第366話 女神の庭 後編

 次に気がついたとき、俺は森の中だった。

 あたりは夜のように薄暗いが、深い茂みが吹雪を遮り、どうにか一息つける。

 さっきまで聞こえていた声は、もう聞こえないんだけど、たぶん今もどこかでみてくれてるんだろう。

 おかげで孤独に震えてメソメソ泣く必要はないな。


 まずは寝袋にくるまれたエディの様子を見る。

 意識は失ったままだが呼吸は安定している。

 薬が効いているようだ。

 折りたたみのシャベルを取り出し、大岩に積もった小高い雪の側面に穴を堀り、手早くツェルトを張って、テントとする。

 その中にエディを引っ張り込むと、次は火の準備だ。

 お湯を沸かすための燃料はあるが、暖房としては心もとない。

 焚き火のために、近場で枝をかき集めてくる。

 雪の下に水場があるのか、つごうよく枯葦なんかも見つかった。

 それらをまとめて火をおこした。

 とはいえ、この程度の薪では一時間程度しか持たない。

 まとまった薪が欲しい。


 だが、その前に一息つこう。

 お湯を沸かして砂糖とバターをたっぷり入れたお茶を作ると、ゆっくりとすする。

 体が芯から温まり、力が湧いてくるのを感じる。

 体ってやつは、割と単純だよな。

 元気が出たところで、ワイヤーソーと組み立て式のフレームでノコを作り、外に出る。

 森の外はまだ吹雪いているが、このあたりは幸い、歩けないほどではない。

 近くに大きな倒木を見つけたので、時間をかけてそれを切り出す。

 ゴリゴリと切り続けるが、なかなか進まない。

 それでも黙々と切り続ける。

 こういうときは、単純作業をしていると余計なことを考えずに済むのがいい。


 体力の限界が来るまえに、運べるサイズの丸太を二本切り出すことができた。

 それをどうにか運んで丸太のまま二本重ねて火を付ける。

 ノディアってやつで、こうすれば朝まで火がもつのだ。

 暖かくなってきたら気が緩んだのか、一瞬気を失いかけるがあわてて我に返る。

 気付け代わりにブランデーを一口飲んだら、あらためてエディの具合を見る。

 熱が出てきたようで、少しうなされていたので、薬を追加する。

 皮膚に押し当てる注射で、痛み止めやら何やらが入っている。

 それが終わると、食事の支度だ。

 鍋いっぱいにきれいな雪を詰めてきて火にかける。

 溶かしてボトルに移すと案外量がすくないもので、それを何度か繰り返して水を確保した。

 その間にフライパンを焚き火に乗せて、持ってきたハムやパンを焼いておく。

 いい匂いだ。

 エディにも食わせてやりたいが、薬が効いているのでしばらく目は覚まさないだろう。

 黙々と食べて、デザートに煎り豆とドライフルーツを少し食べる。

 最後にまたお茶を飲んだら、寝袋を取り出し、エディの隣で横になった。

 昔は水や靴を一緒に寝袋の中に突っ込んで寝たものだが、今回の装備だと凍る心配がないので気楽だな。

 獣が襲ってこないかだけが心配ではあったが、これだけ火を焚いているし、何より俺も体力の限界だ。

 ここで俺が倒れると、エディを連れて帰る人間が居なくなる。

 少しだけ、眠っておくことにしたのだった。




 夢を見た。

 俺は高い山の頂で、朝日を待っている。

 隣には、懐かしい友人が、退屈そうな顔で東の空を眺めている。

 もうちょっと楽しそうな顔で拝んだらどうなんだ、極上のご来光だぞ。

 たしか俺がそんなことを言うと、彼女は面倒くさそうな顔で、そうねと言ったはずだ。

 彼女は……あの頃の判子ちゃんは、今よりも少し背が高く、大人びた雰囲気で、美人だったなあ。

 こんないい女のことを今の今まで忘れてたなんて、当時の俺は、相当な朴念仁だったと見える。


 気がつくと景色が変わっている。

 同じく山の上だが、真っ黒い山だ。

 こいつは黒頭か。

 俺の足元には真っ白い立方体があって、半ば山に埋もれている。


「アウルが最後に見た景色も、こんなふうだったのかしら?」


 いつの間にか隣りにいた燕が、キラキラした体でそういった。


