第329話 セルフ・ハイキング
朝がきた。
今朝は遅めに出勤するエディ、それにフューエルとカリスミュウルの三人を相手に朝飯をくいながら、今後の予定などを話し合っていた。
朝飯は小麦のガレットだ。
大きな皿にでんと盛り、いろんな具材が乗っているのをガツガツ食う。
俺はマスタードとタバスコをドバドバかけて、とろけた卵に絡めて食っているが、エディははちみつをねっとりかけていた。
そのエディだが、
「私の方は、例の巨人が突然上陸でもしてこない限りは大丈夫だと思うわ。最低限の部隊は展開できたし。仮運用中とは言え新設隊を一気に増やしておいたのが功を奏したわね」
「それで、来週から山登りだって?」
「そうしたいんだけど、ゲートで最寄りの街まで行っても、山裾の村まで荷物を抱えてぞろぞろ行けば最短三日はかかるのよね。となると現地で一週間程度だとしても二週間はかかるじゃない。天候次第ではもっとかかるかもしれないし、あと現地のガイドの話だと、雪のある時期しか山に取り付けないっていうのよね」
「ああ、そういうのはあるな。資材は運んであるのか?」
「それはハニーのアドバイスのとおりにすすめてあるわ。それに雪解けまではまだ二ヶ月以上あるから時期的には大丈夫だけど、なんにせよなかなかの長丁場で、どう手配しようか悩んでるのよ」
「ふぬ、紅が居る方の遺跡がうまく行けば、移動手段が手に入るんだけどな」
「どんなの?」
「こう、空を飛ぶガーディアンがいるだろう、あんな感じで空をひとっ飛びしてな。たぶん馬車で数日程度の距離ならすぐつくぞ。うまくすればいきなり山頂に降りられるかもしれないし」
「それは頼もしいわね。じゃあ、先にそっちに行って、その乗り物を手に入れたほうがいいんじゃない?」
「できるならそうしたいな」
「だったら、そっちの片がつくまで私はお仕事かしら」
ついでフューエルは、香草をてんこ盛りした上にオリーブオイルと粉チーズをガバガバかけて食っている。
「私は、その山登りに入る前にもう一度別荘に行ってきます。両親の相手もしなければなりませんし、ミーシャオも四、五日ほどの予定で預かっていますから、遅くとも明後日あたりには連れて帰らないと」
「そうだなあ。じゃあフルンたちももう一度連れて行ってもらうか、一緒のほうがいいだろう」
「そうしましょう。例の遺跡とやらは興味があるのですが、その乗り物が手に入れば、いつでも行けるのでしょう? ならば、落ち着いてから改めて見学に行きますよ」
最後に胡椒を一振りしただけで食っているカリスミュウルは、
「そうなると、私がこやつのお守りをせねばならんではないか」
「フューエルと一緒に別荘でもいいぞ。貴族の相手は得意だろう」
「何が悲しゅうてそんなことをしに行かねばならぬというのだ。まあなんだ、遺跡は興味があるしな。しかもフレンドリーなガーディアンが手厚くもてなしてくれるなどというのは、実に興味深い」
「じゃあ、お前は俺と一緒に来るのか」
「そうなるな」
方針が決まったところでエディを見送り、あとは遊ぶことにしよう。
と思ったんだけど、
「遊ぶのもいいですが、遺跡に行く準備ぐらいはしておくべきでしょう」
とフューエルに言われたので、久しぶりに装備を見直していこう。
遺跡内は安全だとはいえ、最寄りのゲートから馬車で数時間は街道を進む。
それに遺跡の周りは魔物も時々出るらしい。
まあ、あっちは味方のガーディアンがいっぱいいるけど。
今はクメトスやオルエンがいないので、メンバーは侍組中心に組む。
移動中は内なる館があるので護衛の数は足りるとして、探索となれば十人ほどのパーティかな。
俺の護衛は騎士として普段から俺の警護を務めることが多いエーメスになるだろう。
だが、カリスミュウルやエンテルたちも含めてとなると、手が足りない。
侍組は護衛にはあまり向いてないからな。
