第370話 名探偵再び その三

 リースエルは案外元気そうで安心したので、適当なところで切り上げて自分の別荘に戻ってきた。

 庭に出てのんびりとウイスキーなどくゆらせながら、心地よい夜の風を堪能する。

 前回よりも若干気温が上がってるような気もしないでもないが、快適さは変わらないな。

 さすがは高級別荘地だなあ。

 俺がバカンスを堪能している横で、ミラーたちが着々と望遠鏡を組み立てている。

 なんか思ったよりバカでかい。

 いやまあ、でかいやつを頼んだのは俺なんだけど、鏡筒だけならともかく、足回りがすごく大きい。

 スポックロン曰く、


「ご要望どおり光学系をシンプルな設計にしましたので、その分制御系が肥大化してしまいました。ご用意している際に思い出しましたが、人間は趣味に走るほどこのような冗長さを好むものでしたね。それに習って最大限過剰なまでの制振機構を盛り込んでみました。たとえばこの中心部分の可動軸ですが、大型ガーディアンに用いるアクティベノンと呼ばれる非接触型ジョイントを用いており、これにより稼働時の振動を大幅に抑えることが可能になっております。もっとも非接触とはいえフォシー・インダクタンスによるフィードバックはありますので、これを補正する仕組みとしまして……」


 などと長い説明が始まった。

 せっかく作ってもらったので黙って聞いていると、ちょうど組み立てが完了すると同時に説明が終わったので、なかなかやるなあ、などと思いつつ、早速覗いてみる。

 ぼんやりと見えているのは、どうやら名も知らぬ星らしい。

 なんかゆらゆらしてて微妙だな。

 すると俺の心情を読み取ったのか、スポックロンがこう言った。


「像が安定しないと思われたことでしょう」

「よくわかるな」

「空をご覧ください。みてのとおり雲ひとつない快晴です。このような日は上空の大気の流れが速く、それに伴う屈折率の変化がゆらぎとなって現れます。いわゆるシーイングが悪い、という状態ですね」

「ふむ」

「そもそもここまで高倍率となると、環境の影響は大きく、簡潔に申し上げればこの土地は天体観測には向いていないということになりましょう。先日の黒頭のような高地がおすすめですね」

「そうは言ってもお前、みてみろよこのきれいな星空」


 そう言って見上げた夜空はびっくりするほど美しい。


「おっしゃるとおりです。この場合、肉眼による観察や、低倍率広視野の観測機器の使用をおすすめします」


 などと言って、小型の双眼鏡を取り出す。

 その理屈はわかるんだけど、理屈で割り切れないのがロマンってもんだよな。

 などと思いながら憮然とした顔で断り、がんばって望遠鏡で遊ぶことにした。

 しばらく遊んでいると、慣れてくるのか色んなものが見えてくる。

 一際明るい星を覗くと、輪っかを持った惑星だったり、軌道上に在ると思しき古代の衛星の残骸みたいなものが見えたりして、一緒に覗いていたフルンたちも盛り上がる。


「すごい、空の上にこんなのが浮いてるの? なんで!?」

「そうなあ、なんでかなあ、近いうちに行って、調べてみないとな」

「うん、行く! 空の向こうまで行くなんて、エッペルレンみたい! ミーシャオも一緒につれてっていい? たぶん行きたいと思う!」


 ミーシャオちゃんは、近所の売店の孫娘で、フルンたちとも仲良しだ。


「おお、いいぞ。宇宙に行けるようになったら、彼女も誘おう」

「やった! そうだ、これも見せよう。今から呼びに行っていいかな?」

「今日はもう遅いから、明日にしとけ」

「わかった!」


 結局、フルンたちが望遠鏡を気に入ってくれたことでその日は満足して寝てしまった。

 疲れてるので眠ってしまえば朝までぐっすりだ。




 翌朝、のんびりと起きだすと、中庭で盗賊のエレンと赤竜副長のポーンが食事をとっていた。

 珍しい組み合わせだな。

 そういえば、昨日はポーンは居なかった気がする。


「おはようございます旦那様。どうやら、まだ疲れが残っているご様子、もっとのんびり休まれては?」


 ポーンがお茶を飲む手を止めて、そういった。


「年とともに、眠るのにも体力がいるようになってくるのさ」

「それはおいたわしい。ぜひ添い寝してお慰めしたいところですけど、今日もこれから出かけねばなりませんので」

「そいつは残念だ。例の盗賊がどうとかいう話かい?」

「ええ。職務の面から言えば、管轄外なのでスルーしても良かったのですが、旦那様がちょっかいを出しているとなれば、従者の末席に身を置く者としては、粉骨砕身して調査に望まねばなりません」

