第390話 ルタ島

 ちょっとした航海を終えて、俺達はルタ島に上陸した。

 年間の三分の一は外界から閉ざされている割には立派な港で、久しぶりに会う親族や友人と抱き合う地元民、観光客を待ち構える宿のスタッフ、そして最大の目玉である試練の紳士を歓迎する神殿の関係者で溢れていた。


「スパイツヤーデの救世主にして偉大なる桃園の紳士様をお迎えでき、これにまさる喜びはありません」


 出迎えた偉そうな爺さんがそのようにのたまうと、続いて万歳三唱が始まり、この上ない歓迎を受けながら俺たちは街に入った。

 ここはグリエンドという街で、ルタ島でもっとも大きく人口も多いのだとか。

 島民の半数以上はここに住んでいて、街の隣には巨大なネアル神殿がある。

 ここが試練の拠点で、ここで儀式をしてから、島に点在する八つの塔を回る。

 島のサイズは淡路島よりちょっと大きいぐらいかな、と思うんだけど、正確にはよくわからない。

 整備された道は一部しか無いので、小さいとはいえ、一周するにはそれなりに時間がかかることだろう。

 聞くところによると、先行していた三人の紳士は全員、第三の試練の塔で何ヶ月も止まっていた。

 よほど難しい試練なのか、他に要因があるのかはまだわからんが、運が良ければ今から追い上げも可能な気もする。

 まあ、せめて今ぐらいはやる気のあるふりをしてもバチは当たらんだろう。


 そんな事を考える間に、俺達はぞろぞろと神殿に連れて行かれ、巨大な聖堂でなんだかありがたそうな儀式を受けた。

 アンがうやうやしく巻物を授かっていたが、後で聞いたところによると、あれが試練の朱印帳で、塔の最上部にある印を集めて来るらしい。

 要するにスタンプラリーだ。

 わかりやすくていい。

 その後もよくわからん儀式は続き、あまりの退屈さにあくびしかけたところを誰かにつねられた気もするが、最終的にどうにか乗り切ったころには日が暮れていた。

 結局儀式の内容はほとんど覚えていないが、その後の晩餐で出た料理はうまかった。

 荒々しい海で取れる新鮮な魚をふんだんに使った料理が実によかった。

 神殿で長く作り継いできたというエールもいい味だった。

 すっかり飲みすぎたので酔いを覚まそうと、少し酔っ払った頭で雑に変装して街に繰り出す。

 例のごとく、黒の精霊石の指輪をして外見もちょっと工夫しておけば、写真もテレビも無いこの世界ではまずばれない。

 お供のエレンと一緒に街をぶらついていると、目の前の屋台で丁度席が空いたのでひょいと飛び込んだ。


「やあ、お兄さん、今日来たのかい」


 五十絡みの綺麗に禿げ上がった店主がそう言ってジョッキをデンと出す。


「まあね、しかしすごい賑わいだな。初めて遊びに来たんだが、毎年こうなのかい?」

「そりゃあ、海開きのこの時期は、一年でもっとも賑わうもんさ。なんせ冬の間は島中が引きこもってるようなもんだ。もっともこの冬は数十年ぶりに試練の塔が復活して、紳士様もいらっしゃって盛り上がってたけどね。本土の方でも、毎日のように新聞を賑わしてたって聞いてるが、どうだったね?」

「たしかにそうだったな。紳士といえば、今日もなんか来てただろう、船が着いたら港に人が溢れてて、まるで自分が王様にでもなった気分だったよ」

「そりゃあいい、なんせ今日おいでになったのは、都の方でも評判の桃園の紳士様に、国王様の姪御様カリスミュウル殿下だろう、あっしも昼間見に行ったけど、そりゃあご立派な方だったねえ」


 上機嫌な店主がおまけしてくれたつまみの焼き鳥をかじりながら、グビグビ酒を飲む。

 うまい。

 飲みながら通りを見ると、肩を組んで歌いながら歩く若者や、孫の手を引いてニコニコあるく婆さんやらが、次々と通り過ぎていく。

 祭りだねえ。

 通行人の大半は地元民や町人、それに物見遊山の貴族っぽい連中だが、一定数冒険者もいる。

 まあ、冒険者はどこにでもいるもんだが、やはり塔の解禁とやらにあわせて、それ目当てで来た連中だろう。

 そこのところを聞いてみると、


「なんでも、紳士様が攻略した塔は、普通の冒険者も入れるようになるそうだよ。わかったのはつい先日なんだけど、たぶん本土の方にも知らせが行ったんだろうね。今日の船でも随分乗ってきてるようだねえ。今までこの島にはあまり冒険者がいなかったから、揉めなきゃいいんだが」

