第327話 サイン

 午後はメイフルとカリスミュウルを伴い、演出家エッシャルバンに会いに劇場に向かう。

 ちょっとタイミングが悪く、エッシャルバンは外していたのでかわりに弟子のリーナルちゃんが応対してくれた。

 もちろん要件はバレンタインの劇のことだが、これはエッシャルバン大先生が仕切ってくれてるだけあって、劇の準備から各所への根回しまで完璧に済ませてある。

 ずいぶん金も使ったようだが、パロンの店のオープンという晴れ舞台を飾ってやるのだと思えば安いもんだろう、たぶん。


 先日、正式に引退予定を発表した春のさえずり団の件も相談する予定だったが、これは後回しだな。

 今日は劇のあらすじと、具体的な上演場所の説明を受けた上で、それに応じた宣伝の展開について詰める予定だ。

 せっかくの劇なので、どうせならネタバレ無しのまっさらな状態で楽しみたかったが、関係者だとそういうわけにも行かないようだ。


「つまり、例の白薔薇の騎士と妖精姫の話をベースに大胆にアレンジしたもの、というわけか」

「そうです、そこに妖精の好物がチョコレートだったというコンセプトを加えてあるんです」


 と弟子のリーナルちゃん。


「ふむふむ」

「この話の主人公は妖精で、名をバレンタイン。彼女は旅の騎士に恋をします。自分の作ったチョコを美味しいと言ってくれた素敵な騎士の影を追って、妖精は里を飛び出し街に来ます。でも、妖精バレンタインは騎士の顔を覚えておらず、声しかわからないんですよ。だから自分の持つチョコをそれっぽい人に与えるわけです。そうして『美味しい』って言ってくれた声を頼りに探すわけです」

「ほうほう」

「その時に、例の売り出すチョコを町中の人に配るわけですよ。そうして妖精役の女優が試食した人の言葉に耳を傾け、『ああ、ちがうわ、この人ではなかった。あのお方はどこにいらっしゃるの……』と台詞を残して去っていくわけです。これをちょっとずつバリエーションを替えながら町のあちこちでやるんですよ。これなら途中を飛ばしてもついていけますし」

「なるほど、いいな」

「それで、恋が叶わぬ妖精が、徐々に狂気を帯びていくんですけど、このあたりはみんな知ってるエピソードなので、説明が不要な分、今回のような劇には最適ですね。エッシャルバンお得意の七変化で魅せる予定です。で、妖精の方はそれでも必死になって探すんです。そうしてついに運命の騎士と出会うんですが、その相手は魔力を暴走させた妖精を退治しに派遣された騎士だったんです」

「悲劇だな」

「もしも騎士にチョコレートを食べさせることができれば、そして騎士の言葉を聞くことができれば妖精は相手が探し求めた人だと気づけるのに、ああ、何ということでしょう。妖精は手持ちのチョコをすべて街の人に与えてしまっていたのです。一つで良い、チョコがあれば、あのチョコがあればむすばれるのに……、と観客を煽るわけですよ」

「あざといな」

「いいんですよ、見てる方もそれぐらいのほうが盛り上がりますから。演出は出し惜しみしちゃだめなんです」

「なるほど」

「オチがどうなるかは、実はいくつか候補があるんですが、毎回、チョコを配る過程で即興劇的な要素もあるので、最終的にはその場で主演の女優さんにおまかせすることになってます」