「ありがたくて涙が出てくるねえ。それで、なにか面白いことでもわかったのか?」

「今のところはまだ。国の隠密と言ってもいくつか系統が有りまして、その詳細についてはいかに主人と申してもおいそれと口外はできませんが、エレンとスポックロンの情報をもとに、目星をつけたところです。これから都に出向いて、その裏付けをとってこようという段ですね」

「なるほど、まあ、気をつけてな」

「ありがとうございます。それから……」

「なんだい?」

「例のレアリーというご婦人、今朝方ゲートでこちらに来たようです。自ら馬を駆って、そろそろラスラの町につく頃では?」

「まじで、なんの用事だろう。立て続けに別荘を見に来るようなこともないよな」

「例の別荘建築は頓挫したのでしょう。そのことで来たのかも知れませんし、別の理由があるのかもしれません」

「というと?」

「続きはエレンからお聞きください。私はそろそろ出発いたします」


 といって小型飛行機のカルポースでお仕事に行ってしまった。

 なんかみんな当たり前のように使いこなしてるよなあ、と思いつつ手をふって見送る。

 入れ違いに朝の散歩にでていたエディとお子様たちが帰ってきた。

 カジュアルな格好をしたアクティブなお姉さんが、お子様集団を引率してるところなどは保母さんっぽくてそそるな。

 そそりポイントが年々おじさん方面にシフトしてる自覚は在るんだけど。

 そのエディが、すでに怪我の影響は感じさせない歩きっぷりで俺の隣に腰を下ろすと、こう言った。


「ただいま、ポーンはもう行っちゃった?」

「いま出ていったよ。散歩はどうだった?」

「いいわねえ、のんびりできて。いよいよ引退が近いって気がしてくるわ」

「そりゃあ、なにより」

「それで、ハニーはどうするの?」

「そうだなあ、別にあわててやるようなこともないが……」


 さっきのポーンの報告を聞いて、ラスラの街まで行こうかなという気になりかけたが、やめた。

 女性問題は受け身が一番だ。


「まあ、のんびりしようぜ、せっかくの休暇なんだからさ」


 ぞんざいに答えると、俺はタイミングよく運ばれてきた魚のソテーに手を付けるのだった。




 気合を入れてぐーたらしてたら、あっという間に午後だ。

 なにをするでもないので、ブラブラと散歩に出る。

 お供はフルンとエット、それにエレンだ。

 いつも一緒に遊んでいるスィーダはクメトスのお供でなにかやってるらしい。

 木陰の気持ちいい風を受けながら、エレンとさっきの話の続きをする。


「それで、レアリーがこっちに来てる理由に思い当たることがあるのか?」

「うーん、直接じゃないんだけどね。他にもこっちに来てる輩がいるんだよね」

「というと?」

「例のけが人の手紙を届けた酒場の女が居ただろう」

「ああ、なんだっけ、マーレル……だったかな」

「女の名前は、忘れないよね」

「特技だからな」

「で、そのマーレルをラスラの町で見かけたそうでね」

「ほほう、あちらは国の隠密だったんだよな」

「そういう可能性もある、って段階さ」

「じゃあ、もしかしてレアリーも隠密……、いや、そんな安易な展開は……あるかもしれんが」

「ないと思うけどねえ」

「ないか」

「どうかな、旦那が絡む事件は、わけがわかんなくなるからねえ、そのくせいきなり解決したりするし」

「たしかに、すでにわけがわからんな。それで、どんな様子なんだ」

「アルサにいたときは間諜虫で張ってたんだけど、決定的な証拠は抑えられなかったんだよね。僕らも作戦中は無駄に仲間と合わないし、無駄話もしない。古代兵器なんかなくたって、遠耳の術やらで盗み聞かれる心配があるからね」

「なるほど」

「そういう観点で言えば、あの酒場の連中は隠密をやるにはちょっと格が落ちる気もするんだよねえ」

「そんなもんか」

「なんにせよ、ゲートを挟んでこっちに来てるから、まだどこにいるかつかめてないんだよ。ラスラでみたって報告を元に今探してるけど、もう居ないっぽくてね。どっかに潜んでるのかなあ」

