第478話 シーナの街

「活気のある街ですね。アルサからさほど離れていないのに、潮の香りも随分と違うものです」


 そう言って物珍しそうにシーナの市場を覗いているのは、ノッポのドラマー・ペルンジャだ。

 彼女に太鼓を教わっているピューパーが無理やり引っ張ってきたのだが、よく面倒を見てくれているようだ。

 一般的にある程度以上の身分の貴族は、たとえ自分の子であっても自分で面倒を見たりはしないので、こういうところにも彼女の生い立ちの特殊性が見て取れるような気はする。

 あるいは故郷で色々あったばかりなので、ピューパーの天真爛漫さに救われるところもあるのかもしれない。

 よくわからんが、とりあえず今は楽しそうだ。


「この櫛はヘルメが持っていました。ここの物なのでしょうか?」


 そう言って手にした櫛は、半月系のつげ櫛のようなやつで、細かい装飾がおしゃれだ。

 ペルンジャは櫛を手に取り、懐かしそうに眺めながら、ポツリと呟く。


「ヘルメたちは、元気にしているでしょうか。本当はすぐにでも会いに行きたいのですが」

「一度、時間を作って一緒にアルサに戻ってもかまわんが、どうする?」


 と答えると、ペルンジャは少し顔を赤くして、


「ですが、その……、どんな顔をして会えばよいのかがわからなくて」


 まあ、涙の別れからさほど時間もたってないのに、いきなり俺の従者になって戻ってきたんだ、気まずい気持ちもわからんでもない。

 一応、彼女たちのプロデューサー役でもあったエッシャルバンには手紙で知らせてあるが、残りのメンバーにどうやって知らせるかは、目下検討中だ。


「まあなんだ、ヘルメちゃんたちも、夏の休暇にはこちらに応援がてら遊びに来ると言ってたから、それまでには覚悟を決めといてくれよ」

「はい。いずれにせよ、近いうちに連絡を入れておこうとは思っていましたので」


 そこでペルンジャはピューパーに手を引かれて、店に連れ込まれていったので、俺も手頃な店を覗いてみる。

 この市場は、山頂のウル神殿へと続く参道の入り口に当たるようで、俺達みたいな冒険者よりも、大きな船でグリエンドからやってきた観光客の方が多い。

 彼らはここの宿に一泊して、夜明け前に山に登り、ご来光を拝むのが定番コースだそうだ。

 神殿は東西に伸びる山脈の東の端にある。

 海から登る朝日は、さぞ絶景だろう。

 でも、このへんは朝から霧も濃いし、雨も多いので、朝日が見える率は低そうな気もするな。

 そんな事を考えながら店を覗いていると、次の船でやってきたネールを見つける。

 五百年前までここに住んでいたネールは、カリスミュウルたちと一緒の船だったはずだが、今は一人のようだ。


「すっかり様変わりした港の景色に見とれていたら、はぐれてしまいました」


 とのことだ。


「繁盛してるよなあ、あの立派な神殿のおかげだろうが」


 ここから見上げてもシルエットでその壮大さがわかる。

 斜面にはつづら折りに石段が続いており、遠目にも大勢の参拝客が行き来している。

 標高がざっと三百メートルで、石段は二千段以上あるそうだ。

 健脚な成人でも、一時間はたっぷりかかるとか。

 冷やかしで登る気にもなれないな。

 そんな暇があったらナンパでもしたいところだが、そういえばガーレイオンはどうしたんだろう。

 あいつらも別の船で来てたはずだが、まあいいか。

 せっかくなのでピチピチの人魚が売り子をしてる店を探して歩くが、どうも大半はアーシアル人の、しかも中高年で若いご婦人がいない。

 後で聞いた話だが、若いものほど昼間は港で働いているそうだ。

 まあ、そういうものかもしれん。

 仕方ないので、手頃な料理屋に入る。

 こじんまりとした入れ込みには、家族連れと老夫婦がいた。

 どちらも参拝客のようで、俺とネールは一番奥のテーブルに腰を下ろす。

 店員の婆さんがイサキの塩焼きを勧めるので、言われるままにそいつを頼み、ぬるいエールで乾杯する。

 やがて焼きたての魚が運ばれてきた。

 ちょっと塩を振りすぎじゃねえかと思うぐらい、真っ白に塩が吹いた焼き魚を頬張ると、魚自体は素晴らしくうまいがやっぱりしょっぱいな。

 観光地の一等地だと商売が雑になるのかもしれない。


 微妙な料理に箸が進まぬままにぼんやりと表の通りを眺めると、いろんな年齢、いろんな人種の人々が通り過ぎていく。

 この景色も、かつて女神が種を蒔いた結果なんだろうか。

 地球人である俺が、ここの人間とほとんど同じ外観だということは、地球にも遺伝子の種を蒔きに来ていたのかなあ。

 ということは、ゲートとやらがなかっただけで、ここは同じ宇宙なんだろうか?