「冒険者は荒っぽいからな。しかしそれじゃあ、あとから来る紳士様は大変だろうな」

「そのことだよ、邪魔をしなきゃあいいんだけど」


 そうしてグダグダと飲んだくれていると、隣の客が代わる。

 二メートル近い大男で体つきもたくましいが、おどおどと肩をすぼめ、頼りない。

 風体は冒険者だな。

 年齢は多分二十代の前半だろう。

 体ににあわぬ小さな声で酒を頼むと、ちびちびと飲みだした。

 酔ったせいもあるのだろうが、興味を惹かれて珍しく男に声をかける。


「よう、兄ちゃん。試練の塔目当てに来たのかい?」


 気さくに話しかけると、若者は少しびっくりしていたが、人の良さそうな表情でそうですと短く答えた。


「立派な体じゃないか、強いんだろう」

「そ、そんな……ことは」

「一人かい? いくら強くても仲間がいないと大変じゃないかい?」

「仲間は、います。今は、ちょっと、用事で」

「ふうん、そうかいそうかい。ほら、もっと食いなよ、俺のおごりだ、そのでかい体でちびちび飲んでちゃおっつかんだろう。オヤっさん、兄ちゃんにこのうまい焼鳥をじゃんじゃん食わせてやってくれ」


 酔っ払いのテンプレみたいな絡み方をしながら話しかける俺と、調子に乗ってじゃんじゃん料理を出す店の親父の連携プレーで、気弱な大男の兄ちゃんは、恐縮しながらもりもりと肉を食べる。


