第369話 名探偵再び その二

 翌日。

 俺も別荘に出発しようと準備をしていると、ヘンズ親分が渋い顔でやってきた。


「なんだい、親分。いい話じゃなさそうだ」

「へえ、それなんですがね」


 親分の話によると、例の傷を負った冒険者が居なくなったらしい。


「傷は塞がってやしたが、だいぶ弱ってましたんでね。回復を待ってそろそろ事情が聞けるかと思ってた矢先にドロンというわけで」

「ほほう」

「ねえとは思いやすが、万が一、こちらにご厄介がかかるような事態になってはことですんで、そのことだけをお耳に」


 親分はそれだけ言うと帰っていった。

 義理堅いもんだねえ。

 親分を見送り、ついでに集会所の方に顔を出すと、エレンが珍しくチェスを指していた。

 相手は子供かな?

 妙に大きな鳥打ち帽を目深にかぶっている。


「よう、こっちにいたのか。今ヘンズ親分が来てな……」


 と話しかけるとエレンはうなずいて、


「例の男が逃げたんだろう」

「何だ、知ってたのか」

「そりゃあ、旦那に教えてもらうようじゃ、僕の立つ瀬がないってね、ほら、チェックメイトだ」

「ああ、ちょいタンマ、タンマですよネエサン」


 そう言ってちまっこいのがエレンを拝み倒す。


「だめだめ、勝負の世界に待ったはないのさ」

「ちぇ、参ったねこりゃ。それじゃあ、あちきはそろそろ」

「ご苦労さん。引き続き頼むよ」

「がってんだ。それじゃあ、色男の旦那さんもごきげんよう」


 小さいのはそう言ってかぶっていた鳥打ち帽をひょいと持ち上げて俺に挨拶する。

 帽子の下には、丸い耳がついていた。

 ギョロッとした大きい眼と相まって、まるでネズミか何かに見える。

 まあ、それはそれでかわいい。


「おう、ご苦労さん」


 俺が声をかけると、小娘はニカッと笑って去っていった。


「今のが後輩か?」

「そうだよ、チョリっていうんだ。草ネズミのチョリ」

「ネズミか、たしかにそういうイメージだったな。獣人なのか」

「カベンナ族っていってね。世間ではネズミ扱いされてるけど」

「ふーん、しかしネズミ呼ばわりして怒らないのか? フルンやエットは怒るだろう。イミアやリプルはあまり気にしないようだが」

「その辺は種族によるんだろうさ。カベンナ族もネズミ呼ばわりされると怒るもんだけど、あの子の通名はボス直々の命名だからねえ」

「ほう」

「はじめは嫌がってたようだけど、そういうことを表に出さないメンタリティってのは盗賊の基本だからね」


 パワハラがまかり通る、嫌な職場だなあ。


「なるほど、それじゃあ耐性をつけるために、わざわざそんなアダ名を?」

「さて、そこはどうかな。なんせうちのボスだからねえ」


 エレンのボスの灰色熊には、一度会ったことがあるが、格の違う人物だったな。

 例えば勇者であるゴウドンや、緑のお姉さんことカーネみたいな、ああいう一線を越えた何か、みたいなタイプだ。

 まあ、うちの従者でもデュースやネールなどは桁が違うし、最近ではセスなども常人では手の届かない境地にたどり着こうとしてる。

 スポックロンなんかもノードとして駆使できる力は人間の及ぶところではあるまい。

 なにより、女神様も居るし。

 うちの家族はなんなんだろうな。

 俺もなんかすごいらしいけど、自覚があるのはすごくモテるところぐらいだからなあ。

 びっくりするほどモテるし。

 日本にいた頃もこれぐらいモテてりゃ、もっと違う人生を歩んでいたのかねえ。


 日本といえば、判子ちゃんに寿司をごちそうしないとな。

 ちらし寿司ぐらいなら作れるようになってるんだけど、やはり手ずから握ぎったやつをデーンと用意してみたい。

 別荘地でちょっと特訓してくるか。


「ところで、俺はそろそろ別荘に発つけど、おまえはどうする?」


 残って調査をするのではないかと思って尋ねてみたが、エレンの返事は俺の予想とは違っていた。


「うーん、最近、あんまり旦那にかまってもらってないしねえ、たまにはフルンやエットたちとも遊んであげたいし、そっちについていこうかな」

「いいんじゃないか、あいつらも喜ぶぞ」


 例の鍵はどうするのかと尋ねたら、内なる館にでも放り込んでおけば良いのではとの返事だった。

 確かに、あそこなら絶対に取られる心配はないが、それはそれとして、


「でもあの胡散臭い連中が、留守中にうちに押しかけたりはしないかな?」

「そりゃあ、ないとは言えないけど、うちにいる限りは大丈夫さ。毎日通勤してたエンテルたちも昨日から別荘だろう? しばらくは一人で外を出歩かないようにだけ、言っときゃ大丈夫だよ。何より街中にスポックロンの監視の目が光ってるからね」

「そうだったっけ。でもそれなら、わざわざおまえが尾行するまでもなかったんじゃ?」

「さすがは旦那、よく気がついたね。実はあれは緑組へのフェイクなのさ」

「フェイク?」

「うちがそんな超古代のすごい魔法を使った監視体制を敷いてるなんて、よその連中には知られたくないだろう。だから僕が自ら出張って足で稼いでると思ってもらってるのさ」

「まじかよ、大変だな」

「まあね、他にも緑組の連中もやつらを張ってるしね」

「緑組が?」

「昨日、僕らを付けてたのがいたろ。あいつは元々、あの店を張ってたらしいんだ。そこにのこのこやってきた僕らをつけてたわけさ」

「ははあ、じゃあ、あの酒場の連中はここの盗賊ギルドも目をつけてた、別の怪しいやつらってわけか」

「そんなところだね。つまり僕らが姿を消せば、酒場の奴らも焦ってボロを出すかも知れないってわけさ。例の姿を消した男も、ちゃんとスポックロンの監視が付いてるはずだよ」

