第364話 山小屋

 目指す山小屋の主は、老いてなお鍛えられた立派な体躯と、豊かな白ひげを蓄えた、いかにも山男と言った風体の人物だった。

 たぶん、偏屈なんだろうなあと思っていたが、案外人当たりがいい。

 聞けばここに入った当時はろくに口も聞いてくれなかったが、病気の孫娘の治療をミラーが行なったところ、非常に感謝されて、それ以降とても協力的になったそうだ。

 普通なら、そういうところこそ俺の出番であって、紆余曲折の末に問題を解決して爺さんの機嫌をとりつつ、その孫娘とやらと仲良くなるのが筋ではないのかと思わなくもないが、聞けばその孫娘は人妻らしいので、手間が省けてよかったかなという気持ちになった。


「あんたがあの人形さんたちの主人かね、わしにできることなら、なんでも協力させてもらおう」


 そう話す爺さんは、名をバンダといい、バンダじいだの、山のおじぃだのと麓の連中からは呼ばれているそうだ。

 ひとまず、そのバンダじいの話を聞くことにする。

 長くなければいいけど。


「あれはわしがまだ独り身の頃じゃった、夢を見てな、まっくろい蝶が夢の中でわしを導くのじゃ。いつもの歩き慣れた森の中を追いかけるうちに、見知らぬ裂け目に出てな、そこで目覚めたのじゃが、妙に現実味のある夢で、その日のうちに夢で見た場所にでかけたところ、たしかにその岩の裂け目があったのじゃ。これはお告げに違いあるまい、山におわす女神のお告げじゃと思うて、そこから裂け目に下って行ったんじゃが……」


 その先は例の盆地に繋がっており、そこで見たこともない獣に襲われ、ほうほうの体で逃げてきたんだとか。

 後日仲間を連れて再び挑もうとしたが、その裂け目は見つからず、何度も探したものの、結局、その後は二度と見つからなかったそうだ。

 その際に、嘘つき呼ばわりされて人間不信になって山にこもったり、その結果、伴侶となる女性と出会ったりと色々あったようだが、それは別の話ということで、結局、今もそこに至る道が本当にあるのかどうかはわからないままだという。


「あんたらがわしの話を信じんでも別に恨みはせんし、この話は長いこと誰にもしておらなんだ。あんたらが話題に出すまで忘れとったぐらいじゃし、今となってはわし自身、自分の体験を疑い始めておる。だが、それでも恩人の助けになるかもしれんと思うて話したまでじゃ。あとをどうするかは、あんたらが決めることじゃ」


 とのことだったので、素直に信じることにした。

 そうなると、次にすることは、女神に選ばれるところか。

 選ばれたものが、女神の庭と呼ばれる盆地に降りてなんか試練っぽいことをやる流れみたいだからな。

 そこでバンダじいの話を信じるならば、その夢を見ればいいということになる。

 なんか夢で予言みたいなことは過去に何度かあったし、あれもお告げの一種だとすれば、また夢を見る可能性が高い。

 今夜はぐっすり寝るとしよう。

 いや、眠りは浅いほうが夢を見やすい気もするが、でも普通の夢とお告げ的な夢はなんか違う気もするしなあ。

 なんにせよ、朝早くに出たせいで、時刻はまだ昼だ、寝るには早すぎる。

 山小屋の近くに内なる館から取り出した持ち運び用の小屋を設置して、今夜の野営地を作る。

 同時に準備中の昼食をとったら、例の盆地を実際に見に行ってみようと思う。

 バンダじいの話が本当なら、今日の時点ではまだ盆地に降りるコースは見つからないはずだ。

 でもって、夢のお告げみたいなのを見たら突然、道が開けるんじゃなかろうか。

 そんなゲームみたいな都合の良い展開ってあるのかなあ、と思うが、あると思えばあるんだろう。

 でも完全に信じてるわけじゃないので、今もクロックロンや間諜虫が調査している。

 うまく行けばラッキーぐらいの感覚で臨むのがいいだろう。


 持ち運び小屋は、見た目は以前と変わりないのだが、少し変わったところがある。

 風呂とトイレがついたのだ。

 これは水回りにスポックロンが用意した超古代技術が導入されたことで可能になったわけだ。

 見た目は手作りログハウスっぽいままなのに、水源さえあればどこでもじゃぶじゃぶシャワーを浴びたり、もりもり排泄してもあとは汚さないという素敵キャンプ生活がおくれるようになった。