強いて言えばフルンだけど、ミーシャオちゃんの接待という重要な使命を任さなければならない。
そこで代わりの護衛候補として上がってくるのが新人の巨人レグだ。
巨人とはいえ、三メートル足らずの彼女なら遺跡の中はだいたい大丈夫のはずだ。
通れないときだけ内なる館に入れればいいしな。
もちろん道中も問題ない。
何より大きな体から繰り出される猛烈な槍さばきは、敵も味方もちょっと近づけない凄まじさだ。
前衛にセスやコルスが出て、その後ろにレグが立ち、俺のすぐ横にエーメスがつけば、まず敵に突破される心配はないだろう。
更にクロックロンのバリアもあるし、短針銃を持ったミラーもいる。
これだけ備えていれば、問題はないはずだ。
それに後衛には透明人形のチアリアールがいる。
彼女は王族専用ハイグレードメイドロボって感じの人形で、紅たちのように完全に古代文明によるロボットよりはもう少し今風らしいんだけど、結界から回復術、それに最低限の火炎魔法などをこなすという。
ボディガードとしてはうってつけで、そのためにエーメスと連携のためのトレーニングもしているそうだ。
ちょうど暇そうにしていたエレンを捕まえて、以上の人員構成をふまえた上で相談することにした。
シャミが中心になって発明した新装備を並べながら、エレンはこう話す。
「それだけ頭数が揃っていれば、まず問題ないとは思うけどね。旦那が安全なら僕も探索に専念できるってもんだけど……」
「だけど?」
「それでもしでかすのが、旦那の持ち味だからねえ」
「照れるな」
「そこで、まずはアレかな」
エレンが山積みの荷物とは別に、立派な衣装箱を持ってくる。
そこから真珠のようななめらかな光沢の肌着を手に取って、広げてみせた。
「この肌着だけど、妖精の糸でできてて、汗は通すけど刃は通さないという最高級の一品だね」
生地を触ってみると、絹や綿とも違う、フリースの高級な肌着のようなボリュームのある柔らかさだ。
「ほほう、なんかすごそうだな。高いんじゃないのか?」
「高いというか、貴重すぎて手に入らなかったんだけど、ほら旦那が内なる館に山程妖精を養ってるじゃないか。あの子達が住み着いてる森のなかに、原料になる綿毛が落ちててね、それをかき集めて糸を紡いで編んだのがこれさ」
「まじかよ、いつのまに」
「旦那に出し入れしてもらってるだろう、気が付かなかったのかい?」
「いや、毎日二、三度カプルに頼まれて往復はしててその都度ミラーが山程荷物を抱えてはいたが、これもその中にあったのか」
「うん、まだ数が作れてないけど、ひとまず旦那や奥様方に着てもらおうってことでね。で、これはその試作品さ。僕やセスが着てみて何度か本番を想定したテストもやったけど、かなりいいと思うよ」
「しかし、そんないいものなら前衛の危ない連中に着てもらったほうがいいんじゃないか?」
「優先順位的には、やっぱり旦那が一番だからねえ。そもそも腕を折ったり刺されたり、うちで一番怪我してるのは旦那じゃないか」
「そういう見解もなりたつかもしれんな」
「まあ、試練までには前衛分は揃うらしいよ。うちじゃあこういう複雑な編み物はできないから、モーラのところに頼んでるってきいたけど。何でもハサミじゃ切れないから、全部手縫いでいろいろ大変らしいよ」
「ほほう」
「あとは、こいつでロープを作れば、縫い糸ぐらいの細さで体を吊るせる丈夫な糸が作れるらしいんだよね」
「それもすごいな」
「例の登坂道具と組み合わせれば、登山装備も軽量化できるんじゃないかな。黒頭は魔法抜きで登るんだろう、荷物の運搬も大変じゃないか。魔法がだめならクロックロンたちも動けないかもしれないし」
「なるほど、それもそうだな」
魔法とロボットが関係あるのかどうかはわからんけどな。
まあ、俺も装備さえ整ってれば大抵の山は登れると思うが、経験上、いきなりアイガー北壁みたいなのにチャレンジさせられる可能性もあるからな。
油断は禁物だ。
