第420話 虹の滝
ゴウゴウと頭に響く音を聞きながら、ぼんやりと白いモヤの中を漂っているなあ、と思ったらいつのまにか飛行機のシートに座っていた。
飛行機と言っても、横幅が随分広く、二十列ぐらいある。
寝ぼけた頭で曖昧な記憶をたどると、どうやらこいつは恒星間旅客機の客席のようだ。
騒音の正体は、さっきまで見ていたビデオの音らしい。
スイッチを切って背伸びをする。
隣のシートで寝ていたフューエルは、ピンクの全身タイツというレトロフューチャーな出で立ちで、記憶より若干豊かな胸を静かに上下させていたが、不意に目を覚ましたようだ。
「あら、あなた、もうレグストンについたんですか?」
「レグストン? コバとか言うとこじゃなかったっけ?」
「コバ? どこのことです? まだ寝ぼけていてよいのなら、私も二度寝しますけど」
「そのほうがいい、俺は散歩でもしてくるよ」
シートを離れ、少し狭い通路をゆっくりと飛びながら移動する。
無重力での移動はなかなか慣れないもんだな。
いや、慣れるような機会があったっけ?
どうも本当に寝ぼけているんだろうか、記憶が曖昧だ。
まだペレラに住んでた頃の夢を見たせいだろうか?
むしろ、今この状態が夢じゃないのか?
夢なら眼の前にいるかわいこちゃんに突然キスしても許されるんじゃないだろうか。
などとふらちなことを考えていたら、目の前のかわいこちゃんが、急に顔をしかめて、
「いいわけ無いでしょ、そういうことは自分のヴァレーテにしなさい。まったく、放浪者ってこんなのしかいないのかしら?」
きれいに切りそろえたストレートの黒髪を揺らしながらプリプリしている美少女は、どうやら俺のことを知っているらしい。
いや、それよりも、
「もしかして俺の心の声が聞こえてた?」
「聞こえてたわよ」
「実は口から漏れてたとか」
「漏れてるのは、そこの横穴からよ」
振り返ると、隣りにいたのはセプテンバーグだった。
初めて会ったときのむっちりした姿と、生まれ変わった幼女体型の中間ぐらい、ちょうど女子高生ぐらいの外見だが、真っ白い髪だけはそのままだ。
「おまえ、いつからいたんだ?」
「ついさっきですよ。久しぶりに紅玉に会おうと思って」
そう言って黒髪ねーちゃんの方に目をやる。
「今の私はカーネリアよ。あなたはまだ、セプテンバーグみたいね」
「ええ、私の主人は出し惜しみするタイプなので」
「そのようね、うちのとは大違い。で、どうなの、ここで合ってるの?」
「おそらく。私の片割れが追跡中ですが」
そう言って窓から外を見る。
外は漆黒、というには色鮮やかな星間ガスで満たされた、けばけばしい宇宙だった。
帯状に広がった七色のガスが、滝のように流れているように見える。
「時空断層の名残ですよ、こうした場所はポテンシャルが低く通りやすいものですが、ストーム好みの宇宙規模の絶景と言って良いでしょうね。御覧ください、あのはしゃぎよう」
そう言って窓越しに、宇宙の一点を指差す。
見るとまばゆい光点がピュンピュンと飛び跳ねていた。
「あの辺りでしょうか、ビエラ・バスチラを追ったアーベ・ツァデの痕跡は、この航路と交差しています。あとは、あなたのペレラ・エンツィならトレースできるでしょう」
「そうね、ここから過去に逆算すれば、今から***時間前に、ペレラールに出現したことにできる。タイミングさえ合えば、そこで仕留めるわ。そっちはどうなのよ」
「過去にいるクソッタレ、おっとこれは私の表現ではありませんよ、そのクソッタレ側は、ご主人様がいいようにしてくれるでしょう。また、カウンタ上にいる私の本体を復活させる手はずは整っています。あとはご主人様に名前をつけていただくだけ」
「せいぜい私みたいに、色っぽい名前をつけてもらうことね、お姉ちゃん」
「ええ、期待してますよご主人様。おや、ご主人様?」
セプテンバーグの声になにか答えようと思うのだが、ゴウゴウとやかましい音が気になって意識が集中できない。
