第445話 温泉街 その三
ちょっと体が光るだけで、誰でも頭を下げて拝み奉るなんてのは、ほとんどの人間にとって、実に甘美な能力と言えるだろう。
俺が食い物とかわいこちゃん以外に執着しない清廉な禁欲主義者でなければ、とっくに道を踏み外していたかも知れないな、無欲の勝利だ。
そんな俺の気持ちを無視して、宿の主人は目の前の無駄にありがたい人物に丸投げするように顛末を語る。
「お助けいただいた一人息子のクライソンですが、甘やかしたせいか悪い仲間に引っかかりまして……」
老舗の若旦那が悪友にそそのかされて博打などに手を出し、金策に困った挙げ句に宿の命とも言える源泉管理の許可証を持ち出してしまったのだとか。
両親にしこたま怒られて悔い改めたものの、やっちまったことは取り返しがつかない。
そうこうするうちに、ヤクザ者の竜泉組は許嫁である赤鼻の湯にまでちょっかいを出し始める始末。
先程も、思い悩んで酒に逃避した挙げ句にうっかり溺れてしまったのだろう。
俺はもうおじさんなので若気の至りには寛容なほうだが、そんな軟弱な青年が、あの躊躇なく人の急所を狙ってくるワイルドなお嬢さんとうまくやっていけるのか、ということのほうが気になるな。
「博打のかたに取られたのなら、買い戻すことも可能なのでは?」
「それが、こちらでいくら提示しても納得はせず、おそらくははじめから許可証が狙いだったのでしょう」
つまり若旦那くんは最初から狙ってはめられたわけか。
そうなると、あの気の弱そうな若者に抗うすべはなかっただろうなあ。
こう言う場合、善良な市民は逃げることさえままならぬように追い込まれてしまうものなのだ。
だからこそ、為政者がしっかり取り締まる必要があるのだが、ここの領主はどうも頼りないようだなあ。
それならそれで、領主に対して強圧的に出るという選択肢も浮かんでくるが、まあ自分で会ってみるまでは保留にしておこう。
だが、竜泉組なるチンピラ集団には遠慮しなくてもいいだろう。
とりあえず強引に許可証とやらを取り戻してくりゃいいんじゃね?
と、自分の弱さを棚に上げて雑なことを考えていると、宿のものが血相を変えて飛び込んできた。
「た、たいへんです、若旦那が一人で竜泉組のところに!」
さっき溺れてダウンしてた割にはアクティブだな。
あるいは彼女まで狙われてヤケになったのだろうか。
すぐ日和るおじさん的には、こうした若者の無鉄砲さには喝采を贈りたいという気もするので、さっそく後を追うとしよう。
一緒に飛び出していこうとする宿の連中にたいして、
「あなた達まで巻き込まれては、相手の思うつぼでしょう。ここは私に任せて、軽挙妄動は慎むように」
といい置いて、さっそく若者の後を追う。
スポックロンがフォローしているので若者の現在地はわかっている。
ここから少し山を登ったところに廃寺が有り、その奥に源泉に通じる洞窟があるそうだが、竜泉組はそこを根城にしているらしい。
現場に向かう道中、
「現場をモニター中ですが、件の若旦那が廃寺に乗り込み、許可証を返せと叫んでいますね。あ、今ヤクザ二人に取り押さえられて、寺に引きずり込まれていきました」
「大丈夫そうなのか?」
「寺の中にはすでにクロックロンが潜んでおりますので、もしものときは、先日の列車強盗と同じ要領で拘束します」
「ふむ。おいしい展開を狙いすぎて、しでかすんじゃないぞ」
「それはなかなか難しい注文ですね」
「他に気になる点は?」
「廃寺の中にはヤクザが三人、洞窟の方にも小さな社務所のような建物があり、ここに八人。他にもまだ何人かそれと思しき人物が周りを巡回しております」
「結構、頭数がいるな」
「社務所の一人は、ヤクザでは無いようですね。覆面で変装していますが、暴力を生業にしている人間には見えません」
「女かね?」
「女ですね」
「そうかあ」
「それが最初にする質問ですか?」
「関心の高い問題から確認していくべきだろう。それで、そいつが許可証を奪わせた黒幕的なやつなのか?」
「黒幕とは?」