 それとも、別の並行宇宙みたいなものにまで、同じ種を蒔いたのだろうか。

 この調理が微妙なイサキも、地球のイサキとほぼ同じ形をしてるのは、遺伝子レベルで共通性があるからだと言われれば、そんなもんかなと思わなくもないが、調理法をはじめ、人間の創意工夫が生み出したような文化風習まで似ているのは、なにか理由があるんだろうか。

 それとも、環境が似ていれば文化まで似た形に自然に収斂していくんだろうか。

 疑問は尽きないが、検証できない疑問は検証できる形でモデル化しないと意味がないんだよな。

 意味がないどころか、検証できない問題に安易に説明を求めてしまうと、ころっと騙されてしまうもんだ。

 この場合、手っ取り早いのは、家の女神連中に聞くことだが、あんまり教えてくれないのは安易に知りすぎることに対して自省を促しているのかもしれないし、ケチなだけかもしれない。

 スポックロンらの、ノード連中は知ってることなら教えてくれるだろうが、並行宇宙とかのことまではわからないだろう。

 なんというか、異なるレイヤーの知識や疑問を小出しにされるので、どれがなんの問題かわからなくなるんだよな。

 こんなときは情報に振り回されることなく、常に自分の取り組むべき問題を見極めなくてはならない。

 すなわち、家の可愛い従者たちとイチャイチャすることと、新しい女の子をナンパすることだ。

 大事なことなので、何度でも再確認すべき命題だな。


 物足りないまま店を出ると、人混みのむこうに、ひときわ背の高い人物が見えた。

 俺の百倍強そうなたくましい体躯の持ち主だが、その顔は見覚えがある。

 若くして凄腕の剣士として知られる紳士、親愛の虎ことブルーズオーンだ。

 向こうもこちらに気がついたようで、人の良さそうな顔で、控えめに会釈する。

 挨拶だけして立ち去っても良かったが、向こうの連れの女賢者から、いつぞやの礼に一献と誘われたので、ホイホイと誘いに乗ることにした。

 たとえ人の従者であっても、ご婦人の誘いを断るような男ではないのだ。


 連れ立って通りの外れにある小さな宿の食堂にはいる。

 どうやら、彼らは第四の塔攻略時にここを根城にしていたらしい。

 さっきよりは少し冷えたエールで乾杯し、改めて自己紹介をする。


「ブルーズオーンです、先日はごちそうさまでした」

「クリュウだ、あのときは名乗らぬままで、すまなかったね」

「いえ、僕の方こそ。途中でもしかしてとは思ったんですが……正直、この土地では名乗りづらくて、気配も隠してますし」

「わかるよ。俺もこうして指輪をはめてるからね」


 そう言って力を消してくれる指輪を見せると、ブルーズオーンは苦笑する。

 彼も苦労してそうだな。


「こっちが僕の従者ピルです」


 主人の紹介を受けたホロアの少女、まあ実際に小中学生ぐらいにも見える小柄な娘だが、落ち着いた物腰は、かなり年季がいってると見える。


「ピルという、先日は主人が世話になった。こうしてお礼の誘いに応じてくれたことを感謝する」

「せっかくの誘いだからね、ごちそうになるよ」

「この街は観光地にありがちな雑な料理の店が多いが、ここは小さいが良い料理を出す、お口にあうとよいが」


 こちらもネールの紹介も済ませたころに、料理が運ばれてくる。

 いわゆる炉端料理のたぐいで、奥の厨房で貝や魚をじゃんじゃん焼いて、じゃんじゃん運んでくるが、どれもうまい。

 やっぱ素材は良いんだよな。

 ブルーズオーンは相変わらず健啖で、会話もほどほどにどんどん食べる。


「今日もいい食べっぷりだね」

「す、すみません、朝から船に乗っていて、さっきまで船酔いでなにも食べてなかったので、お腹が空いて」


 そう言って恐縮しながら、貝殻をひん剥いた手で頭をかくものだから、貝の汁が髪についてしまう。

 なかなかのドジっ子だな。


「これ、客人の前でみっともない」


 などと従者のピルに怒られるところもなかなか良い。


「気にすることはないさ、俺もいい年をして行儀が悪いとよく怒られる」

「そうなんです、先日も神殿で儀式のあとに散々小言を食らっちゃって」

「君もか、俺もうたた寝してたら尻をつねられたよ」


 などと笑いながら話すと、二人の従者はそれぞれに困った顔をしていたが、やがて話題は彼が不審者と遭遇した件にうつる。


「それで君は、相手がアヌマールだったと思うかい?」

「それは、わかりません。僕はアヌマールという魔物と相対したことがないので、あれがそうだったのか……」

「ふむ」

「あれは確かに黒いモヤのようなものに包まれていて、すぐれた実力を持っていましたが、噂に聞くようななにか超越した力を持っているようには感じませんでした。むしろあの動きは手練の盗賊か何かのような……」