「おいしい、です」

「いやあ、いい食いっぷりだねえ。遠慮はいらんよ、」


 若者に飯を食わせる喜びに目覚めたおれは、しばらくそうしておごり続けるのだった。

 そうする間も、通りはますます人で溢れ、にぎやかになっていく。

 どうやら夜通し遊び続けるらしい。

 酔っ払いが増えると、当然のように喧嘩も増える。

 今もすぐ後ろで取っ組み合いの喧嘩をしていたが、まあ元気が有り余ってる連中はどこにでもいるものだ。

 気にせず飲んでいると、男が一人、吹っ飛んできて、俺と気弱兄ちゃんの間に頭を突っ込む。


「おいおい、まだネンネには早いだろう、もうひと勝負してこい」


 と言って押し返すと、男はフラフラと乱闘の中に戻っていった。


「おじさん、肝が座ってます……ね。僕はどうも、喧嘩は苦手で」


 とつぶやく大男。


「そうかい? 俺なんかよりもはるかに強そうに見えるが、まあ、強さと喧嘩好きは関係ないわな。だけど冒険者なんて商売は、腕っぷし以上に度胸が重要じゃないのかい?」

「そう、かもしれません。でも、僕の従者がどうしても、っていうから、仕方なく」

「ふうん、従者がいるのか。ホロアかい?」

「はい、そうです。僕には過ぎた従者……なんですけど」

「ははは、ホロアってやつは、慎ましいようで、案外、我が強いからな、たまには自己主張するのも大事だぞ」

「おじさんも、ホロアを連れてますよね」


 そう言って隣のエレンを見る。


「まあね、かわいいもんだろう、自慢の従者でね」


 と言ってエレンの背中を叩くと、ぶっと吹き出した。


「なんだい旦那、急に褒めだして、いくらうまいからって飲み過ぎじゃないのかい?」


 とおどけると、店の親父が、


「大丈夫だよ、姉さん。ルタ島の酒はいくら飲んでも悪酔いしないと評判なんだ」

「そりゃあすごい、じゃあ、もっと飲ませてもっと褒めさせよう、ほら旦那、飲んだ飲んだ」


 そう言ってジョッキを押し付けるエレンを見て、周りの連中も皆笑う。

 気弱兄ちゃんも控えめに笑っていた。

 若者に奢って気持ちよく酔っ払っている間にも、乱闘はますます激しくなる。

 流石に誰か止めたほうがいいんじゃないかと思っていたら、突然人混みの向こうに眩しい光が立ち上る。

 あれは、紳士の輝きだ。

 たちまち喧嘩が収まり、人々の群れがさっと左右に分かれる。

 ザワザワと控えめにどよめく周りの連中の声に耳を傾けると、現れたのは、吉兆の星コーレルペイトという紳士らしい。

 めでたそうな二つ名だな。


「皆さん、せっかくの祭りの夜です。羽目を外すのは良いですが、他者への迷惑は程々に、楽しみを分かち合いましょう」


 ささやきかけるような、それでいてよく通る澄んだ声の中年男で、坊主みたいなローブをまとった質素な男だ。

 後ろに従う五人の従者も、同じく地味なローブ姿だが、分厚い布越しでもわかるナイスボディだ。

 こう、歩く時にわずかにわかる体の輪郭が、明らかにムッチムチなんだよな。

 それ以前に、乳と尻がでかすぎてローブでも隠しきれていない。

 ガーレイオンが見たら、さぞ羨むことだろう。

 一方、騒いでた連中は相手が紳士と知ると、急におとなしくなって退散してしまった。

 どっちも野暮な気がするが、まあいいか。

 紳士コーレルペイトはそのまま通りを抜けて、宿の並ぶ通りの方に消えていった。

 隣で飲んでいた若者は、それを一瞥すると、また飲み始める。


「いまのが噂の紳士様か。しかしあのコーレルペイトってのは、秋には上陸してたんじゃなかったのか? それとも、試練はもう終わったのかな?」


 とつぶやくと、気弱兄ちゃんが、ぼそりと、


「紳士たちは皆、第三の試練で足止めを食っていました。それが先日終わったので、ここに戻ってるんです」

「もしかして、塔を攻略するたびに、毎回戻ってくるのか?」

「そうです」

「そりゃ大変だな、なんでそんな面倒なことに」

「よく、わからないんですけど、聞くところによると、その方が神殿が盛り上がるから、とか」

「ははあ、たしかに、毎回試練を終えた紳士が凱旋すると、見学の客も喜ぶわな」

「そうです、それが、とても、面倒で……」


 我が事のようにいうが、もしかしてあれか、この若者も……。

 そこに背後から若い女の声がかかる。


「またせたな、神殿の手続きで、ちと手間取ってな」


 声の主は、小柄な女魔導士だ。

 見かけは小娘のようだが、多分そこそこ年季の入ったホロアだ。


「うん、大丈夫。こちらの人に、ごちそうになっちゃって」


 とはにかむ気弱兄ちゃん。


「そうか、主人が世話になった。次の機会には私に奢らせていただきたい」

「なに、こっちも楽しませてもらったよ。君も良い主人をもって幸せものだな」

「うむ、こればかりは、従者にしか味わえぬ特権であろうな、お連れのご婦人もそうであろう?」


 小柄魔導師がそういうと、話を振られたエレンはニヤリと笑う。


「では今宵は失礼する。我らの道程に、共に女神の加護のあらんことを」


 そう言って、主従は去っていった。


「今のがあれか、ピルとかいう賢者か。若者の方の名前は何だったっけ?」


 というとエレンが、


「女の名前だけは面識がなくても覚えてるんだねえ。彼が深愛の虎ブルーズオーンさ」