「ふむ。ところであの鍵が何かはわかってるのか? みたところ、本物の鍵にも見えないが」


 ポケットに入れたままの鍵を取り出して眺めてみる。

 みたところ年代物ではあるが、安っぽいアクセサリかお守りの類に見える。


「錠前を開けるもんじゃなければ、別のものを開けるもんだろうさ。信頼の扉、とかね」

「何かの符丁に使うのか」

「盗賊だけじゃなく、商人なんかでも使うもんだけど、なんだろうねえ」


 エレンはそれ以上語らなかったので、家に戻って支度をする。

 出発は日が暮れてから、宇宙船を使おうと考えていたのでのんびりしていると、来客があった。

 劇マニアのキスネちゃんだ。

 先日のバレンタイン劇鑑賞でもご一緒したが、地元の土木ギルド幹部の娘で、演劇だか文学だかの勉強をしている女学生らしい。


「急におじゃまして申し訳有りません、じつは……」


 以前別荘地でみたボンドール喜劇団のアルサでの公演が始まっていて、今日のチケットが取れたのでよければ一緒にどうか、というデートのお誘いだ。

 無論、俺がレディからの誘いを断るわけがない。


「ご都合は、よろしかったのでしょうか」

「なに、都合のほうが君に合わせてくれるさ」


 などと軽薄な返事をしておいて、支度をする。

 あっという間にちょっとカジュアルな伊達男の完成だ。


「なんですか、別荘に向かうにしては、随分とナンパな格好では有りませんか」


 と、別荘地で療養中のエディのかわりに、何故かここで仕事をしているローンが皮肉たっぷりにそういった。

 さっき飛行機で黒頭から帰ってきたばかりなのに大変だな。


「無論、堅苦しい別荘地じゃなくて、愛らしいお嬢さんのお誘いに乗って、フラフラとさすらってくるのさ」

「なんぞ、いかがわしい連中に狙われているのではなかったのですか?」

「そういや、そうだった。どうしよう」

「知りませんよ、まったく、皆がどれほど苦労してきたか、よく分かるというもの」

「従者ぐらしが長くなると、そいつが癖になってくるらしいぞ。気をつけたほうがいい」


 それを聞いたローンは、肩をすくめて手をふった。

 早くいってしまえということだろう。

 言われなくても女性を待たせるつもりはない。

 女性にはよく待たされるけど。


 出しなにミラーが小さな箱を手渡した。

 三センチ四方に厚み一センチ程のプラスチックっぽい塊だ。


「その子をお連れください。大抵のことは、間に合うでしょう」

「その子?」


 言われて箱をつつくと、にょきにょきっと足が四本生えてきた。

 まるで小型のクロックロンだ。


「ヘロー、ボス。ゴキゲンイカガ」


 と喋り方までクロックロンそのものだ。

 ミラー曰く、


「小型のガーディアンです、クロックロン・ミニとでもお呼びください。」

「クロックロン・ミニか、長いな。じゃあ……クロミと呼ぼう。頼むぞクロミちゃん」

「オーケー、ボス。アイアム、クロミ、ヒャッハー」


 ぴょんと飛び跳ねると俺の腹にへばりつき、そのまま虫みたいにゴソゴソと這い回るとポケットに忍び込んだ。

 見た目はともかく、動きはちょっと気持ち悪いかも知れない。

 まあすぐに慣れるだろ。




 ボンドール喜劇団は街の西外れ、学生寮の近くに芝居小屋を構えていた。

 エッシャルバンのところみたいに立派な劇場で公演をするのではなく、あちこち移動しながら芝居をかける旅一座なのだ。


「先日まで、魔界でやってたんじゃなかったっけ」


 席についてから、キスネちゃんに話しかけると、彼女は激しくうなずく。


「そうなんですよ、急遽予定を変更して、魔界の、えーと」

「デラーボンかい?」

「そう、それです。そこで短期公演とかで、なんでも魔界に進出する足がかりにしたいとか。私、魔界なんて行ったことがなくて、恐ろしいところじゃないんですかね?」

「そうでもないさ。何度か行ったことがあるが、ちゃんとした街はちゃんとしてるし、そうでないところはそうじゃない。要するにこっちと変わらんもんだ」

「そうなんですか。私の実家は土木ギルド絡みの仕事をしているのですが、近年は魔界への通路を作る仕事が増えるのではないかという話も耳にしてまして、ちょっと心配もしてたんですけど」