「いいえ、彼女はそれを見ることなく、逝ったことでしょう」


 そう答えたのは、やはりキラキラ光った紅だ。


「ふうん、じゃあ、私達が見せてあげないとねえ」

「ええ、そういう約束です。アウルやウル……それに」

「ネアルもね」

「そのとおりです。ですからマスター」


 そう言って紅が振り返る。


「世界の楔となった彼女たちに、姉妹たちにどうか……」




 目を覚ますと、ちょうど深夜だった。

 短い時間だが、なんだか穏やかな夢を見てぐっすり眠れた気がする。

 焚き火の丸太はちゃんと燃えている。

 これなら朝までもつだろう。

 エディの様子を見ると、呼吸は安定しているが、だいぶ汗に濡れていた。

 ハイテク肌着も万能ではないようだ。

 乾いたタオルを取り出し、眠った彼女を脱がせ丁寧に汗を拭ってやると、狭いテントの中に、いい女の匂いが充満してくる。

 すっかり女体になれた俺でも、こういうのはドキドキするな。

 汗を拭い、服を着せ終わると、不意にエディが口を開いた。


「あら、てっきり夜這いかと思ったのに、それだけで終わり?」

「まあね、楽しみはとっておくほうなんだ。それよりも、傷は痛むか?」

「ううん、痛みはないわね。むしろ右足の感覚が全然ないけど、狼の餌になっちゃったかしら?」

「獣の舌には刺激的すぎたみたいだ、食わずに残しちまったよ」

「そう、やっぱりハニーぐらいグルメじゃないと、この体の美味しさはわからないのね」

「だろうな。なにか食べるか?」

「食欲はないけど、スープぐらいなら飲めそうね」

「じゃあ、ちょっと待ってろ」


 携帯ストーブでお湯を沸かし、粉末のスープを作る。

 これは、スポックロンに頼んで作ってもらった携帯食だが、こういうときは楽で助かる。

 エディの体を起こしてやり、スープの入ったカップを渡すと、ゆっくりと飲み始めた。

 鍛えてあるだけあって、やはり体力はあるのだろう。

 だが、精神の方はすっかり参っているようだ。


「ほんとダメね、自分がこんなに未熟だとは思わなかったわ」

「未熟を自覚できるってことは、成長の余地が在るらしいぞ」

「本当に? これ以上胸が大きくなると、バランスが悪いわね」

「その分、尻もでかくするんだな」

「努力するわ」


 そう言ってクスリと笑ったものの、顔色も悪く、まだ相当つらそうだ。

 再び彼女を寝かせると、俺をじっと見てこういった。


「……バチが当たったのかしらね」

「うん?」

「お告げの夢、本当はあんな夢は見てないの。私が自分でどうしても行きたかったから、嘘ついちゃった」

「昔から、女の嘘には寛容なんだ。じゃあどんな夢を見たんだ?」

「私が見た夢は、ハニーが私にメイドの格好をして膝枕をしてくれって頼み込む夢だったわ」

「さすがは俺だな、夢の中でもいいことをいう。家に帰ったらぜひ頼む」

「ふふ、考えとくわ。でも……、今の私は足手まといね。きっとこの先は、ハニーしか行けないんじゃないかしら?」

「それを言うなら、おまえが居ないと俺は今頃、狼の腹の中でおねんねしてるぞ」

「でも、私が居なければあの狼もでてなかったかも知れないわ」

「もしもの話は建設的じゃないな。随分と気弱になってるじゃないか」

「……話したことあったかしら。私って子供の頃、コアが暴走気味で、感情がほとんどなかったのよ。でも、意識はちゃんとあったの、ただ世の中のすべてが無味乾燥としたなんの刺激もないものに見えて……」

「うん」

「今思えば、お姉ちゃんも随分と私に良くしてくれてたのよね。あの頃は不安なんてものもなくて、ただ物事が起きては過ぎ去っていくだけの日々だった。そんな時、お告げを受けたのよ、名前も知らない女神の声を聞いて、私は突然、世界がひらけたわ」


 どこか誇らしげにエディはそう話す。


「だから、あの声の主に、女神様に私は直接、お礼を言いたいの。今こうして気弱になってハニーに甘えてるのも、カリやフューエルや、他のみんなと毎日楽しく過ごせるのも、全部女神様のおかげだって。それを、ちゃんと私の口から伝えたくて」