「あれがかあ、新聞にはよく乗ってたよな。凄い剣豪みたいな噂だったけど、実物は随分とシャイなんだな」

「みたいだね」

「それよりも、みんな第三の試練で止まってたのか。もっと進んでるようなことを言ってたような」

「なにか第三の試練は、春が来ないとクリアできないものだったらしいよ」

「まじかよ、それってもしかして今から始めると、来年まで待たされるとか言うことはないだろうな」

「そればっかりはやってみないと」

「じゃあ、ぼちぼち帰って寝るか、明日はどうせ早いんだろう」

「それがいいね」


 勘定を済ませて屋台を後にする。

 その日は神殿が用意してくれた立派な宿で宿泊となったのだが、いろいろ行事づくしで疲れたのか、早々に眠ってしまった。




 そして翌日。

 街にいるとやかましいので、早々に出発することにする。

 可愛い弟子のガーレイオンは、夜明けとともに街を出ていた。

 一緒に馬車に乗っていくかと勧めたんだけど、これも試練の一部だと思いますとかなんとか言って、徒歩で出発してしまった。

 あっちは俺と違って、まだ知名度が無いので取り巻きもおらず、スムースに出発できたようだ。

 まあ、試練をこなすうちに有名になってくるんだろう。


 ルタ島にある八つの塔は、厳密に順番が決まってるわけではなさそうだけど、教会の推奨するコースがあるようだ。

 ここの神殿のそばに生えてる塔から初めて、島を反時計回りに一周するのが定番らしい。

 五百年前に島が開いた時に、紳士クーモスがその順番で巡ったからとかなんとか。

 当時と今の復刻された塔では若干生えてる場所に違いがあるそうなんだけど、わざわざ別のコースを選ぶ理由もないだろう。


 というわけで、馬車に揺られて第一の塔を目指す。

 のんびり行って一時間程度の距離だ。

 取り囲む歓迎の人々に手を振っていたら、街を出るだけで小一時間かかってしまったので、次からはもうちょっとやり方を考えたほうがいいかもしれない。

 カプルたちは最終的に馬車を大小三十台ぐらい用意したらしい。

 多すぎる気もするが、ミラーを除いても六十人からいるメンツを運ぶなら、最低十台ぐらいは馬車を連ねることになるわけだ。

 正直、やりすぎなので減らしたいんだけど、しょっぱなから内なる館で待機させるのもどうかと思うので、最初ぐらいは馬車を連ねて大名行列のごとくキメてみた。

 先頭ではエーメスが騎乗で旗を掲げ、その後ろに他の騎士連中が続く。

 みんな自分の馬に乗ってるんだけど、魔族騎士のレッチルは、巨人戦士のレグと一緒にちょっと大きな戦車で進む。

 その後にぞろぞろと馬車が並び、殿はオルエンだ。

 これが俺のための行列かと思うと、権威にむとんちゃくな俺でも、ちょっとは圧のようなものを感じるな。

 まあいいや、こういうパフォーマンスも時には必要なんだろう。


 俺は車列の中間に位置するリムジン仕立ての馬車に、マダム連中と一緒に乗り込んだ。

 馬車を引くのは太郎と花子だ。

 もっとも、この馬車はエアコンを始め無駄に装備に凝ってるので、以前の二両編成の時よりも重量が重くて馬二頭では引っ張れない。

 そこでこっそりモーターで補助してるらしい。

 いろいろ体裁も繕わなきゃだめだしな。


「ふう、やっと落ち着いたな。にぎやかなだけの行事にはなれているつもりだが、こうも畳み掛けるようだとな」


 ふかふかのソファで伸びをしながらカリスミュウルがそう愚痴る。


「たしかに、まるで珍獣扱いだよなあ」

「ま、精々愛想を振りまいておくのだな。偉人に手を振ってもらったという記憶は、生涯心に残るものだと聞くぞ」

「たしかに、王様とかって愛想よく手をふるイメージが有るな」

「いくら権力を積み上げようと、民の支持なくしては続かぬものよ」


 不毛な会話を繰り広げる間も、馬車は順調に進む。

 窓の外を眺めると、整備された街道の両側には、一面の花畑が広がっていた。

 外の空気を吸おうと窓を開けると、なにげにパワーウインドウだった。

 窓が開くと暖かい風にのって花の香りが入ってくる。

 のどかだねえ。

 実際、馬車を降りて歩いてもいいぐらいの、穏やかな天気だ。

 眺めも最高だしな。

 ちょっと顔を出すと、すぐ横を馬で並走していたクメトスと目があう。


「いい景色だな」


 話しかけるとうなずいて、


「ええ、実に素晴らしい土地です。これほど近くでありながら、一度も訪れたことがなかったことが悔やまれるほどです」

「そういや、商店街の連中も、誰も行ったことがないって言ってたな」

「地元であるがゆえに、かえって疎遠になるのでしょうか」

「まあ、そういうこともあるかもしれん」


 空を見上げると、春っぽい雲がひとつ、ポッカリと浮かんでいた。

 その雲が流れていくさまをのんびり眺めていると、フューエルが横から顔を出す。


「いい天気ですね、旅の始まりが天気にも恵まれて女神に感謝しないと」

「そういう殊勝なやつは任せるよ」

「じゃあ、いつ感謝するんです?」

「そりゃあ、空から女の子が降ってきたときかなあ」

「降ってきた子もいるでしょう」


 そういや、パマラちゃんは空から降ってきたんだっけか。

 あれはストームに感謝しといたほうがいいのかな。


「それにしても、いい馬車ですねえ、むしろ快適すぎて物足りないぐらいですよ」