「たしかに、通路になるダンジョンは、物騒なところもあるが、そこは騎士団ともうまく協力してやっていると聞くし、大丈夫じゃないかな」

「それを聞いて安心しました」


 実際は利害の絡みもあってトラブルだらけでローンが眉間にシワを寄せまくっているみたいだが。

 考えてみればローンっていつも貧乏くじばかり引いてるよな、帰ったらちょっとは優しく……いや、急にそんなことをするとかえって引かれそうだ。

 なんかうまいおやつでも買ってかえるぐらいにしとこう。


 演目は前回見たものとは別の内容だった。

 うだつの上がらない男がモテたりモテなかったりするスラップスティックなコメディで、それでいてオチでちょっぴり泣かせる、なんだか親近感のわくストーリーだ。

 拍手喝采で喜んだり、美人の女優さんにおひねりを渡したり、手ぬぐいみたいなグッズを買ったりして散々楽しんだ。

 楽しみすぎて、キスネちゃんとはぐれてしまい、人混みの中で探していると、別の御仁に出くわした。

 女実業家のレアリーだ。

 最近、よく会うな。


「あら、ごきげんようサワクロさん。今日はお一人ですの?」

「それがご婦人をエスコートしていたはずが、女優に見とれてはぐれてしまいまして」

「まあ、それは随分としでかしてしまいましたわね」


 そう言って笑う彼女は、腹の中ではどんな事を考えているのだろうか。

 本当に盗賊なのか。

 だとしたら俺の前にホイホイ現れるのはなにか意図があるのだろうか。

 あるいは完全に偶然という可能性もあるが、俺としてはやはり俺に異性としての魅力を感じてるから近づいてくるのだという可能性のほうに掛けたいな。


「先日、魔界で見損ねたものですから、ちょっと気になってましたの。ここの喜劇は昔から定評があるんですのよ」

「そんなに古い劇団なんですか?」

「ええ、そのようですわね。人気が出たのは最近、と聞いていますけど、私が生まれる前から、続いているそうですわね」

「へえ」


 といい加減な返事を返しながら、俺の視線は客席の端の方でうろちょろする小さいのに向いていた。

 あれ、さっきエレンと一緒にいたネズミっ子じゃないか。

 なんでこんなところにいるんだ?

 もしかして、この劇団が怪しいのだろうか。

 そういえば、先日、魔界で泥棒騒ぎがあったとき、レアリーだけでなく、ここの劇団もあの場にいたよな。

 うーん、怪しいのが増えてくると、ミステリーっぽいなあ。


「サワクロさん、お連れのかたは見つかりました?」


 どうやら視線が泳いでいたのを、連れを探しているせいだと思われたらしい。


「いや、いませんね。そうだ、あなたもご存知でしょう、先日のバレンタインの劇で一緒にいた、女学生のキスネちゃん、今日は彼女の誘いで観劇に来ていたんですよ」

「彼女でしたの。今日は見ていませんけど、一緒に捜してさしあげますわ」

「そりゃあ、助かります」


 そう言って二人で人混みの中を移動する。


「おそらくは、裏口で出待ちしているんじゃないかしら」


 とレアリーが言うので、一旦外に出てから裏口に回る。

 人混みをかき分けていると、どこからともなく「スリだッ!」と叫ぶ声が聞こえる。

 反射的に財布の入ったポケットを抑えると、中でもぞもぞと動く気配がしてますますビビるが、よく考えると小型ガーディアンのクロミちゃんだった。

 気を取り直してレアリーをみると、目を細めて、声の方向を見つめている。

 だが俺が声をかけるよりはやく、こちらに向き直って、こんな事を言った。


「サワクロさん、私どもの商売の天敵はなんだと思われます?」

「天敵? ライバルとは別の意味で?」

「ええ、商売敵であれば、条件次第では逆に手を組むということもあるのですけど、普遍的に相容れない相手、ということです」

「むずかしいな、お役人だって、敵にもなれば味方にもなるし」

「あなたには少し難しいかもしれませんわね。たしかあなたの従者にもいらっしゃったでしょう」

「うん? もしかして盗賊ですか」

「そのとおり、一言で申せば、盗賊と商人は正反対の存在、と言えるものですわ。ですから両者が共存することは、まず無理ですわね。なぜならその欲するところが正反対なんですもの。あるとしたら、なんらかの理由に基づいて互いを利用する、といった関係ぐらいかしら」

「ふむ、わかるような、わからないような」

「ですから多くの商人は、盗賊を嫌っておりますのよ。あなたもホロアとはいえ身内に盗賊がいるということは場合によっては不利になるかもしれませんから、あなた自身だけでなく、身内の盗賊のためにもそのことをわきまえておかねば、なりませんわね」

「なるほど」


 そういえば、かつてメイフルは非常な葛藤の末に、俺のもとで大商人を目指す道を選んだんだった。

 すっかり忘れてたけど、基本的に盗賊と商人ってのはそういう関係なのかもしれないな。


「本来であれば、ここからいかに盗賊が憎むべき相手であるか箇条書きにして並べたいところですけれど、あなたの身内をあげつらうような品のない真似はできませんものね。手っ取り早く共感を得るのに共通の敵を批判するのは悪くない方法ですけれど、こういうことがありますから、あまりおすすめはできませんわね」