「金目当てに若旦那に近づいたのなら、宿の方が買い戻しを提示した時点で乗ってくるのがプロの恐喝ってもんだろう。金額に折り合いがつかないというのならともかく、そう言う感じではなかったみたいだし、許可証の権利を得たい他の宿とかの仕込みじゃないのか?」
「プロではないのかも知れませんよ」
「それにしちゃあ、手際がいいんじゃないか?」
「そうとも言えません、婚約者の方にまでちょっかいを掛けるところなどは、それこそ下策と言えるでしょう」
「ふむ、そうなのかなあ」
「悪巧みの内容を盗み聞きしたところ、若旦那には脅しつけても怪我をさせるな、赤鼻の湯、これは婚約者の方ですね、こちらになぜ手を出したのかと詰問しております」
「その覆面女がか」
「そうです。それに対して、ヤクザのリーダーらしき男が、邪魔者は排除したほうが楽だろう、と開き直っている様子」
「ふーむ。よし、分かった!」
ぽんと手を打って、自説を披露する。
「その覆面女が若旦那に懸想して、許可証を餌に言い寄りつつ、恋敵のお嬢さんをやっつけようと……」
「ご主人様の場合、恋愛脳を通り越して、下半身で物を考えているように見受けられますね」
「褒めるなよ、照れるぜ」
「その気がなくても主人を立てるのが、良い従者の勤めでしょう」
「いいこと言うなあ」
緊張感の欠片もない会話を交わすうちに、目的地の廃寺にたどり着いた。
廃寺の少し手前で石畳の道は途切れ、穴だらけのあぜ道に植え込みの木も手入れがされず荒れ放題だ。
文字通りの廃寺だな。
経緯はわからんが、源泉を管理する施設に通じる洞窟もあるんだろうし、もっとちゃんと管理しておくべきじゃないのかね?
こう言うところをしっかりしないから、胡散臭い連中がはびこるんだよ。
心のなかでエア説教しつつ、状況を確認する。
いつものARな眼鏡をかけると、各種情報が目の前に映し出される。
「若旦那はポカリと一発やられて、柱にくくりつけられていますね」
「大丈夫かいな」
「まあ、大丈夫でしょう。おや、婚約者のお嬢さんが駆けつけたようです。ヤクザに気づかれると面倒なので、手前で抑えておりますが、会っておきますか?」
「いやあ、引き止めといてくれ。出てこられても邪魔になるだろう」
「でしょうね。ではそろそろ突入しますか。まずは若旦那の方から」
「一番安全な方法で頼む」
「ではムースで固めましょう」
様子を見ること三十秒ほど。
廃寺の中から雄叫びとも悲鳴とも取れる声が上がるが、すぐに静かになった。
静まったところででかけていくと、カマキリの卵みたいな泡に固められた人物が屋内に点在していた。
「とりあえず若旦那を助けるか」
「それはこちらにおまかせを。騒ぎを聞きつけて、奥の連中がやってきたようです」
「どうしよう」
「こちらも手勢を出すのがよろしいかと」
となると、セスとキンザリスに任せるか。
出番を作ってやらないと。
あとはクロックロンもたくさんいるし大丈夫だろ。
「ふむ、セスさん、キンさん、懲らしめてやりなさい」
俺が横着な指示を出すと、二人がさっと飛び出していく。
どこから湧いたのか、ヤクザ者は十数人はいるようだ。
とはいえ二人の敵ではない。
セスは手にした伸縮式の警棒でポンポン打ちのめしていく。
軽く打たれたように見えるのに、相手はぎゃあと叫んでクルクル回って地に伏せ、そのままうずくまってしまうし、キンザリスの方も、か細い腕でどかっと殴り飛ばしたり、自分より大きな男をさっと担いで放り投げたりしている。
強いなあ。
まあ根性一本槍の喧嘩と、しっかり修行した武術とでは相当な隔たりがあるものだ。
ものの数分でヤクザ集団が全滅してしまった。
これじゃあ、シメに紳士のご意向でひれ伏させる相手がいないじゃないか。
「そういえば、覆面女ってのは?」
姿の見えない黒幕らしき人物について尋ねると、スポックロンが洞窟近くの藪を指差した。
薄暗くてよく見えないが、葉っぱが揺れ動いたかと思うと、後ろ手に縛られた覆面女と思しき人物が出てきた。
捕まえたのはエレンだ。
「別口で網を張ってたんだけど、旦那が乗り込むってんで押さえちゃおうと思ってね。とりあえず許可証とやらは手に入れといたよ」
「おう、流石だな」
エレンから封をされた書類を受け取る。
