第351話 いかず女

 目の前にあるのは、高さ千メートルほどの壁だった。

 あくまで壁であり、とても山とは言えない。

 ほぼ垂直な岩の壁が天井まで伸び、見渡す限り左右に広がっている。

 それがアーランブーラン王国だ。

 人も住んでないらしいのに王国もへったくれもないだろう、と思うんだけど、このあたりの住民は中に人が住んでいると思っている。

 もちろん誰も見たことがないものだから、いろんな噂が独り歩きしており、たとえば宝の山が眠っているといった伝説を信じて乗り込む冒険者もいたとか。


 壁に沿って森が広がり、その合間を縫うようにあまり整備されていない道が続いている。

 上空からいくつか小さな集落が目に入ったが、アウリアーノの話では、


「あれらはアーランブーランのしもびとと呼ばれる人々ですね、あまり外部の人間とは交流を持たぬと聞きますが」

「となると、情報を得るのは難しいかな」

「そうでしょうね、どうしてもとなれば、金か食料でも積んでみるのも一つの手でしょう」


 船をおろした場所は、壁に沿った田舎道から少し脇にそれた空き地で、案内役のガーディアン・アフリソーズによると、この先に内部に侵入できる洞窟があるらしい。

 クロックロン数体と、エレン、紅、コルスの三人を先遣隊として調査に出し、俺達は支度を整える。

 集団ってのは、何をするにも時間がかかるものなのだ。

 時間的にはそろそろ昼時なので、食べてから出発したい気もするんだけど、アウリアーノ姫がやる気満々で今すぐ出発したそうなので、言い出しづらいのだった。

 食事の重要さに気が付かないとは、彼女もまだ王様として未熟なところがあるな。

 内なる館ではミラーが常時食事を準備してくれてるので、いざとなったらどうにかなるだろう。

 そんな事を考えながら、準備の様子を眺めていると、フルンがりんごを食べていた。

 うまそうだったので、一つ貰う。


「うまいな、ちょうど小腹がすいててなあ」


 というと、


「お昼ごはんかと思ったら、違ったから食べてた」

「そうなんだよ、俺も昼飯だと思ったんだけどなあ」

「うん、ご飯はちゃんと食べたほうがいいと思う」

「そうだなあ。それにしても、このりんごうまいな、メルビエの実家のやつか?」

「うん、おいしい、ロングマンのりんご、すごく手間かけてるってメルビエも言ってた」

「そうかあ、また遊びに行かないとなあ」


 食べ終わったりんごの芯を茂みに放り投げると、どこからともなくカラスが飛んできてくわえて飛び去った。

 それにおどろいた小鳥がバサバサと森を揺らす。

 元気だなあ。

 フルンのすぐそばではシルビー達が装備の点検をしていた。

 こちらはしっかりした革鎧だが、フルンはAラインのチュニックというシンプルな衣装だ。


「鎧はつけないのか?」

「うん、下着に妖精の糸のやつ着てる。刃が通らないし、打撃も結構吸収するから鎧いらないんだって、試してみて良かったらみんなにも使うから、えーと、モ、もにもに……」

「モニターか?」

「そうそれ、実験してこいってカプルが言ってた」

「ほほう」

「丈夫さはまだわからないけど、これすっごいすべすべしてふわふわして気持ちいい」


 そうこうするうちに支度も終わり、先行していたエレンからも、特に問題なく入り口を見つけたとの報告を受け、いざ出発となったところで、通りで見張りに立っていたアウリアーノのお供の騎士が駆けつけた。

 なにやら、他所の国の騎兵が近づいているらしい。


「モンチーニ家の旗を掲げた小隊、または分隊です。視認できた範囲では、戦車が四台に、兵を乗せた馬車が一台。おそらくは巡回だと思われますが、一人は赤備えでして」


 との報告に、アウリアーノが眉をひそめる。


「キャラバンの護衛ではないのですね、このあたりはあちらのテリトリーでは無いと思いますが。それでこちらに気づいた様子は?」

「遠くから見た限りでは、特に変化はありませんでした。ただ、こちらもこれだけの人数を展開していれば、気づかれていてもおかしくありません。先程も鳥が飛び立っておりましたし」


 俺のせいじゃねえか。

 もしかして食事の支度をしなかったのも、火をおこして目立ったりしないためだったのでは?