「確かに、品のない行為ではありますね」

「商人たるもの、必ずしも上品である必要はありませんけれど……あら、あそこにいらっしゃるのが、キスネさんじゃございません?」


 キスネが見つかったことで、会話はそこで途絶えてしまった。

 再開を喜んだのもつかの間、レアリーもキスネも、用事があるということで、その場で解散となる。

 なんだか微妙なデートだったなと思いつつ、忘れずに土産を買おうと店のある通りに出ると、突然、人の群れにもみくちゃにされる。

 見た感じ、土木ギルドの人足っぽい集団だった。

 どうやらどこかの現場から馬車で帰ってきたところらしい。

 どうにか買い物を済ませたものの、歩くのもままならず立ち尽くしていると、人足の一人がぶつかってきた。

 おっと思ってよろめくが、相手の男は突然自分の指を抑えてうずくまっている。

 声をかけようとしたら、顔を伏せたまま走り出した。

 何だありゃ、と首を傾げていると、


「ヘイボス、泥棒ハドウシタ?」


 ポケットからひょいと顔を出したクロックロン・ミニことクロミがそういった。


「泥棒?」


 すぐにはピンと来なかったが、


「今、ボスノポケットニ手ヲ突ッ込ンダアノ泥棒ダ」

「ああ、もしかしてさっきの人足か」

「愚カニモ私ガ守ル財布ヲ盗モウトシタ泥棒ダ、実ニ愚カ」

「ははは、そうとは気が付かずに取り逃がしちまったよ」

「ナンダ、ツマラン。マアイッカ」

「そうそう、細かいことは気にするな」


 しかし俺もスキだらけだな。

 なるべく一人で出歩くのはやめとこう。

 しかし、盗賊かあ。

 レアリーはなんでわざわざあんな話をしたんだろう。

 本当に盗賊が嫌いだという可能性もあるが、彼女自身が盗賊であることをごまかすためかもしれない。

 でも、彼女ほどのやり手がそんな安易なカモフラージュをするだろうか。

 考えても仕方がないのでのんびり家に帰ると、ローンは仕事ででかけていた。

 今日はもう戻らないらしいので、土産を残して別荘に出発する準備をする。

 旅行の準備といえば、日本では着替えやらなにやらをかばんに詰め込んであわてて飛び出すのが常だったし、西への旅の途中ぐらいまでは、割と自分でやってたんだけど、最近は基本的に従者の皆さまが勝手に全部揃えて、しかも運んでくれるので俺はフリーハンドだ。