「大丈夫さ、俺の経験上、途中は失敗だらけでも、最後はまあどうにかうまくまとまるようになってるんだ。だから大丈夫だよ」

「ふふ、そんなこと言えるのは、ハニーだけね、でも信じるわ。あなたの言葉だもの」

「それがいい。じゃあもう少し休んどけ、朝までにもうちょっと体力を回復しておかないと。なんと言っても今回の探索は、おまえさんのためのものだからな」


 エディを寝かしつけると、テントから出る。

 吹雪はおさまっており、高い木の隙間からわずかに星空が見えた。


「さむっ……」


 思わず身震いして、火にあたる。

 寝袋の中は暖かかったが、外は相当寒い。

 火に当たりながら、装備の確認をする。

 剣についた血を拭い、銃の残弾もチェックする。

 あれこれやっていると、左肩がちょっと痛む事に気がついた。

 すっかり忘れていたが、狼にどつかれたあとが、少し打撲気味だったようだ。

 緊張してると、痛みに気が付かないってのもよくある。

 上着を脱いで、肩に薬のシートを貼り付けようとがんばるが、思ったより体が固くてうまく届かない。


「随分と老けたみたいですね、貼ってあげましょうか?」


 声のする方に振り返ると、判子ちゃんが立っていた。

 ルチアのところにいる判子ちゃんではなく、学生時代、俺の友人として過ごしたあの判子ちゃんだ。


「君は変わってないな」

「そうかしら。もっとも、あなたから見たら十年ぶりでも、私にとってはつい先日のことですけど」

「そんなもんかい?」

「ええ、そんなものですよ」


 彼女にシートを渡すと、ベチャリと勢い良く叩きつけられた。


「ワイルドだな、そういや君はそうだったか」

「ちょっとは思い出しましたか」

「それに比べると、今となりに住んでる君は、だいぶおしとやかだったんだな」

「あれもあと数年すれば、こうなるんですよ」

「そりゃあ、楽しみだ」


 薬が効いたのか、痛みが引いてきた。


「お茶でも飲むかい?」

「そうですね、じゃあ、いただきましょうか」


 お湯を沸かして、お茶を入れる。

 山のキャンプといえば、やることは疲れ切ってすぐに眠るか、お茶でも飲みながら語り明かすしかない。

 だが、こうして久しぶりに対面しても、あまり話すことは思い浮かばなかった。

 お茶を半分ほど飲み終えたところで、不意に彼女が口を開く。


「黒澤君、そんなに無口でした?」

「急に昔なじみに再会して、照れてるのさ」

「おや、それは光栄ですね。他の私が聞いたら、さぞ悔しがるでしょうこと」

「そんなにいっぱい居るのかい?」

「ええ、必要な数だけ、私は居るんですよ。なんせ私の本体は過保護なので」

「怖いことを聞いたな」

「ほんとうに。エネアルといい勝負」

「過保護といえば……、当時俺を散々、山に連れ回していたのは、まさか今日のような日に備えてのトレーニングだったのか?」


 と尋ねると、判子ちゃんは呆れた顔をしてこういった。


「何を言ってるんですか、あなたが大学に入った時に、都会は山も川もなくて嫌だ、そういう活動ができるところに入りたいといってたんじゃないですか」

「そうだっけ?」

「ちょうど私はあなたを監視するにあたって、寮に入ってしまったあなたの隣にそれまでのように住むことができず、かわりに学校生活で共有する時間を作るべく先に山岳部に入ったものの、あなたがやっぱり面倒くさいなどといって部活に入らなかったものだから、しかたなく連れ出したんでしょう」

「そうだっけ、俺も変わってないな。だいたい、ずっと見張ってたんなら俺の性格ぐらいわかるだろう」

「あなたが怠惰に目覚めたのが、ちょうどそのあたりだったんですよ」

「まじで? なんでだろう」

「決まってるじゃないですか、一人暮らしを始めたからですよ。それよりも、そろそろ……エネアルのことを思い出したんですか?」

「いいや、さっぱり。ここに居るのが、そのエネアルなのかい?」


 判子ちゃんは俺の問には答えず、空を見上げる。

 視線の先には黒頭の山頂が見えていた。

 ここからだと山頂がはっきり見える。

 そうしてその先端に突き刺さっている塊も。

 今やそれは真っ白く輝き、こちらを照らしていた。


「あの真っ白い匣、当時アウルの正方形と呼ばれたあれを運んだのがエネアルだったそうですよ。アジャールの最後の王の亡骸を収めた棺だったとか。黒き竜の手を逃れ、安住の地を求めてこの星にたどり着いたものの、結局ここが最後の決戦の地となり、アジャールの闘神たちも、この星の騎士たちも多くがこの世界で楔となりました。そんな彼女たちの死と再生を見守る役目を、エネアルは努めたのです。ですが、それももう終わります」


