第377話 調伏の儀

 アルサの街も、春と言っても申し分ない陽気になってきたその日の午後。

 裏庭にテーブルを並べて、フルン特製ボードゲームで遊んでいた。

 リアルでありながらも程よくデフォルメされたモンスターのフィギュアは、美術学生シェキウールちゃんがCADと3Dプリンタのような古代技術を駆使して作ったものだ。

 彼女らの順応力の高さにも驚くが、コンピュータに一切馴染みのない人間でもいじることができる古代技術のユーザビリティの高さも驚きだよなあ。

 あれをみていると、昔、同僚の祖父がテレビのリモコンが使えないんだけど、どう教えればいいのかわからないといってた話を思い出す。

 たとえばチャンネルボタンのように機能とボタンが一対一のものはわかるんだけど、十字キーでカーソルを動かす操作がわからないのだとか。

 たぶんカーソルのようなシンボルが概念的に理解できてないっぽいんだけど、それをどう説明すればいいのかわからないと言われて、逆に自分が子供の頃、テレビゲームなんかで初めて階層メニューに触れたときに、どうやってその概念を獲得したのか覚えてるか、みたいな話になって、結局よくわからなかったんだよな。

 このCAD的なアプリだと、粘土や絵筆みたいな具象的なものだけでなく、俺が見てもちょっと悩むような抽象的なインターフェースもあって、それらが非常に相補的にサポートしてくる感じがある。

 あとまだるっこしいチュートリアルではなく、やりたいことを伝えると動的にUIが変化していったりもするようだ。

 そういう部分には興味があるので、いずれじっくり腰を据えて勉強したいなと思うんだけど、今は忙しいからなあ。

 まあ、忙しいとか準備ができてないとか言って手を出さないときって、それほど興味がない証拠でもあるので、今はその時じゃないんだろう、たぶん。


 それはさておき、このフィギュアだ。

 樹脂製だというが、琥珀のような美しさがあり、色も多彩だし、しっとりと手に馴染む質感もいい。

 俺が見ても相当なクオリティだと思うが、高級品を扱い慣れたレアリーでも、こんな商品は見たことがないという。


「古代の遺跡から、こうしたステンレスの一種で作られた人形などが発掘されることはあるそうで、貴族の収集品を見たことはありますが、これを現代に蘇らせたのだとすれば、驚くべき価値を持つと思われますわね」

「まあでも、古代遺跡の技術ってやつは、あんまり無条件に広めるわけにも行かなくてな、扱いが面倒な気はするな」

「それは難しいところですけれど……例えば錬金術師などは、その技術を秘匿することで価値を担保しておりますから、その延長で、これも特殊な錬金術で作り上げたという触れ込みでアピールするのはどうでしょう」

「ふむ、そんな感じかなあ」

「単価的にはどうなのでしょう。チェスなどであれば、腕のいい職人の仕事になれば数十万Gはくだらないと思いますけど、これに関しては材料も人件費も、ちょっと想像ができませんもの」

「どうだろう、いくらぐらい掛かるんだ?」


 と尋ねると、ミラーがこたえる。


「材料は現在一般に流通している素材ではありませんので、一概にはお答えできかねます。当時の物価からの類推で行けば、これは安価な樹脂製ですから千個ロットで百G程度でしょうか。ただ基地の維持費なども計算するならば、たとえばノード18を一日フル稼働させる費用は一億Gを上回ります。現在稼働中の生産プラントだけでも、相当な額になるでしょうが、現状ではノード18の本体がタダ働きで埋め合わせているという見方もできます。結論としましては、こちらの製造費はタダ同然、ということになります。お役に立ったでしょうか」

「どうにもよくわかりませんね、ノード18というのはそもそも何なのです?」

「ノード18はいわゆる遺跡の一つです。遺跡にも色々ありますが、我々やクロックロン達を製造した、十万年前の文明が残した遺跡を管理する制度体制だともいえます。ノード18はその十八番目のもので、管理者の複製がスポックロンとなります」