「そのへんはシャミが頑張ってるから、黒頭行きまでにはどうにかなってるとおもうよ」
「頼もしいな」
「しかし、いろいろ入ってるね」
おもちゃ箱のようにあれこれ詰まった箱を、エレンがひっくり返す。
「これは折りたたみの椅子だし、こっちは保温ポット、これは目覚まし時計、双眼鏡にヘッドランプ、ずいぶん作ったもんだねえ」
「ほんとだな」
「そういえばザックを作るのに、全員分の背中の型を取りたいって言ってたけど、いつやるんだろ」
「俺は前に試作するときに測ってもらったな」
「服ならわかるんだけど、鞄までサイズを合わせるもんなのかな?」
「いいザックってのはな、着るように背負えるんだよ」
「そうなのかい?」
「俺のザックを見ればわかるだろう」
新しくできたばかりのザックを背負ってみせる。
キスリングのように横に広く肩で担ぐザックばかりだったこちらの世界では珍しい、背中に沿って腰で背負う筒型のザックだ。
サイドにも圧縮用の紐が付きワンタッチで調整でき、天蓋は一本締め。
これで三代目ぐらいだが、背中にはフレームが入っていて過去最高にベストフィットだ。
もう一つ、腰紐がない小型のアタックザック、つまり登山の最終段で山頂にアタックするときに使うようなコンパクトなザックもあるが、こちらは調整中でここにはない。
「ほら、こうやって体を動かしてもブラブラしないし、俺の軟弱な体力でも、腰で背負えるから七、八kgなら背負ったまま戦闘もいけるぞ。夏山なら二泊はできるな」
実際に背負ってみせるとカリスミュウルが感心して、
「以前見たときも変わった鞄を背負っておると思ったが、こうしてみると実に機能的だな」
「そうだろう、ちょっと生地が重いのが玉に瑕だが、妖精の糸とやらで作り直せばもっと軽くなるかもな。あとは地図なんかをぶら下げるサコッシュってのもあってだな……」
そうしてしばらく冒険グッズをいじっていたら、ピューパーたちがやってきた。
「公園に雪積もってた、中で遊ぶから入れて」
とピューパー。
「なんだまだ積もってんのか、そろそろ春なのにな」
「うん、去年とかより冬が長い」
せっかくなので冒険装備を身に着けて、一緒に入る。
中心地から見ると妖精の森は北西の丘一帯を覆うように広がっているが、ミラーの話だと、丘の反対側にこちらの数倍の範囲で増殖しているらしい。
そのうちジャングルが出来上がるんじゃなかろうか。
「先日、フューエル奥様が手配したりんごを始めとした植物の苗も、急速に成長して森になっています。いくつかを居住区の北側に移植して果樹園を作ろうかという話もあるのですが、パロンの話ではそれをするとその一帯も妖精の森になるのでやめたほうが良いとのことです。植えるなら、実のならないほうがマシだろう、と」
「まあ、そうなのかもしれん。ひとまず森の中を散策してみるか」
「成長のサイクルが早いせいかもしれませんが、すでに枯た木や倒木もおおく、蔦も絡まり歩行は困難です。現在一本だけ丘の上に抜ける道を保守しておりますが、これもいつまでもつかわかりません」
「大変だな。まあいい、きょうは冒険装備だ、行ってみよう」
ミラーの案内で妖精の森に向かう。
森の入口から深い木々に覆われ見通しが利かない。
空には真っ暗な宇宙っぽい景色に、メロンの皮のような白い網目模様が光っている。
丘のてっぺんまでの高低差は百メートル程だろうか、直線距離にして麓から一キロもないが、ヤブに覆われているので進むのはむずかしそうだ。
藪こぎし放題だな。
鎌を取り出すと、ヤブを切り裂き踏みしめながらちょっとずつ道を作っていく。
「そんなペースでは一日かけても着かんのではないか?」
と呆れ顔のカリスミュウル。
「何事も根気強くやればいつかは着くんだよ。とはいえ、すごい密度だな」
時折目につく白い綿毛が、例の妖精の糸らしい。
これをかき集めるのは大変だろうな。
