第357話 蟹

 苔むしたかけ流しの温泉は情緒にあふれて最高なんだけど、どうもこの温泉宿は寂れているようで、ここに限らず他の宿もガラガラらしい。

 かつては湯治宿として、あるいは南のラキアンラ地方から北上してくる商人がここを抜けて北の国々と行き来する際の定宿として栄えていたそうだが、近年はアンフォンから東西に抜けるルートが主流になって人が来ないとか。

 カリスミュウルたちがそんな辺鄙な場所にやって来たのは、アンフォンの街で集めた情報をもとに、人形師四人組がアーランブーランの東回りでなく西廻りで北上したとすればこの渓谷を抜けた可能性が高いから……だったそうだが、早々に消息がわかったので、あとは遊んでたらしい。


「そんなわけで、久しぶりの団体客だからって随分歓待を受けてるわよ」


 隣で湯に浸って手酌で飲んでたエディはそう言って、ゆらゆらと大きなものを揺らす。

 さきっちょの大事な部分が見えたり見えなかったりする絶妙な浸かり具合がよい。

 一方、その隣で同じく湯に浸かっていたアウリアーノは、少し濁ったお湯に深く浸っていて、いまいちよく見えない。

 それでも時折体を動かすたびに、胸の谷間からぴゅっとお湯が弾けたりして実に色っぽい。

 俺がチラチラ見てることに気がついてるだろうに気が付かないふりをしてるあたりがなんとも言えず口惜しいといえる。

 出し惜しみしなくてもいいのになあ、と思っていたら、俺の思惑を無視するように豪快にジョッキでエールを煽ってこういった。


「せっかくなので、部下たちも別の宿に入らせましたわ。アンフォンの復興絡みで色々と投資もしていますし、このあたりで宿の一つも押さえておけば、慰安にもなるでしょう」

「そりゃあ、いい心がけだねえ」


 お姫様が考えることじゃないと思うけど、ワンマンも良し悪しだねえ。

 水面下を透視するのは諦めて、俺も控えていたミラーにエールを頼むと、入れ違いにピューパー達が飛び込んできた。


「こら、走ると危ないぞ」


 とたしなめるも元気が溢れてる幼女カルテットは素っ裸で湯に飛び込む。

 従者じゃないパマラちゃんの素っ裸も見えた気がするけど、もうちょっと成長してくれないとなあ、という気持ちでいっぱいだ。


「あのね、冒険! 冒険した! 洞窟で、宝物とか見つけた!」


 ピューパーがそう叫ぶと、他の三人もコクコクと頷く。


「穴! 穴もいっぱい掘りました、いっぱい!」


 パマラも自分の言葉で叫ぶと、同じく残りもうなずく。

 言葉通じてなくても関係ないんだなあ、と聞き流していると、今度はクメトスやフェルパテットらがぞろぞろと入ってきてにぎやかになる。


「あのねー、フェルと一緒に裏山で遊んでたら、へんな祠があって、パマラが穴ほったら、そこから洞窟に入って、ガガーって天井が降りてきてクメトスが石でできたドアを槍で壊して、どかーんて、石なのにバラバラにして、あと落とし穴に落ちそうになったらカリちゃんが魔法でプカプカ浮かしてくれて、えーと、あと、なんか、お宝! そう、おたから。金ピカのやつ!」

「随分、頑張ったんだな。怪我とかしなかったか?」

「うん、大丈夫」


 どうやら、岩窟の魔女がどうとかいう遺跡の話らしい。

 ピューパー達が見つけてそのまま中で暴れてきたそうだ。

 危ないというよりも、面倒を見ていたクメトスらが大変だったろうなというところだが、まあ無事で良かった。

 そのことをねぎらうと、クメトスは苦笑しながら、


「私だけであれば、さしたる罠とも思えなかったのですが、いかんせんこの子達は一瞬とて同じ場所におらぬもので」


 フェルパテットも長い尻尾をくねくねさせながら、


「私がしっかり言い聞かせればよかったんですけど、その、遺跡なんてものを初めて目にしたら、気になってしまって」

「一緒になって冒険しちまったか」

「はい。でも、すっごく楽しくて、またやってみたいです」


 フェルパテットもわんぱくだからなあ。

 件の遺跡自体は小さなものだったそうだが、宿の者の話などを聞くと、このあたりには色々と言い伝えが残っているらしい。

 エンテルなんかは興味津々って感じだけど、もちろん俺はそういう面倒くさそうなのにはあんまり興味がないのでスルー気味だ。

 幸い、ピューパーたちはひとしきり戦果を報告したら満足したのかピューっと風呂から出ていってしまったので話題を変えよう。


「ところでクメトス、どうだ、ラッチルとはうまくやれそうか?」

「はい、そのことですが、あれ程の武人が仲間であるというのは、実に心強い話で、来る試練に置いても頼もしい限りです。地上に戻ったら、さっそく彼女も交えて訓練を……」


 と珍しく饒舌に話し始めた。

 よほどラッチルのことが気に入ったようだな。

 そのラッチルが遅れてオルエンらと風呂に入ってきた。

 素っ裸でオルエンと並ぶと、似たようなシルエットでありながら、白と黒の対比が実に魅力的で、うちに帰ったら訓練なんかよりもあの二人でくんずほぐれつしてるところを見せてもらいたいなあ、などと考えていたら、隣で飲んでいたエディにお尻をつねられた。