「管理者の複製、というのもよくわからないのですが」

「我々ミラーはすべて別個体ですが、同一の複製だとも言えます。それと類似の関係ですが、この説明ではご理解いただけないでしょうか」

「あなた達は外見が同じ型のようなものと言うだけではないのでしょうか? 例えば双子のような」

「外面的にそう見えることは否定しませんが、実際は我々の思考は多くの部分で共有されています。常に見聞きし、感じたことを全員が共有し、それに基づく判断もまた、共有しています。今こうしてあなたと話しているのは私ミラー201号であると同時に、残りのミラー二百五十五体の全体でもあるのです」

「ごめんなさい、ちょっと理解が及ばないようです。ですが重要な概念のようですから、時間をかけて理解したいと思うのですけど、それでいいかしら」

「かしこまりました。本件の理解には古代文明に対する多方面の知識が必要になるかと思われます。以前カプルたちに施した教育プログラムを改良中ですので、そちらを試していただこうと思います」


 わからないときにわからないって言えるのは強いよな。

 そんな事を話しながらボードゲームで遊んでいると、地下からサウが出てきた。


「シェキル来た? 今日も学校終わったら来るって言ってたんだけど」

「いやあ、まだみたいだぞ」

「あらそう、ところでそれどう? 良く出来てるでしょ」


 と言ってテーブルに転がるフィギュアを手に取る。


「ああ、すごい出来だな、あとは需要さえ開拓できればいいんだろうけど」

「そこが問題よねえ、やっぱりおもちゃだから子供のいる家庭に売りたいじゃない。それでほら、大衆に売るならそれがあって当たり前の状況を想定しろって言ってたでしょ、でもこのゲームがある状況ってのがねえ」


 それを聞いたレアリーが、


「一点物の高級品と大衆向けの量産品では取るべき戦略は違ってきますわね。メイフルは高級志向で行きたいようですけど、今のように景気の良い時代には、大衆に向けて広く薄く売るのは重要ですわ。古代の経済論では、大量生産大量消費という社会構造における経済のあり方を論じたものがあるのですけど、そこで扱う数字はとても現代の社会では理解できるものではなかったのです。ですがさきほどミラーが言ったようにもし低コストで大量に作る技術があるのであれば、そうした理論も現実味を帯びてくるというものですわね」


 などと話しは盛り上がったが、その日は結局、シェキウールちゃんは来なかった。




 翌日の夕刻、来客があった。

 学生寮長の姉で、レアリーの後輩に当たる女学生のカーシーちゃんだ。


「おやいらっしゃい、俺に用事かい? それともレアリーかな」

「両方ですが、まずはレアリー先輩にお祝いをと思いまして」


 そう言って学生らしい、こじんまりとした花を贈る。

 こういうマメさが、商人の卵ってとこなんだろうな。

 一通りレアリーとの会話を終えてから、改めて俺に向き直ると、


「それから、シェキウールからの言伝がありまして、あの子、昨日ご両親から呼び出しがあってコンザに帰ってるんです。それで二、三日顔を出せないだろうって」

「ふうん、何かあったのかな?」

「心配するようなことではなかったようですが、あの子の両親は、たしか貿易商でしょう。ちょうど船が戻ったのではありませんか?」

「なるほどね、まあこっちも彼女に急ぎの用事があるわけでなし」

「そういえば、なにか新しい商品を開発中だとか」

「見ていくかい? なかなかおもしろいと思うんだけど、若い子の意見も聞きたいねえ」


 その後はカーシーを交えて、商売談義に花を咲かせたのだった。




 夜になった。

 サウが珍しく地下から出て、暖炉の前でスケッチをしていたので横から覗くと、ペンはぐねぐねと意味のない線を描いているだけだった。


「スランプか? それとも友人が恋しいのかね?」

「どうかしら、ここに来てから、ずっとがむしゃらに仕事ばかりしてたけど、今度の展示で、ちょっと自分の進むべき道みたいなのが、ほんのちょっとだけ見えた気がしたのよね。でもそれって、私だけの道だと思ってたけど、もしかしたら彼女も同じ方向を向いてるのかも知れないって思って、そしたら今まで感じたことのないやる気みたいなのが湧いてきたのよ。でも、やっぱりそれは気のせいかも知れないし、もし違う方向を向いてたからって、自分の歩みが止まるわけでもないと思うんだけど、でもなんかほら、今はちょっとだけ、彼女と一緒にやるのが楽しいって思い始めたところだったから、ほんの数日でも随分長く感じられて、それで彼女の方はどう思ってるのかなあ、とか、色々考えるじゃない。でもそういうことを考えてると、手が止まっちゃうのよね」