「潜むような所あるか?」

「冒険装備で森に入れば、数日は平気だろう。それでどこかに移動したのか。まあ、スポックロンの頑張り次第だね」

「ふうん」


 あの酒場の女には興味がなかったので、やはりレアリーだな。

 脈がある……ような気はあんまりしないんだけど、俺の方は脈があると言えよう。

 あんな気になる美人をほっとくなんて手はないよな。

 などと一人で納得していると、エレンが急に立ち止まる。


「どうした?」


 俺が尋ねると、ちょっとあとから来てよといい置いて走り去ってしまった。


「エレン、どうしたの?」


 心配そうなエットの頭をなでてやりながら、


「さて、なんだろうな。面白いことか、怖いことか、まあ言われたとおり、ゆっくり行ってみるか」


 途中、木に止まったかっこいいクワガタを捕まえてはしゃいだりしながら花畑の方に抜けると、少し先の屋敷前に、人だかりができていた。

 近所の別荘の使用人などが集まって一軒の屋敷の様子をうかがっている。

 たしかあそこはカントーレ夫人とかいう老人が住んでいるはずだ。

 いい年をして若い男をくわえこんでいる、なかなか頼もしいご婦人らしい。

 俺も老いてなお盛んでありたいものだ。

 道端から覗き込んでいる連中の一人を捕まえて話を聞く。

 はじめは警戒していたが、俺が貴族には見えなかったのだろう、気軽に教えてくれた。


「それがさっき突然悲鳴が聞こえたかと思うと、こちらのお屋敷が騒がしくなって。ついさっき若いもんが一人、血相変えて飛び出していったんだよ」


 コック風の中年の男はおっかなびっくりそういった。

 なにか物騒な事件でも起きたのかなあ。

 面倒事に巻き込まれる前に、退散したほうがいいな、と踵を返したら向こうから医者のギビトン先生が若いものに引っ張られて走ってきた。

 リースエルがお世話になってる老医者だ。


「こりゃ、そんなに引っ張るな、こんなに、走らされると、先にわしのほうが倒れちまう」

「そんなこと言ってないで、先生はやく、ほら急いで」


 必死な形相の若者に引っ張られて、医者のギビトン先生は屋敷に駆け込んでいった。

 残った野次馬一同は、ギビトンの姿が見えなくなると、またああだこうだとうわさ話を始めるが、一緒に騒ぐのもいかがなものと言うか、お子様連れなので早々にその場を離れた。

