第473話 幼女説教

 鳥のさえずりで目を覚ます。

 どうやら眠っていたらしい。

 体を起こすと、すぐそばで焚き火がたかれ、小さな鍋が火にかけてあった。

 たっぷりと張られた水は、ポコポコと泡立っている。

 そろそろ沸騰しそうだな。

 枯れ枝を踏みしめる音に振り返ると、リカーソが両手いっぱいに小枝を持って立っていた。


「おはようございます、瞑想を終えると御主人様がいらしたので、驚いてしまいました」


 話しながら、拾ってきた小枝を火にくべる。


「お茶の用意がないので、白湯しか出せないのですが、ベースキャンプに戻って、なにか用意してきましょうか?」

「いや、俺も白湯でいいよ。昨夜飲みすぎてね」


 今日のリカーソはヒッピー風の花輪もなく、グレーのチュニックを腰のベルトで縛った質素なスタイルだ。

 出してもらった白湯をすすりつつ、しばし無言で火を囲む。

 アンの話では、リカーソはかなり悩んでいるような話だったが、こうして向き合っていると、とくに屈託のようなものは感じない。


「昨夜は、久しぶりに木々に囲まれて瞑想をしたのですが……」

「うん」

「こんなに穏やかな心で、女神の声を聞いたのは久しぶりです」

「いままでは、そうじゃなかったのか」

「はい。いつが来るのか、恐怖とも諦観とも言えるような気持ちで、神の声と向き合っていました」


 リカーソの言う女神ってビジェンのことだと思うんだけど、アレの声がそんなにプレッシャーになるのかな?


「女神の声は、時に天より降り注ぐ陽の光のように優しく、時に森の深淵よりにじみ出る闇のように恐ろしいものでした」

「ほう」

「代々の巫女は、その声に甘えぬよう、恐れぬよう、常に明闇の境に身をおいて均衡を守り、最後の時まで、人類がアシハラの野に帰る時まで塔を見守るのだと、伝えてきたのです」

「ほほう」

「しかし、近年では闇よりささやく声のほうが強くなっていたように思えたのです。それこそ終焉の印であろうと。ですが、昨夜はただ光のみが私の心を包み込み、すべての責務から開放されたかのように感じておりました」

「まあ、塔の守り手の使命は果たされたんだろう。あとは普通のホロアとして生きればいいってことじゃないのか?」

「私に限れば、そうなのかもしれません。ですが、他の者達はどうなのでしょう。たしかに、遺跡に囲まれて暮らすことに抵抗はあるのですが、御主人様のお力と知恵に触れて、人のあるべき道というものを知りました。であればいずれ慣れるものだと思うのですが、集落に残った者や、袂を分かった者たちは、塔の使命なき今、どうなってしまうのかと……」


 短い間とは言え、リーダーとしてやってたんだから、そりゃあ気になるよな。

 だけど、俺はあんまりそういうことを気にしないタイプなので、こういう時に掛ける言葉にこまるよなあ、と悩んでいたら、茂みをかき分けるように人影が現れた。

 エセ幼女のオラクロンだ。

 手にバスケットを下げている。

 リカーソは白湯をすする手を止め、オラクロンを迎え入れた。


「これは、預言者様自らお越しとは」

「預言者はよしてください。今は同じ従者の身でしょう」

「そうでした、なかなか慣れませんね」


 オラクロンは苦笑するリカーソの隣に腰を下ろし、俺にバスケットを手渡した。


「おはよう、朝食の差し入れか?」

「ええ、お腹をすかせているかと思いまして」

「そういえばそうかもしれん」


 バスケットにかかったフキンを取ると、中に焼きたてのパンが詰まっていた。


「こいつはうまそうだ、さっそく食おう。ほら、リカーソも食え」


 焼きたてのパンを三つも平らげて満腹になったところで、オラクロンが口を開く。


「塔の守り手のことですが、あの場で恭順したものは、現在、神殿で受け入れています。還俗を望むものもいますが、大半は神職として、そして残りは森の集落で引き続き暮らすことを望んでいます。基本的に各人の希望に沿った形で受け入れるよう、国の方には申し付けてあります。また、一部の過激派については現在も監視中ですが、今のところ動きはないですね」

「そうですか」


 力なくうなずくリカーソ。


「あなたのことを心配しているものも大勢いました。もう少し元気になったら、顔を出しに行けばよいでしょう」

「よいのでしょうか?」

「無論です」

「ですが、海を超えてとなると……」

「忘れたのですか、今のあなたは、地の果てまでも日帰りできる力を、我が主人から与えられているのですよ」

「あの乗り物は少し苦手で……、いえ、苦手は克服できると思いますが、そのような力を使うことにはやはり抵抗が……。逆にお聞きしたいのですが、ご主人様とて、あの乗り物は、その、ご自分で作り出されたのではなく、古代の産物なのでしょう。それに依存することに、恐れを感じたりはしないのですか?」

