第481話 風邪

 風邪を引いた。

 初夏の暖かさを感じる季節とは言え、酔っ払って服を着たまま海に飛び込んだのがよろしくなかったようだ。

 ちょっと熱と鼻水が出るぐらいで軽症なので、ハイテク治療ですぐに治るかと思ったのだが、免疫系に異常が出るかもしれないので、これぐらいなら自然に治したほうがよいとか。

 ナノマシンとかで体の仕組みが強化されてると、また違った治療法もあるそうなんだけど、結局、栄養剤みたいなのを飲んで寝るだけだ。

 せっかくなので朝からゴロゴロしていると、嫁や従者が入れ替わり立ち替わり様子を見に来てくれて、愛されてるなあ、ぼかぁしあわせだなあ、などと涙もろくなってしまうのは、風邪のせいばかりではないだろう。

 ひとしきり、お見舞いの相手をし終えたかと思ったら、最後にストームとセプテンバーグの双子幼女がやってきた。

 この二人が来ると、どうもろくなことが起きない気がするんだけど、かわいい従者相手に警戒するようなチキン野郎ではないので、暖かく迎え入れる。


「さすがは御主人様、いつも腹が座ってらっしゃることで」

「感服いたします」


 そう言って小さなプレートを手渡す。

 みると、ピンクの押し花だった。


「これは?」


 と尋ねるとストームが、


「撫子の花ですよ。そこに咲いていたので摘んできたのですわ。エネアルが好きだったでしょう」

「そうだっけ」

「アジャールにはこの花が咲き乱れていました。弔いの花といえば、我々の間ではこれなんですのよ」

「誰か死んだのか?」

「そりゃあもう、たっぷりと」

「物騒だなあ」

「さあ、まずはおやすみなさい」


 そういって俺のおでこをツンと突くと、急に体の力が抜けてきた。

 薄れゆく意識の中で、二人の生意気な幼女が手を振っている。


「それでは、ご武運を」

「またかい!」

「そろそろフォローしなくても、ご自分で飛んでいただかないと……」


 最後の方は何を言ってるのかわからなかったが、風邪で苦しんでるというのに、ひどい幼女もあったもんだ。

 だが幼女に八つ当たりしても始まるまい。

 なるようになるさ、と開き直った瞬間、どさっと尻餅をついた。




 抜けるような青空、見渡す限りの緑の草原、遠くには果てしなく広がる大海原。

 これ前に来たアレじゃん、判子ちゃんがいた、過去のペレラール星的なやつ。

 だが、場所が違うのか、周りにはあの時見た変な建物やテーブルセットなどはなく、なにもない草原が広がるだけだった。

 いやこれ、まじで何もないな。

 こんなところで取り残されたら、おかしくなっちまうなあ。

 そもそも、俺は風邪引いてるんだぞ、と思ったが、気がつけば風邪は治ってるようだ。

 体は健やかで、気分も大変よろしい。

 あとはかわいこちゃんでもいれば、世は並べて事もなし、といったところだが、実際には事件どころかなにもない。

 そもそも、今はどれぐらい過去で、ここはどこらへんで、俺は何をしに来たんだろうなあ。

 しょうがない、昼寝でもするか。

 俺は動じない男だからな。


 どうも熟睡していたようで、次に目覚めたときには日が暮れていた。

 満天の星空が、眩しいぐらいだ。

 空いっぱいに、色鮮やかな天の川がみえる。

 天の川というか、拡大した星雲というか、なかなかカラフルだ。

 俺が住んでる時代のペレラールでは、こんなものは見えないので、何億年といった単位で、時代が違うのだろうか。

 それにしても、実に素晴らしい景色だ。

 この夜空を拝んだだけで、こんな訳のわからんところまで飛ばされたかいがあるってもんだ。

 それはそれとして、はらへったな。

 なにかないかとポケットをまさぐると、さっきストームにもらった押し花が出てきた。

 こいつがなにか重要アイテムで、これを使うとイベントが発生するんじゃないのかなあ、としばらくいじくり倒していたが、特になにが起きるというわけでもなく、時間ばかりが過ぎていく。

