第326話 お菓子
翌日。
夜明けとともに仕事にでかけたエディとポーンを見送り、久しぶりに朝の商店街の空気を吸う。
キンとくる冷たさで、一気に目が覚めた。
いつも一番に店を開ける、お向かいのオングラー爺さんと世間話をするうちに、東の空に太陽が見えてきた。
まだまだ朝晩寒いけど、日が昇るとちょっとマシだな。
「ところで、例のバレンタインというのは、どうなんじゃ? 街中で寸劇をやるという話じゃが」
「そうなんですよ。話の筋は知らないんですけど、チョコレートと恋愛を絡めた何かをやるって話で」
「しかしまあ、いろいろ思いつくもんじゃな。うちとしては商売繁盛で結構なことだが」
「俺としてもまあ、チェスの方はうちのメイフルにまかせとけばいいんですけど、チョコレートの店はしっかりお膳立てしてやらんと、パロンは作る方はともかく商売っ気とかないですからね」
「あのいつも歌っとる娘か。そう言えばあの娘、先日話したときに少し妙な魔力の乱れを感じたな。コアもないアーシアル人じゃろう、どこか悪いのではないか?」
「あー、実はですね、あいつは……」
オングラーは今でこそ冒険者相手に御札を売るただの爺さんだが、昔は神霊術師として鳴らしたベテラン冒険者だ。
うまく化けているとは言え、近くにいるとなにか人との違いを感じ取れるのかもしれない。
魔法は全然使えないのでそういうのはさっぱりわからないんだけど。
そもそも俺の正体を知っていて、なおかつ商店街の会長をやっているオングラーには話しておくべきだろうと、彼女の素性を伝える。
「なんと、妖精とはな。しかも銀糸の魔女の直系か。わしも子供の頃は白薔薇の騎士の伝説に憧れたもんじゃのう」
「そんなわけで、たぶんすぐになんかしでかすと思うんですが、よろしくおねがいします」
やがて通学する学生や、森のダンジョンに向かう冒険者が増えてきたら、冒険者ギルドとルチアの喫茶店がオープンする。
オングラーは客の相手をするために店に戻ったので、今度は喫茶店のルチアに声をかけた。
「あら、おはようサワクロさん。どこか旅行に行ってたんじゃないの?」
「遠くの親戚にご機嫌伺いにね」
「そういうのは大変よね、でも私もたまにはどこかに行きたいわねえ。自分の店を持ってから一度も旅行とかしてないわ」
「休み無しだもんな」
「ハンコにもちゃんと休みをあげたいんだけど、ただでさえ人手不足でしょう。なかなかねえ。サワクロさん、彼女だけでもどこか連れてってあげてよ」
「俺が? 誘いたいのは山々だが、俺が誘っても行かないと思うぞ」
「そうかしら? 人間、なにごともチャレンジよ」
「無責任なことを言わないでください」
どこから現れたのか、箒を持った判子ちゃんがでてきた。
「あら、聞こえてた? せっかくだから連れてってもらえばいいのに」
といやらしい顔で笑うルチア。
「どうせ休暇をいただくなら、ゆっくり寝て過ごしますよ。なんでわざわざ休みの日まで誰かさんのお守りをしなきゃならないんですか」
「つれないわねえ」
「ほら、仕込みもまだ終わってないでしょう。もうすぐ客が来ますよ」
「はいはい」
と、判子ちゃんに引っ張られていくルチア。
判子ちゃんもすっかり馴染んでるな、いいことだ。
感心しながら、今度は冒険者ギルドに顔を出す。
ここの代表である課長のサリュウロは、今日も元気に働いていた。
「おはようございます、サワクロさん。休暇から戻られたんですね」
「おはようさん。商店街も気になるしね」
「工事もほぼ終わって、すっかり見違えましたね。もうすぐオープンするんでしょう? うまくいくといいですねえ」
「そうなんだよ、人生かかってるのもいるからなあ、」
「自営業は大変ですよね。私なんて最悪の場合でも今ある職を失うだけですけど、自営業だと借金やら何やらで、しかも家族がいたりすると……」
「そうなんだよなあ、頑張ってもらいたいねえ」
朝から景気の悪い話をしていると、ぞろぞろと冒険者がやってきた。
この時間に来る奴らはギルドに依頼を貰いに来る輩で、駆け出しを脱してそこそこ稼げるようになってきた連中だ。
そんな連中をテキパキとさばくサリュウロちゃんもずいぶんとさまになってきた。
初めて森のダンジョンであった頃と比べれば短期間の間にずいぶんと成長したなあ。
やはり責任のある仕事は人を鍛えるのか。
更にブラブラと商店街を歩くと、果物屋エブンツの妹エイーラが店から出てきた。
彼女と夫のハッブがやる料理屋は、ギルドの二軒となりで、細長いウナギの寝床のような店だ。