 お茶を一口すすり、判子ちゃんはこちらに向き直る。


「頑張ったあとには、ご褒美が欲しくなるものでしょう。苦労して登りきった山の上で飲むお茶の美味しさは格別です」

「そうだな」

「命がけで世界を救った彼女たちにも、やはりご褒美が必要なのですよ。なにをもってご褒美とするかは人それぞれですが、そのうちの物好きな連中は、生まれ変わってあなたという世界の中で新たな生を生きるというご褒美を選んだようですね」

「そいつは本当に物好きだな」

「ええ、ほんとうに。でも、中には抜け駆けする困った人も居たようですが」

「ほほう、誰だい?」

「あなたもよく知っているでしょう。そろそろ、思い出してあげたらどうです? もうそこまで来ているのに……」


 いつの間にか、山頂の匣が放つ光は真昼のようにこの場所を照らす。

 いや、この土地全体が光っているのだ。


「ここはもう、匣の中。山頂のあれは物質的投影に過ぎません」

「よくわからんが、じゃあ、目的地にはもうついてたのか」

「あなたに目的地はないでしょう。ですが、帰る場所はあるはずです。あなたを守り育てた、あの箱庭が」


 気がつけば、周りの景色が夕暮れ時ののどかな田園風景になっている。

 ここは俺が育った、ふるさとの景色だ。

 遠くの広場に、祭りのやぐらが組まれている。

 今夜は夏祭りか、俺はあれが大好きでな。


「ほら、あそこにあなたが居ますよ」


 見ると俺が葦の茂る河原の堤防を走っている。

 その手を引くのは二人の少女だ。

 一人はいつも隣に住んでいた判子ちゃん。

 そしてもうひとりは俺を育ててくれた婆ちゃん……いや、そうじゃない。

 そうか、そうじゃなかったんだ、あれは……。


「思い出しましたか?」

「ああ、思い出したよ。あれがエネアル……だったのか。俺は婆ちゃんじゃなくて彼女に、いや、彼女が婆ちゃんだったのか」

「そのとおりですよ」


 気がつくと判子ちゃんの声が少し若返っている。

 みると女子中学生ぐらいの、見慣れた彼女……すなわち本体ってやつだろう。


「あなたに自我が萌芽し、放浪者としてあの世界のどこかに誕生したことはわかっていたのですが、私もエネアルも見つけることができませんでした。それを発見したのは、あなたとそのご両親が事故に巻き込まれ亡くなった瞬間です。あなたの本質は死とは無縁の存在ですが、人としての精神は、ご両親の死というショックに耐えられなかったのでしょう。世界を分割し、まるごと引きこもってしまったのです」

「引きこもる?」

「カリスミュウルがうちなる館に引きこもっていたように、あなた自身もまた、あの地球を含む世界をまるごと分割し、自分が引きこもる世界を作ってしまったのです」

「はた迷惑な話だな」

「ええ、その結果不安定になった世界はさらなる分裂を繰り返し、あの時空の枝は現在六つに分割されています。その原因を取り除こうとするシーサのデストロイヤーからあなたを守るために、エネアルは予定を早めて顕現し、あなたが十分に安定するまで育てることにしたのですよ。その結果、真の意味での再生が滞ってしまっているのですが」

