第463話 特上寿司
「いてっ!」
突然、硬い地面に尻餅をついてうめく俺。
また腰をやったりしてねえだろうなとおっかなびっくり立ち上がるが、幸い体は大丈夫なようだ。
扉の先は、ファーマクロンの管理するアーランブーラン王国のはずだったが、どうもここは違うようだな。
海沿いの小高い崖で、空は青く風は穏やか。
打ち寄せる波の音だけが響いてるって感じだ。
自分探しの旅とかで訪れるにはいいかもしれん。
俺の手を引いていたストームたちの姿はなく、持ち物といえばさっき押し付けられた弁当箱だけ。
胸ポケットに忍ばせていたARメガネを掛けるが、現在地は不明とでる。
いったい、何がどうなっているのやら。
訳の分からない状況なのに、妙に落ち着いているのが謎なんだけど、なんかこういう状況は今までも何度か夢で見たような気がするのでほっぺたをつねってみたら痛い。
少なくとも夢ではないようだ。
以前、魔界に飛ばされたときのようなアレかなあ、とも思うが、なにか根本的に違う気もする。
空を見上げると、どこまでも青い空が広がっている。
あそこになにか飛んでたはずなんだけど、どこにも姿はみえない。
なぜそんなふうに思ったのかもわからんな。
それよりも、洞穴人たちは、ちゃんと青い空を堪能してるかなあ。
ひとまず内なる館に入ってみたら、白いもやに包まれた草原が広がっていた。
せっせと作った家も、備蓄したアレコレも、にぎやかな妖精の里も、なにもない。
初めて内なる館に入ったときと同じだが、違いは、カプルが作った匣だけがど真ん中に設置されていることだけだった。
不思議なこともあるものだなあ、と諦めて外に出て、再度周りの様子を確認する。
周りには人工物が何も見当たらない。
海を覗くと魚影がみえたので、魚はいるっぽい。
腹が減ったら、魚でも釣るか。
いや、ハイテクルアーがあっても釣れないくせに、手ぶらで釣れるわけないよな。
これもしかして命がけでサバイバルとかしなきゃならない状況じゃないだろうな。
そいや弁当があったっけ、もしかしてこのために持たせたのだろうか。
ここで弁当を広げてもいいが、もう少し歩いて様子を見よう。
突然、かわい子ちゃんが湧いてくるかもしれんし、そうなった時に一緒に弁当を食べることで親睦が深まる可能性は高い。
なんせ寿司だもんな。
寿司がいつでも食えると思えば、たとえどれほど困難な状況でも乗り切れる気がする。
などとどうでもいいことを考えながら崖に沿って歩いていくと、遠くにキラキラ光るものが見えた。
この大自然が極まってる場所に似つかわしくない、乳白色の円柱だ。
何の警戒心も持たずにポクポク歩いて近づくと、円柱のそばに、銀色のボールが落ちていた。
いや、ボールと言うにはちょっとでかいな。
質感が昔のCGみたいでスケール感がおかしくなってたが、さらに近づいてみると、直径二メートルたらずの、ピカピカの球だった。
球の横には小さなテーブルと椅子がおかれ、少し離れたところには、土が盛られ棒が立っている。
たぶん墓だろうが、違うかもしれない。
地面を見ると、ぬかるんだ土に、小さめの足跡が残っている。
何度も行き来しているが、全部同じ足跡だ。
名探偵でなくても、たぶんここに人がひとり住んでいるのだろうと想像できたので、足跡が続いている球の方をノックしてみた。
「もしもーし、ハロー、コンニチワ。どなたかご在宅でしょうか?」
しばらく待っても反応がないので、もう一度呼びかけようとしたら、突然壁に穴が空いて、何かが躍り出てきた。
飛び出してきたのは全身銀色タイツの若い女の子で、勢い余ってすっころび、ぬかるみで泥だらけになりつつも起き上がって、俺に掴みかかってきた。
「き、救援! 救援ですか! ううぅ、シグナルが届いて? ぐす……あなたどこの所属!?」
涙目で必死に叫ぶ少女の声は、聞き覚えのあるものだった。
少しやつれているが、その顔にも見覚えがある。
見覚えどころか、腐れ縁というやつだ。
「判子ちゃんじゃねえか、なにしてんの?」
「ハンコ? いえ、私はエージェント・ハーコー。あなた知り合い……ではないと思いますが、なんにせよ助かりました。このままここで……」
とそこまで一気にまくし立てて、ぱっと手を離し、距離を取る。
涙を拭って表情を引き締め問いただす。
「あ、あなた放浪者!? 私を始末しに来たのですか!」
「まさか、一緒に弁当を食べようと思って」
「弁当?」
いぶかしそうに俺を見る判子ちゃんの腹が、ぐーとなる。
「どなたかは存じませんが、食事のほうが重要ですね。まずはいただきましょう」
この判子ちゃんは物わかりがいいな。