 だから準備といえば、ひと風呂浴びて髭も剃ってもらって身だしなみを整えるぐらいしかやることがない。

 ブルジョアって感じだなあ。

 身支度を終えると、俺と一緒に出発するフルンたちも準備をしていた。

 こちらは自分のものは自分で用意しているらしい。

 かばんに着替えなんかを詰めたり出したりして、あれもいる、これもいると楽しそうにやってる。

 そのとなりでは、新人従者の狸娘トッアンクが新しく仕立てた衣装を確認していた。

 少女っぽさを残しながらもメリハリのあるトッアンクによく似合う、色気と可愛さのまじりあうパーティドレスだ。


「こんなにきれいな衣装を作っていただいて、良かったんでしょうか。仕立て屋さんもすごく立派なお店で……」


 まだ慣れていないのかおどおどしているトッアンクに、エットがうなずきながら、


「わかる、あたしも前にテナに連れて行かれて、ちょっと怖かった。でも、なんだかお姫様になったみたいで、ちょっとはずかしかった」

「ですよね、私、あんなお店に入る日が来るなんて想像もしてなくて、あとから思い返しても、なにか失敗してたんじゃないかってドキドキして」

「ほんとそう、もうちょっとだん……段階? そういうのがいると思った。いきなりあれは、難しいと思う」


 異世界であっても、庶民の娘はお姫様に憧れるものだろうとは思うが、いきなりお姫様をやれと言われても困るだろうし、二人の言い分ももっともだろうなあ。

 でもテナはスパルタだからな、容赦なく王侯貴族の従者にふさわしいところまで鍛え上げてるんだろう。

 がんばれよ、と心のなかでエールを送っていると、スポックロンがやってきた。


「ご主人様、地下のノード229のことでご報告がございます」

「おう、なにか進展があったのか?」

「ノード229のセマンティクス・バックアップである先日のアレですが」

「アレか」

「そう、アレです。あの時あの場所に居たウェディウムという御仁の生命維持装置の関係で、ノード229本体への帰還が滞っている、ということです」

「どういうことだ?」

「つまりあの時我々が会話していたノード229……ややこしいのでやはりアレとしますが、アレは機能の半分を、あの施設の維持にあてていたとのことで、本体に復帰するためにはアレがすべての機能を持っていくことになるので、生命維持を停止しなければなりません。よってウェディウム氏を同行するか、彼女が自立できるところまで治療するかといった選択が必要になります」

「遺跡で治療できないのか?」

「できなくはないでしょう。ただし、あの体を生成した技術が不明ですので、その解析から始める必要があります。私の本体を含め、確認できている現存施設では、受け入れ準備に時間がかかると思われます。最短で半年、余裕を見て数年と言ったところでしょうか」

「結構かかるな」

「またウェディウム氏の体は、非常に繊細なバランスで心身を維持されている様子で、可能ならあの場所から動かさないほうが良いようです。そこで、アレの提案では、ポワイトンという人物がそれにまつわる情報を持っている可能性があるので連れてこい、とのことです。現在所在を知っているリースエル様が連絡をつけるように取り計らっているところです」

