第340話 バレンタイン その一

「さて、即興劇バレンタインの開始だ、みなさん、頼みますよ」


 演出家エッシャルバンの言葉に合わせて、役者やスタッフが一斉に馬車に乗り込む。

 これから始まるのは、街のいたるところでゲリラライブ的に寸劇を積み重ね、街中の注目を集めながらシルクロード商店街の外れに用意した特設ステージでのクライマックスに向かう宣伝劇だ。


 ゲリラライブと言っても本当に勝手に押しかけると迷惑がかかるし、致命的なトラブルが起きないとも限らない。

 そこである程度公共性のある場所、広場や集会場などを選び、施設の所有者や騎士団とも綿密な打ち合わせの上での開催だ。

 エッシャルバンは機密保持の点から乗り気ではなかったようだが、商売的に無用な炎上を避けたいこちらとしては、そこのところはしっかりと根回ししておきたいのだった。

 個人的にはガチガチのNDAで苦労したこともあるので、可能な限り情報は共有するほうが幸せになれると思う、たぶん。

 その点はメイフルも同意見で、


「こういう怨恨はあとを引きますからな、しっかりやっとくんは大事でっせ」


 と言っていた。

 そのためにも相当金を使ったようだが、元が取れるといいなあ。


 ミラーだけを連れて最初の上演場所に向かう。

 目的地は、神殿にある噴水広場だ。

 以前神殿地下の探索で魔物の群れに襲われたあとに、みんなで体を洗って血みどろの血の池にした、あの噴水だ。

 休日の今日は何事もなかったかのようにチョロチョロと流れる水が町の人々を楽しませている。

 そこに突然、バイオリン風の弦楽器の音が響く。

 物陰から出てきた演者は、真っ白い仮面をつけてきらびやかなドレスをまとった女の子だ。

 仮面の正体は春のさえずり団リーダーのヘルメで、彼女はボーカルだけでなくいろんな楽器をやるようだが、演奏している楽器は見た目は胡弓に近いかな。

 今も踊りながら小刻みに軽快なリズムを奏でている。

 忙しそうな人々が、ヘルメの演奏に足を止めたところで、広場の片隅に止まった馬車から歌声が響く。


「ァアー、ルララー、あまいー、甘いチョコレートはいかがーかしらー、一口食べれば、たちまち夢心地ー」


 馬車の扉が開き、よく通る見事なソプラノが響き渡る。

 まばらな参拝客が一斉に馬車に目をやると、ワンテンポおいて、美しい歌姫が躍り出てきた。

 主役の妖精バレンタインを務めるのは、人気の若手女優バリシャアナだ。

 以前、銀糸の魔女役で舞台に立っているところを拝見したが、きつい眼差しが印象的ないい女優だ。

 その歌声も高く澄んだ人間離れした美しさで、正直俺の知ってる本物の妖精よりも遥かに神々しい。


 ついでもう一台の馬車から出てきたのは傷ついた騎士。

 騎士に気がついた妖精バレンタインが、必死に介抱するところで最初の劇は終わった。

 観客、というよりもたまたま居合わせただけの人々は何が起こったのかわからないまま見入っていたが、主役が馬車に引っ込み、ついで妖精っぽいキラキラした衣装の踊り子たちが手にチョコをいっぱい詰めたバスケットを下げて周りの人に配りだす。