判子ちゃんがぷるっと体を震わせると、へばりついたドロがぽろりと落ちて綺麗になる。
ついで一つしかなかった椅子の背もたれに両手をかけて引っ張ると、椅子が二つに分裂した。
「さあ、どうぞ。お茶もありませんが、海水なら泳げるほどありますよ。一応浄化してますが」
判子ちゃんに勧められるままに椅子につき、弁当を広げる。
中身は二人前の特上寿司だった。
「これは……、白い部分は穀物ですが、上に載っているのは、生の魚……ですか?」
「そうだよ、寿司という」
「吸収はできそうですが、見た目はグロテスクながらも無性にそそる見た目。しかしこの酸っぱい匂いは、魚が発酵しているのですか?」
「いや、調味料の匂いさ。この醤油をつけて、こうやって食べる」
マグロを一貫つまんで醤油をつけ、口に放り込む。
「手で直接、徹底的に原始的なスタイルの料理、というわけですか。いいでしょう、放浪者に挑まれて怯むわけにはいきません」
そう言って、見様見真似で寿司を頬張る判子ちゃん。
もぐもぐと噛みながら、目まぐるしく表情を変えるが、どうにか飲み込んだようだ。
「過剰な炭水化物とアミノ酸……、ですが思ったよりも生臭くなく、酸味と旨味がマッチして、いや、もう一つ食べてみないことには……もぐもぐ」
途中からは何も喋らなくなり、ひたすら食べる判子ちゃん。
俺も一緒に寿司を堪能した。
「ふぅ、これが寿司。この味は覚えておきましょう」
「また今度、ごちそうするよ」
「期待しています。それよりも……」
じろりと俺を見る判子ちゃん。
「あなた、名前は?」
「クリ……いや、黒澤だよ」
「ふむ、知らない名前の放浪者ですね。あなたは私を知っているようですが」
「そりゃあ、物心ついたときからつきまとわれていたからな」
「私が? あなたが私の監視対象だと? そんなはずは……」
「なぜだい?」
「私はまだ、研修中のエージェントです。今回の任務が終わると晴れて正式なミッションにつく事になっています。そこであなたの監視任務につく可能性はありますが、それは私の主観時間にとっては未来のこと。すなわち、あなたは私にとっての未来から来た、ということになるのですが、そういう認識でよいのですか?」
「わからん。なんせ俺も放浪者とやらになったばかりで」
「なったばかりということはないでしょう。それだけ自我が確立しているならそれなりの……まあいいでしょう。それより、クロサワさんとおっしゃいましたが、あなたは何をしにここに? 私のシグナルを受けたのですか?」
「わからん。こういう事態もめったになくて」
「それにしてはずいぶんと落ち着いているようですが」
「昔からこういう性格なんだ」
「そうですか。それもまあ、いいでしょう。問題はアレです」
そう言って、すぐそばにそびえる乳白色の円柱を指差す。
「ありゃあ、なんだい?」
「デストロイヤーのコンテナです。ご存知ありませんか?」
「聞いたことあるようなないような」
「ファーツリーギルドの方では、黒竜などと呼んでいるのでは?」
「ああ、それなら知ってる。これは閉じ込めてあるのか?」
「そんなところです。これが暴走する前に処分しなければならないのですが、あなた、放浪者ならなんとかできるでしょう」
「まさか、俺は女の子と会話を楽しむ以外、能がないことに定評があるんだ」
「ではこんなところまで、私とおしゃべりに来たと?」
「そうかもしれん」
「これだから放浪者は。それにしても困りましたね。アンカーに導かれてやって来ればこの有様だし、シグナルを打てば寄ってきたのはただのナンパ男とは」
「君も男運がなさそうだ」
「エリートのつもりでしたが、とんだ失態をしでかしたものです」
そう言って判子ちゃんは、水をグビリと飲み干す。
彼女とこんなに喋ったのは、いつ以来だろうなあ。
昔はもっと、遊んでたはずだけど。
「そこに墓があるでしょう」
そう言って土饅頭を指差す。
「あれは私と同じシーサのエージェントの墓でして、彼は廃棄予定のデストロイヤーを盗み出し、なにか企んでいたようです」
「ほう」
「何がしたかったのかはわかりませんが、結果的にこの断絶された時空の片隅で遭難し、死んだようです。私は彼が設置したアンカーを確認しようと立ち寄ったらここにとらわれてしまい……」
「一人で泣いてたと」
「泣いてません」
泣いてたけどなあ。
「そもそも……、なにかおかしいですね」
話を逸らすように、判子ちゃんは腕を組む。
「なにかとは?」