一方、取り押さえられた覆面女は、神妙に黙りこむ。
この女を尋問すれば謎はすべて解けるんだろうか。
これが時代劇なら大立ち回りをした段階ですでに悪事は露見していてあとは裁くだけなんだけど、ぶっちゃけ今回はなんの下調べもしてないので、若旦那が悪い遊びを覚えてしでかしたってことしかわかってないんだよな。
名探偵の栄光は過去のもののようで、ボロを出して名探偵ファンのエットあたりが失望する前によきに計らってもらおう、と思ったら、よりにもよってこのタイミングでフルン達が飛び込んできた。
「あー、もう終わってた。ご主人さまが悪者退治するって言うから走ってきたのに!」
と残念がるフルン。
どうやらスポックロンが呼び寄せたらしい。
どこまで狙ってやってるのかわからんところが癪だが、かくなるうえは、名探偵らしい行動を取るとしよう。
すなわち、全てお見通しみたいなふりをしてハッタリをかけて真相を引き出すのだ。
「さて、申し開きがあるなら聞こうか」
覆面女に問いかけるがだんまりだ。
「話さぬのなら仕方がない。引き渡されるなら、盗賊ギルドとここの領主のどちらがお望みかな?」
そう問いかけると、覆面越しにこちらをにらみ、
「な、なんの権利があって、こ、こんな」
声を聞く限り、結構おばさんかな?
と思ったところで、AR眼鏡に情報が出る。
四十八歳既婚子持ち、とあるな。
こういうアレな情報だけ小出しにしてくるのはいかがなものかと思いつつ、会話を続ける。
「権利というなら、お前たちが恐喝行為を行いうる権利もないだろう。暴力はそれを肯定すると思いこんでいたのだろうが、それはより強い暴力にあっけなく覆された、ただそれだけのことだよ。観念したまえ」
覆面女はまただんまりを決め込もうとしたが、介抱された若旦那がやってくると、慌てて顔を背ける。
どうやら顔見知りのようだ。
若旦那に顔を見せて正体を暴かせてもいいが、俺の目的は罪を裁くことじゃないので、若旦那にはお引取り願おう。
「やあ、また無茶をしたもんだね、若旦那」
「ま、また助けてくれたんですか。あなたは、いったい……」
「私のことはいい。それよりも、これを持って帰りなさい。向こうで君の恋人も待っている」
そう言って許可証を手渡す。
「こ、これは!?」
「若いうちは道をあやまることもあるだろうが、今日ここに乗り込んだ時のような勇気を持って挑めば、どんな問題でも乗り越えられるだろう。さ、行きたまえ」
押し付けがましい説教と共に若旦那を送り返すと、彼は何度も頭を下げながら帰っていった。
改めて覆面女に向き直る。
「私としては前途有望な若者を助け出せば、それで目的は果たしたことになる。君の身柄は、適当なところに……」
「な、なにが前途有望なものですか、あの男は身分もわきまえずに、お、お嬢様を!」
「お嬢様というのは、君の主人であるガージンス家令嬢、リエヒア嬢のことかね?」
「なっ!?」
突然の指摘に驚いていたが、俺もついさっきAR眼鏡に情報が追加されて内心驚いていたところだ。
スポックロンに手玉に取られているようでアレなんだけど、どうやらこの女は、ここの領主の娘に仕える侍女らしい。
で、そのご令嬢リエヒアは、若旦那やその恋人と友人で、共に温泉好きだとある。
表示された情報はそれだけだが、それだけわかればあとは簡単だ。
その令嬢が若旦那に横恋慕でもして、気を利かせた侍女が結婚を邪魔しようとしたのだろう。
理屈はわからんでもないが、やり方が乱暴だなあ。
俺の日和見力をもってしても、穏便に収めるのは難しそうだ。
開き直ってこの件をネタに領主を脅迫して……いやいや、そんな阿漕な手段はもっとあとの方までとっておくべきだな。
「ここで尋問するのは、私の情けだと思うがいい。主人に迷惑をかけたくなければ、今のうちにすべてを話したまえ。悪いようにはしないよ」
少しだけ優しく言い聞かすと、覆面女はうなだれ、力なく打ち明け始めた。
「あ、あの男は、お嬢様の優しさにつけ込んで、た、たぶらかし……、にもかかわらず、自分だけ許嫁と結婚などと……」
あの若旦那にそんな甲斐性があるかなあ?
