第457話 リング・アメルナ 前編

 ふわふわと真っ白い空間をぼんやりと漂ううちに、視界が晴れてくる。

 真っ暗な空間にぽつりと浮かぶ青い星。

 地球……じゃないな、こいつはペレラか。

 いまや俺の第二の故郷とも言うべきこの星は、大地が割れ海が燃え尽き、マグマが燃えたぎる地獄めいたかつての姿はもはやなく、美しい海と、豊富な緑に覆われていた。

 だが、目を凝らすとところどころに、黒い残り滓がある。

 そのうちの一つに呼ばれた気がして、そちらに向かってすーっと降りていくと、突然目の前に現れた壁にぶつかって、目が覚めた。




「いてて……」


 一瞬、意識が飛んで夢でも見てた気がしたが、硬い床に転がり落ちて腰をさすりつつ体を起こすと、薄暗い場所だった。

 どうも古代遺跡の倉庫のようなツルツルしたところに放り出されたようだ。

 窓も灯りもない部屋で、何が光源になっているのかと言うと、俺の隣で転がっているヒッピー系ホロアのリカーソだった。

 気を失っていたが、とくに怪我は無いようで、肩を揺すってやるとすぐに目を覚ました。


「……ここは」

「さて、どこかはわからないが、体は大丈夫かい?」

「はい、痛むところは……あっ」


 そこまで言ってから、自分の体の変化に気がついたのだろう。

 このところ連日フィーバーをきめてる俺の前にノコノコ現れたのが運の尽きと言えなくもないが、チョロかろうが高難度だろうが等しく扱うのが俺のポリシーなので、優しく語りかける。


「大丈夫かい、こんな状況で驚いただろうが」

「これは……まさかあなたが」

「相性が良かった、ということだろうね」

「ですが、私は巫女として女神ゲオステルにこの身を……」

「ここだけの話だが、ゲオステルはビジェンと名を変えて降臨し、俺の従者になってる。だから君の巫女としての信仰心を疑う必要はないんだよ」


 ハーエルという先例もあるしな。


「まさか、では本当に女神様を従者になされていると。それに先ほど感じた女神のお力は、やはりゲオステル様の……」

「そのとおり」

「ですが、それでも……私は紳士様とは敵対する立場」

「別に俺は誰とも敵対しちゃいないさ、来るものは拒まず、去るものは追わずがモットーでね」

「しかし、里の同朋たちも納得しないでしょう。私は……」

「自分のことは、自分の心に正直になって決めればいい。その上で周りとの折り合いの付け方を探せばいいだろうさ。それに関して俺が力になることもできるだろうが……、まあ今決められぬのなら、その時までいくらでも待つよ」

「も、申し訳ありません。今はなんともお返事は……」

「ふむ。ところで、体の光は消せるかい? そのままってわけにもいくまい」

「やってみます」


 何やら呪文を唱えると、リカーソの体から光が消えた。

 輝きを失っていく自分の腕を名残惜しそうに見ていたが、やがて部屋が真っ暗になる。

 ハイテクメガネのおかげで、暗くても周りの状況はわかるが、とりあえずライトをつけよう。

 俺の着ていた服はいくつかの光源が備わっており、体が光る。

 ぱっと明るくなったところで、改めて部屋の中を確認する。


 二十メートル四方の倉庫って感じかな。

 いくつかコンテナっぽい箱が無造作に積まれている。

 少し歩くと体が跳ねた。

 どうやら重力が弱いらしい。

 やはり宇宙まで飛んできたのだろう。

 問題はここがどこかということだ。

 カラム29がいるアップルスターなのか、それともさっきの塔の真上にあったであろう軌道リングなのか。

 それ以外の可能性もなくはないが、ちょっと思いつかんな。


「歩きづらいから気をつけて」


 リカーソに声をかけてから、一緒に来たであろう連中を探す。

 この部屋には居ないようなので無線で呼びかけると、オラクロンから返事があった。


(おやご主人様、ご無事でしたか。一人で泣いてはいませんか?)

「あと少し声が聞けなきゃ、泣いてたよ。こっちはリカーソ嬢が一緒だ。そっちはどうだ?」

(私はキンザリスと一緒ですね、怪我もありません。地上に残ったスポックロンからの報告では、移動したのは他にセスとリエヒア、ラムンゼとなっております。ビジェンもおそらくはこちらだろうが、我々が消えたあとに、少し間をおいて消えたとか)

「ふむ、それでここはどこだ?」

(現在確認中ですが……判明しました、リング・アメルナ、これは静止軌道上のリングで……)

「三本あるやつか」

(はい、その一番南方の、我々が居た場所のほぼ真上ですね)

「ずいぶん飛ばされたもんだな」

(あの一瞬で三万キロ以上ですから、不思議な技術ですね。ショートゲートのたぐいでしょうか)