「放浪者は時間軸を内包しているので、マテリアルプレーン内での時間移動は可能でしょうが、私はそうではありません。異なる時間軸上の存在である我々がこの世界の時間に依存したポイントで遭遇したのに、私とあなたの因果関係が狂っています。放浪者どうしであればそういうこともあるでしょうが、私は一意の時間軸に則ってしか、時間を進めることができません」
「つまり、どういうこと?」
「あなたは過去の私に会えるでしょうが、私は未来のあなたには会えないんですよ。すなわち、私からはあなたが認識できないか、あなたが私を知らない状態でしか同時に存在し得ないはずです」
「難しいことを言うなあ」
「ここは本当に、私が漂着したペレラールという星なのですか?」
「ここはペレラなのか」
「それを私が問うているのです」
「そういわれても」
「星以前に、この世界は……あなたが作ったブランチなのでは?」
「だーいーせーいーかーい!」
突然空の彼方からバカでかく、鈍い低音の声が響く。
見上げると、空一面にクソでかい顔が広がっていた。
「なんだありゃ!」
驚いてひっくり返る俺に向かって、空の顔が落ちてきた。
ぎゃあと叫ぶと同時に、巨大な顔に押しつぶされたかと思うと、顔はするりと突き抜けて、今度は俺の鼻から出てきた。
「じゃじゃーん、パルクール参上」
「参上じゃねえ! もう少しお上品にできんのか!」
「いんぽっしぶる!」
「それなら仕方ねえな、それよりもなんだ、お前ずいぶんデカくなれるんだな」
「まえから」
「そうだったか」
そういえばそうだったかもしれん。
どうも、記憶が混沌としてきたが、パルクールはもともと宇宙よりでかかった気もする。
宇宙よりでかいってなんだと自分に突っ込みたいところだが、世の中には理屈でわからないこともあるのだ。
「その子は、あなたのシクレタリィですか?」
判子ちゃんの質問に質問で返す。
「シクレタリィってなに?」
「助手や秘書みたいなものですよ。放浪者がマテリアルプレーンに干渉するときには、実際にはシクレタリィが手を下すと聞いています」
「ふうん、でもこいつは鼻から出たり入ったりするだけだぞ」
「そう、そのとおり」
パルクールはそう言って俺の右耳から左耳に通り抜けたかと思うと、そのまま鼻の穴に吸い込まれていった。
「そのハレンチな芸はいかがなものかと思いますが、少し状況がわかってきました」
「さすがは判子ちゃん」
「ハンコではなくハーコーです。それで、一つだけ確認したいのですが、あなたは何をしに来たのです?」
「わからん、わからんが……」
「が?」
「君が一人で泣いてるんじゃないかと心配して会いに来たのさ」
俺が爽やかな笑顔でそう言うと、判子ちゃんは心底嫌そうな顔でため息を付いた。
「まあいいでしょう。どこの誰かもわからないクロサワさん。これは一つ借りということにしておきましょう」
「気にしなくていいのに」
「嫌ですよ、放浪者に借りを作るなんて。状況がわかれば、対策も可能です。元の世界にマージする際に、こいつを排除します。インフォミナルプレーンに出てしまえば、あとはどうにかなるでしょう。ほら、認識したことで、マージが始まりました」
俺と判子ちゃん以外のすべての物の姿がぶれ始め、残像がゴムのように伸びたり縮んだりしている。
まるでいつものパルクールみたいだ。
よくわからんが、世界ってのはちゃんとしているようで、実はこんなにブレブレだったのか。
世界が高速に振動し、色が混じって灰色に溶けていく中で、判子ちゃんだけが鮮やかに輝いている。
「どうやら、うまくいったようですね。分岐した私もマージできましたし。とりあえずあなたに助けられた方の私をベースにしておきました」
「よくわからんけど、うまくいったのなら良かったな」
「この借りはいずれまた。そうですね、あなたが一人で泣いてたら会いに行ってあげますよ」
そう言って笑う判子ちゃんを見て、俺もようやく何をしに来たのか理解した。
「待ってるよ」
俺の言葉を聞くか聞かぬかのうちに、ふわりと消える判子ちゃん。
入れ違いにへその穴から出てきたパルクールが、反対側を指差す。
「ご主人様はあっち、あとアレも拾う」
パルクールが俺のへそからにゅーっと手を伸ばし、ぽつんと光る何かをつかむ。
さらにその向こうからは真っ白い光の穴が渦を巻きながら突っ込んでくる。
光に飲み込まれたかと思うと、再び俺は柔らかい地面の上に、尻餅をついていた。
「おつかされまでした、ご主人様」
ストームとセプテンバーグに引っ張り起こされると、そこはファーマクロンの農園である、アーランブーラン王国だった。
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