうは思えませぬが」


 お、腹いせに俺をディスるのか、まあ実際俺はへっぽこだけどな。

 この丸いおっさんといい勝負かもしれないが、素人目に自分と互角かなと思う相手は案外格上だったりするので、油断はできない、つかインチキしないとたぶん負けそう。


「無論、クリュウ様の実力は女神に匹敵するほど、我ら地上の人間が及ぶものではありません」

「それはますます興味深い、どうでしょう、一つ手ほどきなどしてはいただけませぬかな」

「まあ、場をわきまえてはどうですか、紳士様に失礼な」

「とはいえ、件の槍をお見せいただけぬのであれば、代わりの余興が必要でありましょう」

「余興などと、紳士様をなんだと……」


 そこでおとなしく控えていたエンシュームが、宰相閣下に耳打ちするようにこんなことを言った。


「よろしいのではありませんか、閣下。クリュウ様の槍は天下無双だと姉も申しておりました。この期に是非、皆様にご覧になっていただいては、未だ私も拝見したことがありませんので」


 いやいや、俺の槍って何だよ、あれか、股間についてる方の槍か?

 それなら確かに、天下に鳴り響く名槍だと言えなくもないが、人様に見せびらかすものじゃ……。

 と動揺しながら周りを見渡すと、少し後ろに控えていたローンがすっと目をそらす。

 くそう、あとで無双の槍の餌食にしてくれるわ。

 その前に俺が丸い貴族にコテンパンにされそうなんだけど。

 身内に味方がいない感じなので、救いの手を求めて、ホストのラジカジ卿を見るとこれまた手を打って喜び、


「それはよい、リンツ卿から貴殿の武勇伝を何度も聞かされておりましてな、今日は特別な日だ、是非とも私も拝見したい」


 などとおっしゃる。

 やばい。

 ここ数日、ナンパがうまくいきすぎだと思ってたんだよ。

 そんないいことばかり続くはずがないんだが、まさかこんな形で逆境が。

 この国は騎士中心の社会なので、酒の席でこうした余興が行われることはさほど珍しくはないとあとから聞いたのだが、だからといって俺を巻き込まんでもいいだろう。

 どうしよう、にげるか?

 どうせ俺の名誉なんてハリボテだし逃げてもそんなに失う物はないぞ。

 などとアレな事を考えてる間に、勝手に勝負が決まってしまい、支度のために俺は別室に引っ張られていった。

 どこからともなく用意された対戦用の軽装鎧をキンザリスに着せてもらいながら、ついてきたローンの言い訳を聞く。


「いったい、どういう了見で君は妹にあんなことを吹き込んだのかね?」

「あの子もメリー殿の薫陶を受けて、少しは騎士風の冗談を解するようになったかと思ったのですが、気のせいでしたね」

「その勘違いが取り返しのつかない悲劇を生むかもしれんのだぞ」

「まあ、どちらも素人ですから、そうそうひどいことにはならないでしょう」

「ばかおめえ、素人同士の方がやべえだろうが」

「それは一理ありますが」


 ここで愚痴っても拉致があかん。

 なんかこう、素晴らしいアイデア、探偵らしいエレガントな解決策を……えーと探偵、探偵と言えば変装だ!


「そうだ、偽物を代理に。だれか都合よく俺に化けて代わりに出るとかないのか、そういう魔法とか、あるんだろ?」


 泣きそうな顔でローンに詰め寄ると、けろりとした顔で、


「ありますよ」

「え、あるの!?」

「ラッフィール。あなたの出番です、お願いできますか」

「了解」


 どこからともなく無機質な声がしたかと思うと、次の瞬間、俺の目の前にのっぺりした人のような物がパッと現れた。

 体格は俺と同じぐらいだろうか、ただ全身が薄いカーキ色でマットな質感のマネキンみたいな人物だ。

 その体表が波打ったかと思うと、たちまち色付いてびっくりするほどの男前になった。

 いや、ちょっと言い過ぎた、これ俺じゃん、裸の俺。


「ははは、待たせたね諸君、一つこの俺の隠された実力という物を皆に披露してあげようじゃないか」


 などとキザったらしい声でくねくねとポーズをつける俺。

 股間の槍がぶらぶらしてるところもなんかむかつく。


「なんだこいつむかつくしゃべりだな、俺はこんなんじゃないだろう」


 目の前にそっくりさんが現れたことに驚くよりも、その態度の方が癪に障ったので反射的に苦情を述べると、ローンがあきれた顔で、


「何をおっしゃるのです、これ以上ないぐらいそっくりではありませんか」

「まじで、俺こんなん?」

「そうですよ」

「聞きにくいんだけど、正直どこがいいんだ、これの」

「どこと言われましても、ねえ」


 ローンが俺の着付けを終えたキンザリスに話を振ると、こちらはすました顔で、


「それはもちろん、槍でしょう」


 などと答えるのだった。

 この場に俺が勝てる相手はいないようなので、これ以上追求することは諦める。


「それで、俺は隠れていればいいのか」


 と訪ねると、ローンが、


「いえ、あなたにはこれから槍奪還のサポートに向かっていただこうかと」

「うまくいってないのか?」

「そのようですね。内なる館で、カリスミュウル様がお待ちです。こちらはお任せください」

「妹をがっかりさせるなよ」

「それはもちろん、では後ほど。あとで入れ替わるので、衣装はそのままでお願いします」


 見送られて内なる館に入ると、再びカリスミュウルがしかめっ面で待ち構えていた。


「随分と都合よく使ってくれるものだな、クリュウよ」

「いやいや、おまえのその一途さが、今の俺には唯一の救いだよ。みんなで俺をいじめるんだ」

「どうせ調子に乗って自ら墓穴を掘っているのであろう」

「よくわかるなあ、見てたのか?」

「見ておらんでもわかるわ、貴様はいつもそうではないか」

「知らなかったよ、悔い改めよう。それで、何がどうなってるんだ?」

「向こうで説明を聞くのだな、さっさと出るぞ、準備はよいか」

「ああ、やってくれ」


 時間もなさそうだし、軽口はあとにしてさっさと行くか。

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