カウンターと奥に小さな入れ込みがある和風の小料理屋のような店構えで、異国風のちょっと変わった高級志向の店をやりたいというハッブの要望に応じた俺が適当に出した案を、その道のプロがいい感じに仕上げたいい店だ。
「あらおはようございます、サワクロの旦那さん。今日にも支度が整うので、明日あたり内覧会ってやつをやろうっていってるんですけど、ご都合どうかしら?」
「いいね、ぜひ行かせてもらうよ。それにしてもいよいよだな」
「ええ、おかげさまで。うちの人も張り切ってて、今朝も夜明け前から市場まででかけてますし」
「これからが大変だろうけど、君たちなら大丈夫さ」
「ありがとうございます。うちはまあ、頑張るだけなんですけど、兄のほうが心配で……」
「はは、そうだなあ……」
「特に出前があるでしょう。口入れ屋に頼んではいるんですけど、最近は景気が良いせいかどこも人手不足で」
「みたいだなあ」
去年の天候不順で一次産業は大変だったようだが、全体的には好景気らしいからな。
特に南方貿易が儲かってて、ここのような港町にはかなり金が集まってるとか。
「実は先日、実家の両親も出てきて、兄にお見合いさせようって話もあったんですよ」
「ほほう」
「でも、兄はあんな性格でしょう。のらりくらりとやる気が無いものだから、しびれを切らした父と大喧嘩しちゃって」
「人生の一大事だからなあ、簡単にはいかんよな」
「そういえば、サワクロさんは、よく遊びに来てた騎士見習いのあの人と、一緒になるんでしょう? ルチアから聞きましたよ」
「実はそうなんだ、お互い都合があるので、多分秋以降になるだろうけど」
「おめでとうございます。そちらは商売も順調みたいですし、うちもあやかって頑張らないと。でももったいないですねえ、だって正規の騎士になれば、最下級とはいえ貴族様でしょう?」
「ああ、そうだなあ」
身の回りに貴族が多すぎてありがたみがないけど、世間的にはそういう感覚だよな。
「あれはあれで、大変らしいよ。そんなに特権があるわけでもなく、なんと言っても最前線で戦うわけだし」
「そうなんでしょうねえ、なんだか都でも大きな事件が起きたって聞きますし」
そんな感じで世間話を終えて、家に戻って朝食をとる。
ゲストのミーシャオちゃんは、アフリエールと一緒に出かける準備をしていた。
エンテルについて、王立学院に見学に行くらしい。
「都会の学校に行けるなんて、夢にも思わなかったから、もうすっごくドキドキしてて、ああもう、ご飯も喉を通らない」
などとエキサイトしている。
健気だねえ。
こういう向学心にあふれる素直で素晴らしいお嬢さんに金をじゃんじゃん貢ぐ、あしながおじさんになって余生を過ごしたいなあ。
別に俺が稼いでるわけじゃないけど。
他の女に稼がせた金を別の女に貢ぐ、と考えるとかなり残念な感じになってしまうので、もうちょっと考え方を変えていきたい。
投資だとかプロデュースだとかコンサルティングだとかそういう方向で、こうなにかほら、ねえ。
などと一人で悶々としていたら、フューエルが現れてこういった。
「なにを一人で面白い顔をしているんです?」
「いやちょっと、悩み事がね」
「午後は出かけるのでしょう。今のうちに済ませる用事はないのですか?」
「ないなあ」
「だったら、悩む必要もないでしょう。手の空いた従者に声をかけて慰安に努めてはどうです?」
「それはもっともだが、午前中に暇そうな従者はいないだろう。いるとすれば」
とちらりと見ると、暖炉の前で二度寝から目が覚めたばかりのカリスミュウルが目に入った。
同じくフューエルもそちらを一瞥してから、
「では、せめてほがらかな顔でのんびりしていてください。あなたが憂鬱そうな顔をしていると、皆が不安になりますよ」
そう言ってフューエルは仕事があるからと自分の屋敷にでかけてしまった。
やることもないし、酒……は午後に用事があるので、とりあえずおやつかな。
キッチンのキャビネットには食器が山ほど並んでいるのだが、その隣の棚にはおやつがみっしりつまっている。
午前中に台所組が大量に仕込んでおくと、昼頃に道場から帰ってきたフルンたちが半分ぐらいたいらげ、その後チェス組や学者組などが帰ってくるとそこを覗いて好きなものを持っていく。
地下の大工組は、わざわざ登ってこないので、アンやモアノアが差し入れにいっているようだ。
俺はと言うと、カリスミュウルと一緒に棚の前で補充される様子を見学することにした。
「幼い頃に読んだ絵本にな、魔女のキッチンというものがあってだな、それによると棚に収められたお菓子が、食べても食べてもなくならぬというのだ。まさにこれは、それそのものだな」
とカリスミュウル。