「ふうん、まあそういう絵かきの気持ちは俺にはわからんが、そんないつでも全力で描けるもんでもないだろう」

「そうかしら?」


 といって大きくため息をつくサウ。


「はー、シェキル、ご主人さまと相性良ければいいのに、ねえ、確かめてみた? まだなの? 普段はもっと手が早いでしょ!」

「そうは言われてもなあ、彼女、ほとんどお前とべったりで、ろくに話したこともないんだぞ」

「そうだったかしら? じゃあ、次に来たときにでも、ちょっと確認しといてよ、そもそもプリモァだから体が光るとも限らないし、脈がありそうならそれでいいんじゃないの?」

「そういうのは本人の意志もあるだろう」

「別にいいじゃない、古代種なんだし、彼女だってここで一緒にやりたいと思ってるに違いないわ、ここには申し分のない設備が整ってるし、予算も仕事もたくさんあるじゃない、学校だって続ければいいし、やめたっていい。彼女の両親は放任主義だって言ってたし、それに……」


 まるでゴーギャンに恋い焦がれるゴッホみたいだな。

 耳を切り落としたりしなきゃいいけど。

 芸術家ってのはよくわからんからなあ。

 どうにかしたほうがいいんだろうか。

 そんな俺の心配を他所に、ペンをほっぽりだしたサウは、集会所から帰ってきたイミアたちと一緒に酒盛りを始めてしまった。

 こういうときは、カプルに相談かな。


 地下室に降りていくと、彼女たちのオフィスはますます巨大な装置に占拠され、シャミは宙に浮かぶ椅子に座って周囲を立体映像に囲まれながら、すごい勢いでなにかのオペレーションをしていた。

 どこまでパワーアップするんだ?

 カプルの方はといえば、部屋の隅でソファに寝そべり、小さなタブレット端末で何かを読んでいた。

 あまりに自然にやってるけど、こっちもこっちでハイテクだなあ。


「あらご主人様。新しい従者のお相手はもうよろしいんですの?」

「新旧まんべんなく、相手をしないとな。それよりサウのことなんだけど」


 と相談してみるが、


「今のところは心配いらないのでは? 彼女、ずっと一人でやってきたでしょう。私やシャミのように、同門の仲間とともに切磋琢磨するという経験がないままに、プロになってしまったものですから、ちょっと戸惑ってるんだと思いますわ」

「そんなもんかね?」

「それで長くスランプに陥るようなら考えますけど。もちろん、シェキウールさんをナンパするのであれば、強く推奨したいところですわね。サウの件は抜きにしても、面白い子ですわ」

「気軽に言ってくれるなあ、まあ考えとくよ」


 いつも面倒を見てるカプルがそういうのなら、たぶん大丈夫なんだろう。

 油断してると、予想外の方面から問題がやってきたりするんだけど。




 翌朝。

 連日の飲み過ぎで眠りが浅く、朝も早くからけだるい体を持て余していると、また来客がある。

 俺も交流が増えたせいか、最近は頻繁に来客があったりするんだけど、大半は俺が直接相手をする必要がないんだよな。

 特に相手が男だと。

 今日の客も残念ながら中年の男だが、珍しく名前を覚えている相手だった。

 赤竜第四小隊の騎士で、名前はベークス。

 早駆けの名手で、レルルの先輩筋の騎士でもある。


「早朝に失礼します、サワクロ殿。実はこの娘が貴殿の知り合いだと申すので」


 みると彼の後ろで馬にまたがっていたのは、美術学生のシェキウールちゃんだった。

 いつもの様子とはうって変わって、気の毒なほどに憔悴しきっている。


「た、助けてください。サウが、あなたは本当はすごい力があって、難しい問題も何度も解決してきたんだって言ってたから、それに騎士様もあなたの名前を出したら、おまかせしたほうがいいって、だから……」