「なるほど。たしかにアヌマールってやつは、出会った瞬間に、死そのものと向き合うような、恐怖の塊と言ってもいい存在だからな。普通の強敵とはわけが違う」

「騎士団の聴取にもそういう話をしたのですが、どうも通じたのかどうかわからなくて」


 そういえば、ローンが自ら出向いてたんだっけ。


「騎士団は誰が来てた? こんな眼鏡の、性格のきつそうなねーちゃんか?」

「そうですそうです、すごくカチッとしてて、ちょっとおっかなかったですね」

「ははは、彼女は真面目がメガネを付けてるような騎士だからな」


 凄腕の紳士をビビらせるとは、ローンのやつ、一体どんな事情聴取をしてたんだろうな。

 その後も色んな話をしたが、試練の塔の話を出さないのは、やはり紳士としての嗜みなのだろう。

 俺も正直なところ、とくに試練にこだわりはないので酒の席らしい楽しい話をする。

 ブルーズオーンもうちのネールもどちらかというと口下手なので、喋るのはだいたい俺かピルだ。

 ピルは賢者と称されるほどの魔導師らしいが、落ち着いた口調といい、豊富な経験といい、かなりのベテランのようだ。


「ほう、ではクリュウ殿はデルンジャに行かれたか。私も随分昔、まだ主人と知り合う前に南方を旅しておってな。あの鉄道という巨大な乗り物には?」

「乗った乗った、ありゃあ凄いね」

「うむ、此度の試練が終われば、ぜひとも主人とともに再訪したいと考えているのだが……、どうもこの者は船が苦手でな」

「乗り物は相性があるからなあ」


 などと話していると、さらに料理が運ばれてきたのだが、運んできたのは人魚のネーチャンだった。

 長くて黒い尾をくねらせて進む姿は実に色っぽい。


「あ、紳士様、戻られたんですね。船旅はどうでした?」


 そういってブルーズオーンに話しかける横顔には見覚えがある。

 先日、家のキャンプまで売りに来た人魚ちゃんじゃないか。


「あれ、お連れの人はどこかで……」

「この間のニシンのサンド、美味しかったよ」

「ああ、あのときの! えっ、ブルーズオーン様とご一緒ってことは、もしかしてあなたも本当に紳士様だったんですか?」

「まあ、らしくないという自覚はあるけどね」

「も、申し訳ありません。説明はされたんだけど、どうも信じられなくて……じゃなくて、あれ、じゃあもしかしてこれ、なにか歴史的会合だったりします?」

「まさか、たまたま出会ったものだから、再開を祝してるだけだよ」

「すごい、でもブルーズオーン様と、おじさん、あれ、おじさんなんて名前でしたっけ?」

「クリュウだよ」

「あ、そっか、クリュウ、クリュウ……たしか桃園の紳士様、って百人切りの!?」


 そんなには切ってない、いや、ミラーを別カウントすれば行ってるかも。


「ははは、俺も知らない間にそんな呼ばれ方をされてるのかい?」

「や、やっぱり私のこともナンパしようと!?」

「俺が声をかけるのは、ナンパされたそうなお嬢さんだけさ、君はどうだい?」

「ま、ま、間に合ってます!」


 顔を真赤にして首を振る人魚ちゃん。

 そこに奥の厨房から声がかかり、人魚ちゃんは引っ込んでしまった。

 それをみたピルは呆れた顔で、


「あの娘は気立てもよく、しっかり働くのだが、そそっかしいのが玉に瑕でな」

「そのようだな」

「クリュウ殿は、様々な従者を従えておるそうだが、人魚であっても差し支えないと?」

「相性さえ合えばね」

「ふむ、ある意味もっとも紳士らしい答えじゃな。うちの主などは私と出会って体が光ってからも、随分と悩み抜いたものだったが」


 そういってジト目で自分の主人を睨むピル。


「そ、そうはいっても、僕みたいなのが、人一人を背負い込むなんて、簡単に覚悟できないよ。クリュウさんは、なんともなかったんですか?」


 困った顔で尋ねるブルーズオーン。