 花畑を抜けて海岸まで出るが、エレンはなかなか戻ってこない。

 エットが心配そうな顔で何度も後ろを振り返るので、そこでいったん待つことにした。


「エレン、大丈夫かな? なにかあったのかな?」

「さて、どうだろうな。心配だよな」

「うん、エレンはすごいけど、すごいのと、心配になるのは、あんまり、関係がないと思うから、エレンがすごくないって思ってるわけじゃないけど、その、心配」

「そうだなあ、心配してくれる人がいるほうが、用心するようになるしな」

「うん」


 道端の岩に腰掛けてしばらく待っていると、なんの前触れもなくひょいっとエレンが帰ってきた。


「なんだいみんなして辛気臭い顔で。こんなにいい天気なのに」

「空の青さに、ふと寂しさを感じるお年頃なのさ」

「旦那はたまにそういう青臭いことを言うねえ」


 との言葉に俺は釈然としない顔になるが、エットとフルンは、あっという間に元気になってしまった。

 そのまま海岸できれいな貝殻を集めたりして遊ぶ。

 こういうのもやってみると案外楽しいもんだが、長くしゃがんでいたせいで、腰が痛くなってしまったので、途中でギブアップして砂浜に腰を下ろす。


「もうバテたの。つい先日は、雪山で大活躍したんじゃなかったのかい?」


 そう言って隣に座るエレン。


「あれで三年分ぐらい気力を消耗したからな、こうやって補充しないと」

「旦那は消耗し過ぎだよ」

「そんな気はする。それで、さっきのあれはなんだったんだ?」


 と尋ねると、


「うーん、悲鳴が聞こえたから行ってみたんだけど、あの屋敷のマダムが倒れたとかで、あわてて医者を呼びに行っただけみたいだね」

「マダムって、例の再婚した婆さんとかいうアレか」

「たぶんね」

「それだけにしちゃ、時間がかかったじゃないか」

「物陰からこっそり様子をうかがってたら、裏口から怪しい女が出てきてねえ、気になってつけたんだけど、森の中で見失っちゃって」

「そりゃあ、あやしいな」

「後のことは、間諜虫に任せて戻ってきたのさ」


 エレンが見失うぐらいだから、只者じゃあるまい。


「ところで、例のご婦人はだいじょうぶだったのかな?」

「今日は先生がリースエルの診療に来る日だろう、あとで聞いてみたらどうだい?」

「うーん、めんどくさそうだからな。それよりも……」

「例の女実業家のほうが気になるかい?」

「どっちかといえば、そうだな」

「そろそろ、ラスラの町からの報告が上がってるんじゃないかな」

「誰か行ってるのか?」

「間諜虫とクロックロンがね」

「どこにでもいるな」

「あと、見えない船が飛んでて空の上からも監視してるんだってさ」

「怖いな」

「まったくだねえ」


 その後、ポケットいっぱいにきれいな貝殻を詰め込んで別荘に戻ると、ピューパー達幼女軍団が食いついて、自分たちも取りに行くといいだし、結局俺ももう一度海岸までつきあわされてしまった。

 そうこうするうちにさっきのことも忘れていたのだが、夜に食事をしていると、フューエルから昼間の話題が出てきた。


「先程、おばあさまに聞いたのですが、カントーレ夫人が倒れたとか」

「散歩中にちょうど騒ぎの渦中に出くわしたな。ギビトン先生が駆け込んでいくところを見たよ」

「その先生の話では、なにか強いショックを受けたのではないかということで」

「いい年して、若い旦那を貰ったからだろう」

「そのことなんですけど、あれはリヨンド夫人の誤解みたいですね」

「というと?」

「たしかに、デリエフという若者をそばに置いているようですが、身の回りの世話をさせる小間使いのようなもので、夫だとか愛人だとかそういうたぐいではないようで。先日、訪れた際に少し顔を見たのですが、実直そうな若者で、まるで母親に接するかのように甲斐甲斐しく世話をしておりました」

「ふうん、そういうのもあるのかね」

「むしろ問題は、その若者を可愛がりすぎて、養子にして遺産の一部を譲るといい出したことで、カントーレ夫人の息子たちが怒って若者を追い出そうとしているとか」

「まあ、ありそうな話だな。それでカントーレ夫人は大丈夫なのか?」

「ええ、命に別条はないと。明日にでも、おばあさまと一緒に見舞いに行くつもりですが、あなたはどうします?」

「うーん、べつにいいかな」

「お暇ならラスラにでも行ってみては? あなたが最近入れ込んでいるご婦人が、いるようですし」

「さすがは女房殿、よくご存知で」


 フューエルに挑発されたので、ちょっとその気になってきたこともあり、食事の後、ラスラの状況をスポックロンから報告してもらう。


「レアリー嬢は現在、ラスラにはおりません。先程、北テライサのゲート経由でこの島を去りました」

「そうなのか、結構距離あるだろうに」

「馬車ではなく馬を使ったのは、急ぎの理由があるからでしょうか。ラスラでは、当地の不動産事務所を訪れて、例の別荘の件でクレームを入れていたようですね。特に怪しい行動は見られなかったようです」

「ふむ」


 ほんとに別荘の件で様子を見に来ただけなのか。

 せっかく行く気になってたのに、なんか拍子抜けしてしまったな。

 気分を変えようと庭に出ると、地元褐色少女のミーシャオちゃんも交えて、望遠鏡で観測会の真っ最中だった。

 そんな様子を保護者気分でしばし楽しむうちに、昼間の疲れもあって眠ってしまったのだった。




 翌朝。

 ラスラの町に行く予定もなくなってしまったので、再びお子様連中をぞろぞろ連れて海岸に散歩に行く。

 散歩はいいものだ。

 なんか健康になる気もするし、酒もうまい。

 あとはまだ見ぬ美人でも引っ掛けたり引っ掛けられたりすると言うことないなあ、などと思いながらブラブラと浜を散策していると、向こうから恰幅のいい、というよりもかなり丸い初老の男が歩いてきた。