 便利だなあ。


 昼食をとったら、散策に出る。

 もちろん、登山用の服装を身に着けてだ。

 快適なアンダーの上に保温性のある中間着を来て、上からは鋭利な岩肌や刃物も通さない丈夫なシェルを羽織る。

 靴も何やら特殊なソールで雪や氷の上でも普通に歩けるすごい登山靴だ。

 試しにフカフカの雪の上で座ってみても、全然冷たくない。

 事前に十分チェックしてたので機能は把握してるんだけど、それでもやっぱすごいな、古代文明。


「すごい、この靴、雪でも普通に走れる!」


 そう言って走り回るエットの他にフルンやスィーダの三人と森の中をぶらぶら歩く。

 今回、シルビーは実家に帰ってるとかで来てないんだよな。

 また別の機会もあるだろう。

 辺りをうろついてたクロックロンの案内で盆地を囲む岸壁まで行ってみる。

 盆地は短いところで幅十キロ、長いところだと二十キロはあるだろうか。

 山裾を囲むように曲がっており、高さにして百メートルはごっそりとえぐられた形状で、なんとも言えず不思議な光景だ。

 盆地には高さ数十メートルの巨木が立ち並び、中央には巨大な雪原もある。

 その向こうは黒頭の側面まで伸びていた。

 たぶん、あの雪原を突っ切って黒頭の麓まで行けば入り口がぽっかり開いて中に入って上まで行けるんじゃないかなあ、と思う。

 思うと言うか期待している。

 雪質にもよるが、平地なので頑張ればあの距離を一日で横断するのは大丈夫だろう。

 問題は天気か。

 今回、あわててここに来たのは天候の問題もある。

 スポックロンの予報によると、あと数日で寒気団がこの地を覆い、大量の雪を降らせる可能性が高いのだ。

 だから、できれば明日にも下に降りて一泊ぐらいでちゃっちゃと片付けたい。

 そういう願望が、期待を生むのだろう。

 だが、実際には何があるかはわからないのであらゆる状況に備えるべきだ。

 などと言っていたら、俺たちを案内していたクロックロンが動きを止めてしまった。

 例の結界に引っかかったらしい。

 かかえあげてその場を離れると、またもとに戻った。

 結構ガッツリと影響があるんだな。

 ふと思い立ってまた岸壁まで戻り、内なる館に入ろうと試みると入れなかった。

 首から下げたペンダントは、普段はきれいな赤色なんだけど、今は何やらくすんでいる。

 たぶん、コイツも結界の影響を受けているんだろう。

 これもある程度想定はしていたとはいえ、内なる館がつかえないとなると、難易度が更に上がるな。

 自分で背負って歩ける荷物しか持っていけないということだ。

 つまり、普通の登山と何ら変わりないとも言える。

 この日に備えて、エディを始め、登山に挑む候補の連中はそういうトレーニングもしてある。

 でもまあ、事前に確認できててよかった。

 他にもコンパスも不安定で、あまり当てにならないという話だった。

 ここはちょっと不安があるな。


 キャンプ地に戻ると、うちの連れや赤竜のメンツの他に、地元の猟師が何人かいた。

 この日のために、色々と協力してくれた人たちらしい。

 こちらで用意したごちそうを振る舞いながら、話を聞く。

 五十絡みのベテラン猟師の男は、近頃山の様子がおかしいという。


「わしらは毎年黒頭を拝んで猟をしてきたんじゃが、今年はどうも山の空気がへんでな」

「というと?」

「あのてっぺん、今もずっと霞がかかって、あれは一度も晴れたことがないんじゃが、若いもんが何人も、霞が切れて光るものが見えたと言うておった。わしはまだ、みておらんのじゃがな」


 そう言って立派なヒゲをなでながら、話を続ける。


「普段は山から降りてこん角鹿が去年の秋口から何度も森で見かけたり、妙な地鳴りで、竜でも目覚めるんじゃないかという話もあってな」


 地震がほとんどない地上世界では、地面が揺れるのは地中に棲む竜が暴れたせいだと考えている。

 それだけ聞くとなまずに似た迷信のようだが、実際に竜はいて、竜の引き起こす地震を経験したこともある。


「そんな折じゃから、本当はわしらも、今の時期によそ者に山を荒らされるのには反対じゃったが、あの頑固者のバンダじいがわしらに頭を下げおるもんじゃからのう。おまえさん、偉大な紳士様なんじゃろう? じゃからまあ、滅多なことにはならんじゃろうが、そういうところを汲んでもらえると助かるんじゃよ」


 猟師の話にうなずきながら、なんと答えたものか悩んだが、結局一言、


「がんばります」


 と答えると、猟師たちは満足したようだ。

 同席していたローンとともに場所を変えて、少し落ち着いたところで一杯やる。


「それにしても……」


 とキツめの酒をあおったローンが、こう言った。


「あなたの周りには、話の通じる人間しか集まってこないのでは?」

「そんなことはないだろう」

「ありますよ、普通こうした場所で地元民と折衝すると、九割がた難航するものです。難癖をつけられたり、足元を見てたかって来たりと」

「だけど今回も、ミラーが孫娘を治療したのがきっかけだろう、周りの人間に助けられてるだけさ」

「こういう言い方をしてはなんですが、それぐらいの人助けは、私達もいつもしているんですよ、けが人の治療をしたり、橋をかけ直したり、堤防を直したりと……それで得られるのはせいぜいうわべの感謝だけで、次に繋がることはまずないのです」