 そこでようやく観客達も、これが大道芸のような宣伝劇だと気がついたようだ。

 チョコを配っている間に主役を乗せた馬車は移動する。

 今と同じ内容を、あと三箇所で繰り返すのだ。

 かなりのハードスケジュールだが、口コミが広がる時間を確保するためにもインターバルを長めに取る必要がある。


「出足は好調のようだね」


 俺と一緒に見守っていたエッシャルバンはそう言ってうなずくと、別途用意した馬車に乗り込んだ。

 彼は大急ぎで次の上演場所に向かうが、俺は徒歩で移動しながら周りの感想などに耳を傾けつつ、見て回るつもりだ。


 踊り子がチョコを配り終えると、多いとは言えない聴衆は、あれこれと話しながら、もらったばかりのチョコを口にする。

 この日のために、パロンがせっせと作り貯めたチョコだ。

 ドキドキしながら見守っていると、思わぬ旨さに、感嘆の声が上がる。

 どうやら、本来の目的であるチョコの宣伝はうまくいきそうだ。

 もっとも食べ終わった広告入り銀紙をろくに見ずに投げ捨てる連中も多くて、どこまで周知できてるのかは謎だけど。

 あのゴミ、うちで片付けたほうがいいんだろうなあ。


 人が散ったので、次に移動しようと思ったところで、警備にでていた騎士モアーナと出くわす。


「やあ、お疲れさん、いつもすまないね」


 と声をかけると、いつものことだと言った顔で苦笑しながら、


「これも仕事ですから。それよりも、最初は何をやるのかわかりませんでしたが、なかなか変わった趣向ですね。これは先日開いた、あのチョコレートのお店の宣伝なのでしょう?」

「まあね、君も一つどうだい?」


 と手持ちのチョコを渡すと、モアーナは早速口に入れた。


「なるほど、これは美味しい。まだこちらを食べる機会がなかったのですが、ますますあの商店街に行く理由が増えてしまうじゃありませんか」

「毎日来てくれてもいいんだぞ」

「いやですよ、団長や副長といつ顔を合わせるかもわからないのに」

「そうは言っても、あの二人全然帰ってこないんだよ」

「おや、今から倦怠期ですか?」

「我ながら、甲斐性のない男だよなあ、と思うよ」

「それはご愁傷様です。では、次の場所に移動しますので、そろそろ」

「うん、今日はよろしく」


 機嫌よく立ち去るモアーナに手を振り、次の上演場所に向かう。

 確か目抜き通りを北に抜けた湖のそばだったな。

 うちからもほど近い場所だ。

 そちらには昨夜遅くに別荘から帰ったフューエルたちが待機しているはずだ。

 俺がのんびりたどり着く頃には、すでに劇は終わり、チョコを配っているところだった。


「あら、あなた、どうやら出足は順調みたいですね」


 とフューエル。

 そばにはカリスミュウルやフルンたちもいる。

 他の家族も手の開いてるものは、みんな好き勝手な場所に陣取って見学しているようだ。


 ここから東の高級住宅街の方を周り、時計回りに町を一周しながら最終的にうちのシルクロード商店街の西はずれの開けた場所で、クライマックスを上演する。

 二幕の上映場所に移動するフューエルと別れて、次の場所に移動すると、ここには大商人にして今回の仕切り役でもあるメイフルがいた。


「おや大将、ちょうど終わったところでっせ」

「みたいだな、どうだった?」


 チョコを配り始めた劇団員を横目に、状況を聞く。


「なかなかええんやおまへんか。街に散っとるミラーの話ですと、どうやら趣向に気がついて役者の馬車を追っかけとる連中もでとるようですな」

「ほほう」


 ちなみにミラーとクロックロンは上演場所に複数待機していて、撮影などもしている。

 使うかどうかはわからんが、映像記録はあって困るものでもないだろう。

 そのへんを仕切っているのは、あっという間に地下の秘密基地の主になったスポックロンだ。


「次が一幕の最終でっしゃろ、追いかけまひょか」


 メイフルと並んで次の場所に向かう。

 次は東の街外れなので、ここからだと一キロほど歩く感じかな。

 こうして歩くと、この街もでかいよな。

 あと高低差も結構あるので、移動はなかなかしんどい。

 アルサの街は湖と海に囲まれた尾根のような地形なので、集落や街道は、その隙間を縫うように配置されている。

 それゆえ、東西には比較的真っ直ぐな道が何本もあるが、南北に直通しているのは神殿に通じる目抜き通りだけだ。

 そういう街なので、追っかけるときも大変だろうなあ、と思う。

 こっちは最短コースを知ってるので大丈夫だけど、歩きながら見ていると、俳優目当てのご婦人や、お菓子目当てのお子様連中があっちでもないこっちでもないと探し回っているようだ。