「恐れってのは、事故を起こしたりとか、そういう心配のことか?」

「そうとも言えます。どうも私は、いつか起きるかもしれない破滅というものを意識しすぎるようです。そうあってはいけないと学んできたはずなのですが」

「そりゃあ、事故を起こす可能性が無いわけじゃないが……。可能性の話で言えば、森を歩いていたら突然上から木の実が降ってきて頭をかち割られるかもしれないが、そんなことを気にして歩くやつはいないだろう」

「そうですね、それが普通なのでしょう」

「大丈夫な状態が続くと、だんだん大丈夫な気がしてくるもんなんだよ。まあ慣れと言ってもいいが、この根拠なく安全だと思いこむのは正常性バイアスとかいって、自分に都合の悪い情報を無視する心の働きの特徴みたいなもんで、それを認識してないといざという時に災害から逃げ遅れたりとかするんだけどな」

「おそろしい気もしますが、でも、そうでなくては安心して生きることはできぬものなのでしょう」


 うなずくリカーソの隣で、パンをちぎりながらかじっていたオラクロンが口を開く。


「事故や災害は、常に一定の割合で起こります。人は常に主観でしか状況を理解できないので、そのような認知の歪みが生じても補正が難しいものです。ですから古代の人々は、私のようなノード、すなわち人とは異なる認知と思考を備えた存在に、まつりごとを任せていたのです」

「人と異なるとは? 預言者は常に偉大ではありましたが、それは人の知恵の延長にあるもののように感じておりました。それは今あなたと会話していてもそう感じるのですが」

「私は人の現身です。この体に宿る精神は、ほぼ人と同じと言っていいでしょう。ですが祠の奥に鎮座する預言者、すなわち私の本体と呼ぶべき存在は、ずいぶんと人とは違う考え方をするものなのですよ」

「具体的にはどのような?」

「そうですね。例えば疫病が流行ったとしましょう。僧侶や医者であれば一人でも多くの命を救うために際限なく奔走するでしょうが、実際には手の届く人しか救えぬものです。ですが私であれば、すべての病人の状況を把握し、もっとも多くの人間を効率良く救えるように医者を配することができます。結果的に手当たり次第に治療するより多くの人を救うでしょう」

「それは……素晴らしいことのようにも思えますが、救う人と救わない人を、あなたが選ぶということですか」

「そのとおりです」

「そ、そのような決断を下せるものなのでしょうか」

「実際に、下してきたのですよ」

「それは……恐ろしいことのように思えます」

「ええ、人の現身になってはじめて、私もその恐ろしさを実感しているところです。古代の人々も恐ろしかったのでしょう。あるいは現代の王や領主もまた、苦悩することがあるのではないでしょうか。ですから、自分が救われない側に選ばれてしまう可能性を考慮してもなお、我々のような存在に、社会の有り様を委ねたのでしょう。私達に決断する苦悩を丸投げすることで、自分たちの安息を得たのですよ」

「もしや今も……お辛いのですか?」

「いいえ、今はもう、救われましたから。女神風に言えばご褒美だそうですが、言い得て妙なものです。今のあなたなら、わかるのでは?」

「そうかも……しれません」


 そう言ってちらりと俺を見るリカーソ。

 そんな目で見られると照れるな。


「私は文明の恐ろしさとは、人の手に負えぬ力がもたらす破滅によるのだと思っていました。路傍の石ころを棍棒に、棍棒を剣に、剣を古代の兵器にと持ち替えていけば、いずれはたやすく人を滅ぼすことになるのではと」

「そうですね、今、私たちが管理しているガーディアンだけでも、この地上を滅ぼすだけの力はあります」

「なぜ、そんな力を生み出してしまうのです? 持つこと自体が恐ろしくはないのですか」

「単純な話で、同じような力を持った外敵が居たからです。力を持たねばすぐに征服されていたでしょう」

「では、古代文明はその力で滅ぼされたと?」

「いえ、その力を持ってしても抗えぬような災害によって滅んだのです」

「そんな恐ろしい災害が!? では、守り手に伝わる予言もそのような……」

「そうかも知れませんし、違うかもしれません。必要なのはそれを予測し、備えることであって、恐れることではないのです。たとえ力及ばず滅ぶにしても、その時心に抱くのは恐怖であってはならないと思いますよ」

「ですがやはり、恐ろしさに身がすくみます」

「そういうときは、丸投げすればよいのですよ。古代の人々のようにね」

「あなたにですか?」

「まさか、我らの主人にです」

「ああ、なるほど、そうでしたね。我々には御主人様が居たのでした」


 気安く言ってくれるなあ、と思うんだけど、俺も三国一のお調子者を自負しているので、


「ははは、まあ大船に乗った気持ちでドンと任せておきたまへ」


 と胸を叩いて、食べかけのパンをつまらせて少しむせた。


「ゲフゲフ、自分で言うのも何だが、俺もたいがい頼りないな」

「存じておりますよ、ですが、それでもなお頼れてしまうのが、ご主人様の偉大なところでは?」


 などと適当なことを言うオラクロンと、笑いを押し殺そうと堪えるリカーソ。

 まあ、なんだ。

 なんか大丈夫そうだな。

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