 朝っぱらから汗をふきふき、散歩をしているらしい。

 ネーチャンじゃなかったのでスルーすべく軽く会釈すると、向こうもぞんざいに礼を返すが、俺の後ろにいたエットを見て驚く。


「こ、これは、ポロではないか、実に、その、珍しいというか、こちらで見たのは久しぶりで、その」


 男は急におどおどと動揺し始めるし、エットはびっくりして俺の背後に隠れる。


「いや、これは、その、驚かせるつもりではなかったが、その子は君の、従者かね?」


 と尋ねる男にうなずいて返す。


「や、そうか、いや、それよりも、自己紹介もしておらなんだ、わしはボーセント・デフロイ、この先の一番大きなホールのある屋敷に滞在しておるが、君は見ぬ顔だな?」


 というので改めて自己紹介する。


「クリュウ……、そうか、クリュウといえば君が、いや、あなたがかの紳士殿であったか、これは、失礼を」

「いえ、お気になさらずに。それよりもポロになにか関わりが?」

「む、いや、その、若い頃に、南方におったもんで、その、よく見かけたもので……懐かしくて、な。その子もデールの出身かな? うむ、そうか、そうだろうな」


 どうも挙動不審な爺さんだが、根はそう悪い人ではなさそうだ。


「今夜にでも、ぜひうちに遊びに、いや、夜はいかんな、パーティだと、獣人は嫌がるものも、その、昼間が良い、珍しいお菓子などもあるでな、他の子も一緒に、な」


 終始エットは警戒していたが、折角のお誘いなので受けることにした。

 別荘に帰り、お見舞いに行く準備をしていたフューエルにかの老人のことを尋ねると、あまりいい印象の相手ではないようだった。


「一言で言えば、成金でしょうか。名ばかりの貴族が南方でひと財産築いて、今はひたすら金を使って名誉を買っている、と言ったたぐいの人物ですね。少なくとも客観的な評価はそうですが、それ以上のことはわたしはなにも……」


 とのことだが、祖母のリースエルに言わせると、


「ボーセント卿はね、孤独をこじらせた老人ね」

「こじらせる、とは?」

「彼はここでは新参ですし、若い頃に何をしていたかは存じ上げないけれど、今の有り様を見ていればわかるわね。きっと年相応に孤独に慣れることができなかったのでしょう。年寄りは皆、大なり小なり孤独を病むもの。新しい世界に出ることも叶わず、古い友人は少しずつ彼岸に旅立ってしまう。生きることは失うこと、そういう日々の中でうまく折り合いをつけられない人なのね」

「そんなもんですかね」

「いつも盛大なパーティを開いているのも、そうした埋め合わせをしているのではないかしら」


 リースエルはずいぶんと抽象的な言い回しをするが、あるいはそれ以上のことを知っているのかもしれないし、年寄りならではの洞察力の賜物かもしれない。

 はじめは招待を嫌がっていたエットだが、リースエルの話を聞いて、こういった。


「あのおじいちゃん、寂しいの?」

「そうなのかもな」

「じゃあ、行ったほうがいいかな?」

「そうだな、せっかく招待してくれたのに」

「ん……、じゃあ、いってもいい、かも」


 その時点ではあまり乗り気ではなかったようだが、ちょうどそこにかの老人から使いが来て、招待状が届いた。

 ちょっとおしゃれな感じの封筒にカードが入っているだけだったが、それを見たエットはいたく感動したようだ。


「すごい、招待状なんて! こういうのは本の中のもので、あたしの人生で、もらえる日が来るなんて思っても見なかった!」


 などと大仰なことをいう。

 何度も封筒から出したり戻したりしてうっとりと紙切れを眺めて感動している様子を見ていると、人間なにに感銘を受けるかわからんもんだなあ、と思ったりもしたわけだが、まあエットが喜んでいるならそれもいいだろう。

 ちなみに、招待の内容は今日のランチをご一緒にとのことだった。

 ぞろぞろ行くのもなんなので、エットを始めあの場に居たお子様たち、それにエレンとフューエルが行くことにした。

 フューエルは乗り気じゃなさそうだが、


「独身者でもないのに、従者だけを供に行かせるわけにも行かないでしょう。かといってエディやカリスミュウルはかの御仁と面識もありませんし、そもそも家柄が違いすぎて、先方が招待できる相手ではなくなってしまいます」