「よくわからんが、彼女には随分世話になったんだな。それに君にも」

「ええ、あなたは本当に手のかかる子で。ねえ、エネアル」


 判子ちゃんが振り向いて話しかけた先には、ぼんやりと光る火の玉が浮かんでいた。


「まったくじゃ、子育てがこれほど大変なものとはな」


 ぼんやりと光っていて姿はわからないが、この気配と声は確かに良く知っている。

 懐かしい声だ。


「婆ちゃん……いや、そんなふうには呼んでなかったな、エネアル……そうか、エネアルだ」


 子供の頃のことがつぎつぎと思い出されてくる。

 まるで封印された宝箱から記憶が溢れてくるかのようだ。


「すまなんだな、仮初の肉体に限界が来た時に、お主の記憶を少しいじって、そう、嘘をついたのじゃ、お主を育てたのは祖母であったとな」

「それで……俺は婆ちゃんの顔もろくに思い出せなかったのか」

「まだ完全にはお主の安定が取り戻せておらなんだのでな、全てを話せる段階ではなかったのじゃ。そこで後のことは判子にまかせて、わしは眠りについた」

「そう……だったのか」

「ふふ、何じゃその顔は、子供の頃と変わっとらんのう」


 気がつくと、俺は泣いてたらしい。

 混乱しすぎると、泣くか笑うかしかないようだが、今の俺は泣いてしまったようだ。


「だって……しょうがないだろう、こんな、いきなりだって、まさか自分のこととは思ってなかったんだぞ、ここにはエディの女神様とやらを探しにきて、なんでそれがいきなり婆ちゃんの正体でしたって話になってんだよ、わけがわかんねえじゃないか!」


 俺は柄にもなく、ガキみたいに駄々をこねてみた。

 たぶん、今だけはそうしていいと思ったからだ。


「なんで、こんな……」


 それ以上は言葉にならず、俺はボロボロと泣いていた。

 判子ちゃんが背中をさすってくれた気がするが、興奮しててよくわからなかった。

 二人は黙って俺が泣き止むのをまってくれたようだ。


「どうじゃ、落ち着いたかのう」

「たぶん、もう大丈夫だよ」

「そうか、いい子じゃ。さて、そろそろ時間かのう」


 とエネアルが言うと、判子ちゃんもそうですねとうなずく。


「やはり体無しでフォールするのは力が減るのう。今しばしの別れのようじゃ」

「いっちまうのか?」

「なに、あとしばらくじゃ。わしはもう、すぐそばまできておる。お主が試練を終え、匣が開けば、わしも新たな生を得よう。待っておるぞ、わしの愛しい、主殿」


 そう言ってエネアルは消えた。

 しばらく放心状態だったが、気がつくと元通りあたりは薄暗く、焚き火があかあかと燃えているだけで、判子ちゃんの姿もない。

 彼女が使ったカップだけがそこに残されていた。


 テントの中から俺を呼ぶ声がするので覗いてみると、エディが起きていた。

 どうやら彼女も泣いているらしい。


「ねえ、ハニー、聞こえた? 女神様の声だったわ、私に声をかけてくださったの。名前もお聞きしたわ、エネアル様だって、ねえ、ハニーも聞こえたでしょう?」

「ああ、聞こえたよ」

「ほんとうに、いらっしゃったのね」


 感極まって泣き崩れるエディというのもなかなか珍しいものだが、俺もさっき駄々をこねたばかりなので、黙って背中をさすってやった。


 しばらくそうしていると、表が急に騒がしくなる。

 警戒しながら外を覗くと、クロックロンたちがワラワラと現れた。


「ヘイボス、グッドモーニング、元気カ」

「お前たち、どうやって来たんだ、動けるのか?」

「サッキ結界ガ切レタカラ飛ンデキタ、上モ居ルゾ」


 上を見ると、巨大な船が上空に静止している。

 リッツベルン号だ。

 どうやら迎えに来たらしい。

 いいタイミングだな。

 ここには着陸できないので、森の外に降りてもらい、そこまでエディを運ぶ。


「ご無事でしたか、ご主人様」


 リッツベルン号からでてきたのはスポックロンとミラーだけだった。

 エディを収容してもらってから、出迎えたスポックロンに話を聞く。


「つい先程、強力なフォス波を検知し、それと同時に皆様が飛び起きてきました。皆さん一様に、声を聞いたとおっしゃるのです」

「みんなも聞こえたのか」

「ではご主人さまも? 私はよくわからなかったのですが、あとから自身のログを確認すると、たしかにそういうを聞いていたようです。おそらくは発生源が近すぎて一瞬、エミュレーションブレインがショートしていたのでしょう。またその直後に一帯に張り詰めていた結界のようなものが解けていることを確認しましたが、他の皆様は興奮状態でしたので、まずは私どもがお迎えにまいった次第です」

