第344話 バレンタイン その五
商店街を西に抜けると、湖沿いに北上する道と、学生寮を抜けて西通りに合流する道に分かれている。
その分岐を北側に抜けて少し行った空き地でバレンタイン劇のクライマックスを上演する……んだけど、三幕最終回も一緒にやることになったせいで、だいぶ混乱しているようだ。
ここはクライマックスをやるために何やら舞台を作って準備していたようで、それを一旦隠して三幕をやるとかで、大変そうだ。
そもそも、人が多くてその時点でやばい。
「おほほ、随分と混乱していますわね、野外劇とも大衆劇とも違う、なんだか独特の雰囲気になってきましたわ」
とマイペースに楽しんでるレアリー。
「ですが、もったいないことをなさいましたわね、これだけの人が集まるならVIP席などを高値で用意しておけば、ずいぶんと儲かりましたでしょうに」
「たしかに、ちょっと予想を上回る状況ですが、本来の目的であるチョコレートの宣伝は果たせたでしょうから、欲をかきすぎるのはいかがなものでしょう」
「商人にとって、欲をかきすぎるということはありませんわよ。必要なのは常に打算に基づいた駆け引きですわね。ここは十分な広さがあるようですから、特等席を用意することで得られる売上と、それによって見る機会を失うであろう人々への宣伝効果のデメリットなどを比較したうえで、評価を下すべきですわね」
「ふむふむ」
「さらには上演する役者の心理、これは誰に見てもらいたいのかという動機、モチベーションなどとも申しますけれど、そうしたものの総体として考慮したうえで、利益を最大化するのが商人の思考というものですわよ」
「なるほど」
「しかし、ここにいる観客は劇のほうに熱狂しすぎて、ある意味小道具に過ぎないチョコレートのことなど、忘れているんじゃございませんこと」
「そこがこの劇の巧妙なところで、見終わったときにはチョコが欲しくてたまらなくなっているはずなんですが……実際のところは最後まで見てみないと私にもなんとも」
「おほほ、そうですわね、今は楽しまないと」
レアリーたち商人トリオは楽しんでいるようだし、エームシャーラは今頃家でテナにお茶でも振る舞われていることだろう。
ミラーの話ではさっきフューエルが家に戻ったそうなので、さぞ盛り上がっているに違いあるまい。
いつの間にかいなくなった演劇マニアの女学生キスネちゃんは、俺達とは反対側に陣取って見ているようだ。
俺たちは少し後方に組まれた足場の上に立って、三幕最終回を見終えた。
予定では少し休憩が入るはずだったのだが、人の入り具合的に待てないと判断したのだろう。
すぐに最終の四幕が始まるようだ。
腹にくるジャジーなウッドベースが鳴り響く。
仮面をつけているが、演奏しているのは青い肌のベーシスト、サーシアちゃんだ。
ついで耳に馴染むヘルメの歌声が聞こえてきた。
「あの声、ヘルメですね、じゃあこの演奏は春のさえずり団が?」
女学生のカーシーがそう言うと、レアリーが尋ねる。
「春のさえずり団というと、最近よく聞く歌唱団ですわね」
「先輩、彼女たちはガールズバンド、と言うそうですよ」
「まあ、なんとも可愛らしい響きですわね」
「私もお気に入りでして」
「ですけど、近々解散するという噂も聞いたような」
「そうなんです、せっかくファンも増えてこれからというところでしたのに。でもメンバーの事情だそうですので、仕方ありませんわね」
「それは残念でしたわね。でしたら、今のこの演奏を楽しむべきですわね」
「ええ、そのとおりです」
と言って、歌声に耳を傾ける。
歌詞は物語の要約で、こんな感じだ。
深い深い森の中、一人の美しい妖精が住んでいた。
彼女の名は、バレンタイン。
甘い甘いチョコを作るのが、彼女の日課。
変わることのない、彼女の日課。
ある日、けっして出会うはずのない二人が出会ってしまった。
一人は森に住むはかない妖精。
一人は気高くも使命の果てに命尽きようとする騎士。
傷ついた騎士はバレンタインの魔法で生きながらえる。