「めんどくさそうだなあ」

「またそうやって他人事のように」

「いやいや、俺があえて能天気に構えることで、もしなにかあっても必要以上にお前たちがくやむ必要がないだろうという、俺の回りくどい配慮の賜物なんだよ」

「それがなんの慰めになるのかはわかりませんが、昼食ならそれほど気負う必要もないでしょう。あそこの夜のパーティはいささか大仰で面倒なのですが」

「休暇っぽくないなあ」

「これが貴族のですよ、せっかくなのでしっかり学んでいってください」


 などといって笑うフューエル。

 たくましい奥さんだなあ。


「それにしても、お昼だとそれほど時間がないでしょう、まったく、いきなり招待状などと落ち着きのない話です、私は馬車を準備しておきますから、あなたはその子たちと一緒に着替えておいてください」


 などと言ってフューエルは出ていった。

 フューエルやテナがカリカリしてると、いつもは萎縮するエットはまだうっとりと夢見心地のようだった。


 お昼なのでお昼っぽいおめかしをして馬車で件の爺さんの屋敷まで赴く。

 歩いていける距離でも馬車で行くのがたしなみのようだ。

 別荘地とはいえ、なかなか大きな屋敷で、遠くからでも立派なホールがみえた。

 あそこで毎晩パーティを開いているのか。

 馬車回しでグルリと回って玄関に止まった馬車をおりると、実に成金趣味のピカピカしたエントランスだった。

 これはこれでいいかもしれない。

 客間に通されて、出されたドリンクをすすりながら支度を待つ。

 フルンやピューパーなどは図太いのでどんな場所でも平気っぽいが、当のエットは緊張しながらも落ち着きなくキョロキョロしていた。

 フューエルがたしなめる前に、声をかけておこう。


「どうした、ジュースは飲まないのか?」

「う、うん、ここで御飯食べるの?」

「いやあ、ここは食事の支度が整うまで、待つための部屋さ」

「え、ご飯を待つだけの部屋があるの?」

「ご飯を待つだけじゃないけどな、俺たちのような客人が時間を潰すところさ」

「貴族って、そんな事するんだ。よくわからないけど」

「俺もわからんなあ、テーブルで待ってりゃいいのにな」

「うん、そう思う」


 やがて招待主のボーセント卿が出てきた。


「やあやあ、急な招待にも関わらず、よく、来てくださいましたな。フューエル嬢も、いやマダムでしたな、これは失礼、さあエット君も、ほかのお子さんも、ゆっくりと寛いでいってくだされ」


 今朝の挙動不審な様子は収まり、見た目はどっかりと構えたテンプレ成金おじさんになっていたが、金に物を言わせてマウントを取ろうとするようなアレなところもなく、素直にエット達をもてなそうと頑張る不器用なおじさんといった感じで、思ったより好感度が高かった。


「うちは使用人のほかは、身寄りもおらんのでな、気が向いたら、また、あそびにおいで」


 などと言って土産を渡すところなど、ほんとにただの好々爺だった。

 噂も当てにならんな、と思ったら、フューエルも感心した様子で、


「面倒な人物だとしか思っていませんでしたが、どんな人にも良い面というのはあるものですね」

「そりゃあ、悪い面ばかりだと、世の中生きていけんだろう」

「ですが、あなたにとっては、別の問題を抱えるかも知れませんよ」

「というと?」

「あのボーセント卿が、森向こうの新別荘に反対している貴族のリーダー格なんですよ。夜会のたびに、集まった人々に、やめさせるべきだと話を持ちかけるものだから、全体的にそういう方向に流れつつあるようです」

「そりゃあ、困ったな。いや、別に困らんけど」

「そうですか、ならば別に良いのですけど」


 と他人事のようにいうフューエルだった。




 その日の夜。

 お見舞いから帰ったフューエルの話では、件のカントーレ夫人の屋敷は面倒なことになっているようだ。


「夫人は直接は語らなかったのですが、小耳に挟んだ話によると、どうやら大事な宝石が盗まれたとか」


 エレンがみたという怪しい女のことがすぐに思い浮かんだが、面倒なので一瞬で記憶から消し去り、驚いてみせる。


「そりゃあ、大変だな」

「夫人は無くしたと言っているのですが、息子たちが、例の若者が盗んだのだろうといって、明日にも駐留の騎士がやってくるようです」

「そりゃあ、難儀だな」

「例のレルルの友人が、また来るのではありませんか?」

「なかなかかわいい子だったな。しかし、ボスの手前、余計なちょっかいは出せんだろう」


 といって、エディの方を見ると、こちらの会話には耳をかさず、フルンたちと遊んでいた。

 なんにせよ面倒なことになりそうだし、そもそもリースエルの顔をみたら満足したので、明日はアルサに帰ろうかなという気にもなるが、せっかくエディがバカンスを楽しんでいるし、顔には出さないがエディが楽しそうだとカリスミュウルも楽しそうなので、まあもうちょっとだけこっちにいるとするか。