「ハニー、変な顔しちゃだめよ。アウリアーノ姫がハニーの弱点を探り出そうと様子を見てるわよ」

「お前弱点とか言っても、俺は弱点だらけじゃねえか。むしろ俺の強いところを教えてもらいたいよ」

「そうねえ、強いて言うなら弱点だらけで可愛いところが、ハニーの強みかしら」

「そういうのをアバタもエクボっていうんだよ」

「アバタといえば、ハニーって肌が綺麗よね。苦労してない証拠じゃない?」

「そうなんだけど、肩とかに刺された傷跡とかがまだ残ってるからな、俺もそれなりに体を張ってだなあ」


 というと、アウリアーノが、


「魔界では男はより男らしい姿が好まれますから、もう少し傷があっても良いぐらいですわね」

「そんなもんかい?」

「逆に女はシミひとつない肌が望まれますの。ですけど、紳士様におかれましては、そのようなことは気になさらないのかしら」

「俺はまあ、なんでもいいからな」

「だそうですわよ、ラッチル。本当にあなたは良い主人を持ったことですね」


 そう言われたラッチルは、肌が黒くて目立たないんだけど、あちこちに小さな傷跡がある。

 エディはそうでもないが、クメトスやオルエンなんかは常に生傷が絶えず、騎士はそういうものだと思っていたので気にしなかったが、もしかしたらラッチルにとってはコンプレックスの元だったのかもしれない。


「そういう君はどうなんだ? さぞ魔界のプリンセスにふさわしいなめらかな肌で……」

「気になるんでしたら、ぜひともご自分でお確かめになっては?」


 突然湯船で立ち上がるアウリアーノ。

 おお、と思った瞬間、エディに目を防がれてしまった。


「おい、これじゃあ確認できないぞ」

「目に毒よ」

「毒と知っても自ら食らいつく俺の男らしさを証明するチャンスじゃないか」

「無駄死にするだけよ」

「そんな気はする」


 俺が諦めると、アウリアーノ姫はおほほと笑って、


「惜しいことをしましたね、ではお先に」


 といって風呂から上がってしまった。

 見たかったなあ。




 長風呂でのぼせた俺は、風通しのいい部屋でゴロゴロしていた。

 もう魔界の天井の明かりは消えており、外は夜の静寂に包まれている。

 一方宿の中はピューパーやフルンたちが全力ではしゃいでいるので素晴らしくにぎやかだ。

 子どもたちが楽しげに騒ぐ様子を眺めながら更にゴロゴロと転がっていると、不意にあることに気がついた。

 この床、畳じゃねえか。

 若干、貼り方が違う気もするが、この懐かしいい草の匂いはまごうことなき畳だ。

 あまりに情景にマッチしていて気が付かなかったけど、こっちの世界ではついぞ見たことのない畳を見つけてしまった。

 いやあ、改めて見ると、畳もいいものだなあ。

 嬉しくなって撫で回していると、いつの間にかやってきたカリスミュウルに突っ込まれた。


「どうした、ついに床にまで欲情するようになったか?」

「そう見えるか?」

「見えるな」

「だったら、お前もこの畳の魅力に負けない色気で俺を誘惑してみたらどうだ」

「なぜそんなものと張り合わねばならぬ」

「それは俺にもわからんが、それよりも畳だよ畳」

「畳とは、その床材のことか?」

「そうそれ、こいつを土産に持って帰りたい」

「このむしろを張り合わせたようなものがそんなに良いのか? 確かに感触は悪くないし、趣もある気はするが」

「俺の育った田舎じゃ、家の床は全部これでなあ。よし、女将に聞いてこよう」


 ここの女将は物理的にも脂が乗りすぎた五十絡みの丸いおばちゃんで、愛想も良くてよく笑う。


「なんだい、旦那さん、畳がほしいって? 昔はこの集落にも職人がいたんだけど、この三十年ほどでめっきりねえ、今はアンフォンにもいないんじゃないかねえ。ほら、地上風の板張りの作りが流行ってるもんだから、うちも作り変えたいんだけど先立つものがなくてねえ」