その魔法こそは、愛の魔法。
再び出会うときまで、決して消えることのない、不思議な力。
再びあの味を口にするまで、思い出すことのない、不思議な魔法。
真面目に聞いてると、おじさんは尻がむず痒くなるような歌だが、ご婦人連中はうっとりと聞き入っていた。
最初から見てない人でもわかるように、ちょっと丁寧めにあらすじまで歌い上げると、幕があがる。
まあ幕はないんだけど、劇が始まった。
初めは件の騎士が命を受けて出立するシーンだ。
民衆を惑わす魔物を倒すため、騎士は旅立った。
ついで舞台は町のはずれ。
恋焦がれて悪魔じみてきた妖精バレンタインは、いまや漆黒のドレスを身にまとい、顔には血の涙の跡とおぼしき化粧を施している。
迫力あるなあ。
「さあ、チョコレートをどうぞ、チョコをおたべ、さあ……そしてあなたの声を、聞かせておくれ」
鬼気迫る演技でモブの町人に迫るバレンタイン。
しかし、彼女がチョコを入れたかごはすでに空っぽだった。
空っぽのかごを引き下げて、町人を追いかけ回す姿が実に怖い。
めっちゃ病んでるなあ。
そもそも、妖精が恋に狂うと病むことになってるの、実にハイコンテクストだよなーと思うんだけど、それだけ白薔薇の騎士の話は有名なんだろう。
「チョコないのに、あげようとしてる」
突然、自分のへそから声が出たように聞こえて驚いて自分の腹をみたら、へそのあたりから妖精のパルクールがニョッキリ生えていた。
「おまえ、もうちょっと場所を選んで出てこい」
「チョコ無い、全部食べちゃった、パロンからもらってくる?」
「やめとけ、あれはああいう劇……劇ってわかるか?」
「わかる、人生は舞台、人はみな大根の味噌汁。味噌汁食べたい!」
「シェイクスピアかよ、お前どこで覚えたんだ、そんなの」
「うーん、聞いた、どっかで」
「そうか」
人の腹の上で難しい顔をするパルクール。
ふと気になって周りを見たら、みんな舞台に熱中していて俺たちに注意を向けているものはいなかった。
「劇を見るなら、こっちで見ろ」
腹からにゅーっと引っ張り出して、襟元に詰め込む。
「せまいー」
「いいからおとなしくしなさい」
「あのねー、ほんとうのバレンタインは恋人が結ばれるから、ハッピーになる。ならないとハッピーじゃなくなるから、そういうのはよくない」
「良くないか、でもこれ、たぶん悲劇だぞ」
「悲劇かー、悲劇は悲劇的だなー」
「そうだなあ」
「ご主人様がスカポンタンだからダメ、ちゃんとしなさい」
「すいません」
「チョコないのになー、あるといいのになー、なんでかなー」
俺とパルクールがどうでもいい話をしている間も劇は進む。
やってきた騎士に、バレンタインの凶行を訴える町人たち。
義憤に燃える騎士。
だが、一人の子供が、チョコレートの美味しさを伝える。
甘くて甘くて、夢のような味だった。
その言葉に騎士はふと、以前の出来事を思い出す。
「あまいお菓子。私はそれを、知っている気がする……」
やがて舞台は荒々しい岸壁の上に移る。
刑事ドラマのオチじゃないんだから、別に崖じゃなくても、と思ったけど、城壁とかの高いところってクライマックスの定番な気もするので、アリなのかもしれない。
そしてついに対峙した騎士とバレンタイン。
騎士は若干のためらいを見せるが、すでに正気を失ったバレンタインが有無を言わさず襲いかかる。
仕方なく迎え撃つ騎士はどうやらすごく強いようだ。
追い詰められるバレンタインの首筋に剣が突きつけられる。
「町を脅かす魔物よ、もしやお前はあの時の……いや、もはや我が言葉は届くまい」
いよいよクライマックス。
周りの客たちもこれから起こる悲劇を確信している。
二人の役者は決めポーズのまま、叙情的な音楽が流れる。
たっぷりと時間を掛けて盛り上げるシーンだ。
「ああ、見ていられませんわ、なんと美しい場面でしょう。あのチョコさえあれば……」
少し前にいたレアリーはポロポロ泣きながら高そうなハンカチで鼻をかんでいる。