「なるほど、何にせよ助かった。エディが怪我をしてるしな」

「そのようですね。すでに保護カプセルに入っていただきましたが、初期治療が良かったのでしょう。一週間もかからずに完全に元通りに回復する見込みです」

「そりゃよかった」


 多分試練は終わったのだろうということで、山小屋の近くにあるベースキャンプに戻る。

 うちの連中だけでなく、猟師や騎士団の連中も、一様に騒いでいたが、俺が戻り、またエディが怪我をしたと知って我に返ったのか、集まってきた。


「それで、エンディミュウムは無事なのだな」


 開口一番、カリスミュウルがそう言った。


「大丈夫だ。無事と言うには大怪我だが、スポックロンの話では一週間程度で元通りらしい」

「ふむ、ならばまあよし。我々が女神の声を聞いたということは、うまくやったのだな」

「やったといえばやったのかなあ、まあ色々あってなあ」

「はっきりせん男だな」

「そうはいっても俺は俺なりに大変でな。こっちはどうだったんだ?」


 話を聞くと、眠っていた彼女らの目の前が突然明るくなって、なにかの声に呼ばれたらしい。

 あわてて飛び起きると、女神の声が聞こえたのだとか。


「我が名はエネアル。ネアルの直系にして、汝らの安寧を見守るものなり、とな」

「ふむ」


 そこでフューエルが、


「あの声は私達が神霊術師としてお聞きした声に間違い有りません。私もテナも、エムラもそうでした。きっとおばあさまにもあの声は届いていることでしょう」

「そうなのかもな」

「あなたにも同じ声が聞こえたのですか?」

「いやあ、俺の場合は目の前に火の玉の形で現れてな」


 そこに黙って話を聞いていたレーンが割り込んでくる。


「顕現なされたのですか!? では先ほどの強い力はその時の」

「顕現と言うか、ちょっと顔を出しにきた、みたいな感じで」

「なんですかその説明は、もう少し具体的に。もしや他の女神同様、ご主人さまにお仕えするというのでは?」

「いいところに気がついたなあ。それなんだけど、ほら、俺が両親をなくして祖母に引き取られたって話をしたことがあっただろう」

「はい、田舎町でのびのびと暮らしていたとか」

「そのな、婆ちゃんだと思っていたのが、実は女神エネアルだったらしいんだ」

「なんと! いえでもしかし、それはどういうことです? ご主人さまの故郷には女神も魔法もなかったのでは?」

「そうなんだけど、多分正体を隠して過ごしてたんだろうなあ」

「詳しいお話を伺いたいところですが、どうせその様子では何もわからないのでしょう」

「そのとおり、レーンはなんでもわかってるなあ」


 その他わかってるところを細々と説明し終えた頃に、エディの様子を見に行っていたポーンとローンが戻ってきた。


「すまなかったな、ポーン。俺がいながらエディが怪我しちまった」


 というと、ポーンは首を振って、


「それは逆でしょう。エディがついていながらあなたが怪我でもしていたら、彼女の面目が立たぬところでした。よくぞご無事でお戻りに」


 ポーンらしい気の使い方に黙ってうなずく。


「そもそも俺達にゃ、女神様がついてるからな」

「そのようで。あのような神々しい声を聞いたのは初めてでしたが、あれがエディの求める女神様の声なのですね」

「そうらしい。これでエディの念願もかなったわけだ」

「それで、神殿はあの場所にあったのですか?」

「いや、そいつは見つからなかったな。山頂に続く道のようなものもなかったが、クロックロンたちが動けるなら、探してみてもいいかもしれん。もっとも見つかるかどうかはわからんが」


 すると控えていたミラーが、


「すでに探索は開始しておりますが、広域探査ではそれらしいものは見つかっておりません。また、山頂にある謎のボックス、現在はモヤが晴れ、全員が観測できておりますが、真っ白い一片十メートル程の直方体、これを調査すべきだと考えております。ただし、女神にまつわる超古代の異物であれば、むやみに近づいて良いものか判断できかねますので、つきましてはオーナーのご指示をいただきたいのですが」