「それで、全員の位置は?」

(ここのシステムが休止しておりまして、現在再稼働中です。あと九十秒で予備電源が入ります。しばらくお待ち下さい)


 待つ間に、動揺しているリカーソに話しかける。


「どうやらここは、空の彼方らしいな」

「空の彼方とは一体?」

「俺達の住む大地から、それに向かってまっすぐ三万キロ以上進んだ場所だよ」

「三万キロといわれても、ピンときませんが」

「女神の不思議な力で、飛んできたのさ」

「ここは、遺跡に似た場所ですね」

「君たちは古代文明も否定してるんだったね」

「滅びをもたらす、悪しき力だと……」

「滅ぼすも活かすも、結局は人の行動次第だが」


 そこでふわっと室内に明かりが灯った。

 太陽光のような自然な明かりだ。


「あ、急に日が差して」

「いや、ここの遺跡に力が戻ったようだな。少し連絡を取るから待っててくれ」


 リカーソに言いおいて、改めてオラクロンに話しかける。


「システムが復旧したようだな」

(はい、ですが重力制御は効きませんね、歩きにくいでしょうが気をつけて)

「うん、それでみんなは?」

(全員の所在地を確認しました。セスは端末を持っていなかったようですが、同行しているリエヒアが所持していたので、連絡が付きました。今一人のラムンゼですが、どうやら一人で個室に閉じ込められているようです)

「一人で泣いたりしてないだろうな」

(まさか、そういうことをするのはご主人様だけでしょう)

「新入りにしては詳しいな」

(同僚から、色々聞かされておりますので)

「横のつながりがしっかりしていて、頼もしい限りだよ」

(さて、通路も確認できました。バラけているので、指示した部屋に全員で移動し、落ち合いましょう。メガネに表示されましたか?)

「ああ、大丈夫だ。結構広いもんだな。ラムンゼはどうする?」

(室内無線でメッセージを投げかけます。従わない場合は、こちらから迎えに行きましょう)

「了解。何かあったら連絡するよ」


 通話を切って、再びリカーソに話しかけた。


「他の連中と連絡がついた。ひとまず移動しよう」

「それが、何やら体が弾むようで、不思議な感覚なのですが」

「慣れるまでゆっくり歩いてくれ」


 おっかなびっくり歩き始めるリカーソ。

 まあ、うまく歩けないのは俺も同じで、眼鏡のナビを頼りに、まずは通路に出る。


「水中を歩くかのように、体が浮かんでしまいます。これも遺跡の魔法なのでしょうか」

「ここは重力が弱いからな、魔法じゃなくて自然現象さ」

「重力とは?」

「物が地面に引っ張られる力だよ」

「それに強い弱いなどがあるのですか?」

「まあね、離れれば離れるほど、弱くなるものでね」

「それで鳥は天高く舞うことができるのでしょうか」

「着眼点はいいが、残念ながら鳥が飛ぶぐらいの高さだと差は感じられない。その何万倍も離れなきゃね」

「そんなに……、どうしてそのようなことがわかるのです?」

「古代の人々は、それを知りたくて技術を発展させ文明を築き、世界の謎を解明してきたのさ」

「それは純粋に知の探求だと思えます。それがなぜ世界を滅ぼすのです?」

「さあなあ、倫理観を伴わない知識は驕りを呼ぶ。驕った人は、たやすく人を滅ぼすのかも知れないな」

「驕り……」

「そうじゃなくても滅びるときもあれば、そうでないときもある。世の中にはペレラと同じような星に無数の文明が栄えていて、そのうちのいくつかは滅び、残りは栄え続けたのさ。この星の古代文明は後者だったのさ」

「ですが一度は滅びたのでしょう。千年前にも驕った文明が黒竜を呼び、滅びの寸前まで行ったと伝えられております」

「そりゃあ、この星に関しては運が悪かったのさ」

「運!? そんな理由で滅びるなどと、到底受け入れられません。何より滅びに説明がつかぬではありませんか」

「だがさっきは、世界の終わりを受け入れようと言っていたじゃないか」

「それは……わたし達の力が及ばなかったから……」

「その考え方が、驕りだよ」

「ですが私どもは文明を捨て……」

「なぜ捨てたんだい?」

「それこそが正しいあり方であると」

「知ってしまったからだろう。それが正しい知識の究極であり真理だと。それもまた知識であり、知識に溺れた結果の驕りで、自らの破滅を受け入れてしまったんだよ。その行き着く先はやはり滅びだろうさ」

「では、我々の教えは間違っていたのでしょうか?」

「知識は常に検証され、正しいと証明されねばならない。説明じゃなく、証明をね。千年前に正しかった教えが、今も正しいままという保証はどこにもない」

「それでは人は何を拠り所に生きればよいのです。そんなあやふやな知識に基づいて生きられるような人間がいるのでしょうか?」

「そうさ、普遍的な知識などないと言う別の真理に至った人間は、常に自らの無知を恐れ、知識を求め続ける。あやふやな部分を一つずつ潰していくためにね。その衝動がさらなる知識を人にもたらし、文明は発展する。君たちも知る方舟のように空を飛ぶことも、空の彼方にこうした建物を作ることも、星の彼方の別の世界と交流することだって可能にしてきた。それこそが知を求める人だけが得られる成果だ、その積み重ねこそを文明と呼ぶんだよ」

