第489話 人魚祭 後編
途中まで響いていた祈りの言葉が、いつのまにかノイズのような騒音にかき消されていた。
さほど広いとはいえない洞窟の中は、今やビカビカと光りまくり、海面は泡立ち、珍妙な機械音がギュインギュイン鳴り響いている。
ガーレイオンは涙目で俺に飛びついてきた。
「師匠、なにこれ、絶対やばいやつ、もう帰ろうよ!」
俺も美少女にしがみついて泣き言を言おうと隣りにいたルーソンちゃんを見るが、ぼんやりと手を組んで海神像を見上げたまま、固まっている。
トランス状態って感じだ。
なにか超常的な力が働いてるのは疑いないんだけど、女神以外の神様って地球のそれと同じで、ただの迷信なんじゃなかったのか?
それとも、他になにか超常現象を引き起こすようなものがあるんだろうか。
そういや、人魚の祠になにかあるって話を前にしたような気もするけど、あれなんだったっけ。
御婦人の話題以外、記憶に残らない体質なので、どうも思い出せん。
「師匠、みんなぼーっとしてる! 酔っ払った師匠みたいに声かけても返事しない、どうしよう」
「まあ落ち着け、こんなものはアレだ、ただの宗教儀式だ、そのうち終わる」
「ほんとに?」
「いや、わからんけど」
「わからんじゃこまる、師匠なんだからなんとかして」
混乱したのか、ガーレイオンは珍しく駄々をこねる。
こういうのもかわいいなあ、などと考える余裕もないほどに、状況はヤバさを増していた。
「いいか、逆に考えるんだ。やばいんじゃない、いいところを見せつけるチャンスだと」
「わ、わかった」
「ピンチはチャンスだ、わかったな」
「うん、ピンチはチャンス、ピンチはチャンス……」
気がつけばグラグラと地面が揺れて、パラパラと砂埃が舞っている。
崩れるんじゃないだろうな。
「師匠、水の底になんかいる!」
ガーレイオンの声に目を凝らして水底を見るが、眩しくてよくわからない。
ポケットからARメガネを取り出してかけると、いい感じに減光されて更に情報も表示される。
海底の更に下に熱源のようなものがあって、それによって空間に微小な歪みが生じていると出ている。
空間の歪みってなんじゃい!
絶対あかんやつやろ、これ。
ってこんな小さな眼鏡で検出できるようなもんなのか?
俺の疑問に答えるものもないままに、さっきまで波打っていた水面は、今や渦潮のようにグルグルとうずまき、水に浸かっていた人魚が、吸い込まれそうになる。
「まずい、ガーレイオン、助けるぞ」
「え、どうやって?」
「そりゃ泳いで引っ張り上げる……ってありゃ無理か」
すでに洗濯機並みに渦巻いており、オリンピック選手でも無理があるレベルだ。
俺が飛び込んで、どうにか近くまで行って内なる館に取り込んで……いや、あれは取り込めない人間も居たから、確実じゃない。
そもそも俺が溺れちまう。
となると、
「クロックロン! いるか!?」
「居ルゾ?」
三体のクロックロンが岩陰から飛び出してきた。
「溺れてる連中を助けられるか?」
「マーヤッテミル」
クロックロンが渦巻く海面に飛び込むが、どう見ても流されている。
「アーレー」
「マワルー」
「アババババ」
ダメじゃん!
内なる館から追加で助っ人を、と思ったら、何かの拍子に正気に戻ったルーソンちゃんがパニックになってしがみついてきた。
「な、な、なんですかこれ、紳士様がなんかやったんですか!?」
「わからん」
「わからんって、紳士様でしょ、どうにかして!」
くそう、みんな紳士を何だと思ってるんだ。
とにかく溺れた人を助けないと。
改めて内なる館に入ろうとしたら、地面が激しく揺れ、まだ正気に戻ってなかった少女人魚の二人が海に落っこちた。
「あっ!」
と叫んで反射的に飛び込むガーレイオン。
紳士にふさわしい英雄的行為だが、あいつちゃんと泳げるんだろうな。
「あば、あばば、これ泳ぐの無理、助けて師匠!」
ダメじゃん!
