第484話 お見舞い 後編
人魚と蛇女の飲み比べというなかなか見ごたえのある光景をアテに、隣の人魚ちゃんと飲みすすめる。
「ははは、あのペースじゃ、流石にちょっと飲めないし、こっちはゆっくりやろうか」
「はぁ」
「それにしてもうまいな、このきびなご」
「昨日、船が戻ったんで、今朝出してもらったんです。この時期は沿岸でとれるんですけど、今日のは特に活きが良かったみたい」
「たしかにうまい」
わさびをたっぷり溶かした醤油につけて頬張ると、独特の風味が口いっぱいに広がる。
関西人はあんまり食わない気がするけど、会社の近くに九州出身の人がやってる居酒屋があって、旬の時期にはいつも食ってたんだよな。
最初はイカナゴのことかと思って頼んだら、刺し身で出てきたので驚いたのもいい思い出だ。
「このタレ、初めて食べましたけど、刺し身にあいますね」
俺に習って食べたルーソンちゃんも、満足そうだ。
「醤油のことかい? 大豆って豆を発酵させて作ったもんでね、魔界の名産さ」
「見た目は魚醤に似てるけど、匂いに癖がなくてキリッと辛くて、魔界ってこんなのもあるんだ。この緑のスパイスもいい感じ。紳士様って魔界でも街を救ったって新聞に乗ってましたけど、ほんとにいったことあるんですか?」
「ああ、あっちにもアクの強いガールフレンドがいてね、たまに遊びに行くのさ」
「全然、印象と噂とが違うんですけど、もうちょっとギャップを埋める努力をしたら評価も変わるんじゃ、新聞にも色々書かれてますけど……」
「そうはいうけどね、世間の評価じゃ、俺は救世主扱いだぞ。出会ってそうそう、われは救世主である、みたいなこと言ってふんぞり返ってたらどう思うよ」
「もっと謙虚にするって方法もあるでしょう。コーレルペイト様が先日、港でお説教をされてた時にみんなで聞きに行ったんですけど、女神様みたいにありがたい人でしたよ?」
「でもあのオッサン、朴念仁みたいな顔してめっちゃ美人を侍らせてるじゃん、あれは俺の同類じゃないかなあと思うんだけど、君から見てどう思う?」
「えー、ぜんぜん違うと思うんですけど」
お互いにアルコールが回ってきたのか、少し会話が打ち解けてきた気もする。
一方、年少の人魚二人は、少し離れたところでフルンたちと山盛りのケーキを食べていた。
まだお酒よりお菓子なお年頃か。
「あっちも良いものをごちそうになっちゃってるみたいで、ほんとなんて言っていいか」
ルーソンちゃんは、まだ恐縮してるな。
その割には結構口が悪いけど、そこがかえって魅力的なのはうちの奥さんとかで実証済みなので、もっと飲まそう。
「魔界といえば、魔界のお酒も最近、仕入れるようになってね。米の酒だが、飲んでみるかい。刺し身によく合う」
「お米のお酒って、甘いやつですよね? くどくて薄めても微妙な気が……」
「ああ、そういうのとは違ってね、もう少し繊細で、キリッと辛いのもあるんだ」
傍に控えたバーテンダー・スタイルのミラーに注文して、ストックしている中から、淡麗辛口なものをチョイスして、更に少し冷やしてだす。
「あ、すごくいい匂い……、うわ、冷たい、それに……こんなお酒もあるんだ。これほんとにお米なんですか? ちょっと果物の、桃みたいな匂いもする」
「いいだろう」
「はい、これ絶対お刺身にも合う。うちの宿でも出したいなあ。でもお高そう……」
「魔界から担いで運んできてるからねえ。現地で買い付けたらエールより少し高いぐらいで庶民でも手の出る値段だが、現状だと十倍ぐらいになっちゃうなあ」
「うわ、それじゃあちょっと店には出せないですね」
「だろうね」
「でもおいしい、うーん、いいなあ、これ」
どんどんペースの上がるルーソンちゃん。
俺も頑張って飲んでるつもりだけど、完全に負けてる。