足元の岩は苔むしており、そこに根っこが幾重にも絡みついている。
その上にはまだ腐っていない落ち葉が大量に積もっており、生態系のいびつさみたいなのを感じなくもないが、多分これはこれで何年も経てば馴染んでくるんだろう。
浮き石も多く、踏ん張ることもできない。
十メートルほど進んだところで疲れてしまったので、ミラーたちが作ったという道を登ることにする。
「ちゃんとした道もあるではないか」
カリスミュウルがいうとおり、幅一メートル程の狭い道だが、程よい傾斜を保ちながら丘の斜面をつづら折りに登っていく。
足元の頼りないところは丸太や石で補強されていて歩きやすい。
道の両側からせり出した雑多な植物は時折覆いかぶさっては緑のトンネルを形作り、そこを抜けると今度は小さな花畑で妖精が飛び回っていたり、かと思えば岩をくり抜いた本物のトンネルがあったりと、じつに楽しいハイキングコースだ。
「自分の中でこんなにハイキングできるとは思わなかった。毎朝散歩してもいいな」
というと、ミラーが嬉しそうに、
「毎日手入れをしていたかいがありました。丘の上からの展望もおすすめです」
「そりゃ楽しみだ、一気に登ろう」
途中、小さなはしごや簡易の吊橋をわたり、どうにか山頂に出た。
すると周りを覆っていた木々が開け、たちまち絶景が現れる。
「ほう、こりゃすごい」
色とりどりの植物に覆われた丘から見下ろすと、東の方に小さな居住区があり、その南には広い牧場がある。
西の方はどこまでも森が広がり、そのはるか向こうは白いモヤに覆われていた。
その手前、少し南側には岩肌の斜面が覗いており、モヤでよく見えないが大きな山に続いてそうだ。
北に目をやると、こちらはそう遠くないところでモヤに包まれている。
双眼鏡を取り出してあちこち眺めてみるが、南西の岩肌は登り甲斐がありそうだ。
「これは探検しがいがあるなあ」
と呟くと、俺から奪った双眼鏡であちこち覗いていたカリスミュウルもうなずいて、
「しかし呆れたものだな。いくら紳士とは言え、自分の中にこれほどの世界を持っているとは。これはどこまで続くのだ? 果てはあるのか?」
俺のかわりにミラーが答える。
「モヤの先はわかりません。以前ロープに体を繋いで入ってみたことがありますが、五百メートルほど直進したはずなのに、ロープの長さは変わらず、折り返すとすぐに出発点に戻りました。原理はわかりませんが空間がゆがんでいる、とでも言うべき状態にあると思われます」
「よくわからぬが、あそこが境界というわけか?」
「現時点ではそうです。ですが、南西の岩場などは、一月近く前にモヤが後退して現れたばかりです。今後もなにかのおりに広がるかもしれません」
「それでは逆に縮まるかもしれぬのか」
「無論その可能性はありますが、現在までのところ、広がる方向にしか変化はありません。概算でこの一ヶ月で三十%ほど領域が増加しています。現在、クロックロンと協力して測量を始めたばかりですが、変化にはムラがあり、まだ予測はできません」
「いい加減なところは主と同様というわけだな」
それにしてもいい眺めだな。
ここにベンチでもおけば、のんびりできそうだ。
ぼーっともやのほうを眺めていると、いつの間にか周りに妖精たちが集まっていた。
彼女たちのテリトリーだからな。
「ボスー、ボスー、なにやってるのー?」
「ひなたぼっこ? おひさまいる?」
「じゃー、わたしがおひさまやるー」
「わたしもー」
などと言って何体かの妖精が集まると空に登って輝き始めた。
結構眩しい。
「うひー、やけるー」
自分で輝いといて焼けてたら世話ないよなー、と思うんだけど、そこは妖精のやることだしな。
しばらく妖精のおひさまごっこにつきあってから丘を下る。
そろそろ飯時だ、ピューパーたちを探して外に出るとしよう。
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