いいんだけど、俺はやっぱりハッピーエンドのほうがいいかなあ、とぼんやり考えていたら、顎にガツンと何かがぶつかった。
パルクールだ。
「あー、あー、しんじゃう、しんじゃう!」
「見てりゃわかるだろ、黙ってみてなさい」
「だめー、しんだらしんじゃう! チョコない、もらってくる! 食べたらわかる!」
そう言って飛んでいこうとするパルクールをとっさに捕まえる。
「こら、邪魔しちゃいかん」
「ご主人様こそ邪魔しちゃダメ! このスカポンタン」
「そうは言ってもお前なあ」
「あー、あー、しんじゃう、みんなしんじゃう!」
今にも泣きそうなパルクールの顔を見ていると、なんだか無性に俺まで悲しくなってきた。
とはいえ、ここでこいつが飛び込んだら台無しじゃないか。
ふと前を見るとレアリーが振り返ろうとしていたので、あわてて懐にパルクールを押し込める。
「本当に良いお話ですわね、彼女の手に、このチョコがあればと心底思いますもの」
涙声でそう言って、手に持ったチョコを取り出してみせると、
「あー、チョコー! 頂戴!」
とパルクールが雄叫びをあげて、レアリーの手からチョコをうばいとり、そのまま舞台に飛んでいってしまう。
「あ、ばか!」
「な、なんですの!?」
俺たちが混乱している間に、ぴゅーっと飛んでいって手にしたチョコを騎士に差し出すパルクール。
「だめー、だめー、これ、これ食べて、食べて!」
突然のことに観客も、そして舞台の主役二人も固まってしまう。
まずい、どうしよう。
さすがの俺も、この状況ではなんのアイデアも浮かんでこない。
気まずい沈黙の末に、最初に動いたのはバレンタインだった。
パルクールの手からチョコを受け取り、そっと差し出す。
「さあ、チョコをどうぞ、あまいあまーい、決して忘れられない味ですよ」
それを受け取った騎士は、チョコを口に含む。
「ああ、この味だ、決して忘れえぬこの味。乙女よ、そなただったのか……」
コクリとうなずくバレンタイン。
それを抱擁する騎士。
すごいプロ根性だな。
「やったー、やったー、やったー」
パルクールがたちまち膨れ上がってこの場を包み込んだかと思うと、ぱっと弾けて無数の光のシャワーが降り注いだ。
どこから出てきたのか、いつの間にか周りに無数の妖精が飛び交っている。
「あれなに、まさか妖精? ほんもの!?」
そう言って騒ぐ客もいたが、それ以上にこの奇跡的な舞台にわっと歓声が沸き起こった。
どうやらうまくまとまったようだ。
よかった、本当に良かった。
「サワクロさん、今のはまさか、本物の妖精でしたの?」
呆然とした顔のレアリー。
「いや、その、まあ、そんなところでして」
「しかしまさか、本物の妖精なんて……」
降り注ぐ光を見上げるレアリーの目が潤んでいたのは、劇に感動したのか、あるいは他の理由だったのか。
声をかけたくてもかけられる雰囲気ではなかった。
気がつけば妖精の光は消え、夕闇に包まれた舞台では役者たちが拍手喝采を受けていた。
どうなることかと思ったが、ウケたみたいなので良しとしよう。
最後にエッシャルバンが出てきてお辞儀すると、幕となった。
「おほほ、実に素晴らしい劇でしたわ」
いつの間にか元の実業家の顔に戻っていたレアリーはそういった。
「あなたには聞きたいことも色々出来ましたけど、今日のところは劇の素晴らしさに感動するだけにしておきますわ」
「それはどうも」
「ただし、商人の謙虚さは、打算の産物だということを忘れてはいけませんわよ、おほほ」
などと言って笑う。
一方、カーシーちゃんやリリエラはまだあっけにとられているようで、まあこれぐらいが普通の反応だよなと思う。
「それで、これからエッシャルバンのところに挨拶にいくのですが、皆さんはどうします」
「そうですわね、ぜひ賛辞を贈りたいところですけれども、今日は手ぶらなことですし、そろそろ引き上げましょうかしら、あなたはまだ後始末もございますでしょう」
「では本日はお開きということで、色々と勉強させて頂き、ありがとうございました」