「そりゃあ、そういうもんだろう。俺だって故郷にいた頃は、似たようなもんだったさ。こっちに来てからの数年が、たまたま運のめぐりがいいだけかもしれん」

「そういえば、あなたの故郷は、どこか遠い世界……なんでしたね。いまだに信じられませんが」


 身内になると俺の正体が明かされるのだが、明かしたところで突拍子がなさすぎて大した意味は持たない。


「しかし、こことは別の世界、いいですね、子供の頃に読んだおとぎ話のように、世界を飛び越えて旅をできるのであれば、してみたいものです」

「おまえさんに、そんな子供じみた趣味があったとはな」

「子供時代は、子供っぽく過ごすものです。なんせ私は生真面目なので」

「年相応は大事だな。俺なんて未だに学生時代の気分が抜けてなくてなあ」

「主人のそういう至らぬところを正すのは、私のような女の勤めであろうと、もちろんわきまえていますよ」

「そりゃあ、楽しみだ。思う存分、おまえ好みの主人に鍛え直してくれたまへ」


 俺がそう言っておどけると、ローンは鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

 あれは照れてる時の仕草だな。

 騎士団に指示を出していたエディも戻ったので、あらためて飲み直す。


「今のところ順調よねー、神殿跡もさっさと見つかってくれるといいんだけど」

「山の上に、ほんとにあるのかな?」

「どうかしら、案外、女神の庭ってところにあってもおかしくないわよね」

「たしかに、あの山頂よりは、神殿を作るのに妥当な場所かもしれん」

「そうそう、スポックロンが、地図を用意してくれたのよ。残念ながらこの地図の範囲にそれらしい建物は見つかってないんだけど」


 といって、印刷された大判の地図を広げる。

 中には入れないが、遠くの上空から撮影した情報を元に地図を構成したらしい。

 等高線から植生まで細かく書かれていてわかりやすい。

 これだけの地図があれば、初めての場所でもだいたい歩ける。


「地図の読み方も教わったわ。この線が地面の高さを表してるのね。こんなに正確な測量が簡単にできて、すぐに地図にできるなら便利よねえ。国中の地図がほしいところだわ」


 とエディが言うと、ローンもうなずいて、


「ローゼルやシャムーツの正確な地図もあれば言うこと有りませんね」


 などという。

 シャムーツはアルサの西にある国だが、ローゼルははるか北にあって敵対してる国だ。

 今は小競り合いぐらいしかないそうだが、そういう人同士の争いに関わる気はないのだった。


「そういうのは俗世の人間に任せときゃいいのさ、俺ぐらいの紳士になれば、もっと人智を超越した視点からだな」

「ハニーってほんと、世間に関わるの嫌がるわよね、人や社会を支配したいとか、そういう欲求ってないの?」

「ないだろう、そもそも、ある方が少ないんじゃないのか?」

「そうかしら、育った場所の違いかしらねえ。フューエルはどうなのよ」


 と少し離れたところでエームシャーラとエレガントにグビグビやっていたフューエルに話を振る。


「私もあまり、なんせ都の権力闘争とは縁のない田舎で育ったものですから。せいぜい今いる領民に一Gでも多く稼いでもらいたいぐらいですね」

「でも、若い頃は都に遊学してたんでしょう」

「それでも、あまり家柄の高い人とはお近づきになれませんでしたし」

「そういうものかしら、エームシャーラ姫は?」


 今度はエームシャーラに尋ねる。


「私は、元々継承権がないも同様でしたし、神霊術の方に傾倒していましたから、そちらの勉強ばかりで、縁がありませんでしたね」

「ふーん、カリ……は聞くだけ野暮ね」


 すると黙々と肉をかじっていたカリスミュウルが答えて、


「ふん、貴様とて、およそ権力と一心同体のような立場でありながら、飄々と逃げ回っておるではないか、つまるところ……」

「似たものファミリーってわけね、心があたたまる話ねえ、もっとお酒頂戴」


 酒癖の悪いエディはどんどん飲んで、さっさと酔いつぶれるつもりのようだ。

 そんな女性陣を無視して、俺は焚き火の横に設置したバーベキューコンロで黙々と野菜を焼く。

 ファーマクロンが送ってくれた新鮮な野菜を最高の焼き方で美味しく仕上げるのが、近頃の俺のブームだ。

 今日はこれに専念しようと決意を新たにして、目の前の野菜と向き合ったのだった。

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