「つまり、そのなんとかって人物と連絡がつくまで手詰まりというわけか」

「そうなります。そちらで解決しない場合は、改めてウェディウム氏の治療方法を探ることになるでしょう」

「ふむ、わかった。引き続きよしなに頼む」


 報告だけ聞いて決断する必要がないというのはいいものだ。

 決断ってやつは、行動よりも脳みその負担が大きいからな。

 俺のように女体を楽しむ以外脳のない男には、荷が重いといえる。




 支度を終えて、家を出る段になってエレンが戻ってきた。

 さっきの観劇時のことを相談したかったが、別に後回しでもいいか。

 留守番であるアンをはじめ、数名の従者に見送られて出発する。

 裏口から湖沿いに西に向かうと、まだ表の方は賑わっていて、物静かな湖との対比が印象的だ。

 もっともこっちもフルンたちがワイワイ騒いでいるので、にぎやかなんだけど。

 画廊の裏にはテーブルが並び、学生たちが集って議論を交わしていた。

 その中心にはサウがいて、楽しそうにやってる。

 話してる相手は、以前一緒に麻雀をしたシェキウールちゃんだな。

 サウの作るものに興味があるようなことを言っていたが、もう打ち解けているようだ。

 打ち解けていると言うか、だいぶ激論を交わしている。

 若いっていいねえ。


 そこを抜けてチョコ屋の裏を通ると、中からパン屋のエメオが出てきた。

 夜はこっちで手伝っているのだ。


「よかった、お弁当作ってたら遅くなっちゃって。これ、持っていってください」


 と大きなバスケットを持たしてくれた。

 中はたっぷりとサンドイッチや焼き菓子がつまっていた。


「みんなで食べるよ。パロンはどうした?」

「今、かき混ぜてて手が離せないって」

「そうか。まあ留守番は頼むよ。すぐ戻ってくるとは思うけど」

「はい、お気をつけて。みんなも」


 見送るエメオに手を振りながら目線を移すと、コーヒー豆屋もまだ明かりがついている。

 まだ商売繁盛とはいい難いが、噂を聞いた高級レストランなどからの引き合いもあるという。

 まあ、これからだよな。


 商店街を抜けて、湖沿いの小道に入る。

 この時間にこちらの道を通るものといえば、この先に住む集落の連中ぐらいであって、今も人通りはない。

 こういう田舎道をランプ片手にぞろぞろ歩くのは、ちょっと童心に帰ってワクワクするな。

 少し進んだところにある空き地でリッツベルン号を取り出し、みんなで乗り込む。

 乗ってしまえば別荘まではあっというまで、空からの夜景を楽しむまもない。

 もっとも、現代の地球と違って夜の光源は乏しいものだし、航路の大半は海の上なので何も見えないんだけど。

 その分、星はきれいに見えるので、望遠鏡も用意してみた。

 スポックロンに頼んだら、光学式の天体観測機器は可搬性が悪いなどと言っていたが、俺が子供の頃に欲しかったような反射式で鏡筒の直系が三十センチぐらいあるバカでかいやつを作ってもらった。