 よく見ると、アウリアーノの部下たちは支度を終えたものから携帯食のようなものをかじっていた。

 どうやら未熟なのは俺の方だったようだ。

 日々是勉強だなあ。

 気を取り直して、会話を続ける。


「あまり仲の良くない相手なのかい?」

「いえ、モンチーニ家は同じデラーボンの領主で我がラッテソンヌ家とも遠縁にあたるのですが、現領主のマルトロ殿下は、私と違って随分と野心家なもので、今回の遠征の目的を知られたくはないですね」


 とわざわざ言うあたり、なんとも判断に困る相手だが、どうしたものか。

 デラーボンってのは一つの国じゃなくて、ファビッタという大国を宗主に仰ぐ小国の連合国家らしい。

 バッツ殿下が王様なのに殿下なのも、そういう関係だとか聞いた気がするけど、詳しいことは忘れた。


「こまったな、酔狂な紳士の魔界見学で連れ回されてるとでも言っとけば、ごまかせないかな」

「気づかないふりをしてとぼけてやり過ごすの次ぐらいには魅力的な案ですね、それで行きましょうか。ではその旨をジナータに伝えなさい」


 アウリアーノの命を聞いた騎士は、コンマ数秒うんざりした顔をしてから、走り去った。


「さて、相手の隊長は誰でしょうか、知らない顔だと、話は早いのですが」


 とアウリアーノ。


「逆じゃないのか?」

「ファビッタ国に人質然として出向いていた頃を知っている相手だと、そんな安っぽい嘘はどうにも……」


 どこまで本気かわからないが、ぞろぞろと通りの方に進むと、アウリアーノの親衛隊長が相手の部隊のリーダーっぽいのと話していた。

 親衛隊の隊長はジナータといって二メートルをゆうに超える大女で、カリスミュウルの腹心の部下であるアンブラールの姐さんを更に一回り大きくしたような女傑だ。

 大抵の男なら尻込みする相手だが、実は声がすごく可愛くて、そのギャップがグッとくるいい女だ。

 俺じゃなければ魅力に気が付かないところだな。

 相手の方はサイズ的には普通の騎士っぽいが、真っ赤に染められた見事な甲冑を着ている。

 ヘルメットを脱ぐと、ひときわ真っ黒い肌の美人がでてきた。


「ああ、よりにもよって、モンチーニのいかず女ではありませんか……」


 美人を見て内心喜ぶ俺と違って、アウリアーノ姫は困った顔をしていた。


「知り合いかい?」

「ええ、ラッチルといって、まさにファビッタ時代の知り合いですね。家督を弟に譲って引退したと聞いていたのに……仕方ありません。うまくあちらの狙いも聞き出せるといいのですが」


 遠目に様子を見ていると、向こうの隊長さんがやってきた。

 ベリーショートの金髪が風にそよいでかっこいい。

 あと甲冑がゴツくて気が付かなかったが、近くで見るとオルエン並みの長身だ。


「これはご機嫌麗しゅう、このようなところでアウリアーノ姫にお目にかかれるとは」

「あなたこそ現役を退いたと聞いたけど、新兵の鍛錬でもなさっているのかしら」

「いかにも」


 近くで見るとやっぱり美人だったお姉さんは、ちょっと気取った感じで男装の舞台俳優にも見えるな。


「あなたの耳にも届いているでしょう、こちらが桃園の紳士様、先の混乱の際に我が国のためにお骨折りいただいたお礼に、魔界の名所をご案内差し上げていたところですわ」

「名所……あれが?」


 そう言って見上げたのは、アーランブーランを取り囲む壁のような山だ。

 そこで俺が一歩前にでて朗々たる声でこう話しかける。


「いかにも、このような奇景、いや絶景は地上では決してお目にかかれぬもの。地上人の酔狂とお笑いください」


 すると相手の美人はニヤリとかっこよく笑って、


「これは嬉しいことを。魔界の魅力をご理解いただけたようで光栄です。私、モンチーニ家のラッチルと申します」

「クリュウです、よろしく」


 そう言って差し出された手を握り返す。

 次の瞬間、彼女の体がピカリと光った。


「あっ!」


 と声を出したのは、たぶん後ろに控えたどちらかの部下だと思うが、俺の従者たちは慣れたもので、落ち着いて笑みを浮かべる。

 俺はといえば、内心めっちゃ喜んでいた。

 これだよこれ、これこそ俺が俺に求める全てだよ。

 戦術なんぞわからなくても、この一点において秀でていれば俺は良いのだ。

 そして俺もいまや、そこいらのペーペーご主人さまとはわけが違う。

 決して焦ったり取り乱したりせず、爽やかな笑顔で、確実に攻めるのだ。


「な、こ、これは……」


 驚きのあまり、助けを求めるように周りを見渡すが、付き従う部下はあっけにとられている。

 さっきまでかっこよく決めてたのに、今は気の毒なほどに狼狽してて、かわいい。

 エディのねーちゃん同様、ショックに弱いタイプと見た。

 隣りにいたアウリアーノははじめこそ驚いたものの、逆に悪そうな顔でニヤリと笑うと、彼女の光る手をとる。


「おめでとう、ラッチル。マルトロ殿下も随分とあなたのことを気にかけていらっしゃったけど、天井の上下を問わず、偉大なる紳士様の従者となるにまさる栄誉はありませんもの、きっとお喜びになりますわ。あなたも先年、立派に成人なさった弟君に家督をゆずって後顧の憂いもありませんし、地上で幸せになってくださいな」