 こりゃ、午後にはもっとひどいことになりそうだ。

 そんな人混みの中に、知った顔を見つけた。

 演劇マニアで、別荘地で知り合った女学生のキスネちゃんだ。

 向こうも俺に気がつくと、息を切らせて走り寄ってきた。


「ハァ、ハァ、サ、サワクルさん! バ、バリシャアナが出てる劇が、な、なにかやってるって、今日なにかあるからって、劇場の方で張ってたら出遅れて、や、やっぱり、エ、エッシャルバン先生が、ハァハァ」


 息を切らせたキスネちゃんを落ち着かせて、次の上演場所に同行する。


「それじゃあ、街のあちこちで連続劇を? すごい趣向ですね」


 説明を聞いたキスネちゃんは目を輝かせる。


「趣向はいいんだけど、今の時点でこの混雑だと、最終的には大変なことになりそうだ」

「それよりも、私はまだその第一幕を見てないんです、急ぎましょう!」


 キスネちゃんに手を引かれ、一路東へと向かう。

 通りはごった返しているので、高級住宅街の方を抜けていくことにする。

 この時間帯だとこちらはガラガラだ。

 まだ別荘にいて主人のいない屋敷も多いだろうしな。

 というわけで、気兼ねなく通り抜ける。

 キスネちゃんはたしか親が土木ギルドの幹部とかで、それなりにお金持ちなんだろうけど、この界隈に足を踏み入れるのには抵抗があるようだった。


「い、急ぎたいのはやまやまなんですけど、ここ通って大丈夫でしょうか」


 というキスネちゃんに、いつもの脳天気なノリで答える。


「まあ、ただの道じゃないか。気にせず急ごう、たぶんあと二十分ほどで始まるぞ」


 そう言って彼女を急かして道を急ぐと、脇道から声をかけられた。

 見ると、レッデ族の小さな女騎士シロプスと、その主人エムラだった。

 シロプスは身長一メートルほどの小柄なむっちり体型に、可愛らしいドレスを纏い、エムラをエスコートしている。

 フューエルの友人でもあるエムラ、すなわちアームターム国のエームシャーラ姫は、先の冒険で大怪我をして療養していたが、今はすっかり良くなったようだ。

 故郷に一度戻るようなことを言っていたが、今のところはまだダラダラとこちらで過ごしながら、ちょくちょくフューエルと遊んだり喧嘩したりしている。


「おや、お揃いで、散歩ですか?」


 俺が声をかけると、シロプスがうなずいて、


「うむ、姫もいささか、暇を持て余しているようでな。朝からじっとしていてはくれんのじゃ」


 すると分厚い外套をまとったエームシャーラが口をすぼめて、


「まあ、人聞きの悪い。お転婆な小娘のように言わないでください。あなたこそ屋敷の中庭で槍を振り回して、置物に傷をつけていたではありませんか」

「むう、だから謹慎してこのように動きにくい女児の如きドレスを着ているのではありませぬか、まったく、余計なことを言わずともよろしかろう」

「お互い様です。それよりも、サワクロ様はどこかお急ぎだったのでは?」


 とのエームシャーラの言葉に思い出した。


「そうだった、この先で見世物がありましてね、お二人も用事がないなら、ご一緒にどうです?」


 と誘うと、二人はついてきた。

 謎の貴族の出現でキスネちゃんは緊張しているようだが、まあしょうがあるまい。


「彼女は、私の若い友人で、演劇鑑賞の先輩でもあるんですよ」


 などと紹介すると、エームシャーラが身分をぼかして簡潔に名乗りながら、


「では、見世物とは劇ですの?」

「そうです、ちょっとした趣向で、うちの商売の宣伝を兼ねた寸劇でしてね。おっと見えてきた」


 住宅街の高台から下る坂の下は、ちょっとした広場になっており、そこに馬車が止まって準備を始めていた。


「詳しい話はあとだ、さあ急ぎましょう」


 そう言って皆を急かし、俺たちは坂を下った。

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