 翌日。

 今日は子どもたちだけじゃなく、エディやカリスミュウル、それに騎士連中も連れて、海岸沿いを北に向かって少し遠くまで散歩してみた。

 森を回って、工事予定の新別荘地の方まで行ってみたのだ。

 こちらは近くで見ると、風向きのせいか若干磯の香りも強く、地面もところどころ湿地が残っている。

 あまりいい土地では、ないのかもしれないな。

 工事は中断しているようで、資材などが積まれたままの現場を抜け、森に沿って街道まですすむと、遠くに人の集団が見えた。

 フードをかぶった十人ほどの集団が、別の集団と言い合っている。

 子供連れなので、揉め事は避けたいなあと、遠巻きに眺めていると、どうやら相手はケバい格好のご婦人集団らしい。

 もしかして、レアリーもいるのだろうか。

 お供のミラーに確認すると、いるらしい。

 昨日の今日で、またやってきたのか、忙しいな。

 あるいは今日のための下見だったのか。

 初めてこの村であったときはわからなかったけど、本来ああした有閑マダムみたいな連中と仲良くするタイプにも思えないんだよな。

 なにか仕事上のつながりで、ああして付き合ってるんだろうか。

 よくわからんが、今顔を合わせると面倒なことになりそうだったので、街道に抜けずに森を通って別荘に帰ることにする。

 先日は角の生えた狼が出たりもしてたけど、本来は森と言うにはそこそこ人の手も入った、散策にも向いた場所のようで、いくつも人の通れる道がある。

 そこを通って森を抜けると、花畑の近くに出た。

 例のカントーレ夫人の屋敷にもほど近い場所で、ちょうどレルルの友人である赤竜第五小隊ランプーンが部下とともにやってきたところだった。


「これはサワクロ殿、大所帯で散さ……っ!?」


 そこまでいいかけて、俺の隣に彼女のボスがラフなカッコで突っ立っていることに気がついたらしい。

 そんな彼女に悪びれずに声をかけるエディ。


「はあい、ランプーン、お仕事ご苦労さん」

「な、なにをなさって……」

「なにって、休暇よ。ほら、聞いてるかもしれないけど、不甲斐なくも足をやっちゃったじゃない、だからこうしてちょっと療養をね」

「し、しかし拝見したところ、悪いようには」

「そこはそれ、あと数日もしたら復帰する予定だから。それよりも、盗難事件だって?」

「すでにお耳に入っておりましたか。でしたら私などが出しゃばらずとも」

「だから休暇中なのよ、邪魔しないから、頑張ってね」


 と言って、ひらひらと手をふる。

 ランプーンと連れの騎士はあっけにとられたままだし、エディの顔を知らないのであろう地元兵士数人はあっけにとられていたが、邪魔しちゃ悪いので、早々に立ち去った。

 こんな面倒そうな事件には関わらないに限るからな。

 と思ったのもつかの間、花畑でお弁当を食べ、散歩を堪能して帰ると、リースエルが待っていた。


「クリュウさんに頼まれてほしいのだけれど」


 と申し訳無さそうに切り出したリースエルおばあちゃんの話はこうだ。

 渦中のカントーレ夫人からの依頼で、亡くした宝石を探し出して欲しい、というのだ。

 彼女のかわいがっている若者に疑いがかかっており、彼女の息子たちがこれを機に若者を追い出そうとしているのは明白だが自分は病の身でどうにもならぬ。

 ひとまず宝石だけでも見つかれば、まだやりようがある、とかなんとか。


「話はわかりますが、なんで俺のところに?」


 というと、リースエルはバツが悪そうな顔で、


「ごめんなさい、いつぞやの騎手の失踪事件のことが新聞に載っていたでしょう。その時に名探偵の活躍について、つい彼女にあることないこと話してしまって……。ほらやっぱり私も可愛い孫の夫がこんなにも頼もしい人物だと、つい自慢したくなってしまうものでしょう」


 などと言っていた。

 まあ、そういうことなら仕方あるまい、敬愛するおばあちゃんのために、一肌脱ぐとするか。

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