 後で遊ぼう。


 別荘に着くと、先に来ていたフューエルやエディが出迎えてくれる。

 エディは例の浮かぶ椅子からは降りており、少しぎこちないながらも普通に歩いていた。

 もういいのか、と尋ねると、


「骨なんかは再生できたから、あとは動かして治せってことらしいわよ。大神官の治癒魔法でも、あれだけ肉と骨が砕けてれば、何日もかかるでしょうに」

「いい医者が居て得したな」

「まったくだわ。もっとも、あんな不覚はもう取らないわよ。これからは魔法に頼らず根本から鍛え直すわ」

「向上心があっていいねえ。それで、リースエルの方はどうだったんだ?」


 今度はフューエルに尋ねると、


「それがもう、おばあさまも興奮気味で。ミラーの話では一時的に血圧……というのが上がっただけ、みたいなことで大事ないとはいっていたのですけど。今はデュースやテナが一緒に居てくれてるので、落ち着いている様子」

「そうか、まあミラーが大丈夫と言うなら大丈夫さ。俺も後で顔を出そう」


 その話を横から聞いていたエットが心配そうな顔で、


「おばあちゃん、病気なの?」


 などと聞いてくるので、お前たちが顔を見せてやればすぐ元気になるさ、と言ってやると、荷解きもせずにあわててリースエルの屋敷まで飛んでいってしまった。

 ああいうのをみてるとなんか俺も気になりだしたので、着替えもせずにそのままリースエルのところに向かうことにした。


「あらまあ、大挙して押し寄せて。みんなの顔が見られて嬉しいわ。それに新しい子もいるわね。おめでたいときは、おめでたいことが続くものねえ」


 と思ったよりも元気そうだった。

 リースエルは俺の顔を見ると、にっこり微笑んで、


「クリュウさん、立派な仕事をやり遂げましたね。あなたにとっても重要な出会いであったと聞いています。それにエネアル様を我が神と崇める私達にとっても、忘れがたい出来事でした。あの時、あのお言葉を聞いたあとでは、我々の生きる意味、日々のあり方までも変わっていくことでしょう。そのきっかけをもたらしたのがフューエルの夫であるあなただということを、私はとても誇りに思っていますよ」


 面と向かってそう言われると、なんだか恐縮してしまう。

 その後はエメオが持たせてくれたお弁当をつまみながら、世間話に花を咲かせた。

 こちらの別荘地でも、例の声は当然話題にはなっていたが、一般人にしてみれば、そこまで飛びつくような話題でもないと言うか、いきなり街なかで芸能人を見つけて騒いだぐらいの感覚なのかもしれない。