 まあ、なにも起きないなら仕方あるまい。

 このまま、この素晴らしい星空でも眺めていよう。


 ぐるぐると渦を巻きながら変化する星空を眺めるうちに、何万回も昼と夜を迎えた気がするんだけど、ボーッとしていたのでよくわからない。

 無我の境地というやつに至ってしまったのではなかろうか。

 星雲は何万年もかけて、星空のある一点に吸い込まれていったようだ。

 気がつけば、空には煌めく星しか見えなくなっていた。

 あるいは、最初から星雲なんて見えてなかった気もする。

 そろそろ飽きたなと思って体を起こすと、俺が寝ていた箇所をのいて、緑の草原はすっかり水没していた。

 下を覗くと、直径三メートル高さ三十メートルほどの土の柱が海のど真ん中にぽつんと生えているのだ。

 なんだこりゃ、と思った瞬間、足元が崩れて、土塊と一緒に海に落下する。

 ガボガボと溺れながら海中でもがくと、思ったより苦しくないし、夜の海中なのに、周りの景色がよく見える。

 色鮮やかな変な魚やサンゴの描き出す鮮やかな世界だ。

 そんな景色の中を、イルカのようにスイスイ泳ぐと、視界の端に不自然に光るものを捉えた。

 ちょっとスリムなラグビーボールといった形状で、大きさは三メートルほど、銀色でピカピカのなにかだ。

 見るからに重そうなんだけど、端っこに手をかけると、軽々と持ち上がった。

 俺がすごい力持ちになったのかもしれない。

 なんせ水中で呼吸してるしな。

 俺の体はどうなってしまったんだと不安にならなくもないが、こんな状況でもなんとなく受け入れてしまっている自分のメンタルの方に不安を感じたほうがいいのかもしれない。

 気にしても仕方がないので、巨大ラグビーボールを掴んだまま浮上する。

 いつの間にか海の上は昼になっていた。

 ラグビーボールは手を離しても浮かんでいる。

 一方俺の方は油断すると沈んでしまうので、とりあえずこのラグビーボールによじ登ろうとつるつる滑るボディに悪戦苦闘していたら、何かの拍子にパカッとラグビーボールが割れて、蓋が開いた。

 中にはラグジュアリなシートが一つ設置されている。

 これ幸いと乗り込んで椅子に横たわると、やっとひとごこちついた。

 まったく、次から次へとひどい目に合わせてくれるなあ。

 せめて酒でもあれば気を紛らわす事ができるのになあ。

 それにしてもこのシート、めちゃ快適だな。

 いつの間にか体も乾いてるし。

 海水につかっていた割にはべとつきもないな。

 しょうがないので、もう一眠りしようかな。


 波に揺られてウトウトしていると、何かの気配を感じて目が覚める。

 みると、目の前に白い全身タイツの幼女が立っていた。


「よう、カラムじゃねえか、何番だい?」

「……長くマスクがかかっていた領域が晴れたので確認に来てみれば、貴様はだれだ? まちがって放出された雛形……にしては平凡すぎる。それにこの船はシーサ系列の時空船のようだが、漂着者か? 協定違反ではないのか」

「質問に質問で返すのは感心しないが、俺はクリュウ、駆け出しの放浪者ってやつだ。この船はさっき海底で拾ったんだ」

「放浪者……ふむ、理解した、そういう仕組みか。ネアルもくだらぬことを。それで貴様は私を迎えに来たのか? だがまだ、その時ではあるまい。ペレラールの再生は四十パーセントといったところだ、他のカラムもまだ目覚めてはいない」

「そりゃあ、残念だ。最初のカラムってことは、お前はカラム1か?」

「いかにも、私を知っているのか?」

「まあね、もうちょっと小生意気な印象だったが、かわいい顔は変わってないな」


 かわいいといわれて、嫌そうな顔をするところも、かわってなさそうだ。


「ふん。そうか、未来で会うのだな。放浪者にこの時空の因果律は影響しないと聞く。あるいは別のブランチなのか。この領域でマージの痕跡を確認しているが、これも貴様の仕業か?」

「さあ、細かいことはわからんが……今は俺がいた時代からどれぐらい過去なんだろう」

「貴様の体からは、何も解析できない。事象の連続性が破綻している、放浪者とはそういうものか……、いや、貴様にとってこの時代は過去の虚像というわけか」

「お前たちはこの星を再生してるんだろう。今どれぐらい経ったんだ?」

「ざっと二千万年といったところか」

「じゃあ俺がいたのは、一億八千万年後ってことだな」

「なるほど、まだ随分と先だな。それまでは引き続き、この退屈で平穏な作業を続けるとしよう」

「お前の頑張りは報われるさ、たぶんね」

「ふん、ますます退屈なことだな。用が済んだら去るが良い」

「その用事がなにか、わからないんだ」

「頼りないやつだな。では、それを渡せ」

「うん、この押し花か?」


 ストームに渡された押し花のプレートを手渡すと、カラム1は懐かしそうにそれを手に取る。


「これを封じて、この船は埋めておこう。未来で回収するといい」

「じゃあ、こいつが俺の目的だったか」

「であろう、この船のビーコンは、未来を指している」


 こんな訳のわからんものに、覚えはないんだけど……、あ、いや、もしかして本屋の異邦人ネトックが探してたやつってこれかな。

 なんでこんな大昔にあるんだ?


「時間場が励起している、さっさといけ。貴様の記憶はロックしておく。時が来れば改めて迎えに来るがいい」

「そうするよ。いい子にして待ってろよ」


 そう答えた瞬間、視界がブラックアウトする。

 最後に目が合ったカラム1の顔が、どんな表情だったのか思い出せないまま、次に気がつくと元のベッドの上だった。


「おや、今回はかなり正確に戻ってきましたね。誤差0.12秒ですよ」


 戻ってそうそう、セプテンバーグがそういって俺の頭を撫でる。

 隣のストームも満足そうにうなずくと、


「風邪も治ったようですわね。歪みが取れたんでしょう」

「そりゃあいいんだが、カラム1は今どこにいるんだ?」

「迎えに行きたいのはやまやまでしょうが、あの子は今、月の裏側に居ますわ。時が来るまで、お待ちなさい」

「待つのはいいが、待たせるのはちょっとなあ」

「男はいつも待たせるものですわ」

「そんなもんかね」

「ええ」

「それで、なんで月の裏側なんだ?」

「無論、来る日に備えて、準備中ですのよ」

「来る日?」

「そうです。ほら、風邪が治ったなら、さっさと床払いするべきです」


 そう言ってベッドから追い出された。

 うちの幼女は手厳しいな。

 しょうがない、まずは俺が寝込んで心配してるであろう、うちの連中を安心させに行くか。

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