「私の場合、お菓子などは言えば侍女が差し入れてくれたのだが、その魔法の棚というものになんとも言えぬ興味を惹かれてな。魔法の棚の素晴らしさを食事担当の侍女に話して聞かせたものの、まったく理解させることができなんだわ。これがモアノアであれば、気を利かせてこっそりと戸棚に忍ばせておいたであろうに」
「そう言えば俺も子供の頃、なにもない田舎に住んでてな。近所の家の石垣のところにたまに飴玉がおいてあったんだよ。友達とそれを見つけるたびに、すげー、飴玉があるとか言って、喜んで持ってって食ってたんだよな。もちろん、実際はその家の人が置いてたんだけど、子供の頃はそう言うとこまで考えないから、そこの石垣は何故か飴がある不思議スペースだったんだよな」
「今の貴様からは想像できぬほどの無邪気さだな」
「そうかな? 今でも道端でおっぱいがまろびでているお嬢さんとかがいればホイホイついていくかもしれん」
「ただの痴女であろう。尻の毛まで抜かれて捨てられるが良いわ」
そんなことを話すうちに、最初のおやつが充填された。
今日のできたておやつ第一弾は、ビスケットだ。
こいつはダンジョンの携帯食にも使う、うちの定番メニューで、素朴な味だが、それゆえにいくら食べても飽きることがない。
散歩のときなども、ちょいとハンカチにくるんでポケットに忍ばせると、安心してどこまでも歩けるという寸法だ。
しかし、今朝はこれを食いたい気分ではない。
しばらく待っていると、斜向かいのパン屋で朝から働いていたエメオが籠いっぱいのパンを持って帰ってきた。
いつも今時分に試作品の菓子パンを持ってくるのだ。
「ご主人様、ちょうどよかった、新しいパンがあるので、みんなで試食しておいてくださいね」
荷物をおいて、エメオが店に戻ると、今度はパロンがやってくる。
「みなさまー、本日のチョコはー、大きなー、ホールのー、チョコケーキーですのよー」
両手に大きなケーキを持って、くるくる回りながらやってきた。
「なんじゃい、われらしかおらんのかい、子供らはどないしてん」
「ピューパーたちなら、天気がいいから公園だぞ」
「この寒いのに元気やのう」
「元気ならお前も負けてないだろう」
「当たり前じゃい、妖精はいつでもこんなもんじゃ」
とぷりぷり小さなお尻を振って踊りだすと、ふわふわの髪の毛に隠れていたパルクールも飛び出してきて一緒に踊りだす。
パルクールはモジャーとかチョコーとか、言葉の断片みたいなものを喋っているが、パロンに言わせると、すごい速度で知性が発達しているらしい。
「普通、言葉を発するだけで何十年もかかるもんじゃ。こりゃすぐに会話もできるようになるじゃろ。やっぱりこいつは特別じゃのう」
というが、今はまだ踊るだけだ。
ダンスに付き合う気力はないので、ケーキを切り分けてもらい、カリスミュウルと味見する。
うまい。
別荘に残っているオルエンのかわりに、牛娘のリプルが入れたミルクたっぷりのコーヒーがまた合う。
「そりゃそうと、店の名前はなんじゃったかいの、あのフェアリー・ショコラティエとかいうなんぞ古めかしそうな名前でええんか?」
とパロン。
彼女のチョコショップの店名を考えさせられてたので、適当に決めたんだった。
「そりゃおまえ、妖精のチョコ菓子職人っていうそのまんまの名前だからバッチリだろう」
「今どき妖精のことをフェアリーとは呼ばんのではないか?」
とカリスミュウル。
「そこはそれ、ちょっと古めかしいほうが格式があっていいんだよ」
俺の脳内翻訳での外来語は、古語であることが多いようだ。
この世界は方言はあっても外国語みたいなのがほとんどないからな。
「それよりもわれ、妖精ってつけて、バレたらどないするんじゃい」
「ばっかおめえ、そこはむしろ、万が一バレても、なんだ本当に妖精だったのかアハハと笑ってごまかせるんじゃないか」
「適当なこと言っちょるのう、まあええわい」
パロンは納得して仕事場に戻っていった。
「アレで納得するとは、主従はとことん似るものと見えるな」
というカリスミュウルに、
「じゃあお前もアンブラールみたいにへそ出して戦えよ」
「バカを抜かせ、何が悲しゅうてあのような変態じみた格好をせねばならぬ」
「それももっともだが、やはり痴女が寄ってくる定めなんだろうか」
「何を馬鹿なことを……」
むしゃむしゃケーキを食ったら、休暇の疲れが出たのか、少し眠くなってきた。
まったく、何のために南の島まで行ったのかわからんな。
午後は用事があるので、今のうちに休んでおこう。
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