 などと言いながら、ソファの上でぼよんぼよん飛び跳ねてみせるフューエル。

 お子様だなあ。

 俺ももうちょっとはしゃいだほうがいい気がしてきたが、はしゃぎ方を決めかねているうちに、目的地についてしまった。


 最初の試練の塔は、外見はオーソドックスなステンレスのピカピカの塔だ。

 できてまだ一年かそこらなので、真新しい。

 街とは違って、試練の現場には、あまり観光客はいない。

 試練とかいう崇高な使命に挑む紳士への配慮らしい。

 まあ、得てしてこういうのは周りの方が重苦しく考えてるもんだ。


 この場にいるのは、教会から派遣されてこの地を管理してる役人がワンセットぐらいだった。

 とはいえ、冒険者にも開放されるらしいので、じきに人が増えるかもしれない。

 役人に話を聞くと、キャンプ地を紳士とそれ以外で分けてあるそうで、紳士向けのキャンプ地に移動する。

 そちらでは先行したガーレイオンがちょうどテントを設営するところだった。


「師匠、早かったですね!」


 にこやかに笑うガーレイオン。

 男装させるのがもったいないぐらい可愛いなあ。

 だけどまあ、男装は男装でまたいいものだ。


「そっちはどんな調子だ」

「僕たちもさっきついたところで、あんまり風が気持ちいいもんだから、ついのんびり歩いちゃって。まだ春先だって言うのに、故郷の夏よりあったかくてびっくりしちゃった」

「そうかもしれんなあ」

「テントを張ったら、さっそく塔に入ってみようと思うんだけど……」


 そう言って隣のリィコォちゃんを見やる。

 こちらはソフトボールぐらいの真っ白い球体を渋い顔でいじっていた。


「まだできないのか?」


 と尋ねるガーレイオンに、ちょっとイライラした声で、


「ちょっと静かにしてください、これを、こうして……あれー、これでいけるはずなのに、うぐぐ」


 ポケットから小さな端末を取り出し、説明書を読む。

 どうやらこのソフトボールがテントになるらしい。


「だから普通のテントを持っていこうって言ったじゃないか」

「そんなこと言ったって、パーチャターチが持っていけって言うし、それにそんなにたくさん荷物を担いでちゃ、旅もできないでしょう」

「そうだけど、自分は鍋とかいっぱい持ってきたじゃないか」

「鍋もなしで、どうやってご飯を食べるんです!」

「ご飯なんて干し肉とビスケットをポケットに詰めるだけ詰めればいいだろ!」

「そんな食事じゃ三日と持ちません! 試練には何ヶ月もかかるんですよ!」


 少女カップルの痴話喧嘩は延々と続く。

 あんまり可愛すぎて、にやけそうになるのを堪えるのが大変だ。

 結局リィコォちゃんはテントをうまく作れなかったので、スポックロンを呼んできてかわりにやってもらう。


「またこんな面倒なものを。もう少しユーザビリティの高い製品もあるでしょうに。あ、先にそこの荷物をどけておいてください。あと大きめの石も取り除いていただけますか」


 などと言いながら、ソフトボールをクニクニいじっていたら、突然青い光を発した。


「これを地面に設置して……と、さあ、ちょっと距離をとってください」


 言われるままに離れると、青い光が点滅しながら周りに広がり、直径三メートルほどの円を描く。

 次の瞬間、ポンという小さな破裂音とともに、ドーム状のテントが出現した。

 こちらは薄いフィルムで覆われただけで、中も空っぽなんだけど、まあボール一個分でこれが持ち運べるってのは凄いよな。

 最近、凄いものが多すぎて感覚が麻痺してるけど、案外これぐらいのアイテムの方が、汎用性が高いのかもしれない。


「ああ、よかった。一時はどうなるかと。ありがとうございました」


 リィコォちゃんはそう言って頭を下げるが、ガーレイオンはまだブツブツ言っていた。


「ほら、ガーレイオンもちゃんとお礼言ったら荷物をしまって、片付けたら塔を覗くんでしょ」

「そうだった、師匠ありがとう! 師匠も塔に行くの?」


 ピュアな瞳で問われて、めんどいから今日はやめておく、とも言い出せず、


「うちは大所帯だから、設営に時間がかかるし、今日はどうなるかわからんな。俺に気を使わず、先に行くといい。気をつけてがんばれよ」

「うん、わかった」


 元気良くうなずく声に重なるように、リィコォちゃんの叫び声が響く。


「ああっ、卵が割れてる! ガーレイオン、食材の袋、雑に扱ったんでしょう」

「ええ!? 知らないよ、僕」

「ああもう、小麦までべっちょり。どうするの!」

「どうって言われても」

「これ、使わないとくさっちゃうじゃない。塔は後回しにして、料理するから手伝ってください。そのあと、買い出しにもいかないと。お店のある村まで三十分って聞いてるけど……」

「ええっ!? せっかく目の前に試練の塔があるのに……」

「つべこべ言わないの、ご飯を食べられなきゃ、試練だってできないでしょ! 人の三倍食べるくせに」

「ううぅ、試練……」


 食材ぐらい分けてあげてもいいんだけど、若者の自立を促すのも年長者の努めだろう。

 困ったことがあったら、いつでも来なさいと言い置いて、自分のキャンプに戻ったのだった。

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