「落ち着いて、シェキウールちゃん。俺にできることなら何でもするが、その顔色からして尋常な事態じゃなさそうだ。まずは体を休めてから」

「でも、急がないと父がおかしくなって、それで……」


 混乱するシェキウールをなだめるが、すっかり取り乱している。

 騎士のベークスも、彼女をなだめながら、


「大丈夫だ、お主の父親は我々が保護している。落ち着いて事情を説明するがよかろう」


 ベークスは赤竜の古株なのに、割と常識人の頼れる大人って感じだなあ。

 ひとまず二人を裏庭の家馬車に入れる。

 家の中はベークスのボスであるエディがだめな大人の見本みたいな格好で寝てるからな。

 うちも店の方とは別にちゃんとした応接間ぐらい、用意すべきだろうなあ。

 ミラーにお茶を用意してもらい、シェキウールちゃんを介抱すると、徐々に顔色が良くなってきた。


「ありがとうございます、ちょっと、落ち着いてきました」


 そう言って彼女はゆっくりと事情を話し始めた。


「私の両親は、南方で貿易商をやっています。私が生まれる前は大きな海運商にいたらしいんですけど、今は南方に拠点を構えて小さな商いを。それでたまにしかこちらには帰ってこなくて、私も学校に入る前はコンザにいる祖父に育てられたんですが……」

「うん」

「それが年末に両親が帰ってきた時に、急に結婚して婿を取れ、南方に渡ってあとを継げって言い出したんです」


 彼女自身はまだ学業を続けるつもりだったし、婿を取ることの是非はともかく、結婚自体、まだ考えてなかったのでその時は反対したのだという。


「母はそこまで無理強いはしないけど、考えてくれってぐらいで、ただ父がすごく乗り気と言うか、なんだか人が変わったみたいに」

「人が変わった?」

「はい。昔からちょっと度が過ぎるぐらいのお人好しというか、気弱な性格で、声を荒げる所なんて見たこともなかったのに、私が反対すると、急に癇癪を起こして………」

「ふむ」

「とにかく、その時は母がとりなしてくれて収まったんですけど、今回は母が言っても聞かなくて、しまいには母に手を上げようとして、今まで口喧嘩さえしなかったのに」

「それは大変だったね」

「それで、私、どうしたら良いかわからなくて、その、父が妙に恐ろしく感じて……とにかく何か理由をつけてでも、断ろうと考えてたら、あなたとサウのことが浮かんで……」

「ふむ」

「それで、私はあなたの従者になる約束をしているからダメだって、つい言っちゃったんです」

「言っちゃったか」

「す、すみません。でも、それからが大変で」

「うん?」

「父が突然暴れだして、わけのわからないことを言い出して」

「わけのわからないこと?」

「従者など、神の摂理に反する呪われた下僕だ、とか、悔い改めねば怒りの炎が魂を喰らい尽くすとか」

「物騒だな」

「あんまり暴れるものだから、街の警吏の人とかもやってきて父が捕まっちゃって」

「そりゃあ、大変だな」

「私……もう、どうしたらいいのかわからなくなって、事情を説明しているうちに、あなたの名前を出したら、こちらの騎士様があなたのことを知っていて、優れたお方だから、きっと力になってくれるだろうって連れてきてくれたんです」