「私は……、女神に何度もお尋ねしたことがあります。なぜ多くの人々は破滅を招く文明を捨てぬのでしょう、足るを知り、自然の営みに調和するだけのところで収めておけば、何代にも渡り、調和された人生を送れるというのに。ですが、女神はいつも、塔を守れとしかおっしゃってくださいません。答えがないということは、私の問自体が間違っているのでは、と」

「ふむ」

「ですが、あなたの言葉は、人生における別の可能性を与えてくださいます。女神は知恵を求めよと常におっしゃっておられました。我らの暮らしこそが至上の知恵と信じて生きてきましたが、信じるという行為こそが、知恵の放棄であったのですね。私に神の声が届かなかったわけがわかりました。私にお言葉を聞く器が備わっていなかったからなのですね」


 苦しそうに言葉を紡ぎ出すリカーソ。

 俺みたいにいい加減に生きてる人間には想像もできないが、信仰が崩れそうな時というのは、やはり苦悩するものなのだろう。

 うまい言葉をかけてやることも出来ないうちに、待ち合わせ場所についた。

 そこはちょっとしたホールで、壁の一面がガラス張りになり、外の様子が見える。

 真っ暗な宇宙と、大きな青い星……と言っても日があたっているのは東側の一部で、三日月のように見える。

 青と白で描かれた、巨大な三日月だ。


「あれは……」


 震える声で青い星を見つめるリカーソ。


「あれがペレラの星さ」

「あれが、父なるペレラの大地……大地を離れては生きられぬと信じていたのに、人はすでに、このようなところにまで……」


 リカーソはその場にひざまずき、顔はしっかりと母星を見つめたまま、静かに泣き出す。


「私は今、目が開きました。ああ、紳士様、私は今、回心いたしました」


 そう言ってポロポロ涙を流しながら、今度は俺に向かって手を合わせて拝み倒すリカーソ。

 人を神様みたいに扱われても困るんだけど、もしかしてやばい子にちょっかいかけてしまったのではなかろうか。

 そもそも、レーンあたりが聞いたら鼻で笑いそうな屁理屈を聞いただけで宗旨変えしてしまうとは、ちょっと信仰心が脆すぎませんかね。

 いやでも、宇宙に行ったら突然悟っちゃった人の話とかもあるし、そういうインパクトはあるよな。

 あるいは俺と相性がいいことからもわかるように、元々ウェドリグ派の教義に懐疑的に生きてきたのかも知れない。

 どうしたもんかなあ、と天を仰ぐと、いきなりお尻をつねられた。

 びっくりして振り返ると、幼女ママのオラクロンだ。


「よう、そっちは無事だったか」

「おかげさまで。ご主人様は取り込み中のようですね」

「俺たちと違って真面目に生きてると、泣きたくなることもあるのさ」

「涙腺は装備されているのですが、今の所あくび以外で機能したことがないので、今後の頑張りにご期待ください。それより、ここは肌寒く有りませんか? 生命維持が可能な最低レベルまでここの機能を落としていたようで、空調が回復するまでもう少し時間がかかります。ご主人様のウェアは温度調整がききますが、薄着の彼女には堪えるでしょう、これをどうぞ」


 オラクロンがゴルフボールサイズのグレーのボールを手渡した。

 こいつは携帯型のジャケットで、少し手で揉むとたちまち膨む素敵アイテムだ。

 みればリカーソはローブの下は薄着で、寒そうに見えるので、こいつを着せてやるとしよう。


「さあ、落ち着かないだろうが、まずは泣き止んで。ここは少し冷えるから、こいつを羽織るといい」


 ハンカチで顔を拭ってやり、上着を着せると両手で襟をギュッと握りしめて、肩を震わせている。


「私はどうすればいいのでしょう。新たな道を得たことだけは理解しているものの、頭が混乱して……」

「じゃあ、まずは俺の従者になるといい。そうすればあとは一緒に歩いていくだけだよ」

「よろしいの……ですか?」

「拒む理由はないな、君はどうだ」

「……ありません」


 静かにうなずくリカーソに血を与えると、恐る恐る口に含む。

 ふわっと一瞬体が光、あとはいつものように新しい従者が一人増えた。


「今の私は、何を信じれば良いかもわからぬ幼子のようなもの、ですがあなたとの繋がりだけは確かに感じられます。どうか、愚かな迷い子を、お導きください」


 気安く言ってくれるなあ、とは思うものの、いざ従者にしてしまえば可愛くて仕方がないので、なるべく彼女の望むとおりにしてやろうと思うのだった。

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