必死に口を動かそうとするうちに、何やら意識が混濁して、俺は深い眠りに落ちていった。
うたた寝していると、ミラーが起こしに来た。
どうやら船が目的地のコザについたらしい。
腹の底に響く低音が気になるな。
ミラーに尋ねると、有名な大瀑布の音らしい。
そりゃすごそうだ。
でもここの住人はこんな音に囲まれて暮らしてるのかな。
船を降りると空は赤紫に染まっていた。
ちょうど日没のタイミングだったようだ。
地平線を覆うジャングルの縁が、一瞬黄金色に輝いたかと思うと、すぐに消えてしまった。
視線を南に移すと、今度は遠くに黒い壁が広がっている。
地響きのような音があちらから聞こえてくるということは、あれが滝なんだろうか。
気にはなるものの、すでに暗くてよく見えないし、みんなぞろぞろと宿に向かって歩くので、調べるのは後回しにした。
どうせ明日は見学に行くらしいし。
宿についたと思ったら、慌ただしく着替えて出かける準備をさせられる。
なにやら晩餐会があるらしい。
面倒なだけだったので詳細は省くが、ここの領主とどうでもいい世間話をしただけだった。
ペルンジャちゃんの美しいドレス姿が見られただけマシだったと言えよう。
あ、もちろん家のご婦人方も負けず劣らず美しかったが。
あらためて宿に戻って一息つく。
堅牢な石造りの、お城みたいな宿は、分厚いカーテンや扉のおかげもあってか、ほとんど外の音が聞こえない。
逆にツーンと来る高周波のような独特の圧迫感が気になるぐらいだ。
まあ、酒でも飲めば気にならなくなるだろうと、宿に頼んでうまそうな地酒をじゃんじゃん運んでもらう。
晩餐会とかじゃ満足に飲めないしな。
というわけで、うまい酒をグビグビやっていたら、ひょいとエレンがやってきた。
どうやらカリスミュウル組も街に入ったらしい。
「いい宿だねえ、こっちは滝の騒音がやかましい安宿だよ」
そう言ってテーブルのボトルを鷲掴みにして、直接飲む。
「いやあ、酒もいいね」
「こっちはこっちでお偉いさんの接待とかあって窮屈だけどな」
「みたいだね、カリスミュウルはそういうのは嫌だと言って、宿に篭もってるよ」
「俺もそっちのほうが良かったかもなあ。それで、そっちは順調なのか?」
「まあね、例の親父さんを連れてきたので、今頃家族団らんしてるだろうさ」
「ふぬ、俺も挨拶しとかんとな」
「それはいいんだけど……」
空になったボトルをテーブルにデンとおいて、口元を拭ったエレンがこういった。
「どうもこっちはきな臭いね、ここのギルドは派閥が違うんで接触できてないんだけど、どうもねえ」
「ペルンジャちゃんが身の危険を感じている件と関係があると思うか?」
「さあねえ、ただ貴族や王族に危害を加えるってのは、なかなか大変なことだからね。田舎領主の娘を山賊がさらって身代金をせびり取る、みたいなのだと単発でもありうるんだけど、そもそもペルンジャみたいにそれなりに身分のある人物を狙うのは、相手も当然、それなりの身分のものだろ、となるとまず身の安全を守りつつ足がつかないように仕事をさせなきゃならない。少なくとも盗賊ギルドでは殺しはやらない建前だから、そういう技能を持った汚れ仕事のプロを子飼いにしておいて、いざという時に使う、なんてのが定石なんだけど、それにしたって色々と裏で金と人が動くわけで」
「そういうとこから煙が立ち上るわけか」
「それをいかに嗅ぎつけるかが、いい盗賊の仕事ってわけでね。さて、喉も潤したし、僕はもうちょっと外回りでもしてくるよ。旦那は明日は滝見物だろう?」
「らしいな」
「カリスミュウルたちも行くそうだから、そっちで合流するよ」
エレンは投げキッスを残して音もなく出ていった。
翌朝、滝見物でソワソワしてる連中と連れ立って、噂の大瀑布へと向かう。
街からは整備された街道を馬車でちょっとすすむと、やがて会話も大変な程、音が大きくなってきた。