泳げないわけではないようだが、水流がすごすぎて、流されるままになっている。
とにかく、クロックロンの人海戦術でいくしかないと、三度目の正直とばかりに内なる館に入ろうとしたら、ルーソンちゃんが再びしがみついてきた。
ルーソンちゃんだけじゃなくギャル人魚のマレーソンちゃんまで一緒になってしがみついてくる。
パニックになるのはわかるし、正直ちょっと嬉しいが、邪魔をされると助けられるものも助けられんぞと、振り払おうとした瞬間、おぞましい恐怖に体が硬直する。
さほど広くはない洞窟のいたるところに、人の頭ほどの黒い塊がいくつも生えていた。
(ミツケタ)
声にならない声が頭の中に響き、周りで正気に戻っていた連中も、再び発狂したかのような金切り声を上げて卒倒してしまう。
無理もない。
数え切れないほどの黒い塊が、深く淀んだ赤い目玉でこちらを見ているのだ。
このアヌマールってやつは、普通の人間ならそばに居ただけでショックでぶっ倒れてしまう、存在自体がやばいやつなので致し方あるまい。
そして相手がアヌマールとなるとクロックロンじゃ手に負えない可能性が高い。
女神級のパワーを持った従者じゃないと。
とここまで一瞬で考えて、
「パルクール!」
俺が叫ぶと、いつものように鼻から、ではなく、水面の渦の中心からにゅーっと風船のように膨らみながら飛び出してきた。
たちまち俺たちを押しつぶすほどに膨らんだかと思うと、俺たちもアヌマールらしき黒い頭もまとめて包み込んでいく。
「大漁ーっ」
洞窟中に響くパルクールの声に、俺は魚じゃねえ、と突っ込みながら、意識を失ってしまったのだった。
モヤモヤとした白いもやの真ん中で、俺は目を覚ます。
これはアレか、いつものやつか。
だが、違いがあるとすれば、俺は両脇にルーソンとマレーソンの人魚ちゃん二人を抱えていたのだった。
「うう……ん、あれ、私、どうして……」
「やあ、ルーソンちゃん。どこか怪我はないかい?」
「あれ、紳士様、なんで、ここ……なに?」
「ここは紳士の力で生み出された、不思議な世界さ」
「不思議なって、なにかもやもやして、水の中みたいにふわふわして、え、なにこれ……」
「まあ、ちょっと落ち着いて。マレーソンちゃんも起こそう」
体を揺すってやると、ギャル人魚のマレーソンちゃんも目を覚ます。
「あれ、ルーソン、紳士様も……なにしてんの?」
「なあに、ちょっとした余興さ」
「んー、あれ、そういえばさっきなんかチョーやばそうなのなかった? ビビってよくみてなかったけど」
そういえば、とルーソンちゃんもキョロキョロを周りを見回すが、もちろんここにはヤバそうなものは何もない。
「まあ、今のところは大丈夫さ。それよりも、ガーレイオンは無事かな?」
あいつは相当強いんだけど、いかんせんまだ子供だからな。
だが、見える範囲はモヤばかりで誰も居ないようだ。
パルクールを呼んで見るが、姿を見せない。
うーん、そもそもこの状況は何だ?
なんかよくわからんが、ただの漁民の神事じゃなかったのか?
アヌマールみたいなアレなものが出てくる余地があっただろうか。
あの海中でピカピカ光ってたやつが原因なのかなあ。
なんか人魚村にあるって話をしてた記憶がぼんやりとあるんだけど、うーん、このところ人魚のことで頭がいっぱいだったからなあ。
しかも今、俺の両腕はピチピチ人魚を抱きしめていて、難しいことを考えられる状態ではない。
どうしよう。
「あの、紳士様、大丈夫ですか? なにか苦悶した表情で……どこか悪いんじゃ」
「なあに、この変な状況でどうやって君たち二人にかっこいいところを見せようか、悩んでたのさ」
「そういう冗談を言ってる場合じゃないと思うんですけど!」
「冗談じゃないさ、男なんていつも、どうやったら女の子にもてるかしか考えてないんだよ」
「あれだけ従者が居て、これ以上何が必要なんですか」
「ははは、従者が何人いようと、まだ君たちが居ないじゃないか」
「そういう歯の浮くようなセリフをどうして真顔で言えるんですか! 聞いてるこっちが恥ずかしいのでやめてください」
「そうは言われても、俺はこれが普通だからなあ」
などとイチャイチャするうちに、モヤが晴れてきた。
周りは夜の深い海で、俺たちは少し上空に浮かんでいる。
「うわ、なにこれ、マジちょっやばじゃん、なんで浮いてんの?」
マレーソンちゃんの言葉ももっともで、なんで浮いてるんだろうな。
むろん、他にも色々突っ込みどころは山ほどあるんだけど、俺も紳士ぐらしが長いので、そういうどうでもいいことはスルーするのだ。
「あれ、船じゃないですか? あの旗は白キハの大漁旗ですよ!」
ルーソンちゃんが指さした先には、夜の波間を漂う一隻の船が見えた。
「あれ、ハイリル号じゃん、ルーソンのおやっさん乗ってるんじゃね?」
「え、ほんとだ。でも、なんか違うよね、塗装とか」
「そうかも……子供の頃の?」
「うん、あれって改修前の、え、どういうこと?」
「あ、誰か出てきた」
「うそ、あれ……お父さんだ」
「でもなんか若くね?」
「うん、毛がある」
「あはは、今ツルツルだもんね」
「別にいいじゃない! 何やってんのかな」
「なんか大声出してるけど、なに言ってんだろ、ちょっとベロベロに酔っ払ってね?」