「そうか、頼ってくれて、嬉しいよ」

「でも、どうしてこんなことに……」

「事情はだいたいわかった。少し思い当たることがあるから、専門家を連れてこよう。ちょっと待っててくれるかな」


 そう言って家に戻ってデュースを探す。


「あらー、もう晩御飯ですかねー」


 まだ寝ぼけていたデュースを叩き起こして、今の話を聞かせると、滅多に見せないような顔になって俺の言葉を一つずつ確認する。


「もう一度お聞きしますがー、従者は呪われた下僕、そう言ったんですねー」

「そうなんだ」

「あとは直接ー、そのお嬢さんの話を聞かなければいけませんねー」

「裏の家馬車に待たせてる」

「ではー、参りましょうかー」

「その前に顔を洗って着替えたほうがいいぞ」

「……それもそうですねー」


 そう言って身支度を始めたデュースが深刻な顔をするのも無理はない。

 従者の契約を呪いだという話は、以前レーンに聞いたことがある。

 それはかつての大戦中の恐ろしい話だ。

 従者の契約を女神の呪いだと断じ、ホロア達を虐殺して回ったという黒竜会とやらが発したセリフなのだ。

 そしてデュースはその黒竜会の撲滅に長い人生の大半を割いてきたという。


 家馬車の中では、シェキウールがお茶を飲みながら俺の来るのを待っていた。

 さっきまでは不安と興奮で動揺しているように見えたが、今は少し落ち着いているようだ。


「やあ、またせたね」

「いえ……大丈夫です、やっとお茶の味もわかるようになってきましたし」

「少しは落ち着いたかい」

「はい、その……、ええ」


 そう言ってはにかむシェキウール。

 そこで俺の代わりにデュースが口を開く。


「はじめましてー、私はこの人の従者であるー、デュースと申しますー」

「は、はい、どうも、シェキウールです」

「急かすようで申し訳ありませんがー、少しお父様のお話を聞かせていただきたいと思いましてー」

「はい」

「なんでもー、急に心根がすっかり入れ替わってしまったように思えるとかー」

「はい……」

「それは、いつごろですかー」

「はっきりとは。一昨年帰ってきた時には、いつもどおりだったんです。父はどちらかと言うと内気のお人好しで、細かいところは全て母に任せて、自分はいつも後ろでニコニコ笑って頷くだけの人だったんですが……」


 そこでシェキウールはちょっと身震いする。


「去年の暮に帰ってきた時は、まるで悪酔いして暴れるかのような、乱暴というか、高圧的に、お前はこうするべきだって」

「お母様の方は、どうでしたかー?」

「母は船乗りですから、父とはたまにしかあってなかったそうですが、その直前に南方の事務所の方に戻ったら、父が突然私の結婚話を決めていて、それでとりあえず休みを取って会いに来たって」

「お母様はお父様のことを変だとは思わなかったのですかー?」

「いえ、それが母の話では、父は重大な決定をする時は、ああやって空威張りをして自分を奮い立たせることがある。大きな商いのときや、母に結婚を申込んだときもそうだったと、笑っていて」