「ほほう」

「客が悲劇にひたっているようなら、哀れ妖精は騎士に討たれますし、声援が大きいようならハッピーエンドになるかもしれません」

「ふむ」

「いずれにせよ、観客はチョコさえあれば、チョコがほしい、欲しくてたまらないとなるわけですよ!」

「なるかな?」

「なるといいですねえ」

「まあ、こればっかりはやってみないとな」

「そう言っていただけると助かります。演劇なんてものは水物なので、同じ出し物でも結果が正反対なんてことはよくあるんですよ」

「そりゃそうだろうなあ」

「なんにせよ、チョコの包み紙に店の名前が入るそうですから、それだけでも十分宣伝の役割は果たせると思うので、ご安心ください」

「うん、なかなかいいと思う。いや本当にこっちのアバウトな依頼をよくここまでまとめてくれたと思うよ。さすがはエッシャルバン大先生だなあ」

「今回は私もいろいろやらせてもらえるので、がんばります」

「そうか、期待してるよ。君なら大丈夫さ」


 その後、あれこれと打ち合わせて劇場を出た。


「正直、街なかで寸劇やなんて、どないなるんか見当もつきまへんでしたけど、なかなかいけそうですな」


 とメイフル。


「うん、食い物の試食なんて客の口に突っ込むまでが大変なわけだから、これなら結構行けるんじゃないか」

「そうですなあ」


 などと話しながら、劇場前で馬車を待っていると後ろから声をかけられた。


「これはサワクロさん、今日は申し訳ない」


 声の主はエッシャルバンだった。


「スポンサー筋からの呼び出しが長引きましてね、こればっかりはいかんとも」

「そりゃあ、お疲れ様でした。大丈夫、リーナルちゃんが万事進めてくれましたよ」

「それはよかった。彼女はいささかマニア気質なところがあって、才能はともかく、仕事の面では不安もあったのですが、今回の件ではずいぶんと勉強もさせてやれそうです」


 そんな事を話していると、今度は女の子に声をかけられた。


「あら、あなたは先日の。今日も観劇ですか?」


 みると別荘地の劇場でいろいろ教えてくれた女の子だ。

 名前はキスネ……だったかな、学生さんだとか。


「やあ、こんにちは。今日は生憎と仕事でね」

「そうですか、私はこれから一本見ていこうと……あら?」


 と俺と話していたエッシャルバンをまじまじと見つめる。


「あの、エッシャルバン先生……ですか?」

「うむ、いかにも」

「お、お会いできて、こ、光栄です、サ、サイン、あ、いえ、握手だけでも」

「ははは、普段は街中でのサインは断るのだが、サワクロさんの知人とあらば断れまい」

「あ、ありがとうございます!」


 と言ってカバンから取り出したのは、ちょっとくたびれた冊子だった。


「で、できればこれに。名前はキスネで」

「ほう、私の劇だが、ずいぶん昔のスクリプトだね。書き込みも多いがよく研究しているようだ。学生かい?」

「はい、学院で、その……」

「ははあ、さてはバーブス君のところか」

「あ、いえ、その……はい」

「はは、彼にはずいぶんと手厳しい批評を食らってるからね、私もあれこれ反論の論文を発表したものだが、彼の批評は一流だよ。君も自信を持って学ぶといい」

「せ、先生も、当代の演出家で批評するに値するのはまずエッシャルバン先生をおいて他にないと」

「そうかい、ずいぶんと高く買われたものだ。だが今の言葉は聞かなかったことにしよう。馴れ合いは我々のもっとも忌むべきところだ。さて、これでいいかな」


 サラサラとかきあげられたサインを、うっとりと眺める女学生のキスネちゃん。


「では私はそろそろ失礼する。サワクロさん、何かあったら、また連絡しますよ。今回の件が片付いたらペルンジャ君のことも相談したいし、ではまた後日」


 そう言ってエッシャルバンは去っていった。

 キスネちゃんは、その後姿に何度も頭を下げてから、向き直って俺にも礼を述べた。


「ありがとうございます、まさかサインを頂けるとは。あなたも劇場の関係者だったんですか?」

「いやいや、俺はただの商人でね。彼とは仕事上の付き合いがあって、お世話になってるんだよ」

「そうだったんですか、てっきり遊び人かなにかだと、あ、いえ、その、すみません」

「ははは、まあ自分でもなにやってるかわからなくなる時があるからね。そういえば自己紹介もしていなかったな。私はサワクロといってね、西の端で、チェスを売る店をしてるんだ。よろしく頼むよ」


 と言って最近作った名刺を渡す。

 こちらの世界にも名刺はあるが、自己紹介ではなく、訪問したときに家人に渡して取り次ぎを頼んだり、不在時にメモ代わりに一筆したためて投函するなどといった用途に使うのが主流らしい。