「波音がうるさくて、あ、なんか離れてく。ちょっと紳士様、もうちょっと船に近づけないんですか?」
この二人、よくこの状況で平気だなあ、と思いながらも、
「無理じゃないかなあ、こうやって流されるがままになるのが、大人ってもんなんだよ」
「かっこいいとこ見せるんじゃなかったんですか!」
「ははは、口先ばかりで行動が伴わない自分を臆面もなくさらけ出せるのが、大人のかっこよさなのさ」
「そういうしょうもないのはいいので! お父さんが気になるでしょ!」
「だけどな、あれは多分、過去のお父さんだよ。今見てるのは、すでにあったことで、君が気にしてもなにも変わらないのさ」
「過去ってどういう……、でも……」
俺たちの体は、ふわふわと天に登り、漁船の姿も小さくなっていく。
だがその時、急にルーソンちゃんが声を上げる。
「あっ!」
つられてマレーソンちゃんも、
「うそ、いま海に落ちなかった? 浮いてこないけど、やばくね?」
「お、おちた、お父さん! ちょっと紳士様、戻って助けて! ねえってば!」
「助けてって言われても、こう体の自由が……、おーい、パルクール、いいかげん出てきてくれ」
「よーんーだー?」
突然空から鈍い声がしたかと思うと、夜の雲の隙間から、巨大なパルクールがこちらを見下ろしていた。
「キャー、ななな、なにあれ!?」
人魚二人も驚いているが、俺だってこういうのは心臓に悪い。
まあ、それでも慣れてるので、極力平静を保って、パルクールに頼む。
「今落ちた人魚を助けられんか?」
「うーん、どーかなー」
「悩んでる場合か」
「干渉する分のー、担保がー」
「担保って?」
「お米を植えるー」
「そりゃ田んぼだろう」
「冗談言ってる場合かー」
「おまえなあ」
俺の教育が悪かったのか、パルクールとの会話はとても疲れる。
だれか、代わってくれ。
「では、私の出番ですわね」
突然ルーソンちゃんの声が、別のものに変わる。
聞き慣れた生意気幼女女神ストームの声だ。
「え、なに今、私の口が勝手に」
「パワーを無駄遣いしたくないので、体をお借りしてますわ」
「なに、これ、え、どういうこと?」
「ちょっとお静かに、もっとも、先程から吹き荒れる嵐で、声など聞こえないでしょうけど」
「嵐? なにが……きゃぁっ!!」
たちまち吹き荒れる暴風雨。
まるで一晩中続いていたかのようなすさまじい嵐が突然沸き起こった。
「ほら、ご覧なさいな。逆巻く波が、竜巻のように海水をねじりあげて、まるで荒れ狂うタコの足のようですわね」
「か、海神様!?」
無数の竜巻が海面にそびえ立つすがたは、たしかにタコの足が踊っているようにもみえなくもないけど、ちょっと無理がないかな。
それよりも、親父さんはどうなったんだ?
目を凝らすと、波にもみくちゃにされる漁船の上に打ち上げられていた。
「おい、ストーム、助かったみたいだ、もういいぞ」
「そうは仰っても、私は暴風ですから、雨風を起こすばかり。嵐を鎮めたければ、それにふさわしい者をお呼びなさい」
「お呼びなさいって、誰を!」
そもそも嵐を鎮めるってなんだ?
嵐の反対は、凪か。
「うふふ、やっと呼んでいただけましたね」
凪という単語が頭に浮かぶと同時に、今度はマレーソンちゃんの口から、別の声が聞こえてきた。
「私は
次の瞬間、カッっと光が差したかと思うと、たちまち嵐はさり、見渡すかぎりどこまでも穏やかな真昼の海が広がっていた。
「嵐は去ったのか? あれ、船は?」
さっきまで荒波にもみくちゃにされてた漁船の姿は見えない。
「もう、ありませんよ」
ギャル人魚マレーソンの口から、セプテンバーグの声がする。
いや、もうセプテンバーグじゃなくて、
「いかにも、私はカーム。やっと名前をいただけましたね」
「そういえば、お前には名前を贈ってなかったっけ」
「ええ、待ちくたびれましたよ」
「カームか、ストームと双子っぽくていい名前だな」
「そういうことにしておきましょうか」
「それはそれとして、突然過ぎない?」
「よくあることですよ」
「そうなのか。それにしても、さっきの船は大丈夫なのか?」
「あれは元々、大丈夫だったのですよ。でなければ、そちらのお嬢さんも父親の顔を知らずに育っていたことでしょう」
「じゃあ、助ける必要はなかったってこと?」
「そうではありません。元々助けられることになっていたから、助かっていたのです」
「それじゃあ……」
「確定した過去を修正することは、できないのですよ」
「うん……」
「ですけど、一度過去となってしまえば、その存在は不滅なのです。それを守ることこそが……」
一瞬、両親の顔が脳裏をかすめるが、それはすぐにマレーソンちゃんの声にかき消される。
「ちょ、いつまで私の口って勝手に喋ってんの! ヤバいっしょ、何なのコレ、マジなんなの!?」
「あら、ごめん遊ばせ。そろそろ戻りましょうか。船も回収しないと」
セプテンバーグあらため、カームとなった生意気幼女女神の片割れがそう言うと同時に、世界が暗転し、俺たちは元の洞窟に戻っていた。
よくわからん状況が続くが、凪というには忙しないな。
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