「そうですかー」

「それで、その時はまだ学生だからと母がなだめて一旦は収まったんですが……」

「またお父様がやってきてー、今度のことになったんですねー」

「はい、あれは……明らかに普通じゃなくて、な、なにかの呪いにでもかかったんじゃって」

「お父様のお店はどちらに構えているのですかー」

「カイボンの港からほど近い、ラパームの街です」

「どのような商品を扱っていましたかー」

「お香です、神殿に収めるものを」

「そうですかー、ありがとうございますー。それで今ー、お父様はどこにー?」

「警吏に捕まって、コンザで収監されています」


 そう答えたシェキウールちゃんの表情が曇る。

 父親の窮状を思い出したのだろう。

 たとえ一時的に乱心していたとしても、自分の父親のことだ、心配に違いあるまい。

 それでもしっかりと受け答えができているのは、インテリ学生ならではと言ったところだろうか。


「さぞ、ご心配でしょー。今から面会に行きますかー」

「え、でも……」

「大丈夫ですよー、我々もついていきますからー。ご主人様もよろしいですねー」

「ああ、いいよ」


 と俺は即答する。


「では、支度をしてくるのでー、しばらく待っていてくださいねー」


 というわけで、俺達は大急ぎで支度を始める。

 コンザの街は、以前フルンの剣を買い求めたところで、メイフルの馴染みの商人などもいた。

 ゲートでも直接行けるが、この人数ならリッツベルン号のほうが早いだろう。


「テナー! テナー! 出かけますよー、十分で支度をして下さーい」


 デュースが大声でテナを探すと、台所からテナが顔を出す。


「なんですか、デュース。朝からはしたない大声を。今、朝食の支度をしているところで、手が離せません」

「そんなものはあとにしてくださいー、黒竜の尻尾を退治しに行きますよー」


 それを聞いたテナは、一瞬顔をしかめて、作業の手を止めた。


「審問官に任せるわけには、いかないのですか?」

「相手はサウの友人の父親ですからねー、なるべく穏便に済ませたいところですよー」

「それで、どこまで行くのです?」

「ひとまず、コンザに行きますよー。それで片付けば良いですがー」

「わかりました。五分で済ませます」


 俺も慌てて出かける支度をする。

 といっても、俺の場合は上着を羽織るぐらいだが。


 支度が整ったところでコンザに向かう。

 お供はセスやレーンといった精鋭の他に、出勤準備をしていたローンもつれていくことにした。

 なんかあった時にいい感じにまとめてくれるだろう。

 いきなり怪しい乗り物に乗せられたシェキウールちゃんを落ち着かせるうちに、船はあっという間についてしまう。

 船から降りると、懐かしい……と言うにはそれほど思い出も残っていないコンザの街についた。

 街が動き始める時間帯で、通りは賑やかだが、港のほうが特に賑やかだ。

 何やら有名人がいるらしいのだが、あいにくと野次馬をやる時間はない。

 ベークスの案内で牢のある騎士団の詰め所に行くと、こちらにも顔見知りの騎士がいた。

 サットナーという名で、彼も第四小隊だ。

 彼がシェキウールちゃんの父親を監視してくれていたようだ。


「例の男は随分と暴れたようで、取り押さえた兵士が一人、腕を折る大怪我を」

「そりゃあ大変だ。今はどうしてる?」

「僧侶が呪文をかけて落ち着かせました。今は牢屋でおとなしくしているそうで、ああ、あの部屋ですよ」


 薄暗い牢獄の一室、鉄格子の中にその男は居た。

 至って普通の頼りない中年プリモァで、暴れ散らすような男には見えない。


「ではー、あけてもらえますかー」


 とデュースが頼むと、騎士のサットナーは鍵を開ける。


「テナ、頼みますよー」

「私のはリースエルから少し学んだだけの付け焼き刃ですから、うまくいくとは限りませんよ?」

「大丈夫ですよー」


 そう言ってテナとデュースは牢の中に入る。

 シェキウールの父親は、まるで薬物中毒患者のようなとろけた目で、二人の来訪者を眺める。


「さて……」


 テナは懐から御札を取り出し、床にばらまく。


「天におわすは偉大なる三柱、地に眠りしは大地の礎たる漆黒の竜。其が眼前にそびえしは母なる大樹」


 テナの言葉に同期するかのように御札が輝きだし、周りの景色が一変する。

 足元の石床は真っ黒な闇に覆われ、周りを取り囲むように三体の巨大な女神が俺たちを見下ろす。

 そして俺達の眼前に立ちはだかるように、巨大な木の幹が天高くそびえていた。


「う、ううぅ……」


 男は口の端にあわを浮かべて歯ぎしりする。


「さあ、あなたを見守る、大いなる存在に頭を垂れるのです」

「うぐ、うぎぎ…」

「漆黒の大地に膝をつき、母なる宿り木に手を添え、天を仰いで女神に祈りを捧げなさい」