 それを自己紹介にも使えるように、肩書や店の地図を追加して日本でよく使う名刺風にしたものを作っておいたのだ。

 キスネちゃんは珍しそうにしばらく名刺を眺めていたが、不意に驚いた顔でこういった。


「チェス……あ、最近冒険者ギルドができた通りの。寮から通学するときにたまに通ります!」

「寮ぐらしかい? 今度あの商店街も店が増えるから、また寄ってくれると嬉しいな。隣の喫茶店にも美味しいものがいっぱいあるしね」

「友だちに聞いて、一度揚げ菓子を買ったことがあります。ど、どー……」

「ドーナツかい」

「そう、それです。すっごく美味しかったですよ」

「そりゃあよかった」


 そろそろ舞台が始まるからとキスネちゃんは去っていったが、去り際に、今度一緒に観劇しようとデートの約束を取り付けておいた。


「大将もまめですなあ」


 というメイフルにカリスミュウルが、


「こやつはそれを唯一の取り柄と思っておるようだからな、責めるのも酷であろう」

「そうみたいですな。おっと馬車が来ましたで」


 反論などという無謀なことはせずに、黙って辻馬車に乗る。

 我が家の豪華な馬車に乗り慣れたせいか、この馬車はいささか乗り心地が悪いが、揺れる車窓から通りを眺めていると、壁にバレンタイン劇のポスターが貼られていた。

 黒地にピンクのハートマークというビビットなポスターはよく目立つ。

 今も若い娘の二人連れが、ポスターの前で何やら話し合っていた。


「盛況みたいですなあ」


 とメイフル。


「あれもサウのポスターだって?」

「そうですな。宣伝ちゅーのは、商品の良さとか使いみちを説明するもんやと思うてましたけど、イミアはんあたりに言わせると、現代のように贅沢で物の溢れてる時代において、宣伝は今まで存在しなかった欲望を生み出すものだ、ちゅーてましたな」

「難しいことを言うなあ」

「うちもようわかりまへんけどな。何やわからんけどなんかありそうなんを噂するってのが、新しい価値になるってことらしいでっせ。イミアはんは学校でみっちり商売をまなんどるエリートはんですからな、うちも毎晩しごかれてますで」

「世界一の大商人を目指すなら、そこは避けて通れないだろう」

「そりゃそうなんですけどな」


 商店街西側の入口で馬車を降りる。

 以前は空き家ばかりだったこちら側も、すっかり工事を終えて、オープンを待っている。

 もちろん、何軒かはまだ入る店が決まっていないのだが、見栄えが悪いので外装だけは工事したそうだ。

 きれいな方が借り手も付きやすいしな。

 この一帯はフューエルの実母の実家であるコーデル家が地主として直接土地を所有し、バンカーのビールボールちゃんが勤める銀行が管理している。

 バラバラだった権利をまとめて買い取ったそうで、うまく行かなかったら気まずいんだけど、どうなんだろうなあ。

 フューエルはこれぐらいは大した金額ではないようなことも言っていたが、そのうちの一軒を借りるために人生をかけてるような家族もいるわけで、社会の縮図だよなあ、と他人事のように考えつつ通り過ぎると、果物屋の前でエブンツが馬車から荷物を降ろしていた。


「おう、おつかれさん。仕入れか?」


 というと、エブンツは寒空の下で汗をぬぐいながら、


「来週、例のなんとかってイベントがあるんだろ? ちょっと多めに仕入れとこうと思ってな」

「客が来るといいけどなあ」

「どうだろうな、うちは固定客がだいぶついてきたけど、妹の店はうまくいかないと大変だろ」

「だよなあ。それよりお前はどうなんだ、パートのあてはあるのか?」

「それがさっぱり」

「見合いしたほうがいいんじゃないのか?」

「妹に聞いたのかよ。だいたい、山をだめにしたオヤジの薦める相手なんて、あてになるかどうか、あやしいもんだ」

「会ってみなけりゃわからんぞ」

「お前こそ、例の金髪美人と結婚するんだって?」

「まだだいぶ先だよ」

「あのしょっちゅう遊びに来てるどっかの領主のお嬢様はどうなんだよ、あの人もすげー美人じゃねーか。うまく乗っかれば逆玉ってやつだろう」

「まあ、そこはそれ」

「そういや、そっちのお嬢さんは初顔だな。また新しい従者なのか?」


 カリスミュウルを見てそう言ったエブンツに、


「私はこやつの婚約者だ。例の金髪美人とやらと一緒に嫁に来る」

「え、まじで?」

「そうだ、お主はこやつの友人だと聞いている。よろしく頼むぞ」

「あ、はい、よろしくおねがいします」


 溢れ出るカリスミュウルの貫禄に気圧されてエブンツは敬語になる。


「そっかあ、お前、あれだけ従者がいても、嫁さんも二人ももらうんだ。やっぱり俺もそろそろ考えなきゃなあ」


 しみじみとつぶやくエブンツに、


「まあ、なんだ、人生いろいろあるからな」

「そりゃそうだ、そういや、まだ配達が残ってるんだよ」

「頑張れよ」

「商店街が一段落ついたら、またハブオブ誘って飲みに行こうぜ。最近ご無沙汰だしな」

「おう、あいつうまくやってるのかな? エメオの話じゃ、毎日親方にしごかれてるらしいけど」

「あいつも大変だな。じゃあ、行ってくるわ」


 仕事を再開したエブンツと別れる。

 貴重な気のおけない友人であるエブンツだが、俺の正体をばらしても今までどおりにつきあってくれるんだろうか。

 大丈夫な気もするが、俺自身が未だに紳士なんていうもののを全然理解できていないので、それが引っかかってるのかもなあ。

 なんにせよ、試練に出るときには、バラさなきゃな。

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