「そりゃあね、自分で背負うと考えればそうなるだろうが、俺は剣も魔法もからっきしで、従者に助けてもらってやっと一人前みたいなところがあるからね。だから俺としては彼女たちが十分に活躍できる場を提供できれば十分だと割り切ってるのさ」


 そこでピルがうなずきながら、


「歴代の名だたる紳士も皆、従者の力を十二分に発揮することで名を成したと言われている。それに引き換えブルーズオーン、お主は己の剣に頼りすぎておるのだ。だから先日も一人でのこのこ追いかけて、返り討ちにあうのじゃ」

「そんなこと言ったって、自分はグーグー高いびきだったし」

「そういう事は言わずとも良い、バカモノ」


 うむ、やはり紳士は尻に敷かれてこそだなあ。


「でも、あの王様は全部自分で試練もこなしてるって聞くし、もちろん僕があれほど凄い紳士になれるとは思わないけど。ねえ、クリュウさんも王様に会ったんでしょう、新聞で見ましたけど、あんな人だっているんだし」

「ああ、あの王様か」


 そう言って顔を思い浮かべる。

 たしか、剥げてたな。

 ハゲで光るのはずるいと思う。

 俺は剥げないようにしたい。


「まあ、彼は王様だからな。王様ってのは紳士とはまた別の社会的な意味を持ってるわけだ。紳士なんてものは言ってみれば神様同様なんだかよくわからないけどありがたいもの、ぐらいの存在だから、たとえ人に拝まれても、道ばたの石像にでもなったつもりでにこやかに微笑んでやればそれですむが、王様ともなれば、臣下領民に対して絶対の権利と義務を併せ持つ。その立場ってものは、我々には想像もつかない境地だろうさ」

「たしかに、人を治めるなんて、想像もできませんね」

「だけど従者は部下でもなんでもなくて、家族なんだから、なんとなく一緒にいるだけでたいていはうまくいくんだよ」

「そんなものでしょうか」


 いつの間にか人生相談みたいになってきたが、俺のアドバイスはあまり役に立たないからなあ、真に受けなきゃいいけど。


「俺もアドバイスできるほど人生経験があるわけじゃないが……」


 そこまで言って、こっちの世界に来てからの濃すぎる経験の数々が脳裏をよぎるが、都合よくスルーして話を続ける。


「そんなに悩んでるということは、誰か気になる子でもいるのかい?」

「いえいえ、違います」


 慌てて否定してから、


「ただ、第四の塔のあるウル神殿には、主人を探してるホロアが何人もいて、挨拶させてほしいって神殿を通して何度も話があったんですけど、断ってたらピルに怒られちゃって」

「挨拶と言っても、相性を見るぐらいだろう。向こうは確かに必死だろうが、もっと気軽に、応援に来たファンの子に役者気分で握手でもしてあげればいいのさ」

「クリュウさんは凄いですね。そんなふうに考えたこともなかった。そういう心構えはどうやって身につけたんですか?」

「どうって……もとからこうだったのかもしれんなあ。だとするとやっぱりアドバイスにはならんか。まあなんだ、出会いに慎重になる気持ちもわからんではないが、ホロアにとって主人を得ることは人生の目的みたいなもんだ。その一途さから目を背けてちゃあ、紳士の名が廃るといえるかもしれんなあ」

「彼女たちの、人生の目的ですか……」


 無論、俺が毎回そんな事を考えてナンパしてるわけではないのだが、真面目な人間には真面目な目的が必要なときもある。

 彼のようなタイプには、ガーレイオンとは違ったアドバイスが必要だろう。

 酒席はそのあたりでお開きとなった。

 ブルーズオーンは明日一番で山を超え、北の第五の塔を目指すそうだ。


「我らの道程に、女神の加護があらんことを」


 それっぽい別れの言葉で〆て、前途有望な紳士とわかれる。

 人魚ちゃんがその後顔を出さなかったのだけが心残りだが、ここの宿の娘らしいので、次の機会に改めてナンパしよう。

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