「い……」

「さあ、さあさあさあっ!」

「いな、否イナいなあああぁぁぁっっっ!」


 男は全身から黒い炎を吹き出すとテナの小さな体に襲いかかる。

 だが、逆にテナは男の手をつかむと軽々と地面に叩きつけた。


「調伏!」


 叫び声とともにテナの右手が真っ赤に光り、男の胸元に叩きつける。


「ぎゃあああっっ!」


 男が叫ぶと、更に激しく黒い煙が吹き出した。

 同時にデュースが一歩前に出て手をかざすと、煙がたちまち燃え尽きてしまった。

 デュースはローブについたすすを払いながら、テナに声をかける。


「はー、お見事でしたよー、テナ」

「どういたしまして。それで、うまくいったと思いますか?」

「それはこれから確かめますよー。誰かー、この方を介抱してくださいー」


 すぐに控えていたレーンが呪文をかけて治療すると、シェキウールの父親キンリーは目を覚ました。

 目覚めたキンリーは、何が何やらわからないと言った顔だが、話を聞くと、何も覚えていないわけではないという。


「ですが、何やら頭に霞がかかったようで、どうしてあんなことをしたのか……」


 というキンリーにデュースが話しかける。


「わかりませんかー?」

「え、ええ。まるで自分が自分ではないかのような……」

「本当にそうですかー、あなたは自分の意志でー、あなたの信念に基づきー、信仰を選んだのではありませんかー」

「な、なんの話です?」

「あなたを洗礼したダークソーズの名はなんですかー」

「な、なんですか、それは? 私はこのコンザでラードウ様から洗礼を……」

「あなたの眼の前にいるのはー、あなた達の仇敵である雷炎の魔女。さあ、この黒き刃で魔女の心臓を喰らい尽くすのです!」


 そう言ってデュースはどこからともなく取り出したナイフをキンリーに持たせ、自分の胸元に向けさせる。


「さあ、今こそ悲願を果たす時、あなた達を焼き尽くした、憎き魔女の心臓を、今こそ!」

「ひ、ひいいぃっ!」


 声を荒げるデュースに恐れをなして、キンリーはナイフを放り出すと牢の隅に逃げてしまう。


「な、なんなんだ、あんた! 何を言ってるんだ、そ、そんなことをすれば、死んじまうじゃないか!」


 とまったく当たり前のことを叫ぶ。

 俺もまったくもってそのとおりだと思う。

 多分、自分を餌に男が黒竜会の信者なのかどうかを確かめたんだろうが、いくらなんでも、その方法はリスキーすぎるんじゃないか?

 そう思って改めて、デュースの方を見ると、何故かデュースはあっけにとられた顔をしていた。


「そう、その通りですねー。心臓を刺されれば死んでしまいますよー。まったくもって、あなたは正常のようですねー」


 そう言ってデュースは急にいつもの顔に戻ると、騎士のサットナーにこう言った。


「もうこの方は大丈夫ですよー。なるべくはやめに釈放できるようにお願いしますねー」

「は、はい。いや、それよりも今の一連の儀式はまさか黒竜調伏の法では」

「そうですよー、お若いのによくご存知でしたねー」

「はい。先祖が南方に出征したこともありますので。ではやはりあなたはまことに雷炎の魔女様であらせられましたか。お噂は聞いておりましたが、その御業を間近で拝見できるとは、騎士冥利に尽きます」

「ありがとうございますよー」


 えらく感心する騎士のせいで突っ込みそこねたが、ちょっと俺としては説教しておかんとな。

 デュースは黒竜会とやらと因縁浅からぬ様子だが、ものには限度があるってもんだ。

 そんなことを考えながら、応接室に戻ると、シェキウールちゃんが心配そうな顔で待っていた。


「あの……」

「大丈夫、お父さんは正気に戻ったよ。もうすぐ会える」

「よ、よかった、ありがとうございます!」


 デュースも穏やかな顔に戻り、優しく話しかける。


「早く発見できてよかったですねー、魂が完全に染め上がっていれば、取り返しがつきませんでしたー」

「それはいいんだけど、あんな危ないやり方はないだろう。もしあの親父さんが突き刺したらどうするんだ」

「あらー、心配させてしまいましたねー、申し訳ありませんー。ただ、あのナイフはおもちゃなのでー、どう頑張っても心臓には刺さりませんよー」


 と言って、手に持ったナイフの先端を触ると、ズルリと中にめり込んだ。

 安っぽい手品で使うようなやつだったようだ。


「まじか、あの時は全然そんな風には見えなかったよ」

「そこは年季の賜物ですよー」


 と言って笑いながら、急に真顔になる。


「それで思い出したんですがー」

「なにを?」

「私の心臓は随分前にー、黒竜の棘に刺されたんですよー」


 と言って、デュースはにっこり微笑んだのだった。

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