「そりゃもったいない。魔界風だと言って売り込めば、地上のもんは喜んで飛びつくと思うよ」

「そうかい? そりゃあいいことを聞いたねえ」

「それで、畳は手に入らないのかい?」

「そうだねえ、うちも毎年流しの職人さんが南方から来て打ち直してくれるんだけど、ちょいとわからないねえ。今度来たら聞いとくよ」

「そうか、そりゃ残念だな」


 ないと思うとますます欲しくなるが、魔界ネイティブなラッチルやアウリアーノもこうした畳については、存在は知っていても使ってはいないらしい。


「昔は宮殿においても寝所が畳敷きで布団を敷いていたそうですが、近年は地上かぶれと申しますか、こうした魔界風の古いものは好まれぬ傾向にありまして、まず目にしないかと。農家の古い屋敷などでは、まだ見られるのかもしれませんが、庶民の暮らし向きまではいささか知らぬものでして……」


 とラッチル。

 仕方がないので、地上に戻ってからメイフル経由で改めて探してもらおう。

 それよりも、晩飯だ。

 畳部屋に座卓を並べて料理が並ぶと、旅館っぽい風情が出てくるが、年少組が走り回ってるせいで、修学旅行みたいなノリにも思えてきた。

 まあ、せっかく騒いでるのをいちいちたしなめるのも面倒というか、いつもそれをやってるアンやテナがいないし、フューエルもいまいち本調子ではないのでとどまるところを知らない訳だ。


「ほう、カニか、ずいぶん小さいな」


 そう言ってカリスミュウルがつまみ上げたのはサワガニの唐揚げで、一つ頬張るとなかなかうまい。

 手長エビの天ぷらなどもあって、こちらも香ばしくて行ける。

 だけど一緒に出てきた何かの虫の佃煮はちょっと遠慮しておいた。

 魔界の連中は喜んで食べていたので、多分美味しいんだろう。

 だが、もっとうまそうなモクズガニの酒蒸しが出てきたので、俺の意識は完全にカニに奪われてしまい、しばらくは無言でカニを食べ続けた。

 うまい。

 他にも汁物とか団子とかのカニづくしでやっぱり魔界は最高だなあ、という気持ちが溢れてくる。

 そういや、ガキの頃は田舎の川でサワガニいっぱいとってたなあ。

 ここの渓谷の風景も、田舎の裏山に似てるような気がしてきた。

 やっぱり故郷の情景ってのはいいものなのかもしれん。

 グダグダに酔っ払った頭でそんな事を考えるうちに、俺は眠りに落ちていた。




 旅人や商人向けの宿は朝が早いものらしいが、ここのように保養目当ての宿だと、割とのんびり朝寝もできるようで、俺が起きたときにはもう昼前だった。

 まだ眠っているのはカリスミュウルとデュースぐらいで、そちらはほっといて宿の裏庭に出てみると、新人ラッチルを中心に騎士組が談笑していた。

 地上と魔界の馬具の違いや、戦車の有無、それによる戦術の話なんかをしてるようだが、難しいのでにこやかに微笑みながら聞き流していたら、フェルパテットが背中に幼女四人を載せてズルズルとやってきた。


「ただいまー」


 と威勢よく声を上げるピューパーは、手にした網に、カニや魚をいっぱい詰めてきた。


「おみやげ! ママにも食べてもらう、あと留守番の人にも!」

「ほほう、がんばったな。どうやったんだ?」

「がんばった!」

「なるほど」


 ピューパーの雑な説明を補うように撫子が、


「ミラーが持ってた銃で、電気を川に流して取りました」

「そう、それ、ぷかーって浮いてきた!」


 と浮いてくる魚のマネをするピューパー。

 そういう事もできたのか。

 しかし電気で取るのって違法じゃなかったっけ?

 まあ、こっちじゃ気にする必要ないんだろうけど。


「危ないから、自分たちだけではやるなよ」

「うん! それでいつ帰るの? 今日?」

「うーん、今日は今からラッチルの故郷に行って、アウリアーノ姫を送り届けて、それから帰るから、早くて明日かなあ」

「そっかー、大丈夫かな?」

「どうかな、スポックロンに聞いてみろ、生簀の一つぐらいあるかもしれん」

「わかったー、フェル、行って、行って!」


 そう言ってピューパーが急かすと、


「はいはい、今行きますよー」


 とフェルパテットが体をくねくねさせながら、宿に入っていった。

 俺も乗りたいなあ、と一瞬思ったが、しょっちゅう乗ったり乗られたりしてることを思い出した。

 あの太くて長いしっぽがまたなんとも言えない感触でいいんだよなあ。


 生簀はなかったようだが、内なる館の川に網でも張って入れておけばよいだろうというので、そういう雑事を終わらせ、うまい昼食をとってから宿を発つ。

 今度はアンたちも連れてまた来よう。

 ここはいい温泉だった。

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