 どうやら面倒な相手を俺に押し付けて地上に連れ帰ってもらう算段らしい。

 俺としてはアウリアーノの思惑はどうでもいいので、この美人でウブでちょっと年増な女騎士をゲットすべく誠意を尽くそう。

 落ち着かせるためにも、なるべくフランクにいったほうがいいかな。


「突然のことで驚いただろうけど、君も一国の兵を預かる身だろう。軽々しく返事はできぬだろうが……」


 なんか前にも似たようなこと言ったなと思いつつ、様子を見ると、じっとこちらを見て深く決意した顔で返事を返す。


「いえ、……よく見ると立派なお方、わ、わたしも、このような出会いを夢見るような小娘ではとうになくなっておりましたが……」

「人の出会いに年齢は関係ないものさ」

「そうですね、今この時、互いに相まみえて相性の一致を見た縁というものも、大事にしていきたいと……ですが、私も貴族の末席に連なるとはいえ魔族の身、偉大な紳士様のお立場を汚すようなことになれば」

「大丈夫、俺にとって、身分も種族も意味はないもの。重要なのはただ相性が合うかということだ、共に同じ道を歩む意思さえあれば、誰でも受け入れようと、決めているのさ」

「まあ、なんと崇高なお志。今すぐにでもお返事をいたしたいところですけど、せめて殿下に引退を願い出て……」


 魔族の女騎士ラッチル嬢は体をピカピカ光らせながらどうにか会話を続けてるんだけど、視線はふわふわと宙をさまよい、明らかに混乱している。

 真っ黒い肌にひときわ白い白目がキョロキョロと動いて面白い。

 漫画なら目がくるくる回ってそうな感じだ。

 そこでアウリアーノがダメ押しする。


「大丈夫、殿下には私からもとりなしましょう。さあ、この機を逃さずに契約を。あなたも槍を持ち戦車を駆る身であれば、明日があるとは限らぬのですよ、ためらってはいけません」

「そ、それはたしかに、今まで何度……あ、いや、しかし、よ、よろしいのですか?」


 懇願するように俺をみるラッチルに、ゆっくりとうなずき返す。


「で、では御身の血を……」


 というわけで、いきなり従者が増えてしまった。

 やはりこのスピーディな決断力こそが現代を生きる紳士には不可欠ではなかろうか。

 相性の見えないアーシアル人のレディ相手にぐだぐだやるのも楽しいんだけど、やっぱゲットしてなんぼだよな。


「ああ、これが契約、これで私も魂の主人を持つことに……、こんな突然に……」


 こちらのメンツや彼女の部下から温かい祝福を受けてうっとりするラッチル。

 体つきはオルエンに似て、鍛えられた長身だが、通常の魔族らしい褐色とはちがい、肌は黒檀のように艶めかしい黒だ。

 そのしっとりと黒い肌に短く刈り込んだ金髪がよく似合う。

 外見的に新しいタイプの従者が増えると、あたらしい楽しみを見いだせるのでいいよなあ。

 そっちの楽しみは後回しにして、空き地に残してきたみんなと合流するために移動しながら、ラッチルと当面の予定について話し合う。


「つきましては、一度我が国までお越しいただきたいのですが」


 と言うラッチルに、


「それはもちろん、そうさせてもらうが、実はここでやることがあってね」

「と申しますと?」


 アウリアーノの方をちらりと見ると、うなずいたので、改めて本当の理由を話す。


「ま、まさか、アーランブーランに侵入すると! それはいくらなんでも危険です。あの国に踏み入って帰ってきたものはおりません」

「心配はもっともだが、わけがあってどうしてもいかなきゃならないのさ。案内人もいるしね」


 そう言って少し離れたところに待機していたガーディアンのアグリソーズを呼ぶ。


「こ、これはガーディアン! ガーディアンを使役なさっておられるのですか」

「そうなんだ、こいつがあの国の内部の情報を持っていてね」

「そのようなことが、いやしかし……」


 黒い眉間にシワを寄せるが、彼女はすぐに決断する。


「いえ、今あなた様に忠誠を誓ったばかりの身、しかも手引するものが居るとあらば話は別です。槍一筋に生きた我が人生がついに本懐を遂げる時が来たのです。必ずや御身の目的を達する一助となりましょう」


 騎士ってのは基本的に目的さえ決まればまっしぐらなので、そういう点では楽だよな。

 その分、舵取りはしっかりしなきゃダメなんだけど。

 エディみたいに騎士である前に権力者としての風格を兼ね備えた人物なら、また別なんだろうけどなあ。

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