隣で飲んでるフェルパテットとマレーソン嬢も文字通りウワバミで、もしかしてこの子たちをナンパしてしまうと俺の肝臓がまずいのではとちょっと不安になってきたんだけど、今更後には引けないのだ。
「刺し身に合うといえば、いいワインもあるんだ」
「ワイン? 商船なんかの船乗りが飲むやつですよね、渋くて酸っぱくてあんまり得意じゃないんですけど」
「ははは、こいつを飲めばガラッと印象がかわるさ」
刺し身に合いそうな程よく辛口な白を用意させる。
あえてあまり熟成させてないものだ。
ワインの苦手な人に、オールドヴィンテージなのをすすめても飲みづらいしな。
「このグラス、すっごいうすい。それにワインも色が薄くて、見たことないお酒ばっかり」
「まずはこうやって匂いをかいでみるといいよ」
「は、はい。うわ、え、これ、お酒の匂いなの? ブドウって言うよりも杏とかマンゴーとか、え、なんだろこれ」
「不思議なもんだろう。元はブドウなのに、こんなにいろんな匂いが混じってるんだ」
「の、飲んでみます……」
そう言って恐る恐る口に含む。
ワンテンポおいて、ルーソンちゃんは目を見開いて叫ぶ。
「んまっ!」
思わず大声が出て慌てて自分の口を塞ぐが、苦笑しつつも更に飲みすすめる。
「え、これほんとにワイン? 最初はちみつみたいで、その後キュって口の中がしまるような感じがあって、でも喉にすっと抜けていって、えー、なにこれ、今まで飲んでたのはなんだったの!?」
感動するルーソンちゃんのグラスに高いワインをどんどん注ぐ。
金の力も男の魅力の一部だといえよう。
俺は大抵のことはなあなあでいい加減に済ませてしまうが、ナンパのときだけは出し惜しみしないのだ。
「はぁ、おいしい。おいしすぎる。お金持ちの人ってこんなの飲んでるんだ……」
そういって少し座った目で俺をじろりと睨む。
「し、紳士様、こんな高級なお酒をガバガバ飲ませて、わ、私を手籠にしようとかおもってるんでしょう、顔にかいてありましゅよ」
ちょっと呂律が回らなくなってきたな。
「ははは、俺がそんな邪な理由で御婦人に酒を勧める男に見えるかい?」
「みえます」
「実はそうなんだ、もっと飲むかい」
「うぐぐ、そんな、ふ、ふしだらなおしゃけなんて……」
「まあいいじゃないか、ただ酒よりうまいものはない。こっちはデザートワインっていってね、すごく甘いし、すごく高いぞ」
「むぐぐ、いただきましゅ、ぐびぐび……うま、うまぁ……なにこれぇ、うまいよぉ、うぇーん」
途中から泣きながら酒を飲んでいる。
そんなにうまいかあ。
そういや俺もサラリーマンになりたての頃に、奮発して飲んだクソ高い酒に感動したなあ。
今じゃすっかり贅沢になってああいう気持ちを忘れてたけど、世の中にはそういう高級なものを一度も口にすることなく過ごす人だっているんだよな。
紳士様ともあろうものが、そういう格差に無自覚なままでいいのだろうか。
ルーソンちゃんの望む紳士はそんなことはしないんじゃないだろうか。
などと酔った頭でぐるぐる考えるうちに、俺も酔いつぶれていたようだ。
酔いが覚める怪しい注射でミラーに起こされる。
眠っていたのはほんの半時で、気がつけば隣ではルーソンちゃんがよだれを垂らしてテーブルに突っ伏しているし、ギャル人魚とフェルパテットは肩を組んで仲良く酔いつぶれている。
完全に飲み負けたなあ。
残る二人の少女人魚は、心配そうにこちらの様子をうかがっていた。
もうちょっと酔いつぶれていたかったが、後始末はホストの役目だよな。
気を利かせて起こしてくれたミラーに感謝しつつ、少女人魚に声をかける。
「すまないね、君たち。あっちのお姉ちゃんたちはちょっと飲みすぎたようだ」
というと、黒髪の方があわてて首を振る。
「こ、こちらこそすみません。ふたりともいっつも飲みすぎて」