スポックロンの用意してくれたノイズキャンセル付きの耳栓をして、どうにかまともに会話ができるほどだ。
馬車を降りると、そこは断崖絶壁の真下で、目の前には巨大な岩盤の壁がある。
もっとも高さは百メートルほどだろうか、魔界などでもっと巨大な壁を見たのでそこまでインパクトはないが、その先にある水の柱は、圧巻だった。
河幅一キロのラウズ河がV字にえぐれており、その両側から真っ白い泡を吹き出しながら、水が流れ落ちている。
まあ、なんというか、こりゃすげーな。
あちこちで沸き立つ飛沫が灼熱の太陽に照らされて虹を作っているのも実に色鮮やかだ。
うっとりと見とれていると、別の集団が近づいてきた。
どうやらカリスミュウル一行の到着だ。
「おう、おつかれさん。すげーなこれ」
俺が語彙力のかけらもない感想を述べると、カリスミュウルもうなずいて、
「うむ、すごいな。これほどのものを作り出す自然の力というものは、なんとも神の如き壮大さを感じるではないか。かつて南方では自然崇拝の土着信仰が盛んであったと聞くが、こうした景色を目の当たりにすれば、得心がいこうというもの」
するとどこからともなく現れたスポックロンが、
「この断層は今から千二百万年ほど前に作られたと推定されていますが、ここに滝が出現したのは割と近年のことですね。浸食で年一メートルほど後退しているので、あと一万年もしないうちに上流の湖に飲み込まれて、消滅することでしょう」
「ほほう。しかし地上は地殻の変動なんかはないんじゃないのか?」
「無いことはありませんよ。でなければ二億年もあれば地上は浸食でもっと陸地が減っていることでしょう。魔界の天井がプレート代わりになって、数千万年のスパンで、地上をこねくり回す仕組みがあるようです。もっとも我々の文明が誕生したここ二十万年ほどの間には、大規模な変化は観測されておりませんが」
「ふうん」
スポックロンの説明を聞き流しながら、あらためて滝を見る。
帯状に広がる真っ白い滝が陽の光を浴びてキラキラときらめく様子に、うっとり見入っていると、はしゃぎまわる子どもたちの叫び声が聞こえてきた。
耳栓は都合よく滝の音だけカットするので、話し声は素通りするようだ。
「ご主人さま、みてる? これすごい!」
とはしゃぐフルンに、
「師匠! 水があんなに落ちてる! 信じらんない!」
と騒ぐガーレイオン。
他の連中も似たりよったりで、興奮して走り回っている。
その中で唯一はしゃいでいない双子の幼女がポクポクと歩み寄ってきた。
「どうした、お前たちははしゃがないのか?」
と尋ねると、黒髪幼女のストームが、
「そうですわね、まあ絶景ではありますけど」
すると呆れ顔のセプテンバーグがこう返す。
「その年で自然を愛でる感性も摩耗しているようでは、先が思いやられますね」
「私ほどの感性の持ち主となれば、宇宙規模の絶景でなければ心が動かされないだけですわ」
などと言い合っている姿をみると、最近似たような会話を聞いた気がしてきた。
デジャブーかな?
「どうかしました?」
尋ねるセプテンバーグに、
「いや、なんかこう、デジャブーみたいなものを、さっき見た夢かなあ?」
「ご主人様の夢は夢であって夢ではないので、どこかでつながっているのでしょう」
「そうなのか?」
「私どもが出ていたのですか?」
「うーん、なんかこう……なんだっけな」
「必要なら時が来れば思い出すでしょう。思い出せぬなら、必要がないだけ。さあ、目の前の絶景を楽しもうではありませんか。これは私やその姉妹たちが、命をとして守った風景なのですから」
言葉の意味はよくわからないが、景色の素晴らしさはわかる。
俺は無心で、この自然の作り出す見事な風景に見惚れるのだった。
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