「こちらこそ、楽しい時間を過ごさせていただきましたわ、ではごきげんよう」
レアリーはそういって爽やかに去っていった。
リリエラやカーシーちゃんとも別れてひとまず人混みから離れると、フューエルがエームシャーラとともに待ち構えていた。
「何をやっているのですか、あなた。劇がとんだことになってしまったじゃありませんか」
フューエルがそう言うと、
「あら、でも私はああいうおめでたいお話のほうが好きだわ」
とエームシャーラ。
「そういう話じゃないでしょう」
「そういう話で、いいんじゃありませんこと、みなさんも満足していたようですし」
などとやりあっているので、二人のことはほっといて、小さな天幕の楽屋に向かう。
中に入るとエッシャルバンが笑い声とともに出迎えてくれた。
「あはは、お待ちしてましたよ、サワクロさん」
「うちの妖精のせいで、とんだ事になって申し訳ない」
「いやはや、流石にあれには驚きましたが、結果的には良かったのではありませんかな。ああしたハプニングも即興劇の醍醐味というもの、うちの連中にも良い勉強になりましたよ」
「そう言ってくれると助かるのですが」
その後主演の二人におべんちゃらを使ったりスタッフを絶賛したりと色々後始末をして商店街に戻ったのはだいぶ遅くなってからだが、こちらはチョコショップを中心にすごい行列が出来ていた。
結果的に劇は大成功だったと言えるだろう。
俺自身はといえば、ナンパ的な意味でなんの成果も挙げられなかったのではないかという残念な結果に釈然としない物があるけど、そもそもそこは目的じゃなかったんだった。
用意した大量のチョコも売り切れてしまい、騎士団の助けも借りてどうにか人混みを解消できたころには深夜になっていた。
最後にうちの連中も労い、大半が寝静まったあと。
暖炉の前でグラス片手にやっと一息つく。
「大変な一日だったみたいじゃない」
先程帰宅したばかりのエディがどっしりとでかい尻を隣に下ろしてそういった。
「まあね、世の中何があるかわからんな」
「ローンの報告をちょっと聞いただけなんだけど、街中で妖精を見たとかってだいぶ話題になってたみたいよ」
「困ったもんだな」
「いつまでも、正体も隠しておけないかもね」
「住みづらくなるなあ」
「だったら、おとなしくしておけばいいのに」
「大事にするつもりはないんだけどなあ……」
疲れていたのか、今夜はアルコールの周りが早い。
いつの間にか、俺は眠りに落ちていた。
灰色の空間で、俺はぼんやりと漂っている。
なんか前にも来たことがあるな。
何も考えずに漂っていると、なにもないところから小さな泡が沸き立ち、どこかの様子を映し出す。
それは、昔見そこねた、悲劇のエンディングだ。
血塗れた剣を振りかざし、慟哭する騎士。
良かれと思って引き起こされた悲劇なんてのは、いつの世にもありふれているだろう。
どうということはないのかもしれないが、どこかやるせない気持ちになるよな。
「やれやれ、マージのリクエストを受けて覗いてみたら、随分前に見た舞台じゃないですか、変えちゃったんですか?」
さっきまで誰もいなかったはずの俺の隣に、角の生えたヘルメットの少年が立っていた。
「よう、ロロ」
「僕は悲劇のほうが、好きだったんですけどねえ。ダラダラと続く怠惰な日常は劇的に終わらせるほうがスッキリするでしょう」
「そうかもしれんが、終わらない未来を感じさせるハッピーエンドってのも、悪くないと思うがね」
「でもやっぱり、いつかは終わるんですよ。だったら、納得の行く終わりのほうがいいじゃないですか」
「お前それは、男の強がりってもんさ。本当にいい女の前じゃ、そういうのは無意味なんだよ。だから言っただろう、いい女を探せって」
「そうでしたかね」
古い友人は、困った顔で去っていった。
俺もそろそろ、帰ろうか。
ここはやっぱり、つまらない場所だ。
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