「そうは言われても、俺もよくわからんが、なんでもあれはアウルの正方形とか言う名前らしいぞ」

「ではやはり女神にまつわる?」

「エネアルがアレを守ってたとかなんとか」

「それだけ重要な装置なのでしょうか」

「どうだろうなあ、こういうときは無駄足とわかっていても、女神様に聞いてみるのはどうだ」


 紅はこっちに来ているが、例のごとく何も覚えていないと言うので、代わりに自宅で惰眠を貪っているはずの燕を呼び出そうとすると、ちょうどいいタイミングで向こうから小型の飛行機に乗ってやってきた。


「珍しいじゃないか、自分からでてくるなんて」

「しょうがないじゃない、あんなバカでかい声で起こされたら嫌でも目が覚めるわよ。アルサでもみんな大騒ぎよ」

「まじかよ、もしかして世界中でそんな騒ぎなんじゃないだろうな」

「たぶん、そうなってるんじゃないかしら。それで、エネアルは?」

「また帰っちまったよ、なんかパワーが足りないとか」

「あら、そうなの」

「試練が終わると、現れるってよ」

「ふうん、で、どうだった、久しぶりの再会は」

「お前もしかして、彼女の正体を知ってたのか?」

「そりゃあ、ずっと見てたもの、子供の頃からエネアルを通して」

「まじかよ、教えてくれればいいのに。ショックで泣いちまったよ」

「あら、それはいいところを見損ねちゃったわね」

「めったに無いシーンだったからな。それよりも……」


 と例の白い立方体について尋ねる。


「へえ、あれが王の棺だったのね。アウルはあれを守ってずっと宇宙をさまよってたはずだけど」

「あれに王様が乗ってたのか?」

「たぶんね、私は別方面に行っちゃったからしらないけど、王がなくなって、アジャールを旅立って、でも結局ここで永遠の眠りについたのね」

「あそこにまだ居るのかな?」

「ご遺体が? ないでしょ、あれはただの投影だし」

「そう言えば判子ちゃんもそんな事を言ってたような」

「あいつも来てたの? ほんとでしゃばりね」

「そういうなよ、彼女にも助けられたんだし」

「やあねえ、そりゃあエネアルはアイツと二人でずっとご主人ちゃんのお守りをしてたから、多少は仲が良かったりもするんだろうけど」

「そもそも、なんでお前たちは俺に仕えようとするんだ?」

「言わなかったっけ? 私達闘神は、闘神として生まれ変わる時に、元の世界の理から外れちゃってるのよ。つまり世界の外にポーンと生まれるわけ。でもそこにはなにもないから、そのままじゃどうにもならないんだけど、そこで出てくるのが自分自身が宇宙そのもの、しかも意思を持った考える宇宙であるところの放浪者なのよ」

「つまり俺みたいなのか」

「そうよ、私もエネアルも、紅もストームも、あとセプテンバーグもみんなご主人ちゃんの中に生まれ変わったから、必然的にあなたのもの、つまりあなたに仕えるのよ」

「ふうん、よくわからんけど」

「わかりなさいよ」

「そうは言われてもなあ。あれでも、セプテンバーグは闘神とかいうのじゃないんじゃ? この星の騎士とかなんだろ」

「セプテンバーグは特別よ。闘神を作るのと同じ方法で生まれたのよ。だからヴァレーテでありながら騎士でもあるの」

「つまり、どういうこと?」

「生まれてきたら、本人に聞きなさい、私も細かいことは知らないわよ」


 なんかわかったことより、わからんことのほうが増えた気がするな。


「じゃあ、とにかくあの白いやつは、調べてもしょうがないかんじか?」

「そうね、あれはただの飾り」


 すると話を聞いていたレーンがこういった。


「ではあれをご神体として、ここに神殿をつくりましょう。試練のあとにご本人が降臨なされれば、エネアル派は大きな力をもつに違い有りません。お姉さまを巫女として我々が神殿を経営すれば、ガッポガッポ……もとい、多くの救いを与えることができるでしょう」

「やめたほうがいいんじゃないか?」

「私もちょっぴりそんな気はしますが……この山で狩猟生活を行なっている方々にとっても、都合が良くないでしょうし。それでも、祠ぐらいは建立しても良いかと思います」

「まあ、任せるよ」


 そんなことをするうちに、空が白んできた。

 東の空に日が昇り、黒い山を真っ赤に照らし出す。

 その光を受けて真っ白い塊が一際眩しく輝いた。

 周りに居た連中は、誰からともなくその姿を拝み始める。

 俺もしばらくはぼんやりと、その神々しい姿を眺めているのだった。

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