 よくわからんのは、この世界の宗教観を未だによく理解できてないからなんだろうな。

 まあ、興味ないもんなあ。


 話題は別荘地の増築にもおよぶ。

 例の成金集団向け別荘は、貴族連中の横やりが入って現在頓挫しているとか言う話だ。

 それ自体はあんまり関わりたくない話だが、そのことでレアリーのことを思い出し、エレンに今日の出来事の評価をうかがう。


「なんだい、チョリは旦那に見つかるようなヘマをやらかしたのかい」

「あまり腕はよくないのか?」

「そんなことはないと思うんだけどねえ、わざわざボスがこっちに回してきたぐらいだし」

「ふうん、それでどうなんだ。あの劇団はくさいのか?」

「そこは現在調査中さ、ここだけの話、スポックロンの間諜虫をつかってもボロが出てないから、シロじゃないかなあ。小さいけど伝統のある劇団らしいし」

「レアリーもそんな事を言ってたな」

「その彼女も無理のない範囲で調べてたけど、こちらも特には……」

「そうなのか」

「今の所、一番怪しいのが例の胡散臭い酒場ののご面々だけど……」

「だけど?」

「うーん、あれは結論から言うと、隠密じゃないかなあってのがね」

「隠密?」

「そう、国がかかえてる盗賊みたいなもんさ、盗賊とか忍者とかが所属してるね。忍者といえばポーンの実家は忍者の家系らしいよ。彼女もコルスみたいな忍術を使うだろう」

「そうだっけ?」

「そうさ、忍者のことをローグと言ったりもするだろう、あれはポーンの実家であるローグ家から来てるって説もあるぐらいでね。ま、隠密ってのはそういう由緒正しい連中で構成されてるのが多いらしいのさ」


 そいやポーンの本名はポーズローグとかいったっけ。

 ローグっていわれても、なんか無法者っぽいイメージしかないが、こっちでは忍者のことか。

 例のごとく俺の脳内翻訳はアバウトだな。

 そもそも、この翻訳って誰が仕込んでるんだろう、判子ちゃんかエネアルなんだろうか。

 などと思考がずれていく俺にはお構いなしに、エレンが話を続ける。


「……それで技を磨いた一族の者を有力貴族に売りつけるのさ。エクと似たようなもんだね」


 エクは一族をあげて磨いたスケベ技術を売り込む家系らしいので、忍術を売りにする家があってもおかしくないのかな。


「それで、隠密だとどうなんだ?」

「隠密ってことは、国の使命を帯びてアルサで何かを調べてるんだろうさ。緑組の方ではどこまで把握してるのかねえ?」

「協力関係にあるわけじゃ、ないんだな」

「あったら見張ったりはしないさ」

「ふむ」

「でも、そうなるとヤマが外れるねえ」

「というと?」

「僕たち盗賊ギルドは結構前から、とある盗賊団のことを追ってるんだ。これが名前もわからない凄腕の連中でねえ。仕事もきれいな正統派なんだけど、ギルドに入ってないんでほっとくわけにもいかないのさ。ま、メンツの問題なんだけど」

「ふむ」

「例のがその仲間じゃないかと疑う……いや、期待してたんだけど、まあ、そんな簡単に行く相手じゃないってことだね」

「なるほど」

「うーん、でもやっぱり、あの劇団は怪しいかなあ、怪しいといいなあ」

「おまえにしてはえらく弱気だな」

「そりゃあそうさ、このところ僕のプライベートはこの事件に割かれてて、旦那に甘える時間もありゃしない」

「そいつは気の毒に」

「というわけで、さっさと解決してきれいな体で試練に挑みたいところなのさ」

「まあ、がんばってくれ」


 その話を聞いていたリースエルが、いたずらっぽい顔でこう言った。


「盗賊退治なんて、面白そうね。私も若い頃、まだうちの人が生きてた頃に山賊退治に出向いたことがあるのよ。あの頃はまだ少し僻地に行くと至るところにギルドの支配の及ばない荒くれ者どもが巣食っていて、盗みだの火付けだの、そりゃあ物騒だったものよ」


 それを聞いたデュースもうなずいて、


「言われてみるとー、ここ数十年ほどでー、随分と平和になりましたねー」

「そうよねえ、騎士だって昔はもっと粗雑で。今の金獅子などもみな礼儀正しくて、随分とスマートですけど、五十年も前は貴族の吹き溜まりみたいな感じで、困った連中でしたねえ。そうそう、この村に住んでいるセブン公も、金獅子にいた頃は、これがまた随分と無法者で、山賊などを相手にしていると、どっちが賊かわからないほどだったのだけど、それが今では随分とマシになったものですよ」

「金獅子といえばー、先に都に行った時にカイオンに会いましたけどー、あの人は変わってなかったですねー」

「あの人はまだ現役なのでしょう、陛下のご信頼も厚いああした人が、一人はいないと……」


 そのまま話題は昔話っぽい方向にシフトしていったので、弁当をつまみながら楽しく話を聞いたのだった。

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