「それよりも、お菓子は美味しかったかい?」
「すっごくおいしかったです、見たこともないお菓子ばっかり……」
「ほんとマジヤバ、ヤバヤバやばっち」
こちらはギャル少女人魚だ。
「気に入ってくれてよかったよ。それよりも、少し遅くなったんじゃないか? もう日が暮れてるだろう」
「あ、ほんとだ。どうしよう、私たちは泳いでも帰れるけど」
「あの二人じゃ、浮くだけでも難しそうだし、こちらで船を用意しよう」
「ありがとうございます、お見舞いに来たのに、逆に迷惑までかけちゃって」
「そんなことないさ、おじさんも楽しくお酒が飲めたしね」
酔いつぶれた二人はミラーに担がせ、残りの少女にはたっぷりと土産をもたせて、うちの飛行機で送り届けた。
飲んでるときは楽しかったけど、終わってみると戦果はいまいちだったかもしれないなあ、と思っていたら、どこからともなく現れたエセ幼女ママのオラクロンが、温かいおしぼりを差し出す。
顔を拭いてさっぱりしたところで、オラクロンがこんなことをいった。
「酔い潰して手篭めにする作戦は失敗でしたね」
「俺のような小心者には向いてない戦法だったな」
たぶん、ローンぐらいグダグダな関係にならないと通用しない作戦だったといえよう。
ルーソンちゃんは委員長タイプとでもいうか、真面目キャラだったので、将来的にはローンと同じ戦術が有効かもしれないが。
「黒髪の娘の方は、途中からは覚悟して飲んでいたのでは?」
「若気の至りってもんだろう。それよりも俺だって女の子の理想を体現する努力ぐらいは、してみたいお年頃なのさ」
「あの娘は、紳士にわかりやすいシンボルを求めていましたね。社会に対して思うところがあるのでしょうか」
「たんにちょっと真面目なだけじゃないかな。それにこの国は良い社会だと思うけどなあ」
「そうでしょうか、旨い酒に泣くほど感動するような庶民と、それを水のように振る舞える貴族との格差は埋めがたいものです」
「まあ、そういう格差は是正されるべきかもしれんが」
「では、御主人様ならどのように?」
「うーん、経済を活性化して庶民の暮らしを底上げしつつ、金持ちからは削る、みたいな?」
「相対的な格差の是正が目的ならばそれも良いでしょうが」
「うん」
「そもそも、今の貴族の暮らしは十分であるか、という絶対的な視点で考えるとどうでしょう?」
「うーん、うちは特別だからなあ。フューエルの実家とかを見るに、もっと科学技術の恩恵を受けた暮らしを望みたいよな。シャワーやエアコンのない暮らしにはもう戻りたくないし」
「そのとおりです。別の言い方をすれば、今の平均的貴族、すなわちこの世界での上流社会の暮らしは、十万年前の平均的な庶民の暮らしと比較して、相当劣るのですよ」
「ははぁ」
「ですから、私としては、いえ、ノードとしての私は、先程のお客人のようなあまり裕福ではない漁師の娘でも、今の貴族より快適な日常を送れる社会を実現したい、と考えているのです」
「なかなか理想が高いな」
「それはもう、御主人様に仕える身としては、それぐらいのことはしてみせねば釣り合わぬでしょう」
「めちゃくちゃ理想が高いな」
「おかげさまで」
そういや、オラクロンはこの星の文明レベルを底上げするのが目的だったな。
純粋にパートナーを求めていたスポックロンと違い、目的達成のために俺にオンブしたいという気持ちのあらわれが、この幼女体型なのだろうか。
結局、さっきの人魚ちゃん同様、みんなして俺みたいなうだつの上がらないおじさんに高望みしてるわけだ。
やっぱり、酔いつぶれてればよかったぜ。
というわけで、改めて飲み直すことにしたのだった。
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