もしあったとしたら、せっかく口説いたんなら当然逆玉としてお嬢様に乗り換えるだろう。
そもそも、普通、貴族のご令嬢は平民とくっついたりしないぞ?
俺はどうなんだと言われたら、俺は世間的には貴族よりも尊い存在らしいしな。
百歩譲ってそのご令嬢が愛人として侍らすぐらいはあるかもしれんが、十中八九、この侍女の勘違いだろうなあ。
「それは、お嬢様の指示かい?」
「ま、まさか、お優しいお嬢様がそんな事を! ですが以前は明るかったお嬢様がこのところ塞ぎ込んで、大好きなお忍びでの温泉巡りもなさらずに」
「それだけの理由で、こんな事をしでかしたのか、君も横着な女だな」
「な、何を言う、お嬢様の幸せを思えば!」
「それでお嬢様の足を引っ張っていては、目もあてられんだろうに」
俺の言葉にうつむく覆面女。
浅慮ではあるが、さっきの若旦那にせよ、この侍女おばさんにせよ、まあこんなものだろう。
「まあいい。君の忠誠がどこまで正しかったか、直接ご本人に聞いてみるとしよう」
根回しと配慮の塊であるスポックロンの手配によって、いいタイミングで件のお嬢様が飛行機でここまで運ばれてきた。
立ってるだけで勝手に話が進むなんてありがたいことだなあ、と心のなかで地団駄を踏みつつスポックロンを憎しみを込めてじろりと睨みつけるが、電磁パルスの如き俺の強烈な視線は、爽やかな春風のようにすり抜けてしまった。
まあいいや。
音もなく降り立った小型飛行機、こっち風に言えば方舟に驚く覆面女の前に、絶世の美少女が降り立った。
やべえ、めちゃかわいい。
女性はみんな可愛いか綺麗の二択で評価するアレな男だが、このお嬢様は客観的に言ってもめっちゃかわいかった。
ペルンジャほどではないがスラリと背が高く、白い肌に白い髪。
その繊細な長い髪は軽やかにウエーブを描き、月明かりを受けて輝いている。
情報によるとペルンジャと同じルジャ族というらしい。
この国の貴族には多いそうだ。
そのかわいこちゃんは俺の前に跪礼する。
「お初にお目にかかります、クリュウ様。ガージンス家三女リエヒアと申します。あなた様のご高名は遠く海を超えたこの地にも鳴り響いております」
「はじめまして、リエヒア殿。私の名など、お耳汚しでなければよいのですが」
「まさかに。お会いできてこれほど喜ばしいことはございません。ですが……」
そう言って後ろの覆面女の前まで歩み寄る。
優雅な手付きで覆面を剥ぎ取ると、間髪入れずにほっぺたをひっぱたいた。
叩くというか殴るというかすごい音で、覆面を剥ぎ取られた侍女はその場にひっくり返る。
つええな。
「あなたは、何という馬鹿なことを!」
ひっくり返った侍女は、ヒイヒイ泣いて許しを請うているが、お嬢様はぐっと唇を噛み締め、感情の高ぶりを押さえているようだ。
改めて俺に向き直ると、再び膝をつく。
「このものの罪は私の罪、どうかいかようにもお裁きください」
見れば彼女の手は痛々しくはれている。
この細腕であんなに叩けば、捻挫の一つもするだろう。
さぞ痛かろうが、その痛みに気丈にも耐えていた。
そうすることで、侍女を守ってもいるのだ。
まだ若いのに、上に立つものの覚悟ができているんだなあ。
ならばその気持ちを汲んでやらねばならないだろう。
まあもともと裁く気とかないけど。
「いえ、あなたの裁きは拝見しました。これ以上は私が手を下すまでもないでしょう」
「しかし、街の人々にまで迷惑を」
「もし、そのことを償いたいというのなら、一つお願いがあります」
「何なりとお申し付けを」
「この街に迫っている危機について、ぜひともあなたのご協力が必要なのです」
「この街の危機とはいったい?」
我が事のように案じる領主のご令嬢リエヒアは、額に脂汗を浮かべ、顔色も悪い。
「その前に腕の手当をしましょう。さあ、お手を」
足元のおぼつかないご令嬢に手を差し伸べる。
控えめに掴み返した彼女の手が、ほんのりと柔らかく、だが確かに輝いた。
「こ、これは」
痛みも忘れ、光り輝く自分の体に驚くご令嬢に優しく微笑みかけながら、内心でガッツポーズを決める